今日私は小さな嘘をつきます②
***7
【各国が差し出した『最も愛する妃』たち……唯一王妃を出したのはセグナス国だけであった。それによってセグナス国は唯一自治国としての統治を許された。何故なら、帝国の王は『最も愛する妃』が王妃でない国々に対しこう言ったそうだ。『王妃こそ最も王を愛し、最も自国を愛し、その身を捧げる存在である。そのような存在としての王妃こそ、最も愛する妃である。王妃がそのような存在でなかった国だからこそ、こうして我ら帝国の前に膝を折ったのだろう。国として成っていなかったのだから』と。
帝国の王は、妃を人質に出させることで各国の真実と忠心を明らかにさせたのだ。帝国の王を籠絡させようとした妃の国は王権を奪われ帝国領に。側室の誰か一人を単に見繕っただけの国も王権は無くなり自治領に。言葉通り最も愛する妃(側室)を出した国のいくつかは属国にと大陸の様相は一変した。ただ、セグナス国だけは帝国の信頼を得て、国として成ることを許されたのだ。帝国の王はこうも言った。『今後、悪き王がたったとき、良識の国として王を正す任がセグナス国にあるのだ』と。『常に鏡たる国として、王と王妃のように二国が成ることが大陸の平和に繋がるのだ』とも】
「ははうえ」
両腕を伸ばして私に抱っこをせがむ息子を抱き上げます。
「リシュアン、何を持っているの?」
リシュアンの手から緑が溢れています。ニパァと笑ったリシュアンが手を広げました。
「まあ、摘んできたのね」
「ロゼリーにと、リシュアンが頑張って摘んでいたよ」
背後から現れたあなたは、ひょいとリシュアンを奪っていきました。リシュアンはあなたに抱っこされてきゃっきゃと騒いでおります。
「アカツメクサが好きなのだろ?」
あなたは、リシュアンの手からくたってしまったアカツメクサを取り、私に差し出しました。思い出すのは花冠と指環です。アカツメクサを一本受け取り、茎をくるりと結びました。花の指環の完成です。指にさしてリシュアンに見せました。目を輝かせ嬉しそうに笑っています。
「……ロゼリー、三年が経った」
あなたが突如発した言葉に、三年前がよみがえります。三年間がよみがえります。狂おしい程の愛を知りました。
「セグナスから使者が来ている。お前との接触は三年間禁止としてきた。それが開けたのが今日なのだ。三日前よりすでに国都に入り、この日を待っていたのだろう」
私は首を横に振りました。会うことはないのです。三年前、別れの言葉を残したのですから。
「強情だな。私の求婚を受け入れないように、何とも強情な妃だ」
「まあ、何を言うのです。私はすでにセグナスの王妃ですもの。重婚などできませんのよ」
「はぁ、二十九回目の求婚も断られてしまったよ。私は早くリシュアンの父になりたいのに」
肩を落としたあなたを、リシュアンがペチペチと叩いております。手に残っていたアカツメクサがあなたの頭にのりました。ソッと手を伸ばしアカツメクサを取ります。
「何だ、お揃いだったのになぜ取ってしまうのだ」
私は笑ってしまいました。あなたは本当に優しい方ですのね。
「代わりに、私が会おう。ただし、リシュアンを連れてだ」
あなたの真っ直ぐな瞳が私を射ます。優しいのに、酷い方。いいえ、酷く優しい方なのですわ。だって、そう言われてしまえば私はこう答えるしかないのですから。
「私がお会いしますわ」
と。あなたはニッコリ笑いました。悔しいのに、心があたたまります。あなたは酷く優しい方ね。
「まあ、伯爵ですの?」
使者はあの伯爵でした。会ったとたん、深々と頭を下げられました。
「伯爵、少しおハゲになりました?」
ガバリと上げた顔が赤くなっております。
「冗談ですわ。頭を下げられることなどないのですから」
伯爵は赤くした顔をサッと変え唇を食んでいます。眉間のしわが深く険しい顔ですこと。こんなに表情を変えるなんて、伯爵はどうしてしまったのでしょう。
「いいえ、王妃様。私は間違っておりました。私には王妃様に頭を下げるだけの罪がございます。王様の」
「止めよ」
私は伯爵を制します。セシーのことは言わないで。だから、私は卑怯な言い方をしますわ。
「セグナスの使者たるお前が、『個人的』発言をすることは許されない」
