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Ⅵ 春、終わりゆく。

【まえがき】

 球技大会もクライマックスの今話です。

 近所の人を巻き込んでやるイベントってエネルギッシュ。



 どうぞ。




 

 

 

 午前中に執り行われた準決勝は、近隣の新聞社が駆けつける程の盛り上がりを見せた。記者たちとどちらが先か、休日ということもあって近隣住民たちもたくさん観覧に来ていた。

 二、三年生たちが落ち着いているところを見るに、それは恒例の光景なのかもしれない。そんなことよりも、僕たち一年生が決勝へ進出するということに、先輩方は驚いていたけれど。

 フィールドに集められる視線が痛い。こうも数が多いと、応援というよりかは一種のテロのようだ。どちらがどちらの応援をしているのか、まったくわからない。

 相手方の三年生クラスの顔を見るのは怖いので、後ろを向いてみる。

 ムードメーカーらしき三人衆は、依然変わらず楽しそうにおしゃべりをしている。ここまでくると、何だか余裕があるように見えてくる。その後ろのディフェンスラインは虚空を見つめ、完全に委縮してしまっている。さらに奥に構える野球部ゴールキーパーは、自分の頬をぱしっと(はた)いて、喝を入れ直しているようだ。

 総じてみれば、この球技大会初戦からずっと変わらない光景だった。

 そう考えると、この状況に特別の感情を抱いてしまっている僕は、クラスから浮いてしまっていると言っても過言ではないだろう。


 ――懐かしい。


 無意味な轟音ともとれる歓声の中で、ボールを操りゴールへと運ぶ。仲間と協力し合って、練習で培ったものすべてを吐き出す。

『立ち向かう』ということ。


 ――懐かしい。


 二、三年生でもないはずなのに、彼女(キャプテン)は初戦以上の落ち着きを見せる。決勝に進んだからこその冷静なのか、それともそれが彼女にとる『ふつう』だからなのか。

 だとすれば僕は、その『ふつう』についていくだけだ。

 そうして『逃げて』、望むゴールへとたどり着こう。

 僕は、彼女の顔を拝みに、少しだけ前へと歩く。

「落ち着いてるね、サクラさん」

「…………そうかの」

 まるで『決勝進出は当然』と言っているかのような無表情に、僕は一瞬戦く。遠い目で勝利を睨みつけて、僕のことなど眼中にないようだった。

「サクラさん、大丈夫……?」

「何がじゃ?」

「いや。さっきまでと少し様子が違うから……」

 遠くを見ていたサクラが、急に僕の方へ向き直る。

 その視線は、ギャラリーから寄せられる数多のそれと比べても、劣らないほどに重く、冷たく、そして雑然として無だった。

「そうか。やはりばれとったか」

「サクラさん……?」

 ふう、と憂慮の一息を吐いて、サクラは告げる。

「わしは知っとるんじゃ。決勝に進出できることは」

 そう強く豪語できる自信は、サクラの中に確実にある気がした。そしてそれは、僕が感じ取れるほどに黒く輝いているのだと思う。鈍く、淡く、それでいて紅く。

 彼女が俯くと、紅茶色の髪の毛もだらしなく垂れていく。鉄が溶けていくようにゆっくりと舞い落ち、それがとても不気味に思えた。

 サクラはすぐに顔を上げて、「そして」と続ける。億劫そうに話すサクラは、どこかで見た表情をしていた。

「この試合には絶対に勝てない、ということものぅ」

「え?」

 ああ。そうだ。あれはいつだったろう。

 これは、いつかの別れ際、彼女が見せた能面のような表情と、よく似ている。時が止まってしまいそうなくらいに、背景に溶け込んだ美しい表情。一枚の絵画として名を馳せそうな刹那の中にある、絶対的な比率が物悲しくてならない。

