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ルートモストマック  作者: うさブルー
   一章《始まる痛みを知っても。》
12/165

〖therefore〗期待と不安と、迷いと痛み。

【まえがき】

 この〖 〗で囲まれたサブタイトルの話は、本編と直接の関係を持たない(読まなくても問題は無い)代わりに、話の核心部分に迫るような内容にしています。

 

 記念すべき第一章ですが、何だか退屈そうだなと感じた方は、第三章からお読みになっていただくと超面白いです。

 嘘です。是非とも第一章から読んでくださいませ。


 どうぞ。



 

 


『音も、光も、ここにいるという感覚さえも、全部微睡みの中に消えて、自分が自分であるという認識さえも薄れていく。でも、時間が経てば、また生まれる。

 それは、今日の続きという明日を知覚するために必要なことだから。

 今日の日がどれだけ苦しくて目を瞑りたくなるようなものであっても、体一杯で感じる幸せに溺れ沈んでゆくようなものであっても、明日はまた新しくやってくる。

 今日の続きは、今日とは違う明日を連れて帰ってくるのだ。

 今日の自分のままでは、明日に適応することができないから、一度すべてを新しく作り直さなければならない。


 ――そのために、人は眠るのかもしれない』


 だとすれば、僕は今日と明日の狭間に取り残された人間?



     ***



 妹から誕生日プレゼントを貰えなかったことで感じていた悲しみも、ベッドに潜ってしばらくすれば、強制的にリセットされた。

 眠っている間、人は自意識が乖離しないよう努める。

 知覚できる範囲を超えた自分の精神の世界のようなところで、自分を自分として見ている僕が、僕から離れてどこかへ行ってしまわないよう、無意識に監視するのだ。

 それはとても難しくて労力のかかることだから、監視するうえで余計な感情を差し挟むことができない。

 でも、例外があるとしたら。


 例えば、そう。

 禁忌とされている感情や、異常と判断される可能性のある思考、溢れんばかりの大きな野望。

 普通、そういうものには不安や戸惑いがあって、心の中で、選択が一進一退を繰り返していることがとても多い。

 どうして不安なのかとか、諦める理由が分からないとか、ちゃんとした形を持たない疑問ばかりが募るうちに、それは大きくて黒い『違和感』めいたものに感じられてくる。


 ――正体がわからない。怖い。


 そう思うとまた不安になって、感情の肥大化を助けてしまう。

 自分の心から湧きだした苦悩なのだから、当然、自分という存在に疑問を持つことだって必ず出てくる。『生まれなければ良かった』というほど悲観的になる人もいるかもしれない。

 そうして自意識の認識がおざなりになって、今日と明日の狭間を漂うことになるのだ。



     ×××



「あ、あれ?」

 目の前に広がるのは、白。

 白の空間(・・)というには広すぎるし、白の世界(・・)というにもまた、何か足りないものが多すぎる気がする。

 全てが均一の白に塗りつぶされていて距離感が掴めないはずなのに、僕はどうしてか、僕がどのくらいの高度緯度経度にいるのか手に取るように分かった。

 天地開闢の時を見たわけではないけれど、どうやらこの白は僕の感性が作ったようだった。

 僕、という存在を色に例えるなら、この色が一番しっくりくる気がするからだ。

 それにしても、僕はどうして、こうも冷静でいられるのだろう。

「よ、っと……」

 自分の意思で体躯を動かすことができるらしい。考えることもできるし、言葉も話すことができるから言語野も機能している。

 記憶野はどうだろう。

「うーん……。さっきまで布団で寝ていたような……」

 記憶野も問題ないようだ。

 でも、だとすれば、問題なのは“ここ”ということになる。

 こんな白い場所に行ったことはないし、教科書でも見たことが無い。

 でも。

「どこかで見たことあるような……」

 僕の心の中では、過ぎ去った思い出を懐かしむ郷愁と、飽きるほどに繰り返される日常に呆然とする気持ちがごちゃごちゃにミックスされて渦巻いている。これはデジャヴとは似て非なる感情だと思う。

 何だろう。

 いつも身に着けていた洋服が、ある日突然人間になってしまったような感じ?

