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三姉妹。美香と光子と優子の物語  作者: リンダ


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229/230

写真撮影。そして高校卒業

2040年1月・初詣と一次審査の前座


初詣——おみくじが仕事し過ぎた日


午前の空気は冷たくて、吐く息が白い。境内の砂利がしゃりしゃり鳴る。

鳥居をくぐると、屋台の湯気と甘酒の匂いが混ざって、冬なのにちょっとお腹が鳴った。


「今年も、よう笑って、よう届かせる。はい、参拝」と光子。

「欲張らん。けど、特待生はがっつり狙う」と優子。


手を合わせ、鈴を鳴らす。パン、パン。

すぐ横で春介が背伸びして真似した。

「ぱん、ぱん! おねえちゃん、がんばって!」

春海は鼻先までマフラーで、目だけキラキラ。

「かみさま、ちいさく おねがい します」


まずはおみくじ。四人分、ひいた。


優子が紙を開く。「……吉。『平常心まもれば勝ち』。うん、好き」

光子も開く。「……中吉。『努力は実る。寝不足だけは却下』。はい、寝る」

春介は文字を指でなぞって首をかしげた。

「だいきち?……おかし?」

美鈴(お母さん)が笑う。「大吉。おかしは別枠」

春海は自分の紙を両手で持って、声に出して読んだ(ふり)。

「“ちいさく やさしく”……って、かいとう」

**優馬(お父さん)**は肩をすくめる。「神様、うちの家庭見とるやろ」


絵馬も書いた。

光子《特待生、ちゃんと届かせる》

優子《人が笑ってホッとする音を置く》

春介《おねえちゃん かつやく。あと いちご》

春海《おねえちゃん げんき。あと いちご》


甘酒で手を温める間に、アキラがカメラを構えた。

「じゃ、初笑いショット。3、2、1——」

光子が白息でハートを描こうとして、息切れ。

優子がフォローで輪を完成。

春介「はーと、できた!」

春海「ちいさく、ちゅっ」

通りすがりの参拝客まで拍手してくれて、正月から知らん人に祝福された。


帰り際、屋台のたこ焼きを一舟だけ。

「特待生前は油断せん」と美鈴が釘を刺す。

「油断はせんけど、粉もんは別腹」と優子。

「それは“言い訳”って言います」とアキラ。

結局、四人で分けて、熱さにはふはふ笑いながら帰った。



一次審査・写真&動画撮影——ミスの神様も来社


1月中旬・小倉家リビング。

白い布を壁に貼って、簡易スタジオを作った。

アキラがライトを組み立て、美香が台本(セリフではなく段取り)を持って指揮する。


美香「今日は“盛らない、整える”。自然な表情で、はい」

アキラ「レンズ拭いた、ホワイトバランスOK、録画テストいくよ」


最初の事故は早かった。

光子が立ち位置に入った瞬間、背景布がべろんと落ちた。

優子「背景、辞表提出」

光子「止めたげて」

テープを増やして再装着。仕切り直し。


二つ目の事故。

アキラ「じゃあ録画——あ、ごめん」

美香「なに?」

アキラ「……レンズキャップ」

全員「おい!」

アキラ「はい、すみませんっ!(土下座の勢いでキャップ外す)」


三つ目。

音のテストでマイクの向きが後ろを向いていた。

光子「誰に語りかけとったん? 壁?」

優子「壁も救う音楽」

美香「はい、“ごめん・ありがとう”して、次」

アキラ「ごめん! 直した!」

光子「直してくれてありがとう。ほら、切り替えよ」


深呼吸。ようやくプロフィール写真から。

アキラ「目線こっち。顎を少し引いて……いい、今」

カシャ。