「そんなことないよ」

「お主だってわかっておるじゃろ。この試合は負けなのじゃ。一度たりとも勝てないのじゃ」

 僕は逃げるのを忘れて、その絵画(かべ)に触れてみたくなる。

 少しだけ、僕色に染めてみたくなる。

「そうだね。相手は三年生だし、優勝候補。勝ち目はないかもしれない」

 こんな恥ずかしいセリフが、自分の口から飛び出すとは夢にも思わない。

 でも、僕は言う。その理由は、知っている。


 ――特別、だから。


「だから、言ったじゃないか。逃げようって」

「…………」

 鳴りやまぬ歓声の中、彼女の呆然の表情は異様に幼く見えた。

 周囲の圧力や期待に押しつぶされないよう、必死に足掻いて、ダメで。それでも足掻いて、またダメで。そんなことを繰り返して駄々をこねているだけ。

 サクラの冷静は、我を通すことに慣れてしまって作り上げられた、偽りのものなのではないだろうか。

 僕は、その表情の意味を推し量ることしかできない。

 けれど、そんなことはどうでもいい。

 僕は、僕の――僕だけの持論を、喧噪が取り囲むフィールド上に、述べ立てていく。

「僕は逃げる。けど、それでも、応援してくれる人はいるんだ」

 リズがそうであったように。アリスだって、ノアだって、そう。

 誰もが僕を否定しなかった。僕が僕としてした決断を、最後まで見届けてくれた。

 だから僕は、その人たちの気持ちに答えなければいけない。

 その強い想いを言葉に乗せる。

「僕は逃げるよ。全力で、必死で」

「るーと……」

 何か言いたげにしていたサクラの言葉を待たずに、僕は続ける。言い訳をつぶそうと思ったのだ。

「戦わなくたって、勝てるんだ。それに、サクラさんが逃げたって、誰も何も言わないよ。それはサクラさんの決めたことだから。僕が、誰にも文句なんか言わせない」

「…………」

「だから、サクラさん。逃げよう、僕と一緒に――」

 最後まで疑問だったけれど、わかることだって確かにある。

 僕たちが逃げて辿り着く勝利は、きっと壁を壊して手に入れたそれとは比べ物にならないほど見劣りするのだろう。けれど、それだって、磨けば輝いてくれると思うのだ。

 そして、磨いてくれるのはきっと、僕たちの思い出や仲間だったりするのかもしれない。

 だから――。

「僕と一緒に、ゴールまで!」

 後ろを振り返れば、ムードメーカーの三人が、決勝の空気に押しつぶされて小さくなっていたディフェンスラインの面々を元気づけていた。野球部キーパーは相変わらずだけど、それでもクラスの中に“繋がり”が生まれていた。

 サクラという一人の少女が勝利に向かって奔走した。クラスメイトは何も言わずに、彼女についていく。これを誰が負けと言えるのだろうか。いや、言えるはずはない。

 それがきっと、サクラの手にする勝利を、これ以上ないくらいに輝かせてくれるのだから。

 サクラは表情を変えずに笑う。

「ははは……まったく、何を言っておるんじゃ……。矛盾しておるではないか……」

 そんなことは毛頭知っていた。

 逃げることと立ち向かうことは相反しているのだから。

 けれど、そうやって【同じことを繰り返す】のなら、それは立ち向かっているとは言えない。僕は駄々をこねるという言葉を使うけれど、本当にそういうものなのだと思う。言い方を変えれば、子供がわがままを言っているだけということ。

 だから僕は優しく頷いて、諭す。

「そう、かもしれないね……」

 でも、サクラは子供ではなかった。僕なんかよりも、ずっと大人なのだと思う。

 今だけは、「じゃが……」という独特の老人口調が、わざとらしく感じられた。

「お主なら――るーとなら、何か変えてくれるかもしれんな」

「サクラさん……!」

 能面のような顔の中に、温かい何かが芽生えた。僕の見たことのない表情は、新しいなどという古された言葉では、到底表しようがなかった。だから僕は、『春らしい』と言葉を濁すしかない。

