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第92話 黒猫⑥

「あはは、な、何言ってんの?急に咲良ちゃんなんてどうした?いやー、知り合いだったとは、まいったね」


 2人の間に沈黙が訪れる。何故、紅麗奈さんが咲良のことを知っているのか、どこまでのことを知っているのか、聞きたいことは山ほどある。おちゃらけて、何とも思っていない体を装ったが、彼女にはお見通しなのだろう。


「2人は友達なの?いったいどこで……」

「そっか。咲良ちゃんから聞いてないんだね。……私のおばあちゃんが宮城にいることは、知ってるでしょ?」

「あ、あぁ、隣町に住んでるって母さんから聞いてる」

「私も小さい頃から遊びに行ってたし、実はきーくんの家の隣から引っ越した後も何度か遊びに行ってたの」


 紅麗奈さんは再び、柵に手をかけて夜景を見ながら口を動かし始めた。俺もそれに倣う。対面したまま話す気概はなかったから、俺にとって都合が良い。おそらく、紅麗奈さんにとってもそうなのであろう。


「そこで、小さい頃から良く遊んでいたのが咲良ちゃん。おばあちゃんの家と同じ地区に住んでいたみたいなんだけど、あの辺りも田舎だから、同学年の女の子が貴重だったみたいでね。それなりに仲良くさせてもらってたんだ。去年はこっちで遊んだりしたんだよ。あはっ、初めて聞いたでしょ?」


 紅麗奈さんの視線を感じて顔を横に向ける。少し落ち着いたのか、顔の強張りが和らいでいるように感じた。


 彼女の問いについては、そのとおりと言う他ない。咲良が宮城県出身だと言うことは聞いていたが、そこでどんなふうに育ったか幼い頃の話しを積極的にすることはなかった。まさか、紅麗奈さんと咲良が知り合いだったなんて思いもしなかった。


「咲良ちゃんと歩いてるとね、おじいちゃんおばあちゃん達が姫ちゃん姫ちゃんって手を振ってくるの。何でだと思う?」

「そりゃあ、小さい女の子が2人で歩いてたら可愛いからでしょ」


 紅麗奈さんは首を横に振る。


「咲良ちゃんが特別だったからだよ」

「特別可愛いってこと……じゃなさそうだな」

「彼女のお母さんの実家は、かなりの地主みたいでね。いわゆる名家ってやつ。いずれ後を継ぐ咲良ちゃんは、まさにお姫様なんだよ」

「後を継ぐ?なんでそんな!?柳也さんだっているじゃないか!」

「それは教えてもらえてたんだ。私は会ったことないけど、お兄さんは、おじいさんと折り合いが悪くて高校生の頃から都会の学校の寮生活だったらしいよ。就職してからも、帰ったりはしていないみたい」


 歳の離れた咲良のお兄さんである柳也さん。何かにつけて咲良さんのことを気にかけていた彼であれば、可愛い妹の将来をこんな時代錯誤な理由で固定してしまうような選択を良しとしないはずだ。よっぽどのことがあったのだろう。


「今日、何度も咲良ちゃんのこと考えてたでしょ?一緒にいても、私じゃない人を見る顔をしてた」

「そんなこと……」

「ごめん、きーくん。私ね、夏祭りで2人が楽しそうにしているところ見ちゃったの」


 夏祭りの楽しい記憶も随分前のことのように感じる。あの場面に出くわせば、誰だってそういう関係だと思うはずだ。しかし、それは過去の話。


「でも、結局、夏祭りの後に会えないままだよ。……咲良とは、もう何もないと思うんだ。このまま友達の関係であることが、彼女にとって良い選択だったんだ」


 この場所の雰囲気がそうさせるのか、思わず本心を吐露する。あの別れ方は一方的な拒絶と同じだ。ずっと認めていなかった思いをぶつけられる相手がいて、ようやく本音を口にできた気がする。


「だめだよ。そんな心にもないこと口にしちゃ」

「そんなこと……ないよ」

「ほら、嘘だ」


 すぐに否定できない自分が情けない。紅麗奈さんは笑ってみせているが、その心の内は分からない。

 結局のところ俺は咲良のことが好きなのだ。1度恋してしまったのであれば、簡単に諦められるはずもなく。ただ、自分が傷付かない方へ流れていただけだ。それでは、どちらに対しても失礼になる。もちろん、自分自身に対しても。


「きーくんは、咲良ちゃんがどこにいるかは分かっているの?」

「地元に帰っているとは、聞いてるけど、理由は分からない」

「それも嘘。私と話しているうちに、何となく推測はついているんじゃないの?」


 咲良が大学を休んでまで地元に帰る理由。紅麗奈さんがくれたヒントを基に導き出せる答えは1つだ。

 俺は返事の代わりに1度頷く。


「じゃあ、私が教えられるのはここまでだよ。後は悔しいから教えてあげない!少しくらいの仕返しなら可愛いもんでしょ!」

「……紅麗奈さん、ありがとう」

「な、何言ってんの?お礼を言われるようなことしてないし。辛そうなきーくん見ている方が辛いし、それに……私は黒猫だから、これで良いの」


 これで良いと言い切る割には、紅麗奈さんこそ辛そうな顔をしている。俺は、そんな彼女を見ていられず一瞬目を逸らしたが、またすぐに彼女を見つめた。そうしなければいけないと、そう思った。


「きーくん、1つだけ教えてもらっても良いかな?」

「うん……」

「私が引っ越す時に手紙と一緒にくれたプレゼントの中身って覚えている?」


 紅麗奈さんが俺の隣の家から引っ越す時に、母さんに促されて渡したプレゼント。

 俺には、その質問の意図は分からないが、彼女にとっては重要なことなのだろう。潤んだ瞳がそのことを物語っていた。しかし、俺にはその思いに応えられる答えは持っていない。


「ごめん……思い出せない」


 嘘だ。思い出せないのではなく知らないのだ。俺はその中身を知らない。なぜなら、プレゼントを買って来たのも包装したのも母さんなのだから。


「……そっか。うんうん、やっぱりそういうことだったか」


 紅麗奈さんが、何かに納得したような、笑みすら浮かんできそうな表情をした。おそらく、彼女も事の顛末について予想がついていたのだ。それが、俺のはっきりとしない回答によって裏付けされてしまった。そんなところだろう。


「寒くなって来たし、もう帰ろっか。駅まで送ってあげる!」


 そう言って、紅麗奈さんが俺の腕に抱きつく。触れた部分が優しく温かい。俺には振り解くことなんて出来ず、そのまま登って来た階段の所まで引っ張られるような形で移動する。

 

「く、紅麗奈さん……」


 階段を降り始めたところで、俺は彼女の名前を呼ぶ。


「お願い。下に着くまでは、こうさせて……」


 紅麗奈さんは、声に反応して動きを止めたものの正面を向いたままだ。

 そして、1段1段噛み締めるようにゆっくりとした動きで階段を下る。


 時間が経つほど麓が近づく。近づくほどに俺達の関係も変わっていくのだろう。それが悪いことなのかは分からない。だが、紅麗奈さんとの再開によって、俺の人生に何らかの影響が生じることは間違いなかった。

 次回更新は、12月28日(水)の予定です。

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