「……はい」
「用件を述べよ」
「『会いたい、ただその一言だけを伝えてくれ』王様のお言葉です」
「私は人質です。会うことは帝国に仇なすこと」
「ええ、わかっております。王様が伝えたいことはただ『会いたい』というお気持ちにございます。たったその一言だけでもいいから、伝えてくれと……私は……私は、頼まれたのです」
セシー、私も『会いたい』です。ですが、会うことはできぬのです。何と答えればいいのでしょう。セグナスの王妃として、ロゼリーとして、セシー貴方が心をいためない言葉が浮かびませんわ。
「失礼、いいかな」
なんて、酷い方なんでしょう。突然現れたあなたは、リシュアンを抱っこして入ってきました。ですが、リシュアンは眠っているようで安心しました。
「ロゼリー、はい」
あなたはリシュアンを私に預けてくれました。私は伯爵に背を向けます。
「さて、セグナスの使者よ。私と話そうではないか」
背後ではじまった話し合いから退くように扉に向かいます。
「ロゼリー、君にも関係のあることだからここに居なさい」
冷や汗がつたいます。どうしたらいいの。ここに居てはだめなのに……あなたは酷い方ね。私は重い足を引き摺るようにあなたの隣に座りました。
「見てお分かりのように、ロゼリーにはもう愛する者がいる」
あなたは酷く優しい方。私は、横のあなたに微笑みます。そうね、これしかないものね。この答えしかないもの。
「ええ、『愛する者と離れたくはない』そうお伝えして」
伯爵は目を見開きました。
「もしや、そのお子は……」
「愛する者の子よ」
穏やかに言い切りました。そして、あなたに視線を移します。あなたは頷きました。これでいい。これで、伯爵は引いてくれるはず。
「行きなさい、ロゼリー」
その一言がほしかったのです。私はホッと一息つきます。リシュアンの頭を優しく支え立上がりました。
「んっ、ははぅぇ」
ダメよ。起きてはダメ。いいえ、開いてはダメ!
「る、り?」
伯爵の呟きに私は足を素早く動かします。あなたも立上がり、伯爵との壁になってくれました。
私は足早にその場を離れましたの。瑠璃色の瞳が私を見つめます。私の『愛する者リシュアン』の瞳が。
***8
「私はロゼリーにもう二十九回求婚してるのだよ。一度も頷いてはくれないがね」
帝国の王はそう私に言葉の牙と安堵を与えた。そして、焦りと。
「セグナスの王よ、私は貴方が羨ましい」
「……私はあなたが羨ましいですよ、ローゼといつも会えるあなたが」
狂おしい程の愛を知った。心が引き裂かれるような愛を知った。身体の半分が失ったような愛を知った。泣くことも許されぬ愛を知った。私はなんと愚かだったのか。
「人質を返してください」
「嫌ですね」
間髪いれずの答が返ってきたのは想定内だ。それも『嫌』だとの返答。この帝国の王もまたローゼを失いたくないのだろう。『できない』ではなく『嫌』だとの感情的な答はそういうことなのだ。ならば、こう言うしかない。
「良識の国として言わせてもらいます。セグナスの王妃と……息子を返していただきたい。人質を取られたままでは、良識の任はできません。帝国に『最も愛する者たち』を捕らえられ、非を是としか進言できませんから。帝国に追従するしかないのですから」
「別に返さなくてももっと良い方法がありますよ。私はそのためにここセグナスに来たのです。……ロゼリーと離縁ください。私は『最も愛する者』しか後宮に入れないと決めているのです。ですから、私は未だに妃がいない。欲しいのはロゼリーだけ。ロゼリーと我が息子だけ」
クソッ、私の返答も帝国の王には想定内だったようだ。そして、辛辣な言葉の牙をまたも私に向けてくる。
「私の息子です。あなたの息子ではないはずだ」
伯爵から聞いている。その子の瞳の色の瑠璃を。我が子たる証の瑠璃を。
「何をおっしゃいます? 帝国で生まれたのです。我が息子ですよ、セグナスの王よ」
これほどまでに怒れるものだろうか。私は全身の血が逆流するかのような感覚に襲われている。あの包まれる愛をこの帝国の王は知っているとでも言うのか。ローゼがこの帝国の王に華を咲かせたと言うのか。あの色をこの帝国の王も見たと言うのか?!
