Ⅸ 試用試験、覚悟を添えて。
【まえがき】
物語、よりも人間的な部分が進む今章です。
真ん中で割るなら、ここが前半のラストですかね。
どうぞ。
五日目。
夕方。
昼食を食べた後に開始したテストは、ちょうど日の沈む頃に終わりを告げた。会長がみんなの進捗を確認して、全員が終わったらそこで終了という形式をとったために、この時間になった。
時間が不明瞭である以上は仕方がないことなのだけれど、全員で歩幅を揃えて助け合えている感じがして、僕は少なからず気分が良かった。
誰かに甘えるなと叱咤されそうだから口には出さないでおく。
それはそうと、結果の方だが。
合格できるかどうか不安がっていたノアも、ここへ来てから遊ぶか寝るかしかしていなかったサクラも、他のみんなも全員、見事にルリ会長お手製テストに合格することができた。
その時、「別に嬉しくないわ」と冷めるアリスと、「ここからは遊び倒すのじゃ!」と燃えるサクラが対照的で面白かった。ルリ会長がサクラに賛同したあたりで、今晩の台所事情は察しがついた。
答え合わせを手伝っていて、テストの問題が一人一人違っていることに気付いた時は、「やっぱり会長はすごい」と見直したのだけれど、差し引きゼロになった。
今はみんなと一緒にキッチンで、夕食作りに取り掛かっているようだった。
そんなこんなで、一つのテストが終わったわけだけれど、僕にはもう一つテストがある。
アレンが僕を試すのではなく、僕が僕を試すテストだ。
そう思ったから、僕は、アレンをテラスへ呼んだのだ。
居間の大きな窓を開けたすぐそこの、海を臨むテラスだ。そして、みんなに臨まれるテラスでもある。
アレンが告白のことをみんなに話したのだから、僕もそれに応えなければと思ったのも、この場所を選んだ理由の一つだった。
だから、夕食の支度中に僕がアレンを誘ったことも、みんな静かに許してくれた。顔がにやけていたのは、気のせいではないのだろうけれど。
これでも緊張はかなりした方で、アレンが告白を公にしていなければ、多分僕はこういう形で答えることはできていなかったとさえ思うのだ。そういう意味では、このテストは義務だけれど、答えを書くかどうかは任意だ。
僕が書くことを決めた時は、すでにテラスに夕闇が差していて、サンセットというには少しばかり遅すぎた。
自ら何等かの雰囲気を求めるわけではないけれど、サクラの言う“ノリと場の雰囲気”というものに肖れば、こんな風に尻込みせずに済んだかもしれないなどと、思わなくもない。
「どうしたんですか? ルートさん」
「あ、うん……。えっと……」
真っ直ぐに僕を見つめるアレンの瞳の奥には、慌ただしく蠢くキッチンが映っていることだろう。
僕はなるだけ言葉を急がなくてはならない。
「その……ごめんっ。き、急に呼び出したりして……!」
「いえ。全然です」
解答をミスして怒られているわけではないはずなのに、なかなかどうして。
脇のあたりから、妙な汗が噴き出してくる。
それがまた恥ずかしくて、顔が熱くなる。そうして延々、汗をかいた。
「ええと……き、聞きたいことがあるんだけどね……っ」
「はい。なんですか?」
生憎、今夜は肌寒く、汗をかいた部分が余計に冷えた。
脇、腰、背中、と順に冷えていって、最後に喉が凍えて固まったようになった。当然のように言葉が詰まって、呼吸も覚束なくなった。
そうして黙っていると、一晩で木に染み込んでいたのか、昨日の雨がやけに匂った。眠れぬ夜でも、安眠の夜でもなかった昨日のだ。
僕は昨夜の出来事もなかなか思い出せない記憶力を、心の中で笑った。
「昨日は、よく眠れた?」
「昨日、ですか? はい、ぐっすりだったかと」
「そっか。実は僕もなんだ」
「あ、そうなんですね。雨、好きなんですか?」
「熱い夜に降ってくれるのは、好きかな」
「わかります! 音もいいですよね。なんか落ち着きます」
「うん。そうだね」
同じ匂いを感じながら、同じ昨日を思い起こす。思い起こした先は空っぽで、それはまさにテスト勉強をせずに開き直るかのような、ただならない心持ち。
僕もアレンも規律違反をしないだろうから、それは空想に過ぎないけれど、共感を抱くのには十分なリアリティだと思った。
点数も評価も無いけれど、現実的留年はありそうだ。
「告白……のことですよね?」
アレンは端から察していたように、僕に問う。
僕は順番が怖かったのだと、暗に答えた。
「うん、そう……です。あの……ごめんね。僕、度胸無くて」
「いえ。俺こそすみません。試すようなことして。こういうことは、男の俺から切り出すべきですよね」
それは違う、と言おうとしてやめた。
それは、僕が女だからだ。
でも、僕は先輩でもあるのだから、言い淀んでは不格好だろう。
「アレン君に告白されてから、すごく考えたよ」
「はい」
それはもう、堂々巡りの連続だった。
何かがわかるのではないかという期待と、何かが変わるのではないかという不安とが、ぐるぐると血管を伝って、全身を巡るようだった。それで、熱が出た。
「本当はドッキリなんじゃないかって、少しサクラを観察したりもして」
「ははは……。やりそうですもんね」
それでも、要因ははっきりと僕にだけわかるようになっていた。
その猜疑心の矛先がまた、自分自身に向けられて、余計に苦しくなった。
「でも、すぐわかった。アレン君が本気だってこと」
「はい」
だから、僕は解答を導き出さなければならなかった。
「やっぱり、嬉しかった」
そう思うと同時に、僕の心は厳しく試されたかのように窄まったのだった。