 そういえば、僕は比喩表現が苦手だった。

「でも、どうしてこんなところにいるんだろう……」

 知らない場所に来てホームシックをこじらせたというには時間的に無理があるけれど、単純に『帰りたい』と思うだけなら十分に自然だろう。

 そして次に、

「リズ……」

 と、妹のことを思うのも自然なことだ。


『願いを叶えてはくれませんか?』


 どこからともなく声が聞こえる。

 僕は思わず振り返るけれど、そこにはさっきまでと同じ白しかない。

 続いて上を見上げる。

 あるのは、白、それだけ。

 聞こえたのは上からだったけれど、下から出た音が反射して耳に入ったのかもしれない。

 今度は下を見てみる。

 また、白。

「え? あれ?」

 声の持ち主を知ろうと周りを見渡すと、急に、距離感が掴めなくなる。自分がどこにいるかわからなくなる。

 理由は全く分からないけれど、何故か恐怖や焦燥を感じないということもまた、僕の空間認知を弄んでいる。

 さっきまで立っていたあの場所が天井に――いや、空になっている。僕が振り返る前に向いていた方向は今、右側にある。

「ど、どうなって……る」


『願いを叶えてはくれませんか?』


 身構えていたおかげで、声の出所はわかった。

 出所が分かると、自然と応対の方法もわかってくる。

 何を期待することもなく、僕はただ、その存在に縋った。


 〈ここはどこ?〉


 白一色の中、ただでさえリソースの無いものを吸い取るように、不定の情報を貪る。

 僕の頭の中(・・・)にいる相手が分かって僕に分からない情報など、無い気もするが。


 『願いを叶えてはくれませんか?』


 事務的というには少し感情が入りすぎているその調べに、一種の同情を覚えてしまう。

 質問を無視してでも伝えなければいけないことなのだろうかと、気になっても来てしまうではないか。それに、先に無視したのは僕のほうだ。


 〈どんな願い?〉


『それは……』と話し始めた今回は、先ほどよりも幾分か明るい口調だった。


『あなたの「願い」を一つだけ叶える、という願い』


「へ?」

 じゃなくて、〈へ?〉。

『あなたが願えば、どんな「願い」であっても必ず一つ叶う』


 〈それはつまり、お金持ちになりたいとか人気者になりたいとか、そういうこと?〉


『そうです』

 間髪入れずに断言される。

 そこまで自信を持って言われると、信じたくなってくる。

 だけど、ある日突然リズのような人気者になれるとか、一瞬でアリスのようなお金持ちになれるという理不尽性を除いて、この話は成立しない。

 そう。

 この話は不合理で不道理で、理不尽極まりないのだ。

 でも、宝くじに当選する可能性だってある。

 そうすれば『僕がお金持ちになるという未来予知』を除外すれば、不合理さは否定されて話の筋は通ることになる。

 いや、除外自体無理か。

 また道理にそぐわないことを責めるところに帰結するわけだけれど、ああも断言できるのには何かしらの理由があって自然だと思う。


 〈どんな『願い』も叶うんだよね?〉


『そうです』


 〈それって、空を飛びたいとか、魔法を使いたいとかでもいいの?〉


『はい。叶います』

 また断言だった。

 さっきと同じ反応を示すと言うことは、僕の『願い』の大きさ自体に価値は無いのかもしれない。

 それは、つまり……。

「ただ単に願いを叶えたいってだけ?」

 コミュニケーションの手段にも慣れた僕は、伝わらないように声を発していた。心に留めていたら考えてしまいそうだったから。

「でも、ありえない」

 魔法が使えるなど、ありえない。空が飛べるなど、ありえない。

 そんなことを可能にできるのは、今ある『不可能』を作った張本人――神様くらいのものだろう。

 神様は人間に乗り越えられる試練しか与えない代わりに、可能性を与えたのではなかったのか。『不可能』にトライする人間たちに見出される可能性は、人々の心に『希望』を生み出すから。

