03
学校を出た時にはもうすでに日が落ちて、バスから眺める夜の通学路は街灯や家々の明かりが灯っていた。駅前でバスを降りると商業地区や商店街は夜だというのに明る過ぎる光が眩しい。そんな一角に、『幸せの時間』というケーキ屋さんはある。
「で、少しは魔力制御上手くなったの?」
紅茶を飲んで一息吐くと、美佳子はそう聞いてきた、
「さあ。何がどうなれば上手くなった事になるんだかよく分かんないもん。それに今日は全然集中できなかったしさ」
そう言うと、私はフォークでショートケーキの上の苺を口の中に運ぶ。
今いる「幸せの時間」は、店頭販売と喫茶店が合わさった感じのケーキ屋さんだ。ショーケースには色とりどりのケーキが並び、仕事帰りと思われるスーツ姿に人々が買っていく。そして喫茶部分はというと、さすがにこの時間だと制服姿の学生は私たちくらいだけど、十席くらいある客席は女性がほとんど埋めているのだが。スーツ姿の二十代くらいの男性が二人でケーキを食べていた。
「そうなんだぁ。でもさ、最近落ち着いてきたじゃない?」
そう言うと、美佳子は二層になったチョコレートケーキをフォークで縦に切って、それをパクっと口の中に入れた。途端、頬が緩んだ。
「なにが最近落ち着いたの? そのチョコケーキ美味しそうだから、一口ちょうだい」
「うん、いいよ。じゃあ、私も美咲のケーキ貰っちゃお」
私は美佳子のお皿に手を伸ばし、チョコレートケーキをいただく。
チョコレートケーキはスポンジ生地とムースが交互に層をなしていた。スポンジはブラックチョコレートという感じでチョコレート本来の風味が利いていて、甘いムースと合わさり甘さが控えめになり、口当たりもよく、かなり美味しい。
「なにこれ、美味しい!」
「でしょ。最近の私の一番のお気に入りなんだ。このショートも美味しいけど、わたし的にはこのムースが好きなんだよね」
「うん、分かるような気がする。美佳子はこうゆう甘いもの好きだもんね」
私は笑顔で言うとレモンティーを一口飲む。
「それで、私ってそんなに落ち着いてなかったかな?」
そう訊かれ、美佳子は少しだけ戸惑ったような表情をした。でも、すぐにニコッと笑顔になる。
「ん? そうだね、落ち着いてなかったというよりねぇ――そう、落ち着きすぎていたような感じだね。四月の頃はさ、私には構わないでオーラを周りに放ちまくってたでしょ、怖いくらいに。でも、ここ最近はそのオーラも出してないみたいだし、そういう意味で落ち着いてきたんじゃないかと思ったの」
「そりゃ、あの頃と比べれば私だって、少しくらいは成長してると思うし。それに疲れるんだもん、ああやって気を張り続けるのはね。まあ、それも今なって言えることだけど」
「なに気取っちゃってるんだか、まったく。今でも一杯いっぱいなくせに」
美佳子はそう言うと、私の額を人差し指で小突いた。私は文句の一つでも言ってやろうと思ったけれど、先に口を開いたのは美佳子のほうだった。
「それでもケンカできる友達ができたみたいで安心はしたけどね」
「なんのこと?」
けんか? 美佳子がなにを言っているのか判らない。
「ほら、お昼に廊下で言い合ってたじゃない。ほら時々、校庭隅のベンチでお弁当を一緒に食べている男の子とさ。アレ、結構階中に響いていたよ」
言われて思い出した。お昼に同じクラスの樋口君と大声で言い合いなったのを。
「ああ、なんだ、樋口君のことかー」
前言撤回、言われる前から樋口君の事だろうとは分かっていた。ただ、お昼に派手にやり合ってしまったので、少々自己嫌悪であったり、すごくムカついてたりして考えるのも嫌だったから、思い出せないフリをしてしまった。
「美咲、かなり怒っているでしょ。小さい頃から怒ったのを隠そうとすると美咲は、頬を引きつらせて作り笑顔っぽくなるから」
「ううん、べつにー。ぜんぜん怒ってないからー」
ニコニコしながら言うと、美佳子はおかしそうに笑みを浮かべる。
「まあ自分の意見を率直に言うから、美咲が男子とやり合うのは珍しいことではないけどね。それで、なにが原因だったのかな?」
何が原因かといえば、それはくだらない事だった。