 それよりなにより、こうして頼られることが、僕はとてつもなく嬉しかったのだけれど。

『変化を求める』というセリフを心に反芻する。

 そうだ。僕が変えていけばいい。クラスメイトの研磨で足りないのなら、僕が彼女の勝利を磨き上げよう。満足してもらえるまで。そして僕が、満足のいくまで。

 戦わずして勝つとはそういうこと。

 時に笑って、時に泣いて。長い長い迂回路を、共に歩いていこう。

 サクラとなら、きっと楽しいはずだ。

 彼女は今こうして、笑っているのだから。

「サクラでよいぞ」

「えっ? あ、うん……じゃ、じゃあサクラ」

 早速、第一歩を踏み出す。

「なんじゃ」

「頑張ろうね」

「なんじゃ、それだけかのぅ……」

「え?」

「誓いのキスは無いのかのぅ……」

「き、きききききっ!? 別にっ、そんなっ、僕はサクラのことが好きってわけじゃ……! あ! 嫌いってことでもない……よっ! た、ただ……っ!」

 狼狽する僕を見て愉しむように、サクラは密かに笑う。

 大きな一歩は、少し怖い。

「冗談じゃよ。ぬははは! お主はやっぱり変じゃのう!」

「も、もう! る、類は友を呼ぶって言うからね……!」

「上手な返しじゃのう」

「ま、まあね……。それじゃ、無礼講ついでに、一つお願いしてもいい?」

 サクラは胸をポンと叩いて、「よいぞ」と鼻高々だ。

 まだ何を言うのかも言っていないのに。

「よかった。じゃあ、試合が終わったら、屋上に来てくれないかな……?」

「ん? んんん!?」

「べ、別に変な意味はあ……な、ないよ!」

 いや。特上に変な意味なのだけれど。

【一不思議】の黒幕はサクラなのではないかという、荒唐無稽な僕の推理をばっちりとかます予定なのだから。

 そう決めていても、サクラの期待する変な意味を腹の中で考えてしまう自分が、これ以上ないくらいに恥ずかしかった。

 こういう時こそ、逃げるべきなのだ。

「そ、そういうことだからっ! 試合、頑張ろうね!」

 ニヤけた顔でこちらを見ていたのが非常に気になるけれど、時間も迫っている。

 僕は三、四歩下がって、試合開始に備えることにする。

 ふと、ギャラリーに目が行った。

 遠く、遠く、遠く。

 校門の双子桜の木陰に、リズと両親がいた。

 準決勝の時、両親は見かけなかったけれど、今は確かにそこにいた。きっと、僕の最後の試合を見届けに来てくれたのだろう。

 その想いに応えることは、多分、二度とできないのだろうけど。

 でも、きっと大丈夫。僕はもう泣いたりしない。笑って、この最後の試合を終える。勝ったって、負けたって。

 逃げた先に、僕は笑顔を見たい。

 リズも、母も、父も。屋上で試合を見ているアリスとノアも。そして、この非日常の中心に立つサクラも。皆に笑っていて欲しい。

 この一週間を何度繰り返していたって、制服が水着になってしまったって、魔法が存在したって、世界を一度やり直していたって、きっと関係ない。

【人間だけが笑える】という確かな一つの不思議を、僕はまた(・・)、呈するだけだ。

 何度でも。



 そして、試合開始のホイッスルが鳴る。



     ***



「や、やった……」

 肩で息をしながらも、僕は強く感じていた。

 春の訪れが、同時に春の終わりへの引導を渡すということを。

「やったね! ……って、あれ?」

 周囲を見渡せば、未だ、凛として優雅な花を咲かす双子桜がいた。

 彼女たちは、ひっそりと春の終わりを待っている。

「サクラ……?」

 そして勝利の瞬間に、彼女はもう、どこかへと消えてしまっていた。

 跡形もなく、その香りだけを漂わせて。散る桜の如く。


「あれ? サクラ……」


 きょろきょろと周りを見渡す。

 フィールド上では、僕以外のチームメイトが「わあ!」と声を張って喜んでいた。けれど、そこにサクラの姿はなかった。ともすれば、僕の近くに来てくれてもいいと思うのだけれど、それも的外れなようだった。

 もしかしたら、試合前にした僕のお願いを早速実行に移してくれているのかもしれない。四方八方を取り囲む老若男女の人込みの中に入っていってしまったのでは、もう探しようもない。

 指定した場所へ向かおう。

 表彰式のようなものもあるのだろうけど、この騒ぎなら一人ぐらい欠けていてもそうそうばれはしないだろう。

 人込みを掻き分ける……というか、飛び込むというのが正しい気がする。そうして、人と人の間を潜水するように進んでいって、ようやっと会場の外側――校門前に出た。変な汗をかいた。