「三年前、『最も愛する妃』を各国から召しました。各国の処遇を決めるためにそう命じたのです。『その身ひとつで遣えよ』これを各国がどう判断し、どう行動するか……どのような妃を出すかで国々を見極めました。処遇が決まり妃らは返しました。だが、私は唯一ロゼリーだけを帝国に留まらせた。どうしても返したくなかったのです。『その身ひとつで私に遣えてほしい』最初の求婚の言葉です。今に至るまで頷いてくれていませんがね。
貴方は、幼い頃より長い時間ロゼリーと過ごせました。私はたった三年しか過ごせていない。貴方がロゼリーと過ごした時間と同等の時間を私が主張してもいいはずです。その主張を覆せますか、当時『最も愛する妃』でないロゼリーを送ったあなたが。ロゼリー以外にうつつを抜かしていたあなたが。私が知らないとでも思っていましたか? ……か細い心で凛とたつロゼリーが、その不安定な足元で私に寄りかからず帝国で過ごしていたなどという甘い考えを、まさかお持ちではないでしょうね? あの子は……リシュアンは私の子だ。ロゼリーとリシュアン、私は二人を守り続けたい。そろそろ手放してあげてください、セグナスの王よ」
頭をガツンガツンと攻めてくる言葉たち。その内容はまたしても私の心に牙をたてる。甘んじて受けねばならぬ言葉だ。だが、それでも私はあきらめない。その言葉を受け入れるなら、帝国の王の言葉でなく……ローゼだけなのだから。私に引導を渡す者はローゼだけなのだから。
「あなたの言葉を鵜呑みにしろと? あなたの言葉に嘘偽りがなかったとしても、それを受けるなら……離縁を受けるなら、ローゼからしか私は受け入れない!」
***9
「では、真っ向勝負をしましょう」
帝国の王の言葉に、背後に控える両国の従者らが一気に緊張する。今さら剣を交えて戦うことなど互いに思っていない。
「どのような勝負を?」
そう問うて、背後を鎮ませる。
「勝敗はロゼリーに決めてもらわねば。そうですね……贈り物を、ロゼリーが心動かせる贈り物。誰からの物であるとは知らせずに、ロゼリーが先に手にした物を贈った方に、彼女との時間が与えられる。これなら、ハンデはない。貴方は長い時間ロゼリーと過ごしたが、今のロゼリーを知らない。私は、過去のロゼリーを知らないが今のロゼリーを最も近くで見ている。
ロゼリーが私の贈り物を取れば、離縁をしていただきたい。ロゼリーが貴方の贈り物を取れば、ロゼリーに会って話すことを許可しましょう。その後はロゼリーの判断に委ねます」
勝負に勝っても簡単には引かないと言うことか。流石は大陸を統治する覇王だ。だが、私は会わねばならない。ローゼの口から聞かねばならない。それがどんなに残酷な答であったとしても、私は……会いたい。
「いいでしょう。受けます」
「では、その場は改めてお知らせします。今回の会合はこの辺で」
帝国の王は颯爽と帰っていった。その足はきっとローゼに所に向かうだろう。三年も会えない私と違い、すぐに手に届く場にいるあなたが羨ましい。いや、嫉妬で狂いそうなほどだ。その感情にまた自分の愚かさを知る。三年間、何度も何度も思い知った愚かさを。大切な者を気づかなかった愚かさを。
***10
「決して動かないでください」
私は目礼し頷く。
「あそこのティーテーブルでほぼ毎日ロゼリーとお茶をします。それが、人質であるロゼリーに課した役目です」
帝国の王が指さした場所を見つめる。そこにローゼはいないのに、何かの痕跡を見つけたくて見続けてしまう。
「そろそろ来るかと思います。もう一度言います。決して動かないでください」
「わかりました」
やがて、遠くから華やかなドレスを着たローゼがやって来た。駆け出したい衝動をグッと抑え込む。
「小さな使者に贈り物を託しました。もう一度言いますよ。決して動かないでください」
小さな使者がトテトテと覚束無い足取りで、侍女に気遣われながら歩いてきた。ああ、あの子が……あの子が、私の息子だろう。その時、ぐいっと肩を掴まれる。
「動かないでください」
無意識に体が前のめりになっていたようだ。
「すみません。無意識の衝動です」
「……わからなくもないですがね」
小さな使者の手には二つの小箱。一つは私が用意した瑠璃色の箱。もう一つは、帝国の王が用意したであろう赤紫色の箱。青と赤の対比は遠くからでもよくわかった。
……
……
「ははうえ、これあげる」
リシュアンの手からこぼれ落ちそうになっている小箱を受け取ります。
「どこから貰ってきたの?」