モニターに出たのは、仕事の顔をした光子だった。

美香「これ。盛ってないけど、芯が見える」

光子「次、優子」


優子の番。

アキラ「笑いすぎると“昼の情報番組”になるけん、目だけ笑って」

優子「はい」

カシャ。

光子「うわ、これ無敵」

美香「“この人なら大丈夫”って顔」

優子「そんな顔してるつもり。……春介、春海、見とる?」

廊下の陰から二人が手を振る。

春介「おねえちゃん、かっこいい!」

春海「やさしい顔、すき」

優子「元気出た」


つづいて演奏動画。

テイク1、ライトがじわじわ明るすぎて、額に夏。

美香「冬やのに夏になっとる。ライト1段、落として」

テイク2、外から救急車の音。

光子「今日のゲスト多い」

優子「いったん止めて、深呼吸——再開」


テイク3。

音が出た瞬間、部屋の空気が一段落ち着いた。

ふくらませない。押しつけない。

正月に神社で息を合わせたときと同じ、自分たちの呼吸で進む。


最後の和音が消えた。

アキラ「今の、残したい」

美香「ここから先は編集じゃない。“残し方”の仕事」

光子「頼む」

優子「お願いします」


機材を片付けようとした時、春介と春海がそっと近づいた。

春介「おつかれさま。ちいさく、うぃんく どうぞ」

春海「ちいさく、ちゅっ もどうぞ」

二人の“補給”を受けて、全員が一斉に笑った。


アキラ「よし、今日の打ち上げは“湯気は出すけど火災報知器は鳴らさん鍋”」

美香「前回の黒歴史、学んだとね」

光子「鍋に“合格”も入れとって」

優子「うちらが入れるのは“おいしい”と“ありがとう”」

美鈴「あと野菜」

優馬「それがいちばん大事」


冬の日はすぐ傾く。窓の外の色が少しオレンジになった。

笑いと反省と「助かった、ありがとう」が、今日の部屋にちゃんと残った。

その空気のまま、データは送信へ。

次のページが、静かにめくれる音がした。




一次審査の朝


小倉家・台所


光子「今日の目標は三つ。届く音、姿勢、息」

優子「“うまくやる”は後。まず届かせる」


美鈴「食べてから不安にしなさい」

優馬「がんばるは置いとけ。楽しむ、持ってけ」


春介(廊下から半顔)「おねえちゃん、いくの? はやいの?」

優子「はやいけど、落ち着いて行くよ」

春海「おねえちゃん、ちいさく うぃんく して?」

光子(ちいさく片目)「はい、補給完了」

春介(満足げ)「ちいさく、ちゅっも」

優子(極小エア投げキッス)「帰ってきたら本番ね」



会場の小ハプニング三連(セリフ差し替え)


受付で胸ピンの糸が絡む。

優子「糸が、ぎゅーってした」

光子「貸して。……はい、ほどけた」

優子「ありがと。いち個めクリア」


列をまちがえそうになる。

光子「こっち?」

優子「ちがうよ。“実技B”はあっち」

光子「ありがとう。二個めクリア」


のど飴忘れ。後ろの受験生が差し出す。

光子「わ! ありがとう。帰り、お礼させてね」

受験生「がんばって」



面接&実技(ニュアンス微調整)


面接官「志望理由を」

優子「人がほっとする音を、置きたいです」

面接官「“ほっとする音”とは?」

優子「胸の奥が、ちょっと広くなる音。正解じゃなく、余裕を返す音です」


面接官「緊張は?」

光子「してます。消さずに連れてきました。お守りです」


(実技は静かに“届かせる”。最後は礼)



帰り道&“ただいま”のテーブル(誕生日前バージョン)


中庭のベンチ。紙コップから湯気。


光子「途中で空気、やわらいだ」

優子「“人がいる”って分かったね」


スマホに家族グループ。


写真:春介、ハンカチぶんぶん(ピンぼけ)