 会場の外側は、思いの外しんとしていてさらに、風通りがよくて涼しかった。

 ひゅうと強く吹いた春風に、校門の双子桜が心地の良い自然音を奏でながら靡いた。

 その不定のリズムの下に、妹たちはいた。

 僕は、桜だけを見て、少しの間立ち尽くしていた。

「ルー、お疲れさま」

 リズの澄んだ第一声は、そう聞こえた。

 父と母は、その言葉の真意を助長するように、にこやかに微笑む。

 返す言葉を探していると、第二声が聞こえてくる。

「おめでとう。すごく、かっこよかった」

 期待という熱が籠っていないその言葉に、僕の心は震えてしまった。

 多分、僕がもう二度とサッカーをしないと決めたことに気付いているのだろう。今日、最後の試合を終えて引退して、その帰りなのだと勘付いているのだろう。

 でも、リズは笑顔だった。“あの時”とは違う、僕の大好きなリズだ。


 ――ああ。良かった。


 心底、安堵した。

 僕は、感想はこの一言に決めていた。


「楽しかったよ」


 そして、僕にサッカーを与えてくれてありがとう。

 僕は、心の中で両親とリズに言い添えて、その場を後にした。



     ***



 屋上の重い扉を開けると、ひゅうと一層冷たい風が頬を撫でた。試合会場から離れるにつれ、目に見える風景は落ち着いた装いを取り戻してゆくようだ。

 屋上庭園と銘打たれたこの場所にはおよそ数種類の樹木が植えられており、天空にほど近い高さと木陰を、同時に楽しむことができる稀有な設計になっている。

 昼休み、例の三人でこの場所に集まっている身上、この場所は他の場所よりも幾分か落ち着く。

「学校に慣れるまで、昼休みを屋上で過ごそう」ということを提案したのは、確か僕だった。一度も行ったことがなかったはずなのに、僕は屋上という優良な環境があることを知っていた。

 その不思議も、今なら合点がいく。

 僕は、屋上が素晴らしいということを、サクラの口から聞いたのだ。

 僕がサクラを黒幕だと推測した理由はそれだけではない。小さなものまで提示すれば、たくさん出てくる。

 でも、多分、僕がそれを断定するに至らせた理由は、もっと感覚的な何かなのだと思う。それはもしかしたら、『僕と少し似ている』みたいな、曖昧なシンパシーだったりするのかもしれない。アリスとノアがここで試合を観戦していたのも、おそらくはアリスの図らいだろう。

 だからこそ、僕はこの場所を待ち合わせ場所に選んだのだ。


『優勝が一年生のクラスということになりましたが、代表者の方、下剋上を果たしたことに対するコメントを一つ頂戴できませんでしょうかー!!』


 会場を華麗に支配するアナウンスが、静かな屋上にまで響いてくる。アナウンスの盛り上がりを追うように、会場の盛り上がりも最高潮に達しているようだ。

 これはもう、音の塊と言うよりかは空気圧の流れと言った方が正しいかもしれない。

『本当にすごいな放送係』と心の中で半ば呆れ半ば褒めながら、少しばかり熱を帯びた風を浴びて小さな樹林の間をくぐっていく。

 約束のベンチに辿り着くと、そこには一つの影があった。

「あれ? ノアさん、一人?」

「あ、ルート……。うん。ノア一人、だよ……」

 その陰にアリスの姿はない。もちろん、サクラも。

 桜の幼木をバックにしたノアは、もじもじとした動作も相俟って一層小さく見えた。アリスがいないのもまた、ノアを弱々しく見せているに違いない。

 自分だけ座っているのが気になったのか、ノアはぱっとベンチから立ち上がった。

「アリスは?」

 相手がノアなら、サクラのことを尋ねるより先に、アリスについて聞く方がいいと思った。きっと、辿る意味は同じになると思う。

 アリスもノアも、サクラを知っているはずだから。

「生徒会の準備室、だって……」

 入学後間もない僕たち一年生には聞き慣れない単語が聞こえて、思わず「へっ?」と間の抜けるような空気が口から出ていく。

 あまりの脈絡の無さに立ち尽くしていると、ノアが続けた。

「アリス、呼んでたの……」

 漸く、馴染みの深い策士の名前が聞けて安心する。

「生徒会準備室に行けばいいのかな」

「うん。そう。ノアもついていく」

「他に何か言ってた?」

「ん……。なんにも……」

「そっか」

 重要そうなところをなかなか言わないあたりがいかにもアリスらしくて、僕は内心嬉しかった。いつも通りのアリスなら、もう【一不思議】のからくりを解き明かしていてもおかしくはないから。

 僕は小さく笑って、歩き出す。

「それじゃ、行こうか」

 目的地へ向かう歩みは、確実だと思う。

 導かれるように、ノアも僕の後をついてくる。

 何かを期待するでもなく、逆に何かに絶望するでもない。その中間地点のような半端な気持ちを、心を揺るがす不安と間違えないように、一度大きく息を吸った。

 その中にあったのは、確かに新しくて懐かしい春の匂いだった。

 屋上を出て、また校舎に入る。

 生徒会準備室は向かい側の南校舎の三階にあるはずだ。

 その記憶を頼りに、歩みを進める。

 一体今まで何度、この結末に辿り着いたのだろう。


 


【あとがき】

 さて。

 物語の終幕に向かって、歩き出した感がありますね。

 ただ、ここまでの道のりを考えるとあっさり終わらないかもしれませんね。

 最後のわるあがきがあったり。


 そういうものです。

 次回は、どうなる……!

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