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第52話 ノワール④

 秋が過ぎて本格的に寒さを感じるようになった頃、先生に怒られてしょぼくれた顔をしながら歩く男の子が1人。まだ可愛げがあった頃の俺だ。

 日は落ちかけて、辺りは暗くなり始めていた。心細さを感じていた俺に寄り添ってくれたのは野良猫の茶トラ。後ろを歩いてみたり、足の間を通ってみたり。それが段々と面白く感じてきて、思わず笑みがこぼれた。

 家に着く頃には、しょぼくれた気持ちなんてどこかへ消え去ってしまった。気付いた時には、その茶トラもいなくなっていたが、間違いなくそこにいた。

 その後、猫が飼いたいと強請(ねだ)る俺に突きつけられた現実。それは父さんが猫アレルギーだということだった。

 今思い返せば、顔が大きいところがあの時の猫に似ている気がする。


「撫でて欲しいんじゃないんですか?」


 咲良の声で我に帰る。黒猫は正面を見据えてゴロゴロと声を出し続けていた。


「そ、そうなのかな?こんなボスみたいな体格をしてて、意外と甘えん坊?」

「ほらほら、今がチャンスですよ!」


 促されるままに黒猫に手を伸ばす。さっきまで逃げ回っていたのが嘘のように、驚くくらいにすんなりとその綺麗な艶の毛に吸い込まれていく。

 暖かい。三毛猫とも違う毛の感触。反省を活かして、優しく、ゆっくりと撫でる。猫の声が心地良い。


「気持ちよさそう。上手ですね」

「そうかな?咲良も撫でてみなよ」

「いえ、私は見ているだけでいいんです。この子、清隆くんに撫でて欲しいみたいですから」


 香箱座りした黒猫は、その体勢を崩さない。撫でろと催促する時以外は、こちらを見ることもしない。ゴロゴロと鳴いているのは、まだ続けろという事なのか。


 しばらく撫で続けるとゆっくりと体を起こして、またキャットタワーへ登っていった。その間にも撫でようと試みる人はいたが、するりと液体のような動きでかわされてしまった。なんとも悲しい背中である。

 

 残りの時間は咲良と猫談義に花を咲かせた。キジトラが眠る。サバトラがサビの毛繕いをする。黒猫は高いところから見下ろしている。他の猫達もそれぞれ自由に過ごしている。見ているだけで癒される。心の栄養剤。それが猫。


「すみません。退出の時間になりました。」


 あっという間に1時間過ぎてしまい店員が退出を告げる。名残惜しいが、猫達とお別れの時間だ。最後まで堪能するためにあえて最後尾に並ぶ抵抗を見せるが、数秒の差でしかなかった。扉を潜ったところで黒猫がひと鳴きした気がするが、閉ざされた扉の窓からはその姿を見ることは叶わなかった。


「お客様すごいですね!」

「な、なにがですか?」


 お会計をしようと受付に戻ったところで、小動物系店員が興奮気味に話しかけてきた。ぴょんぴょんと飛び跳ねている様子は、まるでウサギである。


「ノワールちゃんがあんなに甘えるなんて、滅多にないんですよ!」

「ノワールちゃん?」


 あ、あの黒猫のことか。受付後ろの写真にもそう書いてある。女の子だったのか。強そうな見た目だったから、男の子だと思っていたのは、黙っておこう。


「優しい人は、動物に好かれるって聞いたことありますよ」

「そ、そうかな?ははは」


 咲良に褒められて悪い気はしない。ノワールちゃんが俺に寄ってきた理由は分からない。単に気まぐれのような気もする。それでも求められるのは悪い気がしない。俺のフェロモンは猫をも狂わせる。


「もし、よろしければ里親になりませんか?」

「里親ですか?」

「はい!この店では、保護猫ちゃん達にキャストになってもらっていて、相性の良い猫ちゃんがいたら、そのまま里親になることもできるんですよ」

「それが出来たら嬉しいんですが、今住んでいるところがペット禁止でして……」


 猫のいる生活。それは幼い頃から憧れていたもの。しかし、悲しいかな今の住まいはペット禁止。実家は猫禁止。後ろ髪を引かれる思いだが、こればっかりはどうしようもない。せめて、俺が社会人であれば、また違う決断が出来たのだろうが。


「そうですか……。残念ですが仕方ないですね。良かったら、お友達にもノワールちゃんのこと紹介してあげてくださいね!」

「そう言うことであれば、ぜひとも!」

「私も紹介します!」


 俺も咲良も保護猫の里親になることは出来ない。せめて、ノワールちゃんも含めて里親になる人が現れるように手伝えることはしようじゃないか。店員さんも「ありがとうございます!」と嬉しそうだ。二言三言雑談し、いよいよこの店ともお別れの時が来た。心の内でまた来ようと誓う。


「それでは、お会計ですね。お2人様で2,000円です」

「割引券お願いします」


 咲良がサークルの友達から譲り受けた割引券を出す。しかし、それを確認した店員が申し訳なさそうにして、隣にいるきつね顔の店員に相談をしている。俺達の次の時間のグループをさばいたばかりの彼女は、少し疲れたのか機嫌が悪そうだ。


「すみません。この割引券、期限がもう切れているみたいです」

「えっ!?そんなはずは……本当だ」


 オープン記念とデカデカと書かれている割引券に記載されていた有効期限は、オープンから1週間だった。咲良らしからぬ凡ミス。友達の言ったことだ。そのまま確認せず信じたのだろう。


「清隆くん、ごめんなさい。誘ったのは私なので、ここは私が払いますね」

「いいって。俺も興味があったんだし、割引券がなくても一緒に来ていたよ」


 俺は少しでも良いところを見せようと、財布から2人分の代金を払おうとした。財布からお札を出したところで、きつね顔の店員が次のように言った。


「割引券は使えませんけど、カップル割があるので割引しますね」

「カ、カップルですか?」


 これまで淡々と事務作業をしていたきつね顔の店員が、「カップルじゃないんですか?」と不思議そうな顔をしている。やはり、周りからはそう見えているのか。正直、嬉しい。カップルが多い理由はこれか。


「そ、そうです!仲良しなんですよ!ねぇ?」


 沈黙していては怪しまれると思ったのか、咲良が咄嗟に叫んだ。そして、俺に目配せをしている。この芝居に乗れと、そういうことなら任せておけ!


「そそそうなんです!ななな仲良しこよしで!はははは!」


 見よ!この完璧な演技!店員さんも「そうですか」と納得して、無事に会計が終了した。カップル割がなくとも、大した金額ではない。得するのはせいぜい数百円。周りが受けているサービスを受けられるならありがたく頂戴しようじゃないか。


 帰り道、妙に咲良の機嫌が良かったのだが、その理由は教えてくれなかった。「秘密です!」と無邪気に笑う彼女の笑顔を俺は胸に刻んだ。

 次回は9月14日(水)更新の予定です。

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