『おかえりのれんしゅう!』

写真:春海、画用紙にでっかい丸

『まる、あげる』


二人「帰ろ。鍋、待ってる」

優子「火災報知器は鳴らさん」

光子「学習済み」


——夜。

美鈴「まず“おつかれさま”」

優馬「報告は腹のあと」

春介「どうだった?」

春海「たのしかった?」

優子「楽しかった。ちゃんと届いたよ」

光子「“人がいてよかった”って思った」


アキラ「本日のMVPはリカバリ。データ送信済み、寝る!」

美香「“ありがとう”で締め」

全員「ありがとう」


結果はまだ。けれど、テーブルの空気はもう小さく勝っていた。




二次審査、手の中の「届いた」


2040年2月中旬/音大キャンパス


朝の風は冷たかったが、二人の歩幅は揃っていた。

光子は手袋の中で指を一本ずつ伸ばし、優子は首元のマフラーを軽く整えた。170の影が校舎のガラスに並び、同時にうなずく。


「今日は“うまく”じゃなく、ちゃんと届かせる」

「うん。迷ったら、息を先に」


受付を抜けて、控室へ。

壁時計がこつ、こつと刻む間、二人は言葉を節約した。

代わりに、小さく笑う。笑うと、えくぼが同時に浮かぶ。


ドアの向こうは二次審査・実技。

試験官が静かに合図する。「準備ができた方からどうぞ」



光子


光子は中央に立ち、足裏で床の平らさを確かめた。

(ここまで毎朝つけた“積み上げ印”は、今日ひとまず押す)

深く吸って、息を先に置く。肩の高さ、視線の高さ、どちらも慌てない。


——最初の一音。

押しつけない。飾らない。

音は部屋の角に柔らかい輪郭をつくり、試験官のペンが動く手を一度止めた。

(届いた。ここで欲張らない)

中盤、わずかな危うさがのぞく。光子は一拍だけ余白を置き、呼吸で立て直した。

最後の終止を、長居させない。言い切って、静かに手を下ろす。


「ありがとうございました」

礼。手は震えていない。

袖に戻ると、優子が片手ハイタッチで迎えた。

「おかえり。届いとった」

「ただいま。欲張らんやった。次、頼む」



優子


優子は立ち位置に入ると、靴先を揃えて、肩の力を落とした。

(“正解”より“余裕”。胸の奥の余白をひろげる)

一音めは、朝の空気と同じ温度で。

音が進むたび、試験官の眉間がすっとほどけ、腕組みの角度がやわらぐ。

(人がいる。聴いてくれる人が確かにいる)