でも、感情に嘘は無い。
あるのは、程度なのだと思った。
「…………」
「…………」
何か不躾だと思ったのか、アレンは頷いて瞬くだけになる。
僕は腹に留めた言葉を紡ぐしかない。
「本当はね。わからないんだ。アレン君の気持ち、受け止めていいか」
けれど、イエスにせよノーにせよ、返事をするということは何かを決めるということだから。
アリスが自分をフるように仕向けたのも、きっと、僕の選択肢を削るためだ。ただ、それだけではなくて、あれはアリス自身の決断でもあったと思う。
だから、僕が返事をすれば、何かが変わるのだ。
それが少し、怖くあった。
「僕、よく臆病だって言われるんだけど、その度に違うって言い返していてね。でも、全然違くなかった。本当にその通りだなって思った。……あ! 違うよ! アレン君が怖いんじゃなくてね……!」
アレンは頷いて微笑んでいた。
“僕の言葉”という答えが欲しいに決まっていた。
「アレン君と、その……おっ、お付き合いしたら……みんなと遊んだりできなくなりそうで……。会長とかアリスにいじられるのは、わかるんだけど、ノアさんとサクラ……との距離感というか、その……」
誰よりも、リズとの付き合い方が想像できなかったけれど、それは口に出さなかった。
僕がリズを好きでいることが、アレンと付き合うことには関係ないはずだと思ったからだ。
それは、“好き”とは別のものなのだろうと、そう決めていたから。
「ご、ごめんね! 返事する前にこんなこと言って」
それでも、聞いておいて欲しかったのだ。
およそ五日もかけて必死に勉強した、この浅はかで愚昧な言い訳を。
カンニングをしないことを誓うかのようにたらたらと前提すると、アレンが小さく笑った。
「はははっ! いえ、大丈夫です。すぐには答えを頂けないだろうなって、割と構えてましたから。それに、急いで出した答えは、嫌ですから」
「アレン君……」
斜陽に照らされた陰影の加減か他か、心なしかアレンが大きく見える。
アレンの影に入った僕はきっと、途轍もなく小さく見えていることだろう。
「じゃあ、俺から聞いていいですか……というか、こういうのは“男”である、俺から聞くべきですよね」
僕が言葉を投げようとすると、被せるようにアレンが笑う。
僕の中にはまた、疑心が残った。
「じゃあ、聞きますね」
何かに迫られている感じがして、自然、ピンと背筋が伸びた。五日という時間でもって疑心を圧し潰して、僕は構えた。
夕日はやけに冷たく、僕の肌を焼いた。
「俺、ルートさんにフラれますか?」
僕は野次馬の視線を感じながらも、確かに返す。
「フラれない、よ……」
指の先は感覚が無くなったように所在を失って、真っ直ぐだと思っていた瞳は未だ覚束ない。どこを見て、どう感じたかという記憶が刻まれる代わりに、風邪とも似た体の火照りが度を超してきた。
アレンの沈黙は、まるで僕の言葉を待っているかのように、静かに波の音を打ち消していた。
どれくらい、間があったかわからない。
ここへ来たときから、すでに時間は忘れている。
それでも、言う前から唇が震えていたことと、次の言葉を用意していることだけはまだ覚えていた。
「お試し、しても、いいかな……」
それが今回のテストに記述する、僕の答えだった。
意味を求めて五日練った答えだったせいで、論拠が溢れた。
「贅沢だってわかってる。わかってるけど、後悔はしたくないんだ。結果後悔することになっても、アレン君のこともみんなのことも――誰かを嫌いになるなんて、僕は嫌だから」
今の僕なら、この解答に五十点を与えることができる。
その得点は赤点ではないけれど、自主的に補修を受けられるのだ。
満点の告白をしていたアレンは補修を受ける必要は無いはずだ。けれど、僕はそのアレンを補修に誘ったわけだ。
迷惑に他ならないはずなのに、アレンはどうしてか笑顔でいた。
「ははははっ」
「ア、アレン君……?」
靨の影の具合が少し怖く映ったけれど、それはすぐになくなって。
いつも通りの頼もしい肩と実直な瞳とが、僕の背筋をまた少し伸ばすのだった。
「それはつまり、俺がルートさんを攻略すればいいってことですよね?」
至妙な解釈だと――アレンらしい解釈の仕方だと、純粋にそう思って少し笑う。
その槍のような問いに、僕は水流のように返す。
「ま、まぁそうなるかな……?」
言下に、アレンが笑ったのにつられて笑うと、何も無い吹き抜けのテラスに、何かしらの薄い膜が張ったように空間が出来上がった。
当然のことながら風除けにも日除けにもならないはずだけれど、どうしてだろう。
少し、温い。
「わかりました! それじゃあ、お試しで残り五日間! 俺の彼女になってください!」
「はい……。よろしく、お願いします……」
「こちらこそ!」
ピンと伸びた背筋の真ん中がこそばゆいのは、僕が若いからか。
それとも、僕が“女”だからか。
それとも、僕が――。
【あとがき】
シルバーウィークの終わりとともに第四章の前半が終わった感じです。
サクラがちゃんと仕事をしていれば、次回からはもう一回シルバーウィークです。
皆、リゾートの雰囲気にはだいぶ慣れて、時間もあまり気にしなくなりました。慣れって怖い。
便宜上、冒頭に何日目かを記しておりますが、ルートたちからすればもっとあやふや。寝て起きたら一日経った……そんな感覚。なので、結構人が出るところだと思います。
さて、次回からは物語も進んでいきます。
ゆっくりと。
お楽しみに。




