Ⅱ お告げが、聞こえる。
【まえがき】
ルート編の続きになります。
本編をどうぞ。
八畳ほどの部屋に、大きな長机が一つ。机を囲むようにして備え付けられた六つの椅子は、教室にあるものよりも幾分か貧相で、経費削減の痕が見受けられる。扉がある面以外の壁には壁一体型の本棚が設置してあって、少し息苦しい。その一部分だけを切り取ってできた窓は、さながら虫かごの空気孔のよう。部屋の隅には純白の百合がひっそりと一輪だけ咲いて、仄かに香っていた。
本好きである初代校長の書斎だった部屋を改良しただけあって、本の虫が好みそうな部屋である。
いつも散らかっている生徒会室が綺麗に片付いていると、何となく不和を感じてしまう。これが本来の姿だと思えない。何となく納得がいかない。
でも、片付けた本人はご満悦の様子だった。ちなみに、片付けた人は散らかした人と同一人物でもある。
「いやー綺麗になったねー! ありがとうルートくーん! 非常に助かったよ! 準備室の方もすっごい綺麗になってて驚いたよ!」
「いえ。サクラも手伝ってくれましたし」
「遊びついでじゃ」と言って、準備室に引き続いて生徒会室の方も掃除を手伝ってくれたのだった。とうのサクラは、珍しく疲れたのか生徒会室の長机の一端で眠ってしまった。
生徒会としては少し困る位置で寝てしまっているのだが、起こすに起こせない。
「よりにもよって、真ん中で寝ちゃうとはね……。実にサクラちゃんらしい」
「そうですね。でも、どうするんですか? このままだと、寝ているサクラを間に挟んで座るしかなくなりますよ」
実はこの後、合同文化祭のミーティング会場として、この場所に隣国アカデミーの生徒会長ら数名が来ることになっているのだ。部屋全体を綺麗に整理整頓したのもそのためだ。
もっと早めに対処すべきだったのだろうけど、会長の性格上、直前対応は納得である。
つまり。
「ま。何とかなるっしょ! あ、そうだ! サクラちゃんは人形ってことにしよう」
そういうことだった。
思わずため息が漏れる。失礼なのだろうけれど、場の流れ的に謝る気は生まれない。
この混沌とした空間で、僕だけは平常心を保とうともう一度深く息を吐く。今度は溜息ではない。
「人形を真ん中にですか?」
「うっ……。そ、そう! サクラちゃん人形はこの学校の守り神なんだよっ!」
「んぅ……む…………じゃぁ……………………」
「サクラちゃん人形、何か話してますけど……?」
自分の腕を枕にして、満足げな顔で眠っていた。元々の姿勢の正しさも関係しているのか、寝姿勢もすごく綺麗だった。それがいやに寝づらそうに見えて、何となく良い枕を与えたくなる。
それは会長も感じたようで。
「可愛いなー。サクラちゃん。妹に欲しい」
「それは――
きっとそれと似た日常を、僕は知っている。
毎日毎日引っ張り回されて疲れて、とても大変。でもそれが楽しくて。知らなかった色々な面白い事を、見つけたりもできる。そしてまた、新しい愉しさを求める。
少し面倒になることもあるけれど、憎めない笑顔が愛おしい。
まさしく、妹のそれだった。
――それは、楽しそうですね」
「おう。君もわかるかねー!! ははは! あれ? そういえばルートくん、妹いたよね」
「あ、はい。いますよ」
その答えに、会長はどこか納得したように席に着いた。もちろんサクラの隣に。
そうして、僕にも着席を促した。もちろんサクラの隣に。
本当にこれで行くのか。
内心焦っていると、会長がサクラの頭を撫でながら漠々と問うてくる。
「可愛い?」
返答する声から何か悟られてしまうのではと無意識に警戒して、頷くだけで言葉を添え忘れてしまう。かえって怪しまれたのではないだろうか。
「ふぅん……そっかー。やっぱりねー。ルートくんがこの感じだから、妹さんもね、こう、なんかさ、いい感じなのかなって思って」
「ははは……」
アリスになら、見抜かれていたことだろう。
「妹いいなー……」
「会長、妹好きなんですか?」
「んん!? 随分と切り込んだ質問だね! まぁ、好きだけど! 大好きだけど!」
「あはは……」