終盤、ほんの小さな「笑い皺」みたいなニュアンスをひとつ置いて、静かに閉じた。


「ありがとうございました」


戻ると、光子が小声で言う。

「いま、空気が動いたね」

「うん。“人がいる”って分かった」


二人は短く笑って、控室の椅子に腰を下ろした。

**“うまくやれた”じゃない。

——“届いた”**と、胸の内側がはっきり言っていた。



最終審査の日、静かな勝ち方


数日後/最終審査・面接


面接室は思ったより明るく、机には水の入ったグラスが置かれていた。

試験官はまず、一次・二次の講評を短く述べ、それから尋ねた。


「あなたにとって“続ける”とは何ですか」


光子は答えを急がなかった。

「不安をゼロにせず、抱えたまま一歩進むことです。朝になれば軽くなるって、信じて動くこと」

試験官が、ペン先をそっと止めた。


「人が疲れている時、どんな音を置きますか」


優子は迷いなく言った。

「正解ではなく“余裕”です。胸の奥に、深呼吸一回分の場所を空ける音」


短い沈黙のあと、面接は終わった。

廊下に出ると、二人の肩から力が抜けた。

「出せた。やり切った」

「うん。あとは任せよ」



合格発表——“ただいま”の輪の中で


発表当日・夕方/小倉家リビング


テーブルの上にノートPC。画面には合否照会のボタン。

美鈴は台所で温かいお茶を並べ、優馬は黙って椅子を引いた。

廊下から春介と春海がのぞく。今日はまだ2歳後半、言葉は短い。


春介「おねえちゃん、ぽち、する?」

優子「うん、いくよ。せーの」

光子「同時に押す?」

優子「同時に押そ」


二人は見合って、えくぼで合図した。

「せーの」——クリック。


読み込みの円がくるくる回り、全員の息が止まる。

画面が切り替わる。


《特待生合格》


一瞬、音が消えた。

次の瞬間、部屋がぱぁっと明るくなった。


美鈴「やった! よう頑張ったね!」

優馬「おめでとう。楽しんで来い」

春介「すごい! すごい!」(ハンカチぶんぶん)

春海「まる、あげる」(画用紙の大きな○を差し出す)


光子は笑いながら、目のふちを指で押さえた。

「“届いた”の先まで、ちゃんと行けた」

優子は深呼吸して言った。

「人がいてくれて、よかった」


アキラがカメラを構え、美香が拍手をリードする。

アキラ「記念撮影、いくよー。合格の顔、3・2・1!」

全員「イェーイ!」(シャッター音)


