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Ⅴ 現実でも夢でもない、『願い』。

 


「う、嘘……でしょ……?」


 誰かに責任を課そうとか、自分に責任があるとか、そういう感情にはなれなかった。

 だって、誰が悪いのか、明白だったから。


 〈本当に明白だったの?〉


 確かに明白だった。

「ごめんね……。止められなかったよ……。謝ったって許してもらえないよね……。一生かけて償うよ……。本当にごめんね……」

 そう。

 警備員の人は悪くない。

 だって――


 〈二人を救えなかったんだよ?〉


 ――それは僕も同じだから。

 悪いのは二人を僕から奪った、あの男。

 国の公安部の人たちが担架で運んでいるのは、さっきまでとは打って変わって静かになって、眠るあの男。公安に射殺された、あの男。もう二度と起きることなどない、あの男。

 二人を傷つけた人間がいなくなって、ひどく安心した。

 けれど、せめて。

 せめて……。


 〈自分が殺したかった?〉


 そんなことあるはずない、と言ったら嘘になる。けど、

「いいんですよ。警備員さんは悪くありません」

 そう答えるしかなかった。

 でも、僕はアリスのように嘘が上手くないから、それは隠してもすぐに見抜かれてしまう。

 怒り、嘆き、悲しみ、寒さ。

 寒い、寒い、寒い。

 果て、震えたこの声のせいで。

「本当に、ごめんね……。悔しいよね……。なんて言っていいのかわからないんだ……。ごめんね……」

 僕から復讐の機会を奪った警備員の人は、それから何度も「ごめんね」と言って、泣き崩れてしまった。そして、それからは謝罪の言葉以外を発しなくなってしまった。

 罪悪感などなかった。

 これから二人の死を背負っていくことは、僕も変わりなかったから。



 事件の概要は、起きてすぐ自発的に飲み込めた。

 目の前で、二人、見知った顔が横たわっていたから。

 最初は寝ているのだと錯覚したけれど、同じ色の物を見たくなくなるほど真っ赤に染まった店内の床を見て、そうではないと理解できた。

 信じたくない事実だったのにも拘らず、否が応でも知らされたせいで、僕は逆に冷静になった。

 だから、事件のあと(・・)のことは鮮明に記憶に刻まれていた。ただ、二人が死ぬという僕にとっての事件が始まってから終わる直前までの記憶は、その部分だけ夢幻(ゆめまぼろし)のように存在しなかったけれど。

 すぐ思い出そうとしたことは覚えている。

 だって、それが夢なら、続いている今も夢かもしれないから。


 ――アリスが死んだ。


 ――リズが死んだ。


 そんなことは覚めれば嘘になる夢であって欲しかった。夢であれば、また「冗談だよ」と言って互いに顔を綻ばせ合うことだってできるのだ。そういう温かい現実が、夢の先には待っているのだ。


 ーーでも、違った。


 当たり前のように、冷たかった。

 あまりに冷たくて、僕は泣いた。

 事件の収束と同時に振り始めた冷雨が、僕の体を冷やしていく。怒りを抑えていられるのは、この雨のおかげかもしれない。

 でも今は、抑えるほどの怒りすら感じていなくて。

 僕の気持ちを形容したように降る雨は、一滴一滴が生きているかのように肌に纏わりついてくる。でも、それが生きているはずはなくて、ただただ『縋りたい』という自分自身の意識が作り出した幻影にすぎないのだ。

