犬飼颱の暴走Ⅴ
「そうか、それならそれで構わねーけど」
頭をぼりぼりかきながら、
「元に戻しといたぞ」
犬飼颱はいった。
そして。
「なあお前、殺してもいいか? 俺は弱いやつが大っ嫌いなんだよ」
と。
戦闘意欲をあらわにした。
刑務所の件はやはり失敗だったかと判断し、
「ほう? やってみるか?」
ハッタリではなく――ちゃんと身構えて。
「さあ、来いよ」
萬捫はいう。このままだと、部僂是武舞はおろか、婀崇姆出嫗朱も危険な目に遭わせることになる。
それはどうでもいいが、自分が事の発端となると、そんな無責任なこともいっていられない。
大工が安全第一ならば、詐欺師は安心が第一なのだから。
ステージから下りて、すたすたと、まるで友人にでも歩み寄るつもりで、萬捫は接近していく。
彼は上下黒のスーツ姿ではあるが、その腰にはナイフが差し込まれていた。臨戦態勢になったら即座に取り出して切りつけられるように、心と身体の準備を行う。
イライラしているかのような、強烈なストレスが脳内を支配しようとしてくるが、それでも平静を保つことを忘れない。
「…………」
相対して――
改めて実感する。
嗟嘆が恐怖ならば、地縛霊は脅威。
恐怖とはまたちがった威圧感が、欲張り詐欺師の全身を、そして全神経を襲う。
容赦なく。
「しっ――!」
シャウト効果とは――
大きな声を発することにより、筋肉の出力が上がる現象であるが。
萬門もまさしくそれに則って、瞬発的にナイフを取り出したのだが。
もっといえば、取り出そうとしたのだが。
腰のナイフは、そもそもの前提条件として、差されてはいなかった。
「おいおい、腰に手を回してどうしたんだ? まさかとは思うが、懐刀を忍ばせていたんじゃねーだろうな?」
脅すように。
いや萬捫にとっては、脅すような声音だったかもしれないが、第三者からしてみれば平坦な声で――
犬飼颱は確認した。
左手に匕首を握った状態で。
「…………っ!」
絶句する。
話の継ぎ穂を失ったわけでもないのに。
むしろ話し続けるべきなのに。
言葉が出て来ない。
言葉が出来てこない。
「まあいいや、そんなことはどうでもいいし」
匕首を後方に投げて、おもむろに萬門へと近づいていく犬飼颱。
「…………」
やはり言葉が出て来ない。
「これじゃあまるで、出来損ないだ」
自嘲気味に、意味のないことをかろうじてつぶやいてみる。
出来損ない――落ちこぼれ。
昔の――俺。




