Ⅷ 試験前日、決意を添えて。
【まえがき】
今回はさっぱりです。
前書きに味を書いていたのは、実は食欲の秋を意識したりしてなかったり。
ちょっと短めです。
どうぞ。
四日目。
「はあぁぁ、明日テストかあぁ……。せっかくの休みなのに、テストなんて、なんか損した気分……」
「徹夜するよりいいでしょ。そもそも今日は雨よ。諦めなさい」
今朝方始まったブルーな気分を余計に冷ますリズの溜息を止めたのは、元々冷めているアリスだった。
昨日、リズがアリスにフラれたと言う話を聞いていたから、気まずい空気になるかもと危惧したけれど、それは杞憂だったようで。
「もー、雨きらーい。せっかくのリゾートなのにぃ」
「元々、勉強合宿じゃなかったのかしら?」
アリスもリズも互いにいつも通り接していて、何かに突っかかることは一切ない。
きっと昨日、二人の強い決心があったのだと思う。その時には、アリスが言ったような痛みというものも伴っただろう。
でも、そのおかげで、二人の間に未練のような粘り気が残らなかったということだとも思う。
そんなことを気にしている僕はまだ、わずかに右手に汗をかいてしまうのだった。
僕はそれすらも雨の理不尽性になすりつけて、ノートの罫線を埋める糧とした。
「理科、得意な人ー」
気遣いか飽きたのか、ルリ会長が唐突に挙手を要求する。
アリスくらいの度胸がないと無視はできないので、正直に挙手することになる。
僕の十八番である天文分野も理科に分類されるし、その原理を使って研究される天体もあるから、理科が好きか嫌いかと言われれば好き。得意という表現をされると挙手するのは気が引けるが、無下に不得手を晒すのも恰好が悪いと思った。
周りの目を気にしながらゆっくりと左手を挙げれば、倣うようにアレンが続く。
へぇ、とは思ったけれど。
「おっ? ノアちゃん、理科得意なんだ」
そんなことよりも、僕やアレンの真面目さよりも、ノアの純情が一際目を引いた。勉強が苦手なのにという理由ではなくて、単純に、こういう場で挙手をしたことにかもしれない。
「うん。ノア、設計図とかは、少し、好きだから……」
「せ、設計図? なになに? ノアちゃん、なんか作ったりすんの?」
「そりゃのう。もう、どえらい器具を――」
「ノアさんのことだから、きっとすごいものなんだろなー!」
「そりゃあそうじゃ。もう、どえらい器具を――」
「あんたは黙ってなさい。諦め悪いわね」
「ふふふふっ」
ノアが笑顔になるまでの流れは、さながら、僕らのいつも通りのようだった。
そうか。
三日三晩という時間を共に過ごして、みんな適応して変わったのだ。
そう思えば僕も、ある意味では変わっているのだろう。いや、変わっていなければならない。
自分にそう迫られている感覚に僕の手は湿気るようで、事務的に動く右手が文字を並べていくごとに、掌は蒸した。
状況は、テスト前の小休憩に少し似ている。それも自信がある教科ではなくて、全く自信の無い教科。
周りの人たちはしっかりとした復習をしているのに、その中で一人だけ、初めて教科書を開くような焦り。答えは埋めなければいけないからと思って、公式よりも、綺麗な文字の羅列を優先して記憶するのだ。そうして記す解答は中身が無く、それにつけられるバツ印の分だけ、後悔が生まれる――。
前までは、確かにそう思っていた。
けれど今は、違った。
いや。変わった、と言うべきか。
テストは確かに大切で、ミドルの時よりも人生におけるウェイトは増した。赤点を取ってしまえば追試の分時間を失うし、何度も落第すれば進級すら揺らぐ。
だから勉強をするわけだし、遊びの時間も削らなくてはならない。その中には、テストよりも大切なことだってきっとある。テストより大切な事のために、テストに受かろうとする構図には矛盾がある。
でも、そのテストで正しい答えを知ることができれば、いいと思うのだ。
一度だって二度だって、間違えることにだって意味はあるはずだ。僕はすでに、それを知っているはずだ。
テストの対策テストの勉強合宿という位置付けが、僕にそんなことを思わせるのだった。
「……い。おーい、ルートくーん」
「あ、はい! どうしましたっ?」
会長の手がちらちらと、僕の目の前を忙しなく往復していた。
