第7話 「力と体力」
一
九月の朝。
気温が、秋へと向かい始めていた。
塾の訓練場。
ガルド・バルガスは、大賢者の前に立っていた。
二十歳。
体格は、かなり良い。
筋肉質。
しかし、その顔には、不安が浮かんでいた。
「では」
大賢者は言った。
「これからの修行について、説明する」
「はい…」
ガルドは答えた。
彼は、この一か月、何もせずに、レオンとミアの修行を見守っていた。
自分の番が来たのだ。
「君の欠点は、『体力がない』こと」
大賢者は言った。
「しかし、これを、別の角度から見てみよう」
「別の角度…ですか」
「そうだ」
大賢者は続けた。
「君は、強い力を持っているが、すぐに疲れる。つまり、一撃に全ての力を集約させることで、複数回の攻撃を必要としない、『一撃必殺』の戦術が可能になるのだ」
ガルドは、その言葉を聞いた。
一撃必殺。
それは、彼が夢見ていた戦い方だった。
二
修行の最初の段階。
大賢者は、ガルドに、「拳を握る」という、最も基本的な動作から教え始めた。
「まず、君の拳を見せなさい」
ガルドは、右拳を握った。
大賢者は、その拳を見つめた。
「力が入りすぎている」
大賢者は言った。
「ほぼ全身の力を、その拳に注ぎ込もうとしている。これでは、効率が悪い」
「え…?」
ガルドは戸惑った。
全身の力を、拳に注ぎ込むことが、良いのではないのか。
「ではだ」
大賢者が続けた。
「一撃必殺を実現するためには、『不要な力を排除する』必要がある」
大賢者は、ガルドの腕に触れた。
「肩に、無駄な力が入っている。背中にも。脚にも。これらの力を排除し、純粋に『拳に集約させる力』だけを残すのだ」
「そんなことが…」
ガルドは呟いた。
「可能ですか」
「可能だ」
大賢者は答えた。
「では、試してみなさい。肩の力を抜く。背中の力を抜く。脚の力を抜く。そして、拳にだけ、全ての力を集約させるのだ」
ガルドは、その指示に従った。
肩を脱力させる。
背中を脱力させる。
脚を脱力させる。
そして、拳に力を注ぐ。
その動作は、思っていたよりも、はるかに難しかった。
肩の力を抜くと、その力が腕に移ってしまう。
背中の力を抜くと、その力が腰に移ってしまう。
一つの部位の力を抜くたびに、別の部位に力が移ってしまうのだ。
三
その修行は、一週間続いた。
毎日、朝から晩まで。
ガルドは、「拳を握る」という動作だけを、繰り返した。
何千回。
何万回。
その度に、大賢者は、彼の拳を見つめ、指導した。
「肩に力がある」
「背中に力がある」
「腰に力がある」
「脚に力がある」
「喉に力がある」
一つ一つ、不要な力を排除していった。
そして、一週間後。
ガルドの拳は、変わっていた。
何か、純粋な。
何か、完璧な。
そんな拳になっていた。
「いい」
大賢者は言った。
「これで、君の拳は、『一撃に全ての力を集約させるための拳』になった」
ガルドは、自分の拳を見つめた。
形は、変わっていない。
しかし、確かに、何かが変わっていた。
四
次の段階。
大賢者は、ガルドに、「呼吸」を教えた。
「一撃必殺には、呼吸が極めて重要だ」
大賢者は言った。
「正確な呼吸によって、全身の力が、一点に集約される」
「呼吸…ですか」
「そうだ」
大賢者は、ガルドに、呼吸法を教え始めた。
深くゆっくりした吸気。
全身に魔力・エネルギーを満たすその時間。
攻撃の瞬間の、完全な息止め。
その瞬間に、全ての力が、一点に集約される。
そして、攻撃後の、素早い呼気。
ガルドは、その呼吸法を、毎日、練習した。
何百回。
何千回。
その度に、大賢者は、彼の呼吸を聞き、指導した。
「もっと深く吸え」
「もっゆっくり吐け」
「攻撃の瞬間の息止めを、長くしろ」
五
呼吸法を習得するのに、二週間かかった。
その二週間の間、ガルドは、もう何もしなかった。