 なのに。

「叶う?」


 〈いったいどうやって?〉

 自問自答の復唱の末、辿り着いたのは不合理性だった。




 幾らかの間があったと思う。




『証拠が見たいという「願い」でも構いません。今すぐに証拠を見せます』


 〈どうやって?〉


『その方法を知りたいという「願い」でも構いません。今すぐに教えます』

 堂々巡りで無駄な労力を使うのは気が引けたので、質問攻めは切り上げることにする。

 声に質問をすることはもしかしたら、意味がないのかもしれない。

 それは糠に釘という意味ではなくて、先刻よりはぐらかされてきた質問の答えは自分ならわかる気がするということだ。

 魔法や神様の存在と同じ矛盾性を抱えたこの議題を、百歩譲って認めるとして。

 微かに残っている子供心の赴くままに、すべてを都合よく鵜呑みにして信じるとして。

 自分が純粋に何を願うのか、僕は知りたくなったのかもしれない。


 〈本当に『願い』は叶うんだよね?〉


『はい。そうです』

 変わらない自信に満ちた即答に、僕はどこか安堵の念のようなものを感じていた。


 〈どうすれば叶う?〉


『強く願えば叶います』

 安心感の割にアバウトだった。

 逆を言えば、アバウトな割には安心できていたということになる。


 〈どんな『願い』でも叶うんだよね?〉


 僕は重ねて聞くけれど、答えはやはり、

『はい。そうです』

 という強い自信を含んだ断言だった。

 不安や心配を払拭するために再確認したつもりだったけれど、強い肯定の意志というものは必然的に一つの疑問を生んでしまうものでもあった。それは何かしら否定する意図を含む。


 〈代償は?〉


 魔法が使えるようになるために命を要求されれば元も子もないし、空を飛ぶのに足を失ってしまえば皆と同じ楽しみを感じることも出来なくなってしまうのだ。

 でも、それは当然のことで、この世界では力のあるものが全てを把握、所有できることにはなり得ないのだ。

 幸せの形は一つではないのだから。

『代償ですか? ありません』

 そんなことすら軽く凌駕してきた。

 僕は少し憤りを覚えた。

 何の見返りもなく欲しいものを手に入れられる不条理に、腹が立ったのだ。

 精いっぱい勉強した人が幸せを掴むのと、何の努力もせず不自由もなく育って幸せを掴むのでは、やはり意味が異なるのだ。

 あとで罰が下るとか言うなら話は別だけれど、今回はそういう話ではないらしい。

 甘んじて受け入れるわけはない。

 ただ、心のどこかで、僕は期待してしまっている。もしかしたら僕の『願い』も叶うのではないか、と。

 そのことに無性に腹が立つのだ。


 〈本当に、代償は……無いの〉


 限りなく縋るように、自分に言い聞かせた声に呼応して心の声も震える。でも、そこには一抹の期待を含む。

『代償はありません』

 ピキキッと音を立てて亀裂が入る僕の心。

 崩壊してしまった白ならば、二度と崩壊することなどない。

 もしこのまま壊れてしまえたなら、見渡す限りのこの色と同じ、何にも属さない自由を手に入れることが出来ただろうか。

 だけど、その幅が拡大していくのを防ぐように、タイミングよく声が聞こえてくる。

『ただ――』

 それは待っていたと言わんばかりの獅子吼だった。

 さっきまでの自信がすべてそこに繋がった気がした。

『――いくつかの条件はあります』



【第一項】その『願い』は一つであるとする。

 つまり、「○○と○○の命を救いたい」という複数をまとめたものは無効になってしまうということだろうか。やり直しが利かないという意味合いもあるかもしれない。


【第二項】その『願い』の範囲は1つ或いはすべてとする。

 これは【第一項】にも被ってくるだろうか。要は、「○○と○○」という部分指定は不可能であるという意味が妥当な気がする。

「○○と○○を生き返らせたい」という願いならば、片方を諦めて「○○を生き返らせたい」と願うか、大事件を覚悟で「今死んでしまった人を生き返らせたい」と願うか、二通りあるわけだ。

 僕がそういう状況に置かれたら、どうするだろうか……?


【第三項】願いを決定する『願い』は無効になりカウントされない。

 何を叶えるか迷った時に、「自分が今、何を願えば幸せになれるか知りたい」と願えばすべきことが見えてくるのかもしれないが、それを禁止する意味はなんだろう?

 でも、その答えがわかるのはやはり、神様しかいないのではないだろうか。

「何度でも『願い』を叶えたい」と願った上でそれをすれば、もしかすれば神に成り代わることもできるのではないだろうか?

 もしかして、他人の願いを決定することもできなくなるということだろうか?


