04
空には無数の星が小さく光り輝いている。さすがに高い山のように万遍の星空とはいかないけれど。
「流れ星でも見えた?」
自宅の最寄り駅から自宅に向かう帰路、立ち止まって夜空を見上げていた私に対して、美佳子はそう空を見上げながら聞いてきた。
「ううん、流れ星は見てはないよ。ただね、ホッとするんだよね、この星空を見ると。なんか、こう、帰るところに帰ってきたなぁ、って感じるんだ」
「なんか中年サラリーマンみたいなこと言う、女子高生がおるし」
美佳子は残念そうな笑みを浮かべると、回れ右をして夜道を歩き出す。
私達が暮らすこの住宅地は、近くに田園風景広がっており、いまの時期は夜になると蛙のゲコゲコという鳴声が響きわたるようなところ。要するに田舎なわけだが、だからといってド田舎というわけでもなく、ちゃんと近くには二十四時間営業のコンビニや、夜十一時までやっているスーパーなんかもある。ただ、近くに娯楽施設がまったくなく、夜になれば街灯と家から洩れる灯りが帰り道を照らしてくれるという、静かな田舎町。
「ほら、行くよ。気をつけないと、美咲は時々突然いなくなるんだから」
街灯の灯りの下、長い髪をなびかせ身体を翻す美佳子。
「突然いなくなるって、美佳子がすたすたと前へ前へと行っちゃうだけでしょ」
美佳子に追いつくと、横に並んで自宅に向けて私達は歩き出す。
「それって美咲がボケーっとしているからでしょ。さっきもお店から出て、すこしして話しかけて返事がないから振り返ってみたら、さっきみたく空を見上げてるしさ。まったく、この娘は何を考えているやら」
「いろいろ」
「色々ねぇー」
「私だって、ちゃんと考えてる事くらいあるもん」
「それを自慢げに言ったってダメ。この世に何も考えていない人なんていないんだから」
そうやって私達は喋りながら家路につく。
家の前まで来ると、お向いさんの美佳子とは別れ、私は自宅の中に入る。
「お帰りなさい、美咲」
玄関で靴を脱いでいると、ちょうど二階から母親が降りてきた。
「ただいま」
「賑やかに帰ってきたと思ったら、美佳子ちゃんと一緒だったのね。寄り道するなとは言わないけれど、帰りが遅くなるときは連絡の一本くらい入れなさい。そのための携帯なのだから」
「ごめんなさーい。今度から気をつけるよ」
靴を脱ぐと、返事半分に二階の自分の部屋に向かう。
「美咲、汚れ物とお弁当箱ちゃんと持ってきなさいよ。昨日も持って降りてこなかったのだから。ちゃんと持ってこないと明日、お弁当作ってあげないよ」
「はーい」
母親というのは何で、ああ口うるさいものかな。そりゃ、たまにはバッグから出し忘れることもあるけどさ、毎日のように言わなくてもいいのに。言われなくても解っているっていうの。
とか思いつつ、自分の部屋のドアを開く。
部屋に入ると荷物を床に放り投げ、すぐに制服を脱いでハンガーに掛ける。
「帰ってきたんなら、明かりくらい点けたら?」
家着のジャージに着替えていると、ベッドの向こう側から、半袖シャツにショートパンツ姿と言うラフな格好をした里香お姉ちゃんがやって来た。
私の部屋は――と言うより、私と姉の部屋は二部屋が一部屋になっている。もともと子供部屋だったこの部屋は、私達姉妹が小さい頃は一つの大きな部屋で使用し、ある程度成長したら取り外し可能な壁で仕切って、個々の部屋にする予定だったそうだ。しかし、私が小学三年の頃に二段ベッドがこの部屋に導入され、部屋を仕切るかたちに置かれた。これも、そのうち別々にする予定だった。だけど娘たちが成長してみれば、すこしでも部屋を広く使いたいからという理由でそのままになった。ちなみに、ベッドの大きさは部屋より小さいため、ベッドの端からお互いの部屋部分に往来が可能なのだ。
「お姉ちゃんの方が点いてるんだし、別にいいよ」
「そうかい。それはそれでいいけど、携帯の電源は入れておきないさいよ。美咲の帰りが遅いのに携帯が繋がらないから心配してたよ。お父さんが」
ジャージに着替えると鞄の中から携帯電話を取り出す。たしかに携帯電話の電源は入ってはおらず、電源を入れて着信履歴を見てみると、『自宅』という表示が何件かあった。
「おお、ホントだ」
「あんまり心配かけないようにね」
少しくらい携帯電話に出ないだけで心配する親というのも、どうかと思うけれど、まあそれも仕方がないのだけれど。心配されるには、それなりの理由があるのだが、その出来事を三ヶ月経った現在でも心の整理がついておらず、あまり思い返したくない。
「で、お姉ちゃんはそれを言いにきたの?」
「いいや。ちょっと用事頼まれてくれないかな?」
お姉ちゃんはベッドの下の段――いつも私が寝ているところに腰掛ける。
「用事? 私にできる事なら頼まれてもいいけど」