僕の脳内には、過去、リズにされてきた悪戯の歴史がフラッシュバック再生されていた。喧嘩をしたことは、確かに記憶にあったが、不思議と詳しい内容までは思い出せなかった。
少しばかり補正が効いているのだろう。
「でも、いたらいたで色々と大変ですよ」
例外を除いて、大概の妹持ちは「妹は嫌い」だと言う。妹が欲しいと言っている人には、「やめておけ」と注釈を入れる。
それに則って、僕も注釈を入れてみたのだった。会長は全く聞き入れていない様子だったけれど。
「そうやって苦労するのも、全部良い思い出になるんだよー!! そう。妹がいればね……! なんつって! はっはっはははーー!!」
「まぁ、会長がお姉さんなら、サクラも喜ぶと思いますよ」
朗らかで短絡的であるところは多分、サクラからしても接していて気が楽だと思う。それでいて、会長には芯があって心強い一面もある。ただのお茶らけたお姉さんでは終わらない。
会議や演説などの真面目な場でそういう一面を見る度に、そう思う。
「失礼します。生徒会長様は居らっしゃいますでしょうか」
三度のノックの後、入口ドアの向こう側から男子生徒と思われる声が聞こえた。会長の明るい声と相対した、少し冷めた、でもよく通る声だった。
その声を聞くと、自然、背筋がピンと伸びた。
正した姿勢のまま会長の方に視線を向けると、こちらと目を合わせて小声で何やら訴えてきた。
「やべぇ。もう来た」
そのセリフは、片づけられて様相を変えた生徒会室にはミスマッチ過ぎる。空しく響いた会長の焦燥は、隣で目を閉じる守り神の寝息にかき消されてしまった。
「あはは……」
そして残ったのは、一抹の冷静。
***
「それでは、場所の方は決まりましたので、今度は詳しい内容の方に入っていきますか」
とりあえず、第一印象は『非の打ちどころの無い人』だった。
台本代わりのパンフレットは用意してきたようだったけれど、それを滞りなく、それも僕たちにもわかりやすく弁舌できるというところにセンスを感じる。聞き取りやすいと言うのは、割に高めの声質というのも助けているとは思うが、言葉選びも上手いようで、一発言の把握がしやすかった。そういう振る舞いからは知的な雰囲気を感じた。
アリスと似た綺麗なブロンドに清潔感のある短髪。一見、壮健そうに見えるも、優しそうな眼差しと頬のラインが均整をとっているようで、荒々しくもなり過ぎない。耳障りな音が皆無な透き通った声質と、心まで見透かされてしまいそうな澄んだ瞳は『その様相にこそ相応しい』とさえ思わせてくれる。
それに加えて、この学校の守り神が会合の場にいても、「大丈夫だよ」と柔軟に対応できるだけの余裕もある。もちろん、それが守り神などではなくて、一生徒が寝てしまっているだけなのだということも知りながらである。
まさに『聖人』という感じだった。
「そそ、それじゃっ。具体的ななな、内容を話させていただきますぅっ!」
おそらく聖人の正極に位置する会長は、小刻みに震えながら目を泳がせていた。何に当てられたのかは知らないが、変なことをしていても常に毅然としている会長が、こういう反応を示すのはとても珍しい。
それも見越してなのか、聖人会長はにこやかに微笑んで、また通る声で言うのだ。
「落ち着いてルリさん。そんなに畏まらなくてもいいんですよ。あなたも僕も生徒会長ですし、ただの学生なんですから」
「は、はぃぃ! 失礼いたしましたーっ……!」
会長の反応もここまでくると、わざとやっているのではと半疑せざるを得ない。
そういう時は、大して面白くないことを伝えると真面目になる。
「会長。真面目にやってください。……あれ? 会長?」
会長は僕の言葉も聞き入れずに俯いてしまった。いつもは快活な印象の髪の毛も、少しだけだらしないように垂れる。垂れた髪の間から覗いた表情は、憔悴。何かを訴えようとする口だけがパクパクと動いて、声にならない声をずっと吐き出している。
「会長、大丈夫ですか? 具合悪いですか? 顔、赤いです。もしかして熱があるんじゃ……」
おまけに息遣いも荒く、呼吸が乱れていた。
これは完全に健常者の行動ではないと思う。聖人会長が来る直前までは、あんなにはきはきと活動していたのに。あまりの徳の高さに、解毒され過ぎたのだろうか。
