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Ⅲ 春、歩み止め。

【まえがき】

 お気づきかとは思いますが、タイトルがLoote4のオマージュになっております。

 私は、作詞をしている分、そういうタイトルには少しだけこだわりがあります。

 加えて部屋の模様替えが好きで、どんな家具も隙間にぴったり収めたいタチです。そういう状況を、私は「フィット主義」と呼んでます。

 なので、タイトルもパズルにすれば、きっとフィットするのです。




 本編です。





 

 


「はぁ……。授業サボっちゃったよ……」



 僕のぼやきは、学校中に鳴り響く定時のチャイムにかき消されたと思う。

 愚痴が聞こえていたら、サクラは笑ってくれたのかもしれない。

「うぇっ、うううっ……ひぅっ」

 均整の取れた可愛らしい顔が歪んでしまっている。それでも、可哀想だという確かな比率は、僕の目の前に存在していたけれど。

 度々やってくる小刻みに鼻を啜る痙攣が、いたく弱々しく見えた。

「だ、大丈夫?」

 首を縦に振ってくれるはずもなく、呈する反応は悲鳴のような嗚咽そのものだった。涙があまりにボロボロと零れるので、止めることを諦めてしまっているようでもある。

 少なくとも、僕の心配は今、意味をなしていない。

 あの状況で手を引いて教室を飛び出したら、誤解を生むことは自明だろうと、そう責め立てられるのを覚悟して行動していた僕にとって、その反応は少しばかり呆気に取られてしまう。

 実際、後がどうなるかはわからないけれど、予測するのも怖い。

 こうして誰もいない屋上に連れてきてしまうあたり、また言い逃れできない状況を作り出している。「でも、保健室に友達がいて……」と言い訳するのも、かなり苦しいものがある。どうしてそんなことを知っているのだと、変に思われるに違いない。

 そんな行き詰った状況を謳った溜息が、さっき漏れ出たばかりだった。

「ど、どうしよう」

 目の前には泣きじゃくる女の子がいる。

 こういう場合、介抱するのが普通なのだろうけど、状況を顧みるとなかなか手が出ない。

 入学式の時に少し話したぐらいの関係であるし、こうしておかしな時間におかしな所に連れてきてしまったという不思議もある。もしも誰かに見られたら、色々と変だし、きっと大変なことになる気がする。

「うわぁぁぁん!!」

 今後の生活と、目の前の悲劇を天秤にかける。天秤は、ちょうど中間で止まる。

 わかった。

 どちらに分銅を乗せるか、それだけ教えてもらえないだろうか。

「サ、サクラさん大丈夫? どこか痛むの?」

 反応はない。

 サクラの声量に押しつぶされそうになる。身も、心も。

「き、昨日何かあったの……?」

 反応はない。

 変な場所に連れだしておいて、どんなことを聞いているのだ、僕は。これではまるで、サクラと親しい関係にある者みたいではないか。それは、彼氏とか兄妹とか、家族のような。

 でも、もし、本当にそうなら、僕が口を挟めるような問題ではないのかもしれない。

「サクラ、さん……」

 身を震わせながら、声を上げて泣く彼女を、もう一度よく見てみる。

 僕とほぼ同じくらいの身長で、すっきりとした体躯。髪の毛は紅茶色で、長くもなく短くもない。青空と正反対の夕暮れ色に色づいたその色と涙との対比に、体の水分が枯れてしまうのではないかと、少し不安にさせられる。

 だから、親と喧嘩して泣いているのとは意を異にするのだと、そう思える。もっと別の、涙を止めることを諦めてしまうような――笑うことができなくなるような、そんな絶望めいた何かに遭遇してしまったのではないか、と。

 そんなサクラに、今ここで何かしてあげられたらとは考えるけれど、立場を弁えるべきでもある。びしょびしょになったあの手の代わりに、僕が涙を拭ってあげるとか、思い付きはしても行動には移せない。泣き止むまで抱きしめてあげるなんて、できるはずもない。

 そんなどうしようもない僕の意気地の無さを浮き彫りにするように、サクラの泣き声は止む。

「……う、うぅ……。ひっく……」

 サクラは手の付け根あたりでぐりぐりと目を拭うとまた、「すすすっ」と一度鼻を啜った。

 成り行きで連れだした以外に何もできなかった恥ずかしさから、僕はサクラと目を合わせることができない。シャツの襟元に羽ばたく蝶ネクタイに視線を逃がして、口だけを動かす。