小箱がとても高価な物であることは明らかですもの。リシュアンは目をパチパチさせています。隣の侍女に視線を移しますが、困ったように微笑むだけです。
「あけて、ははうえ」
困りましたわ。帝国の宝物かもしれません。
「リシュアン、元の場所に返してきましょう。私も一緒に行きますから」
「いっしょにあけるの」
目を潤ませてイヤイヤをするリシュアンを抱き上げました。
「ロゼリー様、中を見てからでもいいのではないでしょうか?」
侍女がハンカチを出してそう言いました。私はハンカチを受け取り、リシュアンの瑠璃の瞳からこぼれた涙をソッと拭います。
「開けたらいいのね、リシュアン」
リシュアンは小箱に手を伸ばしています。嬉しそうに笑っていますわ。先程の涙はどこに消えたのかしら。
リシュアンと一緒に小箱を開けました。リシュアンと同じ瑠璃色の小箱から、そして赤紫色の小箱。
「まあ……リシュアン、贈り物なのね」
「ははうえ、どっち? ねえ、どっち?」
「うふふ、こちらよ」
私は赤紫色の小箱を手に取りましたの。
……
……
「さて、セグナスの王よ。ロゼリーは赤紫色の小箱を手にしたようです」
「……」
ローゼ、もう私を想っていないのか? ローゼが今も私を想ってくれていると信じていた。私はさらなる愚か者になったのだろうか。
「最初から、あなたに勝ち目はないのですよ。私はあの赤紫色の小箱をリシュアンに託しましたから。ロゼリーが心動かせる贈り物、それはリシュアンからの贈り物でしょう。卑怯だなどと言わないでくださいね。ただし、あなただって卑怯な贈り物をしたはずだ。あなたとロゼリーにしかわからない贈り物をね」
私はこの帝国の王に敵わないのだ。きっと、こうなることをこの帝国の王はわかっていたのだろう。
「行きましょうか、セグナスの王よ。答え合わせをしないといけない。ロゼリーに会うことを許可しましょう。ただし、私と一緒にです」
「いいのですか……会ってもいいのですか」
ああ、情けないことに涙が伝ってしまった。私はどこまで情けない男なのだろう。本当は、手放さなくてはならないのに。離縁を受け入れねばならぬのに。颯爽とここから去る気概を見せねばならぬのに。セグナスの王たる姿を示さねばならぬのに……
「行きましょう。そして、全てを受け入れてください」
……
……
「……どうして?」
声が震えます。セシー、どうして貴方がここにいるのです?
「今日のお茶会に特別に招待したのだよ」
あなたはなんて酷い方。どうしてこんなに酷く優しいのでしょう。
「リシュアン、挨拶を」
あなたに促され、リシュアンはちゃんと立って頭を下げます。
「こんにちは」
けれど、まだ幼いリシュアンはすぐに私に抱っこをせがみます。
「……こんにちは。いくつかな?」
しゃがんだセシーは、リシュアンに視線を合わせて問うています。リシュアンは、ちらりとセシーを見てパチパチと瞼を動かしていますわ。
「いっしょ」
「ん?」
「おめめ、いっしょ」
ガクンと膝が崩れます。リシュアンの言葉を覆すなんて私にはできませんから。
「そっか、いっしょだね。リシュアン、抱っこしていいかい?」
ああ、ダメよ。こんなこと願ってはいけなかったことなのに。諦めていた未来なのに。その姿を瞳に焼き付けたいのです。
「だっこ……」
ぽつりと呟いた拙い言葉は、私とセシーとを行き来してから、おずおずと同じ瞳に手を伸ばしました。セシーは嬉しそうに、けれど潤んだ瑠璃でリシュアンを抱き上げましたの。
「ロゼリー、リシュアンは何を贈ったのかな?」
酷く優しいあなたは、優しくてちょっと寂しげな瞳で訊きました。私は赤紫色の小箱からアカツメクサを取り出しました。ぐちゃぐちゃに茎が曲がっていますが、なんとか輪っかになっていますのよ。
「ああ、アカツメクサの指輪だね」
あなたはわかっていたのに言ったのですね。三年も一緒にいたのですよ。あなたのやり方などわかっておりますわ。きっと、あなたはリシュアンと一緒に作ったのでしょうね。リシュアンに手ほどきをしたのでしょうね。
「……リシュアンが?」
セシーが、リシュアンのそれを見ます。私の手にあるアカツメクサの指輪に皆の視線が移りました。
「ぼくの! ははうえ、うれしい?」
リシュアンは元気いっぱいに声を出して私にニコニコ笑っています。
「ええ、嬉しいわ。一番素敵な贈り物をありがとう」
セシーから手を離し、私に伸ばすリシュアンの手を抱き上げます。
「セグナスの王よ、納得しましたか?」
「ええ、受け入れます。この勝負に私が勝ってはいけない。いや、勝つなんてできないから」
何の話をしておりますの?