背中を摩ってあげようと触れた瞬間、会長の体全体がビクッと反応した。そして、ふぅと深呼吸が一つあってから、弱々しい声がどこからともなく聞こえてきた。
「時間経てばなおるから……」
一瞬、誰の声だろうと思って、周囲を見渡した。
目の前には聖人会長が心配そうに様子をうかがっていて、隣にはサクラが小さな寝息を立てている。当然、声の主は会長である。
一体どうしたのだろう。
対極的な二人の会長を交互に拝み見て、最後は聖人会長の方を向いた。聖人会長が僕法へと目配せしたからだ。
「ルリさんが緊張してしまっているみたいだから、代わりに、説明お願いできるかな」
「わかりました」
らしくない会長が少しばかり腑に落ちなかったけれど、こういう事態になってしまったのだ。致し方あるまい。文化祭の内容については、以前より会長と話し合いを重ねているので、説明できないことはないはずだ。
とりあえず、自分たちで用意したパンフレットを片手に、対話の口火を切ってみる。
「え、えぇと……まずですね……」
文化祭の概要については、あらかた頭に入っている。説明するべきこともわかっている。あれもこれも、説明しなければならない。
さて。どこから手を付けていいかわからない。
頭だけが体裁よく回転して、肝心の言葉がついてこない。口はパクパク何かを訴えようと、必死でいる。
勘繰られてしまったのか、聖人会長は僕たちの作ったパンフレットを手に取って、くすりと微笑んだ。
「それじゃ、始めようか。まずそちらの、カシミーヤ校の出し物の概要についてなのだけれど。いいかな?」
「はい、もちろんです!」
また一つ、微笑みを貰える。初対面のはずなのに、何か良い所を褒められたようなそんな気がして、少しだけ心が軽くなる。
「カシミーヤ校は、学年ごとに異なったジャンルの出し物をすることになっています。まず一年生が体育館で劇をやります。全クラス合同で一つの劇を完成させるのですが、演目時間によってクラス分けがなされています」
毎年劇をやるのは一年生と決まっているらしいが、それを決めたのは会長ではなく本好きの初代校長らしい。なんでも、気に入っていた長編小説の内容を劇という形で見てみたかったようで、小説の登場人物たちと同世代であった一年生にスポットライトを当てることになったという。
それが代々受け継がれて、ずっと同じだった演劇の内容も生徒会監修のものへと形を変え、来たる今日、生徒会主催終日演劇という伝統となっているのだ。
「一年生の劇は文化祭最終日の三日目、体育館で行われることになっています。三日目は日曜日なので、お客さんもたくさん来ると思います。忙しくなり過ぎないよう、クラス分けは余裕をもって行いました」
「なるほどね……。ルートさん、ありがとう。続けて」
包み込むような紳士的な声で、呼称される。何となくドキリとして、嬉しかったり嬉しいのを抑え込んだりで感情が落ち着かない。
その高揚の内訳には、“名乗った覚えがない”ことも含まれていたけれど。大方、会長が話していたのを聞いただろう。不思議はない。
「二年生は、校内各所で芸術作品の展覧を行います。大きなものは中庭や屋上庭園に、絵画や彫刻などは美術室を中心に廊下全面に飾ります。一般来賓の入場口に投票用紙を設置して、投票の多かった作品は、学校推薦作品としてそのまま秋の国際芸術展へ出品することが決まっています。集計は僕たち生徒会で行います」
「それは、僕たちの学校の三年生のと合わせて展示するんだったよね」
「はい。えっと……、研究成果の発表でしたよね」
聖人会長の学校は、国外でも有名な名門校だ。世に言う偉人たちや、現在も活躍する多くの科学者たちの出身校であり、募った教師陣の中に現役科学者がいたりするということもあって、高みを目指す者からの注目が熱い。前、アリスがそこを目指していたと言えば、凄さが伝わるだろうか。
そんな学校の生徒たちが集って、一つのテーマを追う。その結果が、カシミーヤに貼り出されるわけだ。天体とか世界についての研究があるかどうか、楽しみだ。