「サクラさん、大丈夫?」

「……しいのじゃ!」

 サクラは号泣から一転、声を荒げる。僕が目を逸らしたのが気に食わなかったのかもしれない。言い初めが聞き取れなかったのは、喉が潤んで声が震えてしまっていたからだけど、その言葉は乾いていたと思う。

 聞き返すのは気が引けたけれど、義務だと思った。

「どうしたの……?」

 僕の言葉に導かれるように、サクラは朗々と言い放つ。ここが屋上で、本当によかったと思う。


「悔しいのじゃ!!」


 それは彼女特有の語尾もそうだし、入学二日目というタイミングとミスマッチなセリフもそう。もちろん、泣くほど憤慨するレベルで、何かに本気なこともである。その挙動には色々と不思議があった。

 これを教室やら廊下やらで曝け出されていたらと思うと、この開放的な場所に連れ出したことは正解だと思える。

 それならば、どこまでも続くこの晴天に懸けて、サクラの懺悔を解き放ってしまおう。

「悔しいの?」

「悔しいのじゃ!! もううんざりなのじゃ!!」

 彼女は両手を激しく振りながら、強く訴える。

 何か繰り返された苦痛に耐えかねたらしかった。その反復の程度は、あまりに強く握られた拳の震えを見れば一目瞭然だった。

 ならば、繰り返されたことは何だろう。

「誰かに何かされたの?」

「違うのじゃ!! 悪いのは……悪いのは……」

 それが誰であろうと、僕はその人間を罰しようと思った。サクラに嫌な思いをさせる前に時間を戻して、僕がそいつの非行を阻止するのだ。僕にはその力が、まだ(・・)、ある。

 でも、どうやら僕は、その人を罰することはできないようだった。


「悪いのは、全部わしなのじゃ!!」


「え?」

「何回やっても無駄じゃった……。人を集めても無駄じゃった……。素質を見極めても無駄じゃった……。天候を考えても無駄じゃった……。やり方を変えても無駄じゃった……」

「サクラさん……」

 彼女の言葉は、一区切り一区切り言い切るごとに強く、それでいて淡く朧気になっていく。

 その対比は、彼女の髪と空のそれと似ていた。今は、愁いが勝っていた。

「何をしても無駄じゃった……。こんなのは、もう、わしが運命を決定づけているとしか思えん!! …………どうしてじゃ。どうして、うまくいかんのじゃ……!!」

 怒りに震えるサクラは、泣いて震えている時よりも、ずっと弱々しく見える。僕が彼女だったらきっと、逃げ出していただろう。

 でも、彼女は僕ではない。

「逃げれば……いいよ」

「なんじゃと?」

「逃げればいいんだよ。そんなに辛いことなら」

 彼女のきつい視線を受けながら、僕は僕なりの言葉を捧げる。

「サクラさんが泣いちゃうような嫌な事なら、きっと、誰だって嫌だし、諦めると思うんだ。でも、それでサクラさんがサクラさんらしくなくなるってことは、絶対にないよ」

「お、お主……なぜじゃ……」

 アリスが『自分らしさ』を求めて奔走したことを思い出しながら、僕は強固な意志のもと言葉を紡いでいく。その記憶の中には、アリスと一緒に目標へ向かって走っている自分もいた。

 脇道に逸れていた僕も、アリスと同じ目標地点へたどり着くことができた。脇道を進んでも、ゴールに向かってさえいれば、いつか必ず辿り着くのだ。

 だから、逃げることだって、僕は正しいと思う。

「もしも、サクラさんが逃げるならさ。僕も一緒に逃げるよ。それならどうかな?」

 暗い道は歩き慣れている。そうして、目標へとたどり着いたことだってある。

 その道でなら、僕はサクラの手を引いて歩くことができるはずだ。ここへ連れてきた時のように。世界をやり直して、こうして今があるように。

 サクラは、もう一度目を擦った。それはまるで、これが現実なのか試しているようだった。

「お主は……、お主はそれで悔しくないのか……?」

 純水のように透き通ったサクラの涙を目で追いながら、僕は答える。

「悔しくなんかないよ。逃げるってことは、進んできた道を引き返すってことじゃないと思うんだ。坂の緩い脇道に逸れていって、ちょっとだけ先を見通すことじゃないかなって、僕はそう思うんだ」

