婚約式1
モリーに託した手紙は問題なくウォーレンの手に渡り、ウォーレンの手紙も難なくソフィアの元に届いた。
モリーは信頼出来る使用人だから、手紙もきちんと届けてくれたのだろうし、王宮内で何かが無くなるなど、あってはならないことだ。国で最も警備の厳しい場所である。
だとすれば、王宮から出て、屋敷に着くまでの間に紛失したと考えるのが妥当だ。
どこで、誰が、何のために。
何一つ分からない。
ソフィアの手紙が届かないことで、誰が得をするのか。あるいは、誰かが損をするのか。
――大したことを書いていないのに。
ソフィアは手の中にある、ウォーレンからの手紙を見た。
愛しのソフィアへ、で始まる文面は、甘さの欠片もない内容で、出だしが恋文のようだったから、少し肩透かしを食らった気になる。
スカーレットが毎日3時間おきに、ソフィアはまだかと言いに来る、王妃陛下と王太子妃殿下も朝と晩に尋ねてくる、ジーナを始め侍女達も待っているから早く戻って来て欲しい。
ウォーレン自身のことはあまり書かれていなかったのは、恥ずかしかったからだろうか。もっと書いてくれれば良いのに、とソフィアは思う。
もちろん、ソフィアからの手紙にも、そんなにあからさまに愛を囁くようなことは書いていなかったから、それに合わせてくれているのかもしれないが、期待したのに、と少し面白くない。
その時、不意に、ソフィアの頭の中に、この思いは自分一人だけではないかもしれない、と浮かんだ。
ウォーレンもそうかもしれない。
そして、ソフィアの、侍従長宛やモリー宛の手紙、もしかすると祖父やミランダ宛の手紙も読んだかもしれないその人も、期待していた内容ではなかったかもしれない。
政治の話や、外交の話を期待して手紙を奪ったものの、大した内容でない手紙にがっかりした可能性もあるのだ。
がっかりしていたら、手紙が戻る可能性も限りなく低い。きっと破り捨てているだろうから。
ソフィアはがっかりして窓から外を眺めた。
ケントは何か考えがあってソフィアの出発を遅らせたのだろうし、今朝も侯爵は何も言ってこなかったから昨夜の話は何らかの決着を見たのだろう。
大きな心残りは、手紙と、後はプリシアの借金の問題。2つともケントに任せてしまった。
侯爵家の後継ぎの問題は、オーネリーが自らやると言ってくれたから、心配はない。
それから、自分が出て行った後に残される離れの皆。モリーと、べティと、カーター・ジェファーソン。あの三人が今後、仕事を続けていけるのかどうか。世話になった三人を放り出すようなことはしたくない。モリーはともかく、ジェファーソン夫妻は年齢のこともあるし、出来るなら、本人達が働きたいと言う限り、この家に置いてやってほしい。
これを侯爵とオーネリーに伝えてからでなければ、ソフィアは婚約式に臨めない。
わがままかもしれないが、あの三人が困るようなことは嫌だ。全部が望み通りになるとは思えないが、少しでも可能性があるなら、それに懸けて頑張るつもりだ。
ソフィアは立ち上がると、厨房へ入った。案の定、べティがいた。
「べティ、訊いておきたいことがあるの」
「はい、お嬢様」
「私がこの家を出たら、何かやりたいことはある? 他に働いてみたいお屋敷や、してみたいお仕事があるなら、教えて欲しいの」
「いいえ、お嬢様。私はこのお屋敷に35年勤めております。他に行く場所などございませんし、こんなに良いお屋敷を出て行こうなど、考えもしません」
「そう。なら、私がいなくなっても、侯爵家をお願いね。とても心配なの」
正直に伝えると、べティは皺の多い顔に更に皺を作る。
「ええ、お嬢様。お任せください」
それがべティの嘘であることが分かってしまった。だが、べティを王宮に連れて行くのは違うだろう。べティに居心地の悪い思いをさせることは、ソフィアの本意ではない。
この屋敷で働くことと、他の屋敷で働くこと、べティには選択肢を用意してあげたいと思う。屋敷はプリシアが仕切っているので働きにくいとは思うが、慣れた場所であることが必要な時もあるし、本当に愛想を尽かしているのなら、新しい場所が必要だろう。