最後に、春海がそっと言った。

「おねえちゃん、ちいさく、うぃんく して?」

光子は片目をちいさくつむり、優子は極小のエア投げキッスを返した。

笑いがふわっと広がる。湯気の向こうで、冬の夜がやさしく温度を上げた。


結果は一枚の文字だったけれど、ここまでの**朝・積み上げ・“ありがとう”**が、全部その文字の中に入っていた。

二人は目を合わせ、同時にうなずいた。


「ここから、始めよう」




食べ放題、祝砲多め。—春介・春海バースデー&卒業おめでとう会


入口のボードには「ご予約:赤嶺/小倉 一行」。

店員さんが笑顔で案内する。「90分食べ放題でございます。走らない、盛りすぎない、焦らない——」

光子と優子は顔を見合わせて小声で言う。「作戦会議、要るね」「スイーツは終盤、鉄則」


長テーブルに三世代がずらり。

アキラと美香、そして今日の主役の春介と春海。

さらにアキラの祖父母——赤嶺 安三郎、静子。

優馬の両親、美鈴の両親も勢ぞろい。

店の照明が、まるで「よう笑って、よう食べんしゃい」と言っている。


「まずは乾杯からいこ」と優馬。

「今日は“春介・春海3歳”と“光子・優子、卒業おめでとう”の二本立てよ」と美鈴。

グラスが軽く当たってちんと鳴り、テーブルの空気が一段あたたかくなる。



第一波:取り放題は、笑い放題


安三郎がさっそうとサラダを盛る。「健康は皿の上からやさ」

静子はそれを見て肩をすくめる。「最初の一皿で全部乗せるのは反則さね」

光子「おじいちゃん、色合い100点」

優子「でも高さはオーバー」


美香は唐揚げ担当、アキラはローストビーフ列へ。

「僕、スライス技で時間短縮ね」

「あんた、写真も撮りんさい」

「はいチーズ、はい盛り付け」

カメラのシャッターがぱしゃぱしゃ鳴るたび、プレートが一枚ずつ賑やかになっていく。


主役の春介は背筋を伸ばして、トングを真剣な顔で握る。

「ぶどう、のせる。ゼリー、のせる」

春海は両手で小皿を抱えて、チョコファウンテンにちょんと近づく。

「ちいさく、ちょこ つける」

近くの店員さんが微笑む。「お上手〜。極小がいちばん可愛いです」



祝辞とギャグ、交互運転


席に戻ると、テーブルの真ん中にごちそうがずらり。

美鈴の父がゆっくり立ち上がる。

「みっちゃん、ゆうこ。よう育った。まっすぐ歩きよる。……この先も、腹いっぱい食べて、笑って行きんしゃい」

拍手。光子と優子は同時に頭を下げ、えくぼがくっきり出る。


続いて優馬の母が小さな紙を取り出す。

「今日のために、短歌を一首。『春、乗り換え 娘らの背は すらり伸び 皿は山なれど 心は軽し』」

「詠まれた。皿の山まで記録された」と光子。

「事実やけん」と優子。

全員「(どっ)」



きゅるん&ちゅっ、合法的祝砲


ここで美香が手を叩く。「主役のお楽しみ、いきまーす」

春介は椅子の上で姿勢を正し、春海は小皿を置いて胸の前でぽんと手を合わせる。


光子「本日特別、ちいさく一発ずつだけ解禁」

優子「やさしさ100%で」


春介「はいぱー ゆうわく うぃんく——ちいさく!」→ きゅるん(極小)

春海「きょくじょう なげちゅ——ちいさく!」→ ちゅっ(極小)


——店内の空気が、ふわっと一段やわらいだ。

近くのテーブルの独身勢が、反射的に目がハートになって手を振る。

店員さんまで拍手。「最前列で良かった〜」

安三郎が頷く。「これが令和の祝砲やっさ」

静子「心臓に優しい破壊力やね」



事件は皿の上で起きる


光子がローストビーフを薄く重ねて芸術作品を作りはじめる。

「これ、断面がすでに音楽」

優子が即ツッコミ。「ここ食べ放題。美術館じゃない」

アキラ「食べる前に撮る、は世界の約束」

美香「食べてからも撮る、は新しい」


その時、春介のゼリーがぷるんと踊って、皿の端へずりっ。

「あっ」

春海が素早く小皿で受け止める。「はい、キャッチ」

テーブルから拍手が起きる。

「連係プレー、表彰もんやね」と美鈴。

「家族のVAR不要」と優馬。



ケーキ、ろうそく、ふー


店内BGMが少しだけ音量を下げ、ケーキが運ばれてくる。

「Happy Birthday」のプレートに、春介と春海の名前。

ろうそくは3本。火が灯ると、テーブルの輪郭がやさしく照らされた。


「ふーの準備、よか?」と光子。

「よか!」と春介。

「ちいさく、ふー」と春海。

「せーの」

二人の息がふーっと重なる。一本だけ、揺れて残る。

優子「連係プレー、第二波」

春介「右から」

春海「左から」

「せーの」

ぱち。消えた。

テーブルがわっと沸いた。



卒業おめでとう、の乾杯ソフトドリンク


最後に、アキラが立ち上がって手を叩く。

「本日のまとめ。主役は3歳チーム、MVPは“ちいさく祝砲”。そして、光子・優子、卒業おめでとう!」

全員でグラスを持ち上げる。

光子は深呼吸して言葉を落とした。

「ここまで連れてきてくれて、ありがとう」

優子もうなずく。

「この先も“届かせる”を続けるけん。……でも、まずデザート」

「そこ大事」と全員が笑う。


チョコファウンテン前で、春海がもう一度だけ極小のちゅっ。

春介は極小のきゅるん。

店内の空気は、最後までやわらかかった。


会計の時、レジの店員さんが小声で言った。

「よかったら、来年も“祝砲”お願いします」

「極小で」と光子。

「合法で」と優子。

「もちろん」とアキラと美香。


外は少し冷たい風。

でも三世代の笑い声は、湯気みたいにあたたかく、まっすぐ夜空に昇っていった。




2040年3月1日 福岡高校・卒業式


体育館の空気は、三月の冷たさを少しだけ残していた。紅白の幕の前、壇上のマイクが小さく光る。

光子と優子は、すらりと170cmの影を並べ、胸のコサージュを軽く押さえた。笑えばえくぼが出る顔も、今はきゅっと結ばれている。


「卒業証書授与」——名前が呼ばれるたび、拍手が波のように寄せては返す。

保護者席で優馬が背筋を伸ばし、美鈴がハンカチを握る。端っこで春介と春海が椅子にちょこんと座り、足をぶらぶらさせた。


やがて司会の声が響く。

「答辞。三年、代表——小倉 光子・小倉 優子」


二人は壇へ上がった。視線の高さは怖くない。ここまでの三年間が、背中をそっと押す。


マイクの前で、まず光子が口を開く。声は澄んで、はっきり、届く。

「この学び舎で私たちは、失敗しては笑い合い、悩んでは助け合い、**“届かせる”**ことを習いました。正解じゃなく、余裕を返す音があることを、吹奏楽部で知りました」