 そうして小高い丘に登って、未来を観察することで、違和感に気付けたりする。でも、それに気づいてしまうことで、進むのが怖くなったりもする。脇道に逸れたことを思い出して、悔いたりもする。

 でも、それでも僕は、それを悪いことだとは思わない。ミドル時代の記憶を撮んでいる今、絶対の自信をもってそう断言したかった。

 過去に胸を張る僕に、サクラは重ねて問う。

「そんなに別の道に入っていっても、辿りつければよいのか? 目標に一直線に進む者らを見て、お主は引け目を感じたりせんのか?」

「それでいいんだよ。同じところへ向かう人がいても、皆が同じルートを通るとは限らないでしょ? 僕とサクラさんだけは、皆とちょっと違う道を通ってみるってことだよ」

「違う道、とな……?」

 サクラの瞳は急激に興味を帯びる。その熱で、さっきまでの湿気はあらかた干上がってしまったようだ。

 これ以上は干乾びてしまうかもしれないと、僕は焦らさずに言う。

「そう。違う道。少し遠回りだけど、綺麗な景色が見えるかも」

「景色かの……? わしは、景色より勝利が欲しいのじゃ……」

 サクラは、また少し肩を落とす。

 その勝利という言葉は、サクラの目指す目標地点なのだろう。だとすれば、サクラはその脇道を通っている間、勝利へと進んでいると意識すればいい。要は、進捗への想いが貪欲か消極的かの話になるわけだ。

 でも、それさえ念頭に置いていれば、そのまま景色を眺めて休んでいるだけになることもないだろうと思う。サクラなら、落ち込んでもきっと、また立ち上がる。

 そう思えてしまうのは、一体どうしてだろう。

「サクラさんなら、きっと大丈夫だよ。その景色の先に、あると思うよ、勝利」

「本当かのぅ……?」

「頼り無いと思うけど、僕も一緒だから」

「おぬし……」

 そう言って、二の句を告げることはなかった。もしかしたら、サクラは呆れてしまっているのかもしれない。表情はと言えば、無そのものという感じで、全く読めなかった。

 一つ分かるのは、僕の言動がサクラをそうさせたのだと言うことだろうか。

 相当恥ずかしいことをしているというのは、自分でも痛いほどわかっている。やり直せるから体裁などどうでもいいと思っているわけではないのだから。

 けれど、なんだろう。

 こうして何かを語っている間、自分の心はとても満たされている感じがしていたのだ。そして、サクラの無表情を必死に解こうとする現在も、進行形で満たされている。

 形容しがたいこの気持ちを言葉にするのなら多分、『望んでこうしている』とか『こうなるよう願っていた』とか、だと思う。

 そうだ。

 これは、僕にしかできないことなのだ。一度きりの人生を生きる人間には知り得ない自信を、どうしてか持ち合わせている僕にしか。

 次にサクラが言うことは、見当がついた。


「どうしてわしにそこまでするんじゃ」


 工夫せずに答えるのなら、『自己満足』だ。

 でも、それは何か違った。僕の中で、何かが違和感を生んだ。

 出会ってから二日で、教室から連れ出すと言う『運命』じみた何かを、サクラという少女に感じていたからだ。僕の嫌いな『運命』という言葉が、どうにもしっくり来てしまうあたり、不思議だった。不穏な空気を漂わせるはずのその言葉を、サクラは揺るがせていた。