ただ、呼吸法を練習した。
木刀を握らず。
敵と戦わず。
ただ、呼吸法だけを。
それは、不思議な修行だった。
しかし、その修行の結果、ガルドは気づいた。
呼吸によって、自分の身体が、完全に統制されるのだと。
呼吸によって、力が、一点に集約されるのだと。
六
次の段階。
大賢者は、ガルドに、実際に拳を握らせた。
「では、その拳で、この木を殴ってみなさい」
大賢者は、訓練場に、太い木を立てた。
ガルドは、拳を握った。
肩の力を抜く。
背中の力を抜く。
脚の力を抜く。
拳に、全ての力を集約させる。
そして、呼吸法を開始する。
深くゆっくりした吸気。
全身に力を満たす。
そして、息止め。
その瞬間。
ガルドは、拳を突き出した。
木に当たった。
音が響いた。
木が、微かに揺れた。
しかし、割れなかった。
ガルドは、落ち込んだ。
「駄目です…」
彼は呟いた。
「まだ…力が足りません…」
「いや」
大賢者が言った。
「見てください。木の表面」
ガルドは、木の表面を見た。
そこには、彼の拳の形が、完璧に刻まれていた。
「君は、木に、完璧な痕跡を残した。これは、君の力が、完璧に集約されたことの証だ」
「でも…割れなかった…」
「そうだ」
大賢者は続けた。
「今は、割れない。しかし、毎日、君がこれを繰り返せば、やがては、木を割ることができるようになる」
ガルドは、その言葉を聞いた。
毎日、繰り返すことで。
力が、積み重ねられていくのだ。
七
その後の、一か月。
ガルドは、毎日、この木を殴り続けた。
朝。昼。晩。
何百回。
何千回。
最初は、わずかな痕跡だけだった。
しかし、一週間後。
二週間後。
木には、深い傷がついていた。
三週間後。
木の一部が、割れ始めた。
四週間後。
ガルドの拳が、木を、完全に割った。
その時、ガルドの顔には、涙が流れていた。
「できた…」
彼は呟いた。
「俺…できた…!」
大賢者は、その様子を見て、笑った。
「素晴らしい」
大賢者は言った。
「ガルド。君は、『一撃必殺』の基本を習得した」
八
次の段階は、複数の木を殴ることだった。
一つ。
二つ。
三つ。
四つ。
ガルドは、連続して、複数の木を割った。
しかし、三つ目の木で、彼の呼吸が乱れた。
四つ目の木は、割れなかった。
「これが、君の限界か」
大賢者は言った。
「ではだ。呼吸法を改善することで、複数の連続攻撃が可能になるだろう」
大賢者は、ガルドに、新たな呼吸法を教えた。
「一撃ごとに、完全に呼吸をリセットする」
その呼吸法によって、ガルドは、複数の連続攻撃が可能になった。
最初は、三つまで。
やがて、五つ。
十個。
十五個。
二十個の木を、連続して割ることができるようになった。
九
十月の初め。
大賢者は、ガルドに言った。
「では、実際に、敵と戦ってみなさい」
「敵…ですか」
「そうだ」
大賢者は、他の弟子たちを呼んだ。
レオン。ミア。
そして、他の弟子たちも加わった。
「では、ガルド。君は、この敵役たちと戦うのだ」
ガルドは、深呼吸をした。
肩の力を抜く。
背中の力を抜く。
脚の力を抜く。
拳に、全ての力を集約させる。
そして、呼吸法を開始する。
最初の敵が、向かってきた。
ガルドは、拳を突き出した。
その敵は、ガルドの拳に当たった瞬間、吹き飛ばされた。
次の敵。
また、吹き飛ばされた。
次の敵。
また、吹き飛ばされた。
五分間。
十人の敵は、全て、ガルドの拳によって、吹き飛ばされた。
「素晴らしい」
大賢者は言った。
「ガルド。君の『一撃必殺』は、実戦で通用する」
ガルドは、その時、初めて感じた。
自分の力が、本当に、一撃必殺なのだと。
十
その夜。
食堂で。
ガルドは、他の弟子たちと、夕食を共にしていた。
「凄かったな、ガルド」
レオンが言った。
「あの拳、本当に強い…」
「ありがとう…」