猫に小判とは言わないが、この学校の会長を見ていると、なんとも勿体ない気がしてくるのは僕だけだろうか。
聖人会長がにこやかに頷いたのを確認してから、続ける。
「三年生の出し物は、教室に飾り付けをして、カフェなどの飲食店やワンテーマをポイントにしたレストスペースのようなレクリエーションの場を設けます。全クラスでやると大変なので、一部は二、三クラス合わせてやることにしました。食材の手配は、提携している給食センターに協力いただけることになっています。店の利益を八十%、センターに還元することで、了承いただきました」
「ほほう。すると、飲食店は毎年出ているのかな?」
「はい。そうみたいです。どうしてわかったんですか?」
「僕たちの学校でも喫茶店を開こうとしたのだけれどね、見事に断られてしまったんだ。同じ給食センターにね。なんでも、古くからの提携で成り立っているそうで」
「そうなんですか……。あれ? でも――」
目の前のパンフレットを手に取って、疑問をぶつけようとすると、鋭く切り返しが来る。聖人会長は洞察力も優れていた。
「大丈夫。僕たちの学校は、複数の財閥が協力して運営しているから。ちゃんと屋台を出せるように尽力するよ。こっちの一、二年生も張り切っているから」
おまけになのか主になのか、財力もすごかった。
聖人会長側の一、二年生にはカシミーヤ校の校庭で出店屋台をやってもらえることになっていた。以前に送付されてきた設計図を見るに、校庭いっぱいに露店が並ぶみたいだった。校庭の広さを考えると、本当に『祭り』という感じがする。
疑問が解消されて、小さく安堵していると、不意に聖人会長から質疑が飛んでくる。
「レクリエーションって、具体的にはどんなものをやるんだい? うちに送られてきたパンフレット資料にも『レストスペース』ってしか書いてなかったから、ちょっと気になって……。あ、でも、機密だったら言わなくても大丈夫だよ」
「あ、いえ。レクリエーションは、簡単なゲームをしたりして交流をしようというものです。輪投げだったりお化け屋敷だったり、好きな本を読みながらコーヒーを飲んだりできる図書カフェ、生徒たちが思い思いの衣装に身を包んだ異色の喫茶店なんかも企画に挙がっています。手作りした衣装の貸し出しなども行うそうです」
「そっか。面白そうだね。それは、僕たちも利用できるのかな?」
「もちろんです! 誰でも利用できますよ!」
「そっか。それはよかったよ」
それからしばらくの間、生徒会室に僕と聖人会長の声だけが飛び交って、相互の理解は深まっていった。そうして、一問一答形式の文化祭実行案は、語りつくされたのだ。
聖人会長の帰り際に、会長が小さな声で挨拶するまで、まるで部屋に二人しかいないような感じさえしていた。
***
「どうして急に黙ったんですか、会長。結局、僕一人で全部説明しちゃいましたよ」
何か悪いものが抜けたようにぐうたらと机に突っ伏す会長に、一つ物申す。
会長はだらしなく机に凭れたまま顔を上げた。
「いや、だって、緊張するじゃん」
「え?」
初見の相手だろうとお構いなしに突っ込んでいくスタイルで通す会長に限って、そんなはずはない。それに今回は、初見とは言え事前に存在を知っている関係だ。尚のこと、緊張するなど考えられない。
机の上で頭をゴロゴロ転がしながら、会長が何やらぶつくさ放言している。
「あれで緊張しないとかマジ有り得ないよー。だって、あれだぞ? いや、無理だろー。どこ見ればいいかわからんよー」
「そうかのう。わしは声質が苦手じゃ。わかめみたいにぬるぬるしててきもち悪いのじゃ」
「そうかなー。ワタシはあれくらいが丁度いいかなー。聞き取りやすかったし。ってか、サクラちゃん起きてたの」
いつの間にか目覚めていたサクラも会話に参加したことで話題は逸れ、『どういう声が好きか』という討論が始まっていた。座っている場所もさっきまでとは打って変わって、対面する形となっている。
ただその様子を見ていただけだった僕には、終わらない論争が始まる前に二人の間に割って入る義務が課せられるのではないだろうか。
「ちょ、ちょっと待ってサクラ! 話逸れてるからっ! そういうのじゃなくて……。えっと……、会長、結局緊張してたってことですか?」