 だから、そう言った。


「『運命』みたいな感じかな……。席近いだけでも、僕はそう感じたよ」

 それは右隣でも、後ろの席でもない、一つ前という『特別』だった。

 彼女の涙を掬い取るという運命的な役割を任されたというだけあってか、その二文字はすぐに思い浮かんだ。こうしてここにいる事実が、もう『特別』だ。

 サクラは首を傾げつつ微笑む。

「ははははっ。それは愛の告白かのぅ」

「少し似てるかも。でも、ちょっと違うかな」

 母の教えてくれた『運命』は、もう少しだけ意味が違っていた。ただそれだけのこと。

 僕は肩を震わせながらも、「それじゃあ……」と我に返る。続く言葉はあまりに辛辣で、現実的だった。

「これからどうしよう……。授業始まってるし、水やりの人が来るから、このままここにもいれないし……」

「そうじゃのぅ……。保健室で寝るとかはどうじゃ? それなら言い訳もできるぞ」

「それもそうだね。……あ、でも、友達が体調崩しちゃって、今寝てるんだった。ベッド二つあるけど、狭いからちょっと迷惑かも」

「人がいるのではダメじゃな。ナニするにも不自由じゃ。作戦会議もできん」

「作戦会議か……。そうすると、先生もいないところがいいよね」

「そうじゃの。そうしたら、どこじゃろう……。授業中に先生がおらんようなところ……」

「廊下、とか……?」

「なるほど! それなら見つかりそうな時にも逃げやすいのじゃ! そうと決まれば行くのじゃ! 校内探検、二人バージョンじゃ!」

 サクラは拳を天高く突き上げて、笑う。

 その拳からは緊張が解けて、柔らかさも見えた。

 開かれたその手が、自分の前に差し出される。

「ん?」

「早うせんか」

「う、うん。行こう!」

 僕もおずおずと拳を握って掲げ、歩き出す。

 サクラの横を通り過ぎるあたりで、制止を食らう。

「なにやっとるんじゃ」

「え? なにって……」

 続く言葉が思いつかずに黙っていると、サクラは少し怒って「むっ」と頬を膨らました。

「早う繋ぐのじゃ」

「えっ!? 手、繋ぐの!?」

「な、何を言うとるんじゃ。探検と言えば、手を繋ぐのが決まりじゃろ?」

「そ、そうなのかな」

 エレメンタリー時代の記憶を掘り返してみる。

 四年生くらいの時、地域探検なる企画をやったことがあった。下級生たちと合同で数名の班を編成し、学校周辺を探検して回るというものだったと思う。ルールとして手を繋がなければいけないということはなかったはずだが、班員が迷子になってしまわないよう、伝統としてそうしていたのを覚えている。

 僕の班にはリズがいて、確かにその時は手を繋いでいた。

「ど、どうしたんじゃ、嫌かの?」

「ううん。嫌じゃないよ。ただ、それを僕たちがやるのって、少し問題じゃないかなと思って……。小さい子ならまだしも、僕たちって、一応、十五歳(オトナ)だし……」

 それ以前に、僕がサクラと手を繋ぐ構図にも大きな問題があるけれど。

 もじもじとたじろいでいると、

「わっ。ちょっ」

 遊んでいた手を多少強引にサクラに掴まれる。

 きゅっと、ぴったり握られて、少し汗ばむ。

「そんなのはいいんじゃっ。めんどいっ。わしが繋ぎたいから繋ぐんじゃっ。手を繋いでぶらぶらしたいんじゃ!」

「そ、そう。わかったよ」

 このタイミングで水やり係の先生が登場するビジョンが見えて、僕は焦燥に駆られる。

「じゃ、じゃあ行こうか!」

「行くのじゃー!」

 サクラはとても嬉しそうに歩き出す。僕もそれに合わせて歩みを進める。

 なんだかとても懐かしい。初めて握ったはずのサクラの手も、初めてじゃない気がしてくる。

 温かくて、湿っていて、不可思議な柔らかさ。揺れる髪の毛、大きな瞳、桜の香。それら全部、自分の思い出の中にある気がする。

 気がするだけで、そんなことはないのだけど。

 きっと、この新しい環境がそう錯覚させているのだろうと、僕は屋上の桜の幼木に託けて持論を展開してみるのだ。

「ところでサクラさん」

「んー?」

「サクラさんの目標って、なに?」

「目標か? 決まっておるじゃろ」

 サクラはこちらを見ずに、テンポよく喋る。同じペースで歩いているおかげで、とても聞き取りやすい。良い言葉も、もちろん悪い言葉も。


「サッカーで優勝!! じゃ」



「え……?」



 遅れることもなく、先走ることもなく、ほぼ真横に並んで歩いてゆく。

 このままだと、屋上の扉は通れない。


 


【あとがき】

 これから色々と起きそうな感じですね。

 私もわからないので、ご一緒に予想して楽しみましょう。

 実は↓の次回予告、次回を書いてから書いております。なので、全然次回予告じゃないんですね。すみません。


 それでもめげずに。

 次回は「アリスのサブエピ」な気がします、と。

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