優子が一歩前へ。息を合わせる。

「先生方、よう指導していただきました。『息を先に』の一言で、私たちは何度も立ち直れました。保護者のみなさま、**『がんばらんでよか、楽しめ』**と送り出してくれた日々を忘れません」


光子が続ける。

「朝が怖い日もありました。でも、**“朝を置く”**と決めたら、必ず軽くなることを、この学校で学びました。だから、これからも朝に向かって歩きます」


最後はふたりで。

「わたしたちは、この学び舎を離れても、音は味方、人も味方、を胸に進みます。先生方、家族、友だちへ——ありがとうございました。いってきます。」


体育館が、ひと呼吸ぶんの静けさを挟んでから、大きな拍手に包まれた。

前列の前原先生が、目尻をぬぐいながらうなずく。


続く「先生の贈る言葉」で、堰が切れた。


前原先生の声は、いつもより少し低い。

「小倉——いや、みっちゃん、ゆうこ。おまえたちは、人の前で笑いを置き、音を置き、仲間の背中に“だいじょうぶ”を置いてきた。その背中に、先生は何度も助けられた。……ありがとう」


涙は、予告なしで来た。光子は指で目のふちを押さえ、優子はハンカチを口元に当てる。

保護者席でも、美鈴が「こらえきらん」と肩を震わせ、優馬が小さく頷く。

端っこで春介が心配そうに囁いた。

「おねえちゃん、ないとる?」

春海が小声で返す。

「だいじょうぶの涙やけん」

二人の**ちいさな“きゅるん”と“ちゅっ”**は、今日は胸の中でだけ、そっと打ち上げた。


退場の行進。体育館の扉が開くと、校庭の梅が七分咲きで待っていた。

石柱の校名の前、白い「卒業式」看板の横で、記念写真がはじまる。

「はい並んで〜」(アキラ)

「泣き顔でもよか。今が本番」(美香)