「もう待てませんよ」

 冷たすぎる現実を諦めたくない一心で、僕は公安に頼んで遺体の搬送を遅らせていた。

 それも、もう、終わり。

 僕は温かい。体温があるから。

 僕は動いている。意識があるから。

 僕は生きている。生きているから。

 二人から僕と同じ要素が、一つ一つ消えていくのが分かった時、僕はどうしようもなく虚けた。

 だから、同じ冷たいを雨を浴びているというだけで、僕は少し報われた気がしていたのだ。

「わかり、ました……。でも、最後に、一分だけ、時間をください」

 二人に同じものを求めるにしても、冷たい雨は可哀想だと思った。

 だから最後に――いや、最期に僕の持っているものを分けてあげようと思った。

 いい顔はしていなかったけれど、公安の人も「一分なら」と認めてくれた。

 使えるだけの時間を使おう。



 僕の思い。

「ごめんね、アリス」

 伝われ。

「今までありがとう」

 強く、強く抱きしめた、その冷たい体に。



 僕の温度。

「…………。リズ……」

 伝われ。

「大好きだよ」

 僕の方から求めた、その冷たい唇に。



     ***



 あれから、まだ一時間も経っていない。

 公安の人に家まで送ってもらった僕は、一人で自分の部屋にいる。一階では公安の人と両親が話をしている。

 下から母の慟哭が聞こえるたびに、僕は枕で頭を覆って聴覚情報を遮断した。それでも、父の激怒する声は聞こえてきて、結局は心が痛んだ。

 感情を爆発させたところで、報復にすべてを注いだところで、どうにもならないことを知っていた。それは両親も同じだろうか。

「泣いたって、怒ったって……」


 〈リズは帰ってこない?〉


 ふと生まれた疑問に、僕はさらに疑問を重ねる。

 自分の中の疑問を疑問に思うというのは、意味不明な『違和感』がある。

 前提した通り、その『違和感』を解消したところで二人は戻らない。

 けど、

「何もしないよりは、何かした方が……」

 絶対に良いとも思った。

 僕は、これからずっと、二人の死を背負って生きていかなければならないのだ。もともと、リズのように明るい性格ではない僕が、そんな大きな負を背負えば、確実に人生のそのすべてが暗い道に落ちる。

 確かに、歩き慣れてはいるけれど、やはり僕も明るい道を歩きたいのだ。

 気の持ちようで、僕自身の道を明るく照らすことは出来るかもしれない。

 なら。

「二人がまた笑ってくれるなら……」


 〈何をしてもいい?〉


 よくはない。

 二人に笑顔が戻ったとして、仮に僕がいなくなってしまえば、元も子もないのだから。

 でも、二人に笑顔が戻るならと、極論そう思わなくもない。


 〈贅沢な『願い』だよね〉


 当然だった。

 蘇生を願っているのだから。

 ものを願うということには、必ず代償が付き纏うものだ。蘇生の代償は、単純に考えれば同じ数以上の命と言うことになる。

 でもそれは、『○人の命を奪う代わりに二人を救う』のであって、『二人が救われる代わりに○人が死ぬ』のではないのだ。

 でも、もしそうなら。その贅沢が許されるのなら。


 〈二人以外の死には目を瞑る?〉


 首を縦に振ることは簡単ではない。

 ただ、命の重さというのは確実に存在するのだ。

 同じ犬なら優秀な犬が、犬と人間なら人間が、同じ人間なら遺伝子の強い方の命が、確実にその重量を増す。

 でも、優秀な飼い犬と優秀な野良犬なら? 大好きなアイドルみたいな赤の他人と、愛しても愛しても足りないくらい大好きな恋人なら?

 結局はすべて、その『思い』に左右されてしまうのだ。

 だから哲学者たちは研究するのかもしれない。

 どちらを救うべきかの方程式を見つければ、悩む必要なんてどこにもないから。

「知らない人間と、大切な二人……」


 〈天秤にかけて、重いのはどっち?〉


 答えは簡単だった。

 けれど、替わりに犠牲になる人たちに目を瞑るのも、良心が痛む。

 それが贅沢だとわかっていても、片方を諦めることなんてできない。

 命の重さは、僕一人で決定できるものではない。


 〈でも、もし、二人がまた――〉


 ――また笑顔で、話をしてくれるなら。

 

 僕は、犠牲に目を瞑ってしまうに違いなかった。

 けれど、これは『二人が生き返ることなどない』という大前提のもとに成り立っている。だから、ここまで残酷になれる。

 すべては空想だ。

 夢だ。


 ーーいや、叶いもしない『願い』だ。


「うわああああああああ!!」


 それを認識した途端、僕の心は音を立てて泣き始めた。

 枕越しなのに、一階に聞こえるのではないかというくらい、僕は嗚咽して泣いた。

 滔々と溢れ壊れそうになる瞳よりも、喘ぎ喚いて潰れそうになる喉よりも、自分の声で破れそうになる耳よりも、何よりも――心が痛い。

 今まで溜め込んでいたものがすべて、涙となって僕から出て行っている感じだった。

 このまま二人のことも水に流して、忘れ――

 

〈ルート、あなたはそれで幸せなの?〉


 それは、僕の名前。アリスがたまにする呼び方だ。

 思い止まった僕には、考える時間が生まれた。


 ――僕は本当にそれで幸せなのだろうか。


 アリスとリズ。今もそうだけど、きっとこれから歩んでいく人生でも、最も大切な人になることだろう。

 そんな大切な二人と作ってきた思い出を、すべて忘れていいのだろうか。

 リズと喧嘩をしたことがある。それで一週間口を利かなかったことだって何度もあった。

 それは忘れていい思い出?