病気とかでないのならば安心できるが、それはそれで一言欲しいものだ。
丁重に訝ったつもりだったのだが、会長の答えは溜息だった。言い添えられた言葉は、「わかってないなー」という感嘆で、さらに僕の疑念を深めた。サクラも会長と同じ身振り手振りを交えて全く同じ言葉をなぞったが、それはノリでやっているだけかもしれない。
もう一度会長の方を見て、尋ねてみる。
「ど、どういうことですか?」
会長は、人差し指をピンと立ててそれを左右に揺らす。
「甘いねルートくん。天然キャラ狙ってるなら、もっとわかりやすく尋ねた方が良いよ! ははは!」
「るり。るーとは本物じゃぞ」
「え? そうなの? 本当にわかんないの?」
少々食い気味に頷いた。何がわからないのかもわからないので、ここで頷いても意味合いはそこまで変わらないと思ったまでだ。
会長はどこか安堵した様子で、僕の肩をポンと軽く叩いた。
「なんだ。安心したぞ。ルートくんも狙ってるんじゃないかって焦ったよ、全く……。ルートくんが相手じゃ、ワタシには勝ち目がないからね」
「狙ってる? え?」
会長は「ふぅ」と一息置いて、目を細めて言った。
「あの会長。かっこよくなかった?」
「えと、聖人……じゃなくて、隣校の生徒会長さんですか?」
心中では終始その呼称だったので、つい口に出してまう。本人がいたらどんな顔をしていただろうか。聡く賢いその人の色々な表情が想像されて、少し興味深い。
反対に、本校の会長は瞳だけでなく鼻の穴まで大きくして、若干興奮気味である。押された分だけ、僕は引く。
「そうっ! そうそうっ! かっこいいよね!? 優しいしさー!」
「てんしょん高いのぅ」
「いやー、ワタシの好みどストライクだったんだよー! ていうか、かっこよすぎか!!
あっはははは! もうどうしていいかわからん!! 助けろ!! ていうか、私の恋路を応援しろー! セッティングとかな! はっはっはっはっ!」
何というか、真っ直ぐで純情な会長らしいなと思った。猪突猛進に飛び込んだ壁は、あまりに高くてあまりに堅くて、ぶつかった衝撃で失墜してしまったのだろう。
会長の無言が病的なものでないとわかって安心すると、呆れにも似た溜息が「はぁ」と漏れた。呆れ成分の方が強かったようで、すべからく会長に怒られる。
「あっ! こら! 今、溜息ついたなー!」
「あ、いや! これは違いますっ!」
「ははは。ため息もつきたくなるわい」
「サクラまで……! 違うってば! 僕はただ、会長が急に黙るから、具合でも悪かったんじゃないかって思って……」
「るーと、おぬし……」「ルートくん……」
「えっ?」
二人に見つめられる。僕は何か間違ったことを言っただろうか。
僕を見つめる目が、会長とサクラで一致していなくて混乱する。一つ言えるのは、二人のどちらからも言葉を貰いたくないということだった。
耳を塞ぎたい一心で二人を見返していると、言葉が二人から発せられた。
「ルートくんまでワタシを攻略する気か! モテる女はつらいぜ、はっはっはっは!!」
勢いを取り戻した会長の声量に飲まれて、サクラが何を言っているのか今一つ判然としなかった。あんな呆れた表情から繰り出される言葉なんて、進んで聞くようなものでもないけれど。
サクラには不得手ながらに努めた愛想笑いを一つして、聞こえた方には言葉を返そう。
「気のせいですよ。会長」
二十分ほど経って。
「さて」と切り出したのは、意外にもサクラだった。サクラが帰りたがる時刻はとっくに過ぎていたが、残ると決めるといつまでも残るのがサクラだったから、少し不思議に思えた。
サクラはすくっと席を立つと、奥に座っていた会長の方を向いた。文化祭準備の手直し作業をしていた会長も、自然、そちらに注目した。
「お? 帰るのかいサクラちゃん」
「帰るのじゃ」
「何か用事があるのかな?」
「んー……疲れたんじゃ。帰って寝る」
「そっか」
こういう時、僕は基本的に無言で傍聴していることが多い。傍聴しながら、二人のやり取りの数手先を想像するのが常だ。