光子と優子は、コサージュを整えて並んだ。ぱっちり二重が少し赤い。

シャッターの直前、光子が博多弁で小さく言う。

「先生らに、よう聞こえたやろか」

優子が笑って返す。

「届いとる。うちらの“ありがとう”、ちゃんと」


カシャ。

一枚の中に、笑いと涙と、いってきますが同居した。


校門を出るとき、二人は振り返った。

この三年が、背中の内側で**“ただいま”**の場所になっている。

光子が言う。

「行こっか。朝、置きに」

優子がうなずく。

「うん。まず、いってきます」


春の風が、二人の同じ歩幅を前へ押した。

福岡の空はやさしく澄んで、新しい季節の青さで、二人の決意を照らした。





卒業翌日、みらいのたね経由・現場直行


卒業式の翌朝、二人は「みらいのたね」の小さなプレートを押してドアを開けた。

コーヒーの匂い。コピー機の音。壁のカレンダーは3月2日で止まっている。


事務所スタッフが顔を上げる。

「あ、二人とも。卒業おめでとう!」

光子「ありがとうございます。報告があって——」

優子「月末、東京の音大に行くけん、しばらく福岡ば離れるっちゃん」

スタッフは目を細めて頷いた。

「そうかぁ……川原さん(おっちゃん)、今ちょうど現場。行ってみる?」

二人「行きます!」



10分後・建設現場—昼休みのテント


白いヘルメットが並び、麦茶のクーラーボックスが真ん中に置かれとる。

その輪の奥で、首にタオルをかけた大きな背中が笑った。


「おっちゃん、元気?」

「おぉ、みっちゃん、ゆうこ……来てくれたんか!」


川原 翔太。元・組長、今・現場の兄貴分。

日焼けした額、傷だらけの手。笑うとデコのしわが一気にほどける。


光子「無事に高校、卒業しました」

優子「月末から東京の音大行くけん、しばらく会えんごつなる。挨拶に来た」

川原は一瞬だけ、目の奥ばきゅっと硬うした。それから、わざとらしく肩を回す。

「なんやそれ……まぶしかぁ……。あ、ちょっと砂入った」

周りの職人がニヤニヤする。

「親分……じゃなかった川原さん、砂すぐ入る目しとうね〜」

「よかよか。砂場で遊びよると思え」

全員「(笑)」


テーブルの端から、川原が小さな袋を二つ出した。

「ほい、うちの“合格祝い”。反射テープと軍手。夜の東京は車も自転車も多かけん、スーツケースに巻いとけ。迷子にならん」

優子「安全第一ステッカー付き……センスが現場」

光子「最高の御守やん。ありがとう」


今度は二人が、鞄から小さな包みを取り出す。

「警固神社の“交通安全”と“無事故”のお守り。おっちゃん用」

川原は包みを受け取ると、きゅっと口を結んだ。

「……悪か道はもう通らん。こげん真っ直ぐな贈り物、初めてや」

職人の誰かが小声で刺す。

「川原さん、泣いたらヘルメットに曇り止めいるばい」

「うるさい。砂やっち言いよろうが」

また笑いが走った。テントの天井まで、空気がちょっと明るくなる。


川原は姿勢を正して、いつもの声に戻した。

「よかか。東京でも肩で風切らんでよか。背筋は伸ばしても、鼻は伸ばすな。変な電話来たら、一秒で切れ。」

「はい。詐欺は即切り、録音、報告」

「さすが経験者」

「いや、経験は要らんやつ」

全員「(どっ)」


川原はポケットから名刺を出して、指でトントンと揃えた。

「困ったら、いつでも電話せい。仕事中でも出らん時は、折り返す。金は貸さん。米は送る。」

「米は強い」

「おかずは自分で見つけろ。音は味方ってやつで」

「おっちゃん、覚えとうやん」

「忘れるか。あの二人が言いよったやろ、人も味方って」


ふいに、川原が手ば差し出した。

ごつごつの、でも熱のある手。

光子はその手を握り、優子も重ねた。

「いってきます」

「いってらっしゃい。……ただいま、は、いつでもここで聞いちゃる」


テントの外、風が砂ば少し巻き上げる。

川原が見上げて言う。

「ほら、砂。これはほんとの砂」

「それは信じる」

笑って、泣いて、また笑った。


帰り際、ヘルメットの川原が少しだけ照れた声で呼び止めた。

「みっちゃん、ゆうこ」

「はい」

「現場はな、声ば掛け合わんと危なか。……東京でも、それ忘れんな。おはよう・ただいま・ありがとう。それ言い合うだけで、だいたい助かるけん」