 そんなはずはなかった。

 僕とリズは喧嘩するたびに仲直りをして、それでずっと幸せだった。心の底から明るくなって、笑いあえる日々を送れた。

 忘れていい思い出なんて、一つとしてないのだ。

 でも、だからこそ、僕は二人の死を乗り越えなければならない。

 周囲の人間を自分の闇に巻き込んでしまわぬように、平静を装って生活していかなければならなくなるかもしれない。


 〈それは、二人が生き返っても同じこと〉


 そうだ。二人の死が無かったことになっても、僕は覚えていなければならない。

 二人が生きている現実を見るということは、二人が死んでいた夢を見ていなければいけないということだから。

 でも、それが夢なら――夢と分かっているのなら。

「僕一人でも……」

 生きていける。

 僕だけが二人と違う夢を見ていても、冷たくても幸せな現実がそこにあれば。

 僕は生きていける。


 〈だから、僕の『願い』は……〉


 そう。

 これは大事な人を失って病んでしまった僕の空想で、途中で諦めればまたどん底に落ちてしまう、そんな気休めにしかならない。

 でも、何もせずに、ただ、二人の死を受容することなんか、到底できなくて。

 人は、人生の岐路に立たされた時、迷い、苦しみ、悩み、悶える。

 変えられない失敗という結末に、後悔をしたくないから。

 自分の歩く道を決めるのは、簡単なことではない。

 過去を振り返ることはできても、未来を見通すことなんて、絶対にできないから。

 だけど、進んでしまった逸れた道なら、まだやり直せるかもしれない。

 寄り道は、ボーっと立ち尽くして待つことでも、ただ先生の指示に従うことでも、この世の不条理に抗うことでもない。

 小高い丘に登って、少しだけ未来を見渡してみることなのだから。

 僕が知らずに進んでいた、あの脇道の先には未来がよく見える丘があった。

 後悔したくないという臆病な感情を拭いきれなかった僕は、失敗しないよう必死に未来を探した。高く高く、できるだけ遠くを見ようと、僕は躍起になった。

 そして、落ちた。

 落ちた衝撃で、とても大切なものを失った。

 結局、後悔した。

 後悔しまいと意気込んで上った丘で、僕は後悔したのだ。

 急に答えを要求されたわけではない。

 それは人生も、その一部である受験も全く同じで、躊躇していた時間分は、確実に猶予として与えられているのだから、反駁の余地など存在しなくて当然なのだ。

 だから、言い訳を述べることは無駄なのだ。

 必要なのは『反省して』、『改善して』、『一度目より良い結果を得ること』。

 これは僕にとって最後のチャンスだから。


「やり直したい……」


 〈すべてが始まる――〉


「――あの時を」



     △▲△▲



 昨日のことを思い返すと、心の壁を内側からバリバリと破られるようなショックと、大切なものをたくさん失ったような激しい喪失感で涙が溢れ出しそうだった。

 僕はそれを堪えるために目を開くのを躊躇うけれど、太陽の強い覚醒効果を遮断するには、薄い瞼は頼りなすぎるようだ。


「んん……」


 ルーティンワークをこなせば、目も覚めて、昨日の悲劇にも目を瞑れるかと思ったけれど、部屋のクローゼットからはみ出している誕生日プレゼントの一部分を見ると、そうでもなかった。

「まぁ、大会だったんだから仕方ないよね……」

 割り切ろうにも、心の表面で渦巻くごちゃごちゃの感情が邪魔してくる。マイナス、プラス、その中間、イーティーシー。本当に様々な感情が渦巻いている。感情と定義していいか微妙だけれど、『違和感』という表現がしっくりくる。

