医大生と破滅の懐妊(中)
『それだけだな』という――本当にとるに足らない文句を受け入れられたのは、それから二日後のことと なった。
『それだけ』の意味を何度もなんども反芻してようやく出した結論。
これなら、『それだけ』という言葉も、前向きに受け止められる。
余命は一、二年がやっと――。
背負ったハンディキャップは、『それだけ』だなと、彼はそういったのだ。
それだけなら、乗り越えられる。
それくらいは大過ない、よくある闘病ものだ。
そういう意味で――発言した。
はずだ。
電話をしてみてもふつうに会ってくれるし、高尚な彼との会話も、いつも通りおもしろかった。
なんだ、考えすぎだったのか。
それはそうだ。
病気を理由にして会わなくなるなんて、そんなことはあり得ないだろう。
――良かった。
そのときは純粋に嬉しかった。
だがそんな楽しい日々にも、終わりは来る。出会いがあれば別れもある。
当たり前の循環である。
破綻というのは、突然おとずれたりはしない。ゆるやかにおだやかに、軋轢が生じ、亀裂が生じ……。
全てが駄目になる。
だからこの恋愛に伏線となる描写をみつけるとしたら、『それだけ』というひとこと。まさにそれだけであった。
出美亜丹の妊娠を契機に恋愛は破綻したのだ。
妊娠――よわい十八歳での妊娠。
これを早いとみるかどうかだが、時代が変われば基準も変わる。
平均寿命の増加により、倫理観も塗り替えられてしまうのだ。
『仕事もしないくせに子どもなんか産むなよ』
『どうせ育てられないんだから、中絶しろよ』
『子どもがかわいそうだ』
世間にはそのように非難される。お前らにはなにも迷惑をかけていないのに、まるで関係のないことなのに、学識者は声高々に否定する。
が――。
それには大きな矛盾がある。