「じゃあさ、健祐くんに借りた本を返してくれない――」
「いやだ」
お姉ちゃんが言い終わるまえに、私はその頼み事を拒否した。その反応にお姉ちゃんは、そう返事されるのが解っていたかのごとく平然としている。
「やっぱり喧嘩したんだ、健祐くんと」
「知っていたなら頼まないでよ。そうだよ、樋口君と喧嘩した。だから、その用事は誠に不本意でありますが、お断りさせていただきます」
「なに畏まっているんだか」
お姉ちゃんは可笑しそうに笑う。
「どうして私に頼むの? お姉ちゃんが直接返せばいいじゃん。付き合いでいえば、お姉ちゃんの方が樋口君とは長いんだしさ」
樋口君との付き合いでいえば私よりもお姉ちゃんのほうが長い。それは、お姉ちゃんと樋口君のお姉さんである智子さんが、高校入学時に同じクラスになり、お互いの家に行き来する関係になった。それで、それぞれの姉達はそれぞれの妹と弟と顔見知りになったというわけだ。でも、それぞれの妹と弟は三ヶ月前まで面識はなかったのだけどね。
「そうムスッとしないの。どうせ同じクラスなんだから、明日には健祐くんと顔を合わすことになるんだし、本を渡すくらいいいでしょ」
「それはそうだけど、だったら智子さんに渡せばいいでしょ。樋口君のお姉さんなのだから。それに一晩寝たからといって、この怒りが収まるとは思えないよ。だから明日、樋口君の顔を見たらその本、破り捨てちゃうかもよ」
そう言いつつ私は、荷物の中から汚れ物とお弁当箱を取り出す。
「破られるのは困るわね。しゃーない、自分で返すとしますか」
お姉ちゃんは若干肩を落としつつ言うと、ズボンのポケットから茶封筒を出すと、その茶封筒から細長い紙を二枚取り出し、私に表面が見えるようにヒラヒラとなびかせる。
「じゃあ、コレも用済みだよね。ああ、せっかく友達にもらったんだけど、用事を頼まれてくれたら、コレをお礼にあげようと思っていたんだけど……そうか、美咲ちゃんはたった一人の姉の些細な用事も聞いてくれないのか.ぁ」
あのチケットは、今、私が一番見たいと思っている映画のチケット。
「たった一人の姉って当たり前でしょ。お姉ちゃんは長女、私は次女なんだからさ、両親が死んで姉妹二人だけ、っていうみたく言うな。それにお姉ちゃんの魂胆は分かっているんだから。どうせ、私に本を返させて樋口君と仲直りのきっかけを作ろう、って魂胆なんでしょ。大きなお世話」
「あら、大きなお世話ですか。だけど美咲ちゃん、妹の交友関係の改善に尽力するほど、私は優しくはないのだよ。智が冬でもないのにインフルエンザに罹っちゃたったから、いちいち一年の教室に行くのが面倒なだけ。というわけで、このチケットは美咲ちゃんにあげる」
「どうゆう理屈よ、それ。貰ったからって、持っていかないんだから」
「うん、それでも構わないよ。どうせ貰い物だし、それに、もともと美咲ちゃんにあげようと思っていたからね。美咲ちゃん、この映画の主演俳優が大好きだもんね」
お姉ちゃんは立ち上がると、私の頭に封筒を載せる。
「どうゆう魂胆よ。じゃあ、樋口君に本を返すという話はなんだったの?」
「言ったでしょ、面倒くさいから美咲ちゃんに頼もうかと思ってたんだって。まさか健祐くんと喧嘩しちゃうんだもん、タイミング悪いよ、美咲ちゃん。喧嘩するなら明日にしてほしかったですなぁ」
お姉ちゃんはそう言うと、軽い足取りで自分の部屋の方に戻っていく。
「ちょっと、このチケットは?」
「使っちゃいな。どうせ公開しているの、今度の日曜日までだけどね」
お姉ちゃんは振り向きニコッと歯を見せて、自分の部屋の方に戻っていた。
「なにしに来たんだか」
でも、納得。コレ、使用期限間近のチケットなんだ。
私は頭の上に載った封筒を取ると、それを机の上に置く。
なんかスッキリはしないけど、貰えるものは貰っておこう。
今度の日曜日までのチケット――って、日曜日までだったんだ、この映画。ここ三ヶ月は平日も休日もなかった、というのは言い過ぎかな。でも、忙しかったのは事実で、中学卒業した直後の私には想像もしていなかった非日常の日々ではある。まあでも、その非日常の日々も、今の私のしてみれば平々凡々とした日常の日々。まったく慣れとは偉大だ。
私の日常にタイトルを付けるのであれば、女子高生魔法使い見習いの忙しく疲れる日々、って付けたいと思うよ。
それくらい自由になる時間が少ないのだから。
いくら時間がないと解っていても、できたら浩市くんと一緒に観に行きたいなぁ、とかとか思っちゃいます。そんでもって、なんとかして浩市くんと映画を観に行く時間を作ろうと強く決心するのでした。
「でも日曜日だし、もう何か用事が入っちゃっているかも。ううん、誘うだけ誘ってみようっと。もし行けないようなら美佳子を誘えばいいや」