『そんなの状況や立場によって変わってくるだろうけど、僕は必要性が高いと思えば秘密がバレそうなら嘘を吐くよ。例えそれが自分の為だろうと、誰かの為だろうとね。でもまあ、上手く嘘を吐けるかどうかは自信ないけどね』
そういう何気ない樋口君の切り返しから、お昼の言い合いが始まった。
もちろん私だって最初から喧嘩腰だったわけではなかったのだけど、次第に樋口君との意見対立が明確になるにつれて、私の口調はだんだんと攻撃的にキツくなっていた。しかも、いつもなら二人の間で意見対立があったとしても樋口君が折れてくれていたのに、今日は珍しく樋口君が一歩も引かない感じで反論してきたから、ついムキになって言わなくてもいい事まで言ってしまった。
それからは売り言葉に買い言葉が続いてしまい、本気で樋口君を怒らせてしまいましたとさ。
「ふーん、そうか。それで言い合いになっちゃいましか」
そう言うと、美佳子は口を大きく開けてケーキの最後の一切れを口に運ぶ。
「それにしても美咲らしいよね。小さい頃から自分が正しいと思ったら絶対に自分の意見は曲げないところがあるからねぇ、美咲は。中学の頃もよくそれで先輩後輩、男女関係なく衝突してたもんね」
それに美咲はすぐに思ったことを口にするから、と美佳子は呆れ顔。
「私だって嘘を吐かないわけでもないし、樋口君の言うことも解らないわけではないんだよ。でもさぁ、嘘を吐くことを肯定しちゃうのは間違っていると思うんだよね、私は。それに嘘を吐くことを肯定する事は、私の正義感に反する感じがしたんだ。だからなのかな、喧嘩になりそうでも自分の意見を曲げられなくて、あんな風に言い合いになっちゃったのはさ」
「ケンカになった理由はそうでしょ。美咲にもその樋口君にも譲れないものがあったから、お互いがお互いの意見に妥協できなくてケンカになっちゃったんだから。そんなの、よくある喧嘩の構図でしょ。で、どうするの?」
美佳子は手に持っているフォークの先端をこちらに向ける。
「何をどうするの?」
「その樋口君と仲直りするのか、って意味だよ。クラスが同じでもあるんだし、早めに仲直りしといた方がいいんじゃないの? こういうのは後々にしちゃうと結構面倒なことになりかねかないよ」
「分かってる。けどね、こっちにも意地というものがあるからね、そう簡単には仲直りはできません」
フォークをお皿に置くと美佳子は、ティーカップを手に取り紅茶を一口飲んだ。
「美咲は良くも悪くもほとんど表裏ない性格だから、そう言うってことはそうなんでしょうね。でさ、お昼を一緒にするような男子といつ仲良くなったの? 美咲が福山君以外の男子とあんなにムキなって言い合っているの、初めて見たよ」
「どうして言い合っている事と、仲良くなる事が繋がるの?」
そこで美佳子の頬は緩んだ。
「気づいてないかもしれないけど、間柄が親しいほどケンカをしている時の美咲は感情的になりやすいんだよ。例えば先輩や後輩と言い合いになっても自分の意見を押し通そうとするだけで比較的冷静だけど、私や福山君の場合は自分の考えを理解してほしいものだから感情的になりやすい――という訳で、その樋口君にも感情をぶつけても大丈夫だと思うくらいは信頼しているんじゃないのかなぁ、と推察してみました」
「確かに樋口君は私の話をちゃんと聞いてくれるし、魔法関連の知識も美佳子ぐらい詳しいから色々と相談に乗ってもらっている友達。そりゃ、ある程度信頼しているけど、それは美佳子や浩市くんとは比べものにはならないよ」
「幼馴染の私や恋人の福山君と比べたらそうかもしれないけど、相談に乗ってもらっているんだし友達としては結構信頼してるんでしょ、その樋口君のこと」
「美佳子さぁ、変な誤解してない? 私、樋口君には友達以上の感情はないからね!」
私がかなり真面目にそう言うと、美佳子は可笑しそうに笑い出す。
「ハハハ、そういう心配か。大丈夫だよ、美咲。美咲が福山君のことを一途に想っている事も、二股をかけれるような奴じゃないっていう事も知ってるよ。でもまあ、二股をかけるような器用さがあれば、誰彼無しに衝突することもないんだろうけどねぇ」
ニヤけた顔をして美佳子は私を見つめる。
「どうせ私は不器用ですよーっだ」
「けどさ、ここ最近は以前の美咲らしさが戻ってきて安心しているんだよ、私」
美佳子はどこかホッとしたような表情になり、言葉を続ける。
