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Ⅰ この夏、一番静かな部屋。

【まえがき】

 今章はサブエピの多さも相俟って、視点変更がたくさん出てきます。

 一つ一つ整理しながら読んでみてください。



 本編です。



 

 


「掃除って……。よりによってこの部屋か……」

「かいちょーが隣の部屋におるからサボるにサボれんぞ」

 生徒会長権限だとか何とかで放課後の清掃を免除された僕は、同じく清掃を免除されたサクラとともに、生徒会準備室にいた。清掃を免除されるには当然理由があって、それがまた清掃なのであった。それ故に、免除のありがたみを感じることはない。

 それに、場所が場所だ。相手が相手だ。

「ご、ごめんねサクラ。巻き込んじゃって。嫌なら全然僕一人でもできるから……」

「何を言うとる。お主とわしの仲じゃろうて。それにかいちょーの頼みでもあるしのう」

 サクラはえへんと胸を張って誇る。夏服が眩しい。

 生徒会長と仲が良いというのは、確かに気分がいいことかもしれない。だが、そういう意味で言ったのではなかった。

 この『生徒会準備室』という空間に、僕とサクラが、二人でいるというのが問題なのだと、暗に示したかったのだが。

 とりあえず、冷静になって業務に徹すれば、無駄な感慨など起こさずに済むかもしれない。トライしてみよう。

「そ、そっかありがとう。じゃあ、さっさと終わらせちゃおうか!」

「そうじゃな!」

「文化祭で使えそうなモノを集めて、それ以外は綺麗に整頓してって、会長結構ざっくりだな……。見ればわかるって言ってたけど……」

 奥の方にちらついている古めかしい書類は使用用途ごとに整然と陳列されているのに対して、手前側の一番目につくところは、かなり雑然としていて汚かった。最近使ったとみられる卒業アルバム以外は、満遍なく埃を被っていて清掃意欲を著しく削ぐ。

 前会長と現会長の性格の差を物語っているようで、少し面白かった。

 サクラがその卒業アルバムを手に取って、呟く。

「こないだかいちょーと見たアルバムじゃ。これ」

「会長と?」

 明朗で活動的、じっとしているのが苦手そうなサクラが、そんな粛々と過去を見つめるのかと意外だった。

 運動している時には照る炎のように奇を衒うその紅茶色の髪も、書物の前ではうつらうつらと傾(かぶ)く灯火になってしまうのだろうか。

「サクラもこういうの好きなんだね。僕もアルバムとか観測日記とか、昔の記録を見るのは好きなんだ」

「気が合うのう! わしも、過ぎ去った他人の過去を掘り起こす感じが好きじゃ! かいちょーのあだ名のせんすはなかなかじゃったわい! ぬはは!」

「こらっ」

 僕の知る追憶とは明らかに違う気がした。

 でも、それがサクラの生き方なのかもしれない。

 思い起こす過去を作っていくよりも、経験できる現在を満喫する。それが自然と、未来を明るくするだろうし、振り返った過去はきっと、悔いる必要などありはしない真っ直ぐな一本道になっていることだろう。

 それを体現したようなサクラの生態とは、『本能』そのものなのだと言っても過言ではないと思う。

 その本能を曝け出すように、サクラは体当たりするがごとく僕との距離を手荒く詰める。気圧された僕は後退して、後ろに山積みになっていた書類にぶつかりそうになる。

「っと……。き、急にどうしたのサクラ」

「のう、るーとよ。わしと二人きりじゃぞ」

 サクラは柔らかい声を作って、僕の襟を締めていたタイを緩めた。

 サクラという人物を知っていても、心臓は勝手に鼓動を早める。緊張と焦りを隠そうと努めると、慣性で裏声になる。

「えっ……! はっ、えっ、う、うん。そうだねっ」

「ぬふふふ……。二人でしかできないこと、しよう……なのじゃ」

 二人でしかできない事とはなんだろうと疑問視する時間も無く、タイを引き寄せるのと併行して、顔を近づけてくる。僕がその答えを出せなければ、サクラが答えを出すつもりなのか。