ガルドは答えた。
「でも…」
「でも…?」
「まだ、もっと強くなれる気がする…」
ガルドは続けた。
「大賢者は、『これが全てではない』みたいなことを言ってた」
「へえ」
トムが言った。
「ガルドも、レオンやミアみたいに、まだ上があるってわけか」
「そうだ」
ガルドは頷いた。
「きっと、もっともっと強くなれる」
その言葉には、確信があった。
十一
翌日。
大賢者は、ガルドに言った。
「では、次の段階に進もう」
「次の段階…?」
「そうだ」
大賢者は答えた。
「これまで、君は、『力を一点に集約させる』ことを学んだ。しかし、まだ、『敵の弱点を狙う』ことを学んでいない」
「敵の弱点…?」
「そうだ」
大賢者は、エマを呼んだ。
血が怖くて、気絶してしまう医者。
「エマ。敵の弱点について、説明してくれ」
エマは、緊張しながら、説明した。
人間の身体には、弱点がある。
首。
心臓。
腹部。
その他、様々な弱点。
その弱点を狙うことで、最小限の力で、最大の効果を生み出すことができるのだ。
ガルドは、その説明を聞いた。
「つまり…」
ガルドは呟いた。
「俺の『一撃必殺』と、エマの『敵の弱点を知る』を組み合わせれば…」
「そうだ」
大賢者が答えた。
「二人の組み合わせによって、真の『一撃必殺』が完成するのだ」
十二
その後の、二週間。
ガルドとエマは、一緒に訓練した。
エマが、敵の弱点を指摘する。
「右肩の関節です」
ガルドが、その弱点に、一撃を放つ。
敵は、動けなくなった。
別の敵。
エマが、敵の弱点を指摘する。
「左膝です」
ガルドが、その弱点に、一撃を放つ。
敵は、倒れた。
その連携は、完璧だった。
一撃で。
敵を倒す。
それが、本当の「一撃必殺」だった。
十三
十月の中盤。
大賢者は、ガルドに言った。
「では、本当の敵と戦ってみなさい」
「本当の敵…?」
「そうだ」
大賢者は、訓練場に、複数の相手を用意した。
三人の敵役。
ガルドとエマは、その三人に対抗することになった。
ガルドが、敵に向かう。
エマが、敵の弱点を指摘する。
「頭頂部です」
ガルドが、その弱点に、拳を叩き込む。
一撃で、敵は倒れた。
次の敵。
エマが、敵の弱点を指摘する。
「腹部の左側です」
ガルドが、その弱点に、拳を叩き込む。
一撃で、敵は倒れた。
最後の敵。
エマが、敵の弱点を指摘する。
「両足の関節を同時に狙ってください」
通常の敵なら、両足を同時に狙うことは不可能だ。
しかし、ガルドの一撃必殺なら。
ガルドは、両足の関節に向けて、拳を放った。
確かに、それは一撃ではなく、二撃だったかもしれない。
しかし、ほぼ同時に、両足の関節に衝撃を与えることで、敵は倒れた。
「素晴らしい」
大賢者は言った。
「ガルド。君と、エマ。君たちの組み合わせは、完璧だ」
ガルドは、その言葉を聞いて、再び確認した。
自分は、一人では、完璧ではない。
しかし、誰かと組み合わせることで、完璧になるのだ。
十四
その夜。
ガルドは、自分の部屋で、自分の拳を見つめていた。
太く。
強い。
しかし、これは、もう、ただの「力」ではない。
この拳は、敵を正確に倒すための、「技術」に変わっていたのだ。
「ありがとう…」
ガルドは呟いた。
「大賢者…」
「エマ…」
「そして…レオン…ミア…」
自分一人では、ここまで到達できなかった。
仲間たちの支援があってこそ。
自分の力が、本当の力に変わったのだ。
十五
十月の終わり。
塾の食堂。
ガルドは、他の弟子たちと一緒に、夕食を食べていた。
「ガルド、本当に強くなったな」
ミアが言った。
「魔法を放つと、敵がいなくなる」
「あ…すまん…」
ガルドは謝った。
「一撃必殺だから…」
「いや…いいんです…」
ミアは笑った。
「むしろ…頼もしい…」
レオンも言った。