「うん。忘れん」


駐車場に出ると、昼の陽射しが強うなっとった。

反射テープが、二人のスーツケースの角でぴかっと光る。


運転席のスタッフが振り返る。

「戻るよー。おっちゃん、相変わらずやったね」

光子「相変わらず、最高」

優子「砂、よう入る目やけど」

「そこ含めて最高」


車が走り出す。バックミラーに、手を大きく振る川原の姿。

その手は、昔と違う。

まっすぐ仕事の手やった。


二人は同時に、小さくうなずいた。

いってきますも、ただいまも、ちゃんと置いていける。

反射テープがもう一度、ぴかっと光って、昼の道案内みたいに見えた。




近況と、ちょびっと未来


午後の陽が、細長い廊下をすーっと抜けた。

光子と優子は自転車を並べて停め、ハンドルのベルを軽く指で撫でる。

「こっちも元気にしとるかね?」

「行こ。ピンポン係、私がする」


インターホン——ピンポーン。

「はーい!」中から声。足音が二つ、ぱたぱた近づく。


ガチャ。

翔太が顔出す。「おぉ、双子ちゃんやん! 元気しとった?」

ケンタも後ろからひょいっと。「うわ、ほんとに来た。入って入って」


靴を揃えて上がると、ワンルームに折りたたみテーブル、壁に作業用ヘルメットとエプロン。生活の道具がきちんと立っとる。


優子「元気?」

翔太「元気元気。おれ、今さ、幼稚園で子どもらの相手しよると。毎日おもしろか。将来はちゃんと保育士の資格取って、正式に保育士になるのが目標やね」

光子「似合う! ぜったい似合う!」

ケンタがうなずく。「翔太、子どもから**“しょうせんせい”**って呼ばれとるもんね」

翔太「先生の“せ”もまだ取れてないけどな(笑)」


ケンタは自分のヘルメットを指でとんとん。

「おれは建設の現場に出ながら、夜は高校卒業資格取りに夜間学校行きよる。そんで次は一級建築士。時間かかるばってん、現場で使える図面、自分で引けるようになりたか」

優子「かっこよ。図面で“だいじょうぶ”置ける人は、強い」

光子「安全第一ステッカー、今度あげるね」


翔太が湯呑みを並べる。

「ほい、麦茶。冬でも麦茶派」

ケンタ「お茶菓子は業スーのやつで失礼します」

優子「最高の響き」

光子「業はスーでも情は厚い」


ひと息ついたところで、二人は姿勢を正す。

光子「うちらね、高校卒業しました。それで、月末から東京の音大。しばらく会えんごつなるけん、顔見に来た」

優子「行ってきます、言いに」


翔太は口角を上げて、でも目の奥がちょい潤む。

「そげん立派になって……。悪さしよった昔の俺に教えちゃりたいわ。『真っ直ぐな道はおもろいぞ』って」

ケンタ「連絡はせないかんよ? なんかあったら**“現場の兄ちゃんズ”**がすぐ動くけん」

光子「米は川原おっちゃん担当、おかずはこっちで見つける」

優子「詐欺電話は一秒で切る、録音、報告」

翔太「学んどる学んどる(笑)」


ケンタが棚から小袋を二つ。

「作業手ぶくろ(薄手)と耳栓。東京は工事も電車も音が大きかけん、**“静けさの余白”**つくりやすいごつ」

優子「実用的すぎて愛」

光子「音は味方やけんね、静けさも味方」


翔太が、お守りを胸ポケットに差し込みながら言う。

「二人とも、向こう行っても肩で風切らんでよか。背筋は伸ばして、鼻は伸ばすな。それと、毎日、**“おはよう・ただいま・ありがとう”**言い合え」

ケンタ「図面より先に挨拶やけん」

優子「うん、忘れん」

光子「朝、置いて行ってくる」


帰り支度。玄関で靴を履きながら、優子が振り返る。

「二人の**“いってきます”**も、聞かせて」

翔太とケンタが顔を見合わせ、同時に笑う。

翔太「いってきます。子どもらの“ただいま”守ってくる」

ケンタ「いってきます。安全と設計、積み上げてくる」


ドアの向こう、風が廊下をひゅうっと抜ける。

光子と優子は自転車にまたがり、ハンドルに手を置いた。

「人も味方、ここにもおった」

「うん。ただいまの場所、増えたね」


ペダルを踏むと、影が二本、同じリズムで伸びた。

夕方の色が少しだけ濃くなって、四人分の**「いってきます」**が、町の屋根の上にふわっと積もっていった。




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