今日の場合、サクラがどこでどう寝るのか中々想像がつかなくて、思案はそこで滞る。アリスが噂していたように木の上なのか、それとも普通に家なのか、はたまた可愛らしい部屋なのか。
小さく笑っていると、いつの間にか目の前にサクラがいた。
「帰る」
「うん。気を付けて。僕は、会長ともう少しだけ作業していくよ。じゃないと、サボるからね、会長」
「じゃな……」
「ね……」
「そこ。しみじみとワタシの悪口を言わないでくれたまえ」
そこでまた一笑あって、それからサクラがまた切り出した。背中を掻いてくれといったり、色々と変だったり、今日のサクラはいつにも増して違和感がある。変なのはいつもか。
「じゃ。帰るのじゃ」
「それじゃ。気を付けるんだぞー」「また明日ね、サクラ」
そうして、サクラは生徒会室の出口へと歩く。その様子がいやにあっさりしていて、いつも通り過ぎる僕たちの挨拶が浮いて聞こえるような気がする。まるで聖人会長が――外部の者がこの部屋にいた時のような、どこかピンポイントな蟠りを感じるような、そんな気が。
僕の後ろを通過して出口へと近づいていくサクラを目で追うと、サクラが視界から消えた瞬間、淡泊な答えが返ってきた。
「――えっ?」
「じゃあのー」
自分の中にあった一つの疑問と照らし合わせている間に、サクラは生徒会室を去っていた。サクラからもらった答えを忘れないように記憶に刻もうと意識すればするほど、僕の抱いた疑問からかけ離れていく。時間は早く過ぎて、目の前の作業に集中できない。
保留にして帰ろうかと迷っていると、会長が問うてくる。
「もう遅いし、ルートくんも帰っていいよ」
言われて時計を一瞥すると、確かに、いつも帰り支度を始める時間を十分ほど過ぎている。視線を戻して手元を見れば、半端になっていたいくつもの書類が無残に散らばっていた。
このままにしては帰れないだろうと、疎かになっていた作業を再開しようとすると、会長に制止される。
「あー。いいよいいよ。あとやっとくから。別に明日のお昼休みでもいいし」
「い、いえ。これくらいはやります」
「ううん。遠慮しないでいいよ。それに、生徒会長としての威厳も取り戻したいし」
正直なところ、サクラの言葉に遇された意図を考えるために、一人になれる時間が欲しかった。なので、そう言われると甘えたくなる。会長の贖罪という大義名分も与えてもらえたわけだし。
「わかりました。それじゃ、お言葉に甘えます」
「うんうん。それがいいよ」
「会長、ありがとうございます」
ふふふっ、という明るい響きとともに「ルートくんはお堅いねー」と批評をいただく。
座っていた椅子に立てかけておいた鞄を肩にかけて席を立ち、申し訳程度に眼前の書類を一つにまとめる。書類を会長に届けるついでに、一つ気になったことを解消しておきたい。
「明日のお昼休みで良いっていうことは、そんなに急ぎの書類でもないんですか?」
「んーん。急ぎだよー。でも、使うのはまた明日の放課後だから。それまでに作っちゃえばオールオッケーってことよ」
「放課後、ですか……」
そのタイミングに一つ思うところがあって、複雑な心境でもって思案に余る。
会長は訝ってくるが、核心は突けるはずもなく。
「あれ? 言ってなかったっけ? 明日の放課後も来るんだよ。愛しの王子様が」
「そ、そういえばそうでしたよね」
そうして会長はまた、僕に疑問を投げかける。いや、僕が疑問を探してしまっているのかもしれない。すっかり恋色に染まった、会長の果てしない吐息すらも、この世界最大の謎を賛美する歌に聞こえないことも無かった。
「はぁぁぁ……。かっこよかったなぁぁぁ……。レイル会長」
『明日、放課後、屋上、じゃ』
僕は心の中で二人に謝罪した。
四百四病の外に罹患する会長の歌の意味も、いつもと何かが違うサクラの言葉の意図にも。
僕は、求められたはずの理解に答えることができなかったのだから。
【あとがき】
変な生徒会長のさらに変な性癖が垣間見えた今話でした。
今章は、登場人物が結構限られるので、各キャラの個性を見失いがちになります。そういう時は、『今どこで何やってるんだろう?』と想像していただくと、またさらに面白いかもしれません。