「俺の転倒回避と、ガルドの一撃必殺。この組み合わせで、かなりの敵に対応できる」
「そうだな」
ガルドが同意した。
「俺たちは…本当に…仲間なんだ」
その言葉は、塾の中に響き渡った。
十六人は、もはや、単なる「同じ塾にいる者たち」ではなく、本当の意味での「仲間」になっていたのだ。
十六
その後の、数週間。
ガルドは、他の弟子たちとの組み合わせ訓練を続けた。
レオンとの組み合わせ。
ミアとの組み合わせ。
シルフィとの組み合わせ。
その度に、新たな可能性が生まれた。
ガルドの一撃必殺は、あらゆる敵に対応できるのだ。
十七
十一月の初め。
大賢者は、ガルドに言った。
「君の修行は、一段階完了した」
「完了…ですか」
「そうだ」
大賢者は答えた。
「君の『体力がない』という欠点は、実は『一撃必殺』という才能だった。そして、その才能を磨く過程で、君は『敵の弱点を知る者との組み合わせ』という、さらに高い才能も発見した」
ガルドは、その言葉を聞いた。
「そして」
大賢者は続けた。
「君が、誰かと組み合わせることで、一人では成し遂げられない力を生み出すことができることも、気づいたはずだ」
「はい…」
ガルドは頷いた。
「エマとの訓練で…本当に…感じました…」
「そうだ」
大賢者は答えた。
「これが、君たち全員が学ぶべき、最大の教訓だ。一人では弱い。しかし、誰かと組み合わせることで、最強になる」
その言葉は、レオンとミアが聞いた時と、同じものだった。
十八
その夜。
塾の屋上に、三人が立った。
レオン。ミア。ガルド。
最初に修行を始めた、三人だ。
「ここまで来たな…」
レオンが言った。
「最初は…本当に絶望していた…」
「私も…」
ミアが言った。
「魔力がなくて…本当に…」
「俺も…」
ガルドが言った。
「体力がなくて…本当に…」
三人は、月を見つめた。
十一月の月。
秋も深くなってきた。
「でも…」
レオンが言った。
「今は…違う…」
「本当に…違う…」
ミアが同意した。
「俺たちは…強い…」
ガルドが言った。
「一人では弱い…」
「でも…」
「誰かと組み合わせることで…」
「最強になる…」
三人は、その言葉を、月に向かって呟いた。
十九
翌日。
大賢者は、他の十三人の弟子たちを集めた。
「では」
大賢者は言った。
「これからの修行について、説明する」
十三人は、緊張して大賢者を見つめた。
レオン。ミア。ガルドの三人の修行は、既に終わった。
次は、自分たちの番だ。
「リナ。君からだ」
大賢者は、爆発を起こしてしまう少女に、指を向けた。
「はい…!」
リナは、飛び上がった。
自分の番が来たのだ。
二十
十一月の朝。
新たな修行が、始まった。
リナの修行。
その次は、ノアの修行。
その次は、ココの修行。
その次は、エマの修行。
その次は、ドグの修行。
その次は、シルフィの修行。
その次は、ポチの修行。
その次は、トムの修行。
その次は、ニナの修行。
その次は、シオンの修行。
その次は、バルドの修行。
その次は、レンの修行。
最後は、モモの修行。
十三人の弟子たちが、一人ずつ、自分たちの「欠点を才能に変える修行」を始めたのだ。
大賢者は、毎日、朝から晩まで、各弟子たちを指導した。
爆発を制御する修行。
無言で交渉する修行。
独創的料理を研究する修行。
血を見ずに診断する修行。
素材の限界を理解する修行。
目を閉じたまま狙う修行。
犬の群れを活用する修行。
普通さを万能性に変える修行。
未知の場所を発見する修行。
沈黙で相手を動かす修行。
予測不能な指揮を学ぶ修行。
傾く建物の構造を理解する修行。
植物が枯れる理由を学ぶ修行。
それは、大賢者にとって、最も忙しい時期だった。
しかし、その忙しさの中に、喜びがあった。
十六人の弟子たちが、それぞれの才能を、磨き始めたのだ。
二十一
第7話終了。