「三か月前の事件以降、美咲はどこか必要以上に自分を抑え込んでいる感じがしていたから心配だったんだよ。しかも表情はいつもムスッとしていて、本当に表情を無くしちゃったのかと思ったくらいに表情の起伏がなかった。でも、今はクラスメイトとケンカができるくらいに美咲らしさが、美咲の感情が表に出ている。あの頃に比べるとさ、幼馴染として今の美咲を見ていて安心するんだよ」
美佳子の言う『あの頃』がいつを指すのかは私には判らないけれど、例の事件以降の私は事件に巻き込まれたショックと事件後に色んなことがあったおかげで、必要な事以外は誰とも話しをする気にはなれなかった。それは家族や幼馴染の美佳子にも例外ではなくて、誰ともあんまり会話はしなかった。とにかく誰にも会いたくなくて、とにかく独りになりたかったのだ。
というのが四月頃の私。
「確かに四月頃は周りに対して無愛想だったのは自覚してるけど、そんなに心配をかけるほどに変わり様だった? 私なりに上手くやってたつもりだったのに」
私がそう言うと、美佳子は困ったような笑顔になる。
「全然上手くはできてなかったよぉ、美咲君。それどころか時々強がって見せる空元気の痛々しいこと。まったく幼馴染である私にまで強がらないでよね」
別に美佳子に対して強がったことはないと思うのだが、しかし四月頃の私は周りに気を張りすぎていたところがあったから、そのせいで無意識的に美佳子にも強がっていたのかもしれない。
「ごめんね、余計な心配まで掛けっちゃったみたいで」
まったくだ、と言って美佳子はニッコリ微笑んだ。
「ねえ、美佳子。私、これでも美佳子には感謝してるんだよ。ここまで私が元気なれたのも美佳子が傍にいてくれて、親身に愚痴や弱音を聴いてくれたおかげ。たぶん弱いところをさらけ出せる相手がいなかったら、今頃私は潰れていたと思う。だから、ありがとう」
私は座ったまま膝に手を置き、軽く頭を下げる。
親しき仲にも礼儀あり、である。
「美咲はこういう事を全く躊躇なくできちゃうのだから、本当に感心するよ。そういう自分に素直なところ、私は嫌いじゃないよ」
でも自分に素直なのも時と場合によっては考えものだけどね、と私をからかうような笑顔で美佳子は付け加える。
「重々承知しています」
私はお皿に残る最後のイチゴを口の中へ運ぶ。
「で、ケンカ相手の樋口君はどんな奴なの? 前々から話では聞いていたし、美咲がそれらしい男子とお弁当を一緒にしてるのは時々見かけて知ってたけどさ、あんな美形男子といつの間に仲良くなったの?」
お皿の上にフォークを置くと、樋口君のことを思い浮かべてみる。
「うーん、いつ仲良くなったかといえば、いつの間にかとしか言いようがないかな。まあ、同じクラスだからね」
「彼女とかはいたりするの? ああ、一応言っとくけど、これはただの興味本位だから」
「分かってるよ。美佳子は自分の身長以下の人は眼中にないことくらい」
樋口君の身長は百六十センチくらいだから、自分の身長より身長が高いのが恋人に求める第一条件の美佳子にとっては、樋口君を恋人候補として見ることはない。
「たぶん、いないと思うよ。私に彼氏がいるっていったら羨ましがっていたから。まあ、たしかに樋口君の顔立ちは結構良いよね、女装したら似合いそうなくらい。まあでも、彼女がいないほうが不思議かもね」
「そうだね、あんだけ顔立ちが良ければ彼女の一人は……女装? たしかに女装したら似合いそうだけど、もしかして彼ってそういう趣味だったりするの?」
美佳子はなんとも微妙な表情を浮かべ、私は急いで訂正する。
「似合いそうだっていう話だよ。たぶんそういう趣味はないはず」
「たぶん? はず? っていう事は女装という変態趣味もあるかもしれない事だよね」
「というか美佳子、そうやって私がどういう反応するのかで楽しまないでくれる」
二カッと笑い美佳子は「バレたか」と言った。
「だけど私、樋口君の事あんまり知らないんだよね。話すようになって二ヵ月になるけど、趣味や好きな女子のタイプなんかも知らないもん。知っている事といえば、智子さんの弟である事、魔法関連に詳しい事、聞き上手な事くらいだから」
美佳子はそこで頬杖をつく。