窓を流れる重い雨と、その奥の黒い海をばかりを見ていたから、気が付かなかった。
「大丈夫? 具合悪くない?」
「え? いえ、全然そんなことないです。どうしてですか?」
「いや、ずっと放心状態だったから。ま、大丈夫ならいいんだ。そろそろ夕食にしようかと思って。みんな準備し始めてるから、ちょっと手伝ってくれないかな?」
「夕食っ!? もうそんな時間……」
外は暗いままだったから、純粋に自分の中に流れた時間だけが時差のように脳裏に映った。
電波時計のようにぐるりぐるり針が回転して、時刻は夕方頃を指す。
「あっはっはっは! さすがルートくんだね。集中力すごい。でも、あんまり根詰め過ぎないでね。ワタシのテスト、そんなに難しくしないし、ここで力使い果たしちゃったら本末転倒だからさ」
「はい。わかりました」
ルリ会長はあくまで会長らしく、それでいて友人のように、年下の僕に目を合わせて言う。リズが称する“お姉さん”の意味が解った気がした瞬間だった。
「それじゃさっそく、キッチンへレッツゴー。あの連中はワタシだけじゃ手に負えん」
「了解しました」
僕は教科書を閉じて、一人になった席を立つ。背後からは、賑やかな話声が聞こえてきた。こんなにも雨が降っていると言うのに、どうしてか、盛り上がっていた。もしかしたら、合宿中、一番盛り上がっているかもしれない。
雨が僕の決断を延期してくれたというならば、晴れた明日には答えを出せる気がした。
僕はルリ会長の後ろについていきながら、記述問題の答えを考えた。
キッチンから漏れる笑い声と、しとしと冷たい雨音とが混ざり合って、空間は安らぐ。
それでも、根を詰め過ぎていた僕の集中は数秒ともたなかったけれど。
今、みんなと一緒にいることが、きっと明日のテストの自信に繋がるから。
明日のテストで間違えても、まだ延長された分の時間は残っているはずだ。
そうして最後にやってくるテストで、後悔の無い解答を導ければ、きっと雨は上がる。それまでは、僕の平静を装う助けになってくれる。
そう信じて、僕は髪を結った。
「ごめん。お待たせ」
「遅かったじゃない。全く。早く手伝いなさい。バカ娘が邪魔ばかりするから、一向に終わらないわ」
「今日は……カツ丼かな? わかった、今手伝う」
アリス担当のメイン部分は衣をつける段階で、コンソメスープと思しき付け合わせはリズとノアが手分けして具を作っているところだった。その奥ではアレンがキャベツを千切りにしていた。サクラはその中の色々なシーンに登場して、楽しそうに遊んでいた。
僕は人手の足りていなさそうなアリスのところへ赴いて、油の加熱を始める。
「あら? 懐かしいわね。あなたのポニー」
「うん。短いけどね」
エレメンタリーの頃、一時期、耳に掛かるのが嫌でそうしていたことがあるのだ。
そうしたら急に、背中に視線を感じるようになったのですぐやめたけれど。
「ルート、かわいい……」
「本当? ありがとう。ノアさん」
「すごく似合ってます。可愛いです!」
「あ、うん……ありがとうアレン君」
可愛いなどと言われるのは、いつぶりのことだろう。
よく話す友人と言えばアリスくらいしかいなかった僕にとって、そのチャンスは案外少なかったように思える。そうすると、幼少期に父や母に言われたきりくらいの話になるのだろうか。
今、ノアとアレンに言われた感じがちょうどその時の構図に似ていて、少し背中の端の方がむず痒くなる。
その時の僕は、果たしてその言葉を嬉しく思っていただろうか。
ノアに言われた時の〈嬉しい〉という感情と、アレンに言われた時の〈嬉しい〉という感情の間には確かな違いがあるけれど、これは昔と変わっていないだろうか。
変わっているなら、往々にして気付けるはずだ。
そうして試せるはずだ。
すべては明日のテストで。
【あとがき】
詳細は無いですが、現在のルートの髪の表現が初めて登場したと思います。子供の頃ショートだとは言ってたと思いますけども。
髪の毛は女性の象徴なので、ここへ来て少し違和感はあったと思います。
ですが、それこそルートが歩いてきた道。
ルート、勝負に出ます。
私は応援します。
次回、覚悟っぽい匂いがします。