【第四項】願いを無効にする『願い』は無効になりカウントされない。

 もう『願い』を叶える必要がなくなった時に、「自分の『願い』が叶えられないようにしたい」と願えば、普通の生活に戻れるのかもしれない。

 それを防ぐ必要性は、僕には皆目見当もつかない。

 それとも、僕意外の『願い』を叶えようとしている者たちの邪魔をしないようにという意図が組まれているのだろうか。


【第五項】願いが叶えられる状態を周囲の人間に知られてはいけない。

 例えば、「○○を消してしまいたい」ということを願った時に、それが当人の知るところとなれば、不倶戴天の仲になってしまっても仕方がないし、「○○と結婚したい」ということを願った時に、当人に知られてしまえば『愛は偽物だったのか』と狂瀾怒濤の憤激をぶつけられても致し方ない。

 この【第五項】は論を俟たずに理解し納得できる、そういう不確定要素を含んだ感覚的なものなのだと思う。

 ここでタブーとする理由が謎である、と言えば一切の否定はできない。

 一から四までのように憶測を必要としないあたり、何かありそうな気がする。

 例えば、ペナルティのようなものを課されてしまうとか、だろうか。

 ただ、現時点で何かを明言するのは難しそうだ。



『以上の五項になります』


 〈け、結構たくさんあるね〉


 付け焼刃の言い訳と揶揄するには、用意周到が過ぎた。

 しかし、頭の中に直接語り掛けられているせいか、一度ですべて飲み込めたし、考察をすることもできていた。だから、冷静でいられた。

 しばらく“声”と対話することで、分かってきたことがある。

「まず、ここは現実世界じゃない」

 何者かもわからない相手――もしかすれば、僕をここに連れてきた張本人かもしれない相手に、気取られるのは危険なので、深謀遠慮になる前に声に出して整理しようと試みる。

 声の質は今まで聞いたことが無いような不可思議な響きで、中性的。声色は常時落ち着いていて、決して取り乱したりなどしない。そして、僕の頭の中に直接情報を送り込んでくる。

 何故か僕だけがここにいて、僕は聞こえてくる“声”とだけ交流を持てる。それ以外には白という色しかなくて、情報源は“声”に絞られてしまう。

 白という色をとっても、透過しても何もないから漠然とそう見えているだけなのかもしれない。

「何もないここで、僕は何をしているんだ?」

 ここへ来てしたこと、それは一つしかない。

 それではまるで、僕がここへ来た理由が、

「“声”と話すため……?」

 と、でも言っているようなものではないか。

 僕の『願い』を叶えるという願いを叶えろという意味不明な内容を聴くために、僕はここにいるのか?

 だとすれば、これは僕のために用意されたものである気がしてならない。


 ――一体誰が? 〈僕が〉


 ――なんのために? 〈『願い』を叶えたくて〉


 思い切り首を横に振って、追走してくる自答を否定する。おまけに口も「違う!」と訴えて助長している。

 でも、逡巡するほどに〈僕が『願い』を叶えたかった〉という気持ちは膨らんでいく。

「でも、それは叶うわけがないんだ!」

 そう。

 ここは、〈もし叶うのならば?〉と、そう思う心が生み出した幻想の世界だ。

 間違いない。


『気付きましたか。でも、もう時間もあまり残されていません。手短に説明します』


 そしてこれは幻聴だ。

 普通なら聞こえないはずの音を、僕は聴いているのだ。

『あなたの推測通り、ここはあなたの夢の中です』

 言い得て妙な表現だ。

 それは自分の望む光景を手に入れたくて、都合よく解釈しているだけなのかもしれない。

 だけど、その中だけでも幸せになれるのなら良い、とも思う。


 〈夢の中でなら、僕は――僕の『願い』は叶ってもいいのかもしれないな……〉


『これから、あなたは目を覚まします』

 確かに、夢は覚めてしまうものだ。一体今まで何度、〈覚めなければいい〉と思ったかわからない。

 どれだけ巨万の富を得ようと、意中の人との間に子供を授かろうと、それが夢なら覚めてしまうのだ。魔法とか飛行体験とか、現実でできないことも夢の中ならできる。でも、それらも同じ。

 でも、夢の中では幸せでいられることに変わりはないのだ。

『もし夢の中の魔法で「現実を変えたい」と願うことができたら?』

 夢の中の声は、自信をも含んだ強い語勢でもって、そう豪語する。

 そんなことが出来るのだろうか。

 確かに、論理的な矛盾はないけれど、現実問題としてそれは有り得ない話だ。仮にそれができたとして、現実世界で「突然○○が生き返った」とか「○○がある日突然お金持ちになった」とか、そういう噂を聞いたことは……あれ?

 でも、待てよ。

 夢の中に、現実のルールが適用されることの方が、ありえないことなのではないか?