 思考を巡らせようにも、首筋に生暖かい風が当たって気が散る。その度に鼓動は早くなり、冷静な判断ができる心拍数からかけ離れていく。

 終いには〈僕って節操ないな……〉という諦念の心意が脳裏に響いた。

 時間稼ぎをしようと思い立ったときには、すでに互いの息がぶつかり合う域まで達していた。息を当てないよう。視線と顔を逸らしてぼそりと口を動かす。

「じ、自己紹介とか?」

「そんなの必要ないじゃろ。……ん? 二人でしかできない自己紹介……。もしかして、そういうぷれいかのぅ? だとすれば気になるのう。詳しく教えてくれんかのぉ……!」

 猫撫で声のサクラが、僕のあばらをゆっくりと指でなぞっていく。それを追うように、背筋に悪寒が走り鳥肌が立った。腕にまで到達したその鳥肌を見つけたサクラは、卑しくも憎めない確信犯の顔つきで上目に微笑んでいた。

「ぬふふっ……」

「じ、自己紹介は無くていいかな……」

「ほう。そうかそうか。じゃ、さっそくするのじゃ! 気持ちよくしてやるぞー! とりあえず服を脱ぐのじゃ!」

 あばらを伝っていた指は、そのまま緩やかに直下して上着の裾に辿り着く。そして、流れるように裾を撮むと、今度は来た道を戻るように直上していく。

 何となく察した僕は、サクラの手ごと上から抑え込む形で、上着の裾を真下へと引っ張った。反動で襟元が少し苦しくなったが、それどころではない。

「いやいやいや! ここ学校だから!! 脱がないよ!? というか、掃除しなきゃだし! ……って、背中摩(さす)らないで! 変な汗かく、から……!」

 僕の制止をすり抜けたサクラの手は、いつの間にか背中に回り込んでいた。痒い所をピンポイントで探り当てていく割に摩るだけだから、変にもどかしい。不思議と〈もうちょい強く!〉と求めてしまう。

 なるほど。気持ち良いってそういうことか。

「お。する気になったか? 急に体の緊張が解けたのう」

「す、すごいねサクラ。そんなのわかるんだ」

「そりゃ長生きしとるからの!」

「同じ年でしょ」

 一笑して沈黙があって。

 今度は、サクラが落ち着かない様子で尋ねてきた。

「のう……? 本当にするのか……? ここは学校じゃぞ? 隣には会長(るり)もおるし……」

「サクラから言ってきたんじゃないか。それに、そんなにまずいことでもないし。すぐ終わるでしょ?」

「や、やろうと思えばの……。じゃが、声が漏れるかもしれんぞ?」

「こ、声? ああー。声出ちゃう人いるよね。そこは我慢かな」

「が、我慢じゃと!? おぬしなかなか……」

 困ったり、感心したり、サクラの表情がころころ変わって面白い。人生経験の違いなのか何なのか、そんなにも表情豊かであることが切に羨ましくもあった。

「それじゃ。しよっか」

「お、おうぅ……。わかったのじゃ……。じゃ、服を脱ぐのじゃ。安心せい、わしもちゃんと脱ぐぞ。それとも、脱がすかの?」

「それなんだけど……。やっぱりさ、ここで服脱ぐのは恥ずかしいから、背中側だけとかじゃダメかな? 他人(サクラ)に、見られるし……」

「ばばば、背中(ばっく)じゃと!!?? おぬし、ますます……」

「バック? うん。順番でいいよね? ……あれ? でも、これって、別段二人じゃないとできないってこともないような気がするけど」

「ななななな、何を言っとるんじゃお主はっ!! まさか3ぴ……、まぁいけんことも無いが……。それは、わしでさえハードルが高いのじゃ。るーと……、わしはお主を甘く見ておったわい……。顔色一つ変えずにそんなことを……。末恐ろしいのじゃ」

 サクラがひどく汗をかき始めた。

 背中を他人に触れさせると言うことは、一定以上の緊張があるし、その相手が友達であったりすれば尚のこと気恥ずかしさも増す。そして、その光景を第三者に見られる(・・・・)という背徳感は、比類ないだろう。

 確かに、これは三人以上でするべきことではないかもしれない。

 でも、今はサクラの言う通り二人きりだ。

 僕はサクラから一本取ったつもりの浮ついた気分で、サクラ自身の言葉を武器にする。

「サクラ、大丈夫? 今は二人きり、でしょ?」

「ぐぬぅ……。そうじゃな……。取り乱したのじゃ……。気を取り直して、始めるのじゃ……。初めは慣れんかもしれんが、すぐに気持ち良くしてやるのじゃ。変に力を入れずに、りらっくすするんじゃぞー」