と言って、知り合いも少ないソフィアに簡単に紹介出来る家などありはしない。
ソフィアは箱に衣類を詰めながら思いを巡らせる。先日はドレスも下着も借りていたし、それはそれで不自由もなかったが、やはり使い慣れているものも近くに置いておきたい。
下着と普段着、刺繍の道具、祖父からもらった本や筆記具。ドレスはどうしようかと悩んでいるうちに夕食の時間が来てしまい、片付けなどが済むと後はあっという間に寝る時間になってしまう。
簡単に湯を使い、寝間着に着替えると、ソフィアはそそくさとベッドに潜り込む。灯りや暖房代を考えると、夜は寝てしまうのが一番だ。
屋敷にはまだ灯りがついている。
オーネリーもまだ起きているのだろうか、とぼんやりと考えながらソフィアの思考が闇に落ちる直前、何かの物音で意識が呼び戻された。
ベッドの上で起き上がる。物音は表通りから屋敷に向かう馬車の蹄のようだった。
ソフィアはナイトテーブルの灯りを点けると窓を開ける。大きな馬車が離れの前で止まり、中から現れた姿を見て、ソフィアは窓から離れた。
大急ぎで寝間着を脱ぎ、普段着に着替える。
化粧も髪のセットも間に合わない。足音は階段を上りきり、ソフィアの部屋に向かっている。
ソフィアは鏡台の引き出しからリボンを取り出すと、簡単に髪を結う。
扉はノックもなしに開かれた。
「ソフィア」
ウォーレンの声に、ソフィアの心が震える。
聞きたかった声に、ソフィアは無言でウォーレンに駆け寄る。ウォーレンは何も言わずにソフィアの体を抱き締めた。
「迎えに来た」
ソフィアの耳元で、ウォーレンが囁いた。
「はい、あ、いえ、あの、ウォーレン様。申し訳ありません。私、もう寝ようとしてこんな格好で、はしたなくて」
自分の装いを思い出し、ソフィアはウォーレンから体を離そうとしたが、微笑んだウォーレンは更に強くソフィアを抱き締める。
「気にするな。いや、もう少し遅く来るべきだったか。お前のベッドに忍び込むのは、俺の夢だからな」
「ウォーレン様‼」
ソフィアが咎めると、ウォーレンは快活に笑う。
すぐに笑いを引っ込めると、ソフィアと向き合う。
「すまない、ソフィア。婚約式の日取りを早めた。王宮へ来てくれ」
「え、あの、ウォーレン様、」
ウォーレン本人がこの離れを訪れるなど、誰も考えていなかったに違いない。屋敷の方から凄まじい騒ぎが聞こえる。
「殿下! このような場所へおいでとは」
やって来たのは侯爵だった。後ろにケントもいる。ワイズリー家の侍従長は既に休んでいたのか、上着も羽織っていないし、髪もあらぬ方向に跳ねている。
「侯爵、婚約式の日取りを早めた。明日の昼に執り行う。明日の朝に迎えを出すから、侯爵家から誰か立会人を頼む。ソフィアは身仕度のために今から連れて行く。慌ただしくてすまないな。ソフィアの荷物を誰か馬車へ積んでくれ」
「かしこまりました。ジェファーソン、頼む」
「はい。お嬢様、失礼いたします。こちらでよろしいですか?」
「はい、お願いします」
ケントに向かって頷きながら、ソフィアは荷造りしておいて良かった、と思う。
部屋から荷物を出し終わるのに5分とかからなかった。
「すまない、侯爵。本来ならゆっくり語る時間を設けなければならないところだが、それは後日、改めて作らせていただく」
「はい、殿下。ソフィア、体に気をつけてな」
「お父様も。皆によろしくお伝えください」
ソフィアが言うと、ウォーレンはソフィアに掛布を羽織らせ、横抱きにした。
「ウォーレン様!?」
「夜は馬車も冷えるからな。では、明日」
ウォーレンは言って、そのまま階段を降り、離れを出た。
簡単に抱き上げられた娘を見て何を思ったかは分からないが、侯爵は離れの戸口の前で頭を垂れてウォーレンとソフィアを見送った。
馬車が動き出して窓から振り返ると、侯爵の後ろにケント、ジェファーソン夫妻、モリーが立ってこちらを見ており、屋敷の玄関前でオーネリーが手を振っていた。
オーネリーに手を振り返して、ソフィアは向かいに座るウォーレンを見た。