『わかってもらえましたか?』

 僕は自然と頷いていた。

 また、あの安心を感じていたのだと思う。

 頷いて視線が上下すると、視界に白が無かった。代わりにあったのは黒だった。

 目を瞑っているわけでもないのに、そうしているように暗い。光が無いというのとはまたちょっと異なっていて、何だろう、光が反射して仄かに明らむ黒? のような感じだろうか。

『……あの空間……保っ……できな……り……た』

 頭の中に響いていた声も次第にノイズが増えてきて、聞こえにくい。

 聞こえていない覚悟で、僕も最後に一つだけ確認する。


 〈これは現実……だよね?〉


 答えはすぐにはなく、聞こえ始めた小鳥の囀りと、風に揺らされてバサバサと鳴るカーテンの音が僕を強制的に現実へと引き戻そうとする。

 これほどまでに、今日の訪れを憎んだことはないだろう。

 微かに聞こえた最後の言葉は、あまりに荒唐無稽だったからか、それとも朝の喧噪のせいで情報が歪んでしまったせいかはわからないけれど、僕を悩ませた。


『夢の…………続き…………』



     ***



 僕は一体どこにいるのだろう。

 どこまでも続くその色は、あの時の白や黒とは確かに違っているけれど、その間には差はないのかもしれない。

 僕が失明してしまえば、ここだって夢の世界の風景と何ら変わりなくなってしまうのだから。

 あの時聞こえた“声”だって、僕が頭の中で一人二役を演じれば、再現することは不可能ではないはずだ。

 “声”の言っていた『夢の続き』という言葉の真意は、こういうことなのかもしれない。

 現実もまた夢と同じなのだよ、と。


 ――夢と同じで『願い』は叶えられるのだよ、と。


 ただ、現実が一つだけ夢の世界に勝る部分がある。

 それは叶えられる『願い』が本物になるところだ。

「○○を手に入れたい」と願っても、夢ならば消滅してしまう。けれど現実なら、すべての物質が物理法則に則っているために不規則に消滅することなどできないのだ。○○が心とか感情という不定形なら話は別だけれど。

 夢の世界ほどの自由はないにしても、現実世界における『願い』は広い範囲を誇っているのだ。



 僕は一つ考えた。

 もしかしたら、考えてはいけないことだったかもしれない。


 ――もし、夢が覚めなかったら?


 ――もし、現実から戻れなくなったら?


 代償は無いと言っていた。

 でも、代償と言うのは自分で作ってしまうものである気がするのだ。

 依存すれば中毒になるように、僕たち人間は一定の自由があると、自らを自らの毒で侵し始める。毒された者の行きつく先は必然的な破滅で、それは十分代償になり得るのだ。

 そうなるのが嫌だから、解毒を試みる。でも、自分が作り出した毒だから完全に抜き切ることも出来ず、またぶり返す。そうしているうちに、毒に慣れてしまう。

 毒に侵されているという現状に満足して、それ以上も以下も望まない――毒はそういう中途半端な病変に形を変えていく。

 染まりきることも、完全に潔白になることもできず、狭間を彷徨うしかなくなるのである。

 それは夢の世界も現実の世界も同じ。

 毒は自分が作るものだから。



 僕の毒はまだ弱い。でも着実に毒素を溜め込み始めてはいる。

 迷いや不安というエッセンスが、絶妙に毒性を強化して、僕自身を蝕んでいるのだ。

 今日と違う明日が来ることを恐れて、道を逸れて狭間から明日を覗く。

 それが中毒になれば、僕は狭間に取り残されて身動きが取れなくなってしまうだろう。

 でも、それは普通のことで、どうしようもないことなのだ。人間は楽を求める生き物だから。

 だけど、僕には密かな『願い』があった。

 それを叶えるために邁進すれば、何か変わるかもしれない。

 そんな期待を込めて。

 

 僕は『願い』という特効薬を、ゆっくりと毒と馴染ませてゆく。



【あとがき】

 何だか変な五か条が登場してしまいました。

 これは大事なことだったりそうでなかったりするかもしれないので、覚えたい人は覚えて、そうでない人は見直してみたりしてください。


 次回は時系列通りに「無関係なリズ編(秋)」を挟むか、それとも時間を少し進めて「ストーリーパート担当のアリス編(冬)」を入れてみるか。


 ちょっと迷ってきます。

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