 サクラはそう言って僕をしゃがませ、強引に後ろを向かせる。

 途轍もない違和感を背中に背負っている感覚になる。山積みになった書類を目の当たりにしてふと冷静になると、今していることが異常であることがひしとわかる。

 そうは言っても、引き下がることはもうできないのだが。

 サクラを納得させる答えもまだ見つかっていないし、強引に押し退けることもできない。今この雰囲気、このタイミングで押し退けたら、色々と誤解を招くかもしれないし。

 だから、僕は黙って施術が終わるのを待つしかないのだ。


「ひゃっ」


 急というのもあったし、舐めるような触り方だったというのもあって、裏声が出る。それに驚いたのか、サクラの体は一瞬、びくっと反応した。

「な、なんじゃ。ふとももをいじっただけじゃぞ」

「ご、ごめんっ。急にそんなとこ触るからびっくりしたよ……。というか、早速違うところじゃないか……」

「まぁ、そう急くな。焦らすのも大切じゃろうて」

 甘い声で言ったかと思えば、また太腿を撫でられる。今度は前振りがあってからだったので、驚きはしなかったが、いやはや何とももどかしい。

 太腿のサクラに触られているところが、じんわりと熱くなっていく。摩擦熱が生じる程のスピードではないのだが。血の巡りが良くなっているのだろうか。

 それは次第に『痒み』と似た感覚をもたらして、僕は比例して高揚する。

「サ、サクラ……」

「むふふ……」

 サクラの吐息が首筋に当たって、そこもまた熱くなる。腰回りを這う手つきに気管が呼応して、腫れているのではと錯覚するほどに息苦しい。サクラの思うままに感覚を操られているような感じがして、もどかしさはたまるばかり。これを一気に開放すればどんなに、心地よいだろうか。