「赤紫色の小箱は私からの贈り物、瑠璃色の小箱はセグナスの王からの贈り物。ロゼリーが赤紫色の小箱を選んだら、セグナスの王との離縁。ロゼリーが瑠璃色の小箱を選んだらセグナスの王は君と会って話せる。そういう勝負をしたんだよ。私は卑怯な手を使ったがね」
私の疑問にあなたは答えてくれました。あなたは本当に酷く優しい方。あなたは瑠璃色の小箱を開けました。優しく寂しげな瞳で。
「参ったな。二人ともに同じ贈り物か」
瑠璃色の小箱からもアカツメクサの指輪が出てきます。セシーが作った指輪ですね、きっと。
「私の負けです、セグナスの王よ。同じ贈り物とは、正しくその瞳のようだ」
あなたは、どこまでも優しい方ね。
「……いや、あなたは最初からわかっていた。こうなることを。こうなるように」
セシーは悔しそうに呟きました。あなたは肩をすくめ、『そんなわけないでしょう』と笑っている。笑っているの? 泣いている? 私はあなたの瞳を見つめます。つと反らされた瞳に、私の心が……冷えていきました。落ちていきました。胸がとてもいたいのです。
「ロゼリー、君は自由だ。この帝国に縛られることはもうないよ。帰りなさい、セグナスに」
まるで、あの日の私を見るようです。あの日、『好きな人がいるのです』と告げた私のよう。ねえセシー、貴方もわかるのではなくって? セシーを見ると困ったように笑っています。ならば、私は言わねばなりませんね。
「私、セグナスに参りますわ」
「今度こそ、最上級の愛を捧げよう」
セシー、ありがとう。私たちは共犯者ね。セシーにちろりと舌を出しました。貴方はクックッと笑っているはずね。口を手で隠していますもの。
酷く優しい方には、少しの仕返しをしなくてはなりませんわ。
***11
今日も優雅にお茶を飲みますの。隣にはリシュアンがアカツメクサで冠に挑戦しています。
「……お前は、なぜここにいるのだ?」
「まあ、酷い方ね。ここで毎日お茶をするのは私の役目ですわ」
「……セグナスの王に酷いことをされたのか? 逃げてきたのか? 許せん! 俺が仕返しを」
「酷いことをしたのはあなたですわ!」
「しょうだ! ぼくのかちなの!」
リシュアンも私の味方のようね。あなたは酷く馬鹿な方ね。リシュアンを味方につけたつもりでしょうが間違いよ。『赤紫色の小箱を母上が選んだら、お馬に乗せてあげよう』なんて、子供だましのようなことを約束するからだわ。リシュアンは、セグナスに参るときも頑としてセシーの馬には乗らなかったのですから。
「セグナスで離縁が成立しましたわ。私、セグナスに『帰る』とは申しておりませんわ。『参ります』と言ったもの。離縁の手続きをするために参りますと言いましたわ。『帰る』場所はここよ。ここ……あなたの居るここだもの」
「おうまにのるの!」
リシュアンったら。赤紫色の小箱をあなたに差し出して見せています。
「ぼくのかちなんだから!」
「何を……」
頭をかきむしるあなたに、私は満足ですわ。セシーもきっと満足していることでしょう。今頃、してやったりなんて顔をしていますわね。やられてばかりだったと悔しがっていましたもの。今から、セシーの分も仕返ししますわ。
「セシーから、最上級の愛をいただきました。離縁していただく最上級の愛を」
「ば、かな……なぜだ」
「なぜだと問うのですか? わかりませんの? 酷く優しいのに馬鹿な方ね」
あなたは乱暴にどかっと椅子に座りました。侍女がすかさずお茶を出します。熱いのに、ごくりと一飲みしてしまい顔を上気させています。
「私、小さな嘘をつきますわ」
立上がり、あなたの耳元で告げますの。
「三十回目の求婚はお受けしませんわよ。うふふ」
終わり
完結までお読みいただきありがとうございました。