 僕が何かを感覚する部分に、その『違和感』がべったりと接着されてしまっているので、暫くは忘れられそうもない。

「アリスにいじられそうだなぁ……」

 けれど、そんなことで学校を休んでしまえば、さらにいじられることになるだろう。

 それに、妹が心配するだろうし。アリスもか。


「さて」


 就寝の時間はここまでという意味を込めて、そう合図する。

 寝相が悪い方ではないので、ずれたシーツのしわをぴしりと正せば、ほとんど完璧なベッドメイキングが完成する。

 そのおかげで、着替えや学校の準備などの身支度に時間を割くことができる。ただ、宿題含め学校に関する用意は前日の内に済ませてしまうことが習慣になっているので、その時間も短縮される。

 朝の時間の使い方には、少しばかり自信があった。

 だけど、その余裕も今日までのようだった。

「か、階段……」

 数日前にこの階段から転落してからというもの、下る際の進捗にかなりの悪影響が出ていた。

 一段降りる度に何分もかかってしまえば、せっかく作った時間の余裕も自然となくなり、早起きを苦手とする妹との間にあったアドバンテージもすぐに埋まってしまう。

「あ、ルー、おはよう」

「お、おはよう、リズ」

 下の段で応対することで、自然とアングルが下がる。

 家族である僕の目にも、その姿はやはり『あられもない姿』に映る。

「そんなに階段が怖いの?」

「う、うん。ま、まあね」

 包み隠さず言うと、リズはすぐに同じ段まで来て肩を貸してくれた。

 そこまで身長差が無いおかげでお互いの足が浮いたりはしないけれど、妹という自分より弱い存在に依存している現状に背筋が冷たくなってくる。

 到底頼もしいとは言えない女の子らしすぎる肩ではあるし、何より、僕自身が特別な感情を抱いているせいで、意識せずにはいられない。

「あ、あり、ありがとう」

「いいよ。…………え? ちょっと――」

 ただでさえ処理力の低い僕だから、違和感とか憧憬とか郷愁とか、そういうわけのわからない心情がキャパシティを越えてしまったのかもしれない。

 それは、壊れたということなのか。


「――どうして泣いてるの?」


 表情を見られないように、俯き気味に首を振る。

 カッコつけていたいといことではなくて、リズを直視してしまえば、また涙が溢れてくる気がしたから。

「うぅ……。僕にもわからないんだよ……」

「そ、そんなに階段怖かったの?」

 確かに階段を降りると言う行為にはフラッシュバックするほどのトラウマを感じていたけれど、それは泣くほどのものではなかった。

 それに、感情の性質というか、温度のようなものトラウマとは真逆だった。

「嬉しいんだ、と、思う……」

「嬉しい? もしかして私が肩を貸したから、感動して……ってこと?」

「そ、そうかも」

 本当はもっと大きな何か。

 けれど、それを口に出して――言葉にして表現するには、人生経験がまだまだ足りない。少なくとも、失敗を恐れてわき道に逸れてしまうような子供の僕では。

 それは『愛』とか『恋』とか、簡単な言葉じゃ到底表しきれないことが分かっているから。

 だから、言い得て妙な表現を経験するまでは、『違和感』として扱うしかないのだ。

「ふふっ……」

「こ、今度は笑って……、どうしたのルー?」

 これから歩いていく道を照らす力もないほど不安定で弱い僕でも、一つだけわかることがあった。

 それは、学校で教えられることもなくて、人生経験の中で学ぶものでもない。

 自然的に習得するものだから、動物と同じ『条件反射』などと敬遠されることもあるだろう。

 でも、確かに、それは人間にしかできないこと。


「嬉しいときは、笑っていたいから」


「あははは! なんだ、そういうことね! もう、脅かさないでよ」

 そこには何の迷いもない。躊躇もない。

 後悔することも厭わず、僕たちはそれをやってのける。

 例え、その先に見える景色が黒くて寒い、荒んだものであったとしても。例え、身震いするほどの暗澹たる闇に染められた絶望の過去を見せられたとしても。

 笑顔でいられる今だけを感じて。


「リズ、いてくれてありがとう」

「ふふふっ! いいよ。どういたしまして!」



 そして、僕たちは階段を下る。


【あとがき】

 これでルート編の第一部が終わったことになりますね。

 改稿前はリズ編(秋)、アリス編(冬)という形で書いておりましたが、今回はどうすべきか……。

 

 ルート編は、何となく『長い序章』のような感じがします。

 もしかしたら、ルートモストマックと言う物語は、まだ始まっていないのかもしれません。

 だとしたら、次はちゃんと始められるような話でいきたいですね。


 少し考えてから投稿していきましょう。

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