「そんなもんでしょ、話すようになって二ヵ月の友達なら。そんだけの期間で何でも知っている方がおかしいよ。まあでも、今の状況で樋口君のことをもっと知りたいと思っているんだね、美咲は」
「だって、一応は友達……ケンカはしちゃったけど友達だもん」
「それに友達の事をより知りたいっていうのは、その相手ともっと仲良くなりたいっていう事なんじゃないのかな? だったら早く仲直りしちゃった方がいいと私は思うけど、ねえどう思う? 普段は嫌っていうほど素直なのに、でもこういう時は頑ななまでに意地っ張りな、籠宮美咲さぁん」
「美佳子。そのセリフ、前にも聞いた」
私がそう指摘しても美佳子は動じる様子は見せず、若干真面目な表情を浮かべる。
「だってさ、まだ付き合う前の福山君とケンカした時も似たような事をやっているんだから、同じセリフで十分でしょ。そんでもって優しい私が、仲直りしたいのに躊躇っている美咲の背中を押してあげてるんでしょうが」
「別に仲直りなんか……」
したくないと言えば嘘になる。
あのケンカから時間が経つにつれて私の心の中では樋口君への怒りは収まりつつあったけど、それと反比例するように心の中では何かザラついた「もしも、このままだったらどうしよう」という気持ちが徐々に大きくなってきていた。そう私は、いくらケンカをして怒っているからといっても、樋口君とこのまま険悪な関係にはなりたくないと思っていて、端的にいえば美佳子の言うとおりなのだけど。
「悪い事言わないからさっさと仲直りしちゃいないさい。私以外に魔法のことを気軽に相談できる友達なんでしょ? 私だってずっと側にいて相談に乗ってあげられるわけではないんだから、そういう友達は大切にしなきゃダメだよ」
「それはそうだけど」
樋口君は魔法のことを詳しい。少なくとも私以上に知識は豊富だ。だから樋口君は魔法関連のことに限れば、美佳子と同じくらい相談できる友達だ。
それに、私は魔法のことを家族や福山君には積極的に相談したいとは思っていない。その理由はただ単に、変な気を使われたくないから、というだけなんだけど。でも、そういう事もあってか、頻繁に話すようになって樋口君が魔法のことを詳しいと気づいてからは、よく魔法のことについて相談に乗ってもらっている。
「だけど、まだ気持ちの整理ができないもん。樋口君が謝ってくれるなら別だけど、今の段階では仲直りはできないよ」
美佳子は背筋を伸ばし、頬を緩めた。
「そうか、今の段階では仲直りはできないか。と言うことは、近い内に仲直りする気はあるんだよね」
「うん、まあね。なんだかんだ言っても樋口君といると楽しいから」
「へー、楽しんだぁ。それはよかったじゃない。でもまあ、美咲にそういう友達ができて安心してるよ、ホント」
美佳子は本当に安心しているような、にこやかな表情を浮かべる。
この三ヵ月、美佳子にも色々と心配を掛けっぱなしだから、こう言われても仕方ないのだけど、ここまで心配されると何となく子供扱いをされているようで嫌だ。でも、人の気遣いに対してそう思ってしまうのは、たぶん私がまだ子供だからなんだと思う。
しかし、なんだかんだと思いながらも、こうやって心配してくれる幼馴染の存在は私にとって大きな心の支えだし、感謝してもしきれない。近くいるのが当たり前の存在なだけに普段は何とも思っていなかったけれど、今回の件で改めて幼馴染である美佳子が側にいてくれる有り難さを知ることができた。そういう意味ではあの三か月前の事件は、私にとって悪い事ばかりではなかったように思う。
「さてと、そろそろ出ますか。遅くなると、おじさんとおばさん心配するだろうしね」
美佳子は腕時計を見ながら言うと、ゆっくりと鞄を持って席を立ちあがる。
「うん、帰ろう」
私も床に置いてある鞄やバッグを持つと、美佳子に続いて席を立つ。
そのあと、私達はレジで料金の精算を済ませると外に出た。外は駅前ということも街灯や各店舗の灯りで、夜だというのに結構明るい。私達が住んでいる県の端にある住宅地とは段違いの明るさだ。
「この明るい夜の街にも見慣れてきたなぁ」
私はぽつりと呟き、街灯りで星がまるで見えない空を少しのあいだ見上げた。前を歩く美佳子はそんな私の事はお構いなしに駅方向へと歩いていく。