 冷めやらぬこの感情を形容するなら、まさに『興奮』ではないだろうか。

 決して変態的な意味ではなくて。いや、今はその節もあるけれど。

 そう言う意味で、この行為は危険な気がした。誰かが止めに入らなければ、どこまでもいってしまいそうな、そんな気が。

 いつもは何も感じないサクラの声ですらも、少しばかり艶めかしく聞こえてしまう。

「むふふ……。思い出すのう」

「ぉ、思い出す……? な、なにを……?」

「この部屋で思い出すと言えば、アレしかなかろう?」

「あれ……?」


「えすえむぷれいをしたじゃろ。この部屋で」


「へっ……?」

 腑抜けた声が漏れたのは、サクラの生々しい手つきのせいもあったと思う。けれど、大部分は違った。

 僕は、独特な片言で語られるその単語に、聞き覚えがあった。

 そんな腑抜けた過去を一つ一つ洗っていくと、綺麗に浮き彫りになる記憶があった。これこそが、「二人きり」に相応しい話題だ。

 僕はすぐさま振り返る。思いの外、サクラの顔が遠くにあったので助かった。近くにあったら、『興奮』でまた答えを忘れてしまいそうだったから。

 押し退けるどころか引き寄せるくらいの勢いで、僕はサクラに問う。


「ねぇサクラ。『願いの夢』について少し聞きたいんだけど」


 それが、サクラの言う「二人でしかできないこと」に対する僕の答えだった。

 不正解などとは言わせない。そういう意気込みが、僕とサクラの距離を急激に縮めた。

「な、なんじゃ急に。せっかくのむーどが台無しじゃぞ?」

「それはごめん……。でも、ムードって要るのかな」

「何を言っておるのじゃ! 必要も何も、こういうのはだいたい雰囲気じゃろ! その時の雰囲気で、今日はどこまでいけるのかーとか、決まるじゃろ! 普通!」

「そ、そういうものかな……。たかが背中を掻く(・・・・・)だけなのに……」


「背中をかく……?」


 唐突に、サクラの顔から生気が抜ける。そうして、ポカンとした表情のまま能面のように固まってしまった。

「あれ? 違うの? さっき、背中掻いて気持ち良くしてくれるって……えっ? もしかして、僕、勘違いしてた?」

 氷のように冷え固まったサクラの表情を溶かすべく、身振り手振りを交えて必死に弁明を試みる。けれど、何を間違えたのか明らかでなかったせいで、すべて空回りした。

 てんやわんや右往左往していると、サクラの溜息が僕にブレーキをかけた。

「はぁ……。わしが悪かった……。お主はこういうやつじゃもんな……」

「はっ! えっ? あ、ちょっ、待って!」

 サクラが立ち上がって背を向くと、距離が一気に開いた気がした。こんなにも近くにいるのに、このままでは二度と触れ合えないような、そんな恐怖に駆られた。

 思わず伸ばした僕の手は、見事サクラのシャツの裾を捕まえた。

「なんじゃ」

「とと、とりあえず座ろう!」

「はぁ……。なんでじゃ。お主と座ってすることなど無いわ」

「まぁ、いいからいいからっ」

 多少強引に肩を押さえて、必死で食い止める。

 サクラは面倒そうにその場にしゃがむが、顔は出口の方を向いていた。

「ごめんねサクラ。僕、本当に鈍感なんだと思う……」

「ふん。そんなのは別にいいわい」

「何したらいいかわからないけど……これでどう?」

「ふぅぬ!?」

 シャツの背中側の裾を軽くたくし上げて、その隙間から手を突っ込む。恐る恐る侵入していった手を、人肌に温まった温風が包み込んでいく。それはさらに少し湿っていて、指の間に絡みついてくる。けれど、決して気持ち悪くはなく、むしろ安心した。

 同じ安堵をサクラにも提供できていればいいなと切望しながら、僕はサクラの小さな背中を撫でるように擦った。

「はっ、はっ、なっ、急になにをしとるんじゃお主は……!」

「あ、ごめっ! 嫌だったなら、すぐ止めるから!!」

 そんなことを言わないで、本心は直ちに止めたかった。

 柔らかそうな見た目通りの柔らかい感触と、桜のような甘くて切ない匂いが、僕の脳を襲った。手の甲に彼女の下着が擦れる度に、意識が遠退いていく。

 いけないことをしているような背徳と、取り返しのつかない羞恥に晒されている現実が、処理しきれない膨大な妄想を象って、思考のキャパシティを優に超えていった。超過した部分はそのまま汗になって額や脇、背中から噴き出して止まらなかった。体はこれ以上ないくらい熱いが、おかげで多分、暴発はしない。

 僕は現実逃避をするのも忘れて、無心で彼女を癒そうとした。

 狭い部屋に響いたのは、蕩けてしまいそうな彼女の甘い声。

「ふぁぁぁ…………ぁん……!」

 彼女もまた、無心なのかもしれない。

 ならば僕は、このまま空っぽの彼女に陶酔してしまっても問題はないのだと思う。しかし、人形やぬいぐるみを愛でるのと似て非なる感情だった。

 生きているのに応えてくれない確信と、生きているのに答えない絶対とが混在乱立して、生徒会準備室は学校という枠組みから逸脱浮遊した。

 僕が、彼女が。浮かれているからだ。

「サ、サクラ……! 僕、これ以上はもうダメ……!」

「続け…………のじゃ……っ!」

「サクラってばぁ……」

「やじゃぁ……。も、もうちょい左じゃ……! ふぁぁ、そこじゃぁぁ……っ」

 空気が狂い始める。浮遊して、大気が乱れたからか。

 どのくらいの時間が経ったのかとか、あとどれくらい続くのかとか、この空間で起きていること以外考えられなかった。

「のう、るーとー……。前も……前もやって……」

 強請ったサクラが半身を翻そうとした瞬間だった。

 いつも浮遊しているような人よりも、今の僕たちの方が、断然高いところを飛んでいると言っても過言ではなかった。


「なな、二人で何をやっとるーーっ!! けしからん!! そういうことをやる時はワタシを呼べーーーー!!!!」


 落ちた衝撃で、僕はしばらく寝込むことだろう。




 

【あとがき】

 ちょっとあだるてぃなお話しでした。

 サクラ×ルートという組み合わせは、書いていても見ていてもハラハラしますね。

 危ないことをしようとするサクラと、その勧誘を断れないルート。ルートは危機回避能力が高いので、二人ならなんでもできてしまいそうです。

 そういう意味では、相性のいい二人なのかもしれません。


 次回はルート編の続きです。

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