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大賢者と16人の落ちこぼれ弟子  作者: 伝説の男前


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第1話 「大賢者、王に呼ばれる」


朝焼けが王都エスティムの石造りの建物を血色に染めていた。


宮廷魔術師ルイスは、召喚魔法の書物を抱えて、急ぎの足で城門に向かっていた。空が明け始める時間だというのに、もう何人かの廷臣が出入りしている。朝方の城の雰囲気は、いつも落ち着かない。何かが起きた時は、こうも急きこむのだろうか。


この時刻に陛下から呼び出しを受けるということは、通常ではない。


ルイスは廷臣仲間の剣術指南役オルベルトと廊下で出くわした。


「ルイス、お前も呼ばれたのか」


「ああ。君は?」


「私もだ。何か起きたのだろう。最近、南西の領地からの報告が不穏だという話を聞いたが…」


二人が玉座の間へ向かう廊下を歩いていると、様々な職の廷臣たちが集まっているのが分かった。武官、文官、魔術師、錬金術師、狩人。普段は別の部署で働く者たちまでもが、同じ方向に向かっている。


朝の光が高い窓から差し込み、石造りの床に長い影を作っていた。


「迎賓の門が開かれている」


オルベルトが呟いた。確かに、普段は閉ざされている迎賓の門が、今日は珍しく開かれていた。それは、外国からの客人を迎える時にしか開かれない。


しかし廷臣たちの話に、外国からの使者という言葉は聞こえてこない。


ルイスの頭の中で、いくつかの仮説が浮かぶ。南西領地の不穏。迎賓の門。そして、この朝の緊急招集。


「―――まさか、帝国か」


オルベルトが呟いた。


ルイスは返答しなかった。その推測が当たっているなら、今から始まる王の言葉は、この王国の歴史を大きく変えるものになるだろう。



玉座の間は、広大だった。


高い天井から、工芸品の水晶が光を反射させ、床一面を淡く照らしていた。通常、この間に集う者は数十人が限度だが、今日は百人を優に超える廷臣が集められていた。


王座には、王アルヴァレスが座していた。


彼は五十代中盤の男だった。灰色の髪は短く刈られ、顔には歳相応の皺があったが、目は鋭く、王としての威厳に満ちていた。王妃は傍らに立ち、世子は一段低い席に。


しかし、ルイスの目はすぐに別の人物に釘付けになった。


玉座の間の、最も目立たない場所―――奥の影の中に、一人の人間が立っていた。


薄汚れた灰色のローブ。裂け目のある左の袖。右肩には何かの傷があるのか、生地が焦げている。足元の靴は、泥で汚れており、かかとは擦り減っていた。


明らかに、王城にそぐわぬ出で立ち。


その男は、四十代後半だと思われたが、顔は淡く、目だけが異様に澄んでいた。まるで、何か遠い場所を見つめているような、そんな眼差しをしていた。


「廷臣たちよ」


王の声が響いた。全員が正面を向き、玉座の王に視線を集中させた。


「朝の緊急招集に応じてくれたこと、感謝する。本日、我が国に一人の来客がある」


王は、奥の影の中にいる男を指した。


「このお方は、南西領地の盗賊団『血狼』を、たった一晩で壊滅させた人物である」


玉座の間に、どよめきが走った。


血狼。それは、この国で最近数年間、最も危険とされていた盗賊団だった。小規模な領地一つを支配下に置き、その周辺を脅かしていた。王国軍も何度か討伐に向かったが、何度も失敗していた。その集団を、一晩で壊滅させたというのか。


「さらに」


王が続けた。


「その後、『北方森の魔獣討伐』の依頼を受けた。我が国で最も凶暴とされる森のモリヌシと呼ばれる魔獣。これを、わずか半日で狩り上げた」


ルイスは息を呑んだ。


北方森の魔獣討伐。それは、この王国の魔術師組合が五年前に放棄した案件だ。つまり、この国の最高峰の魔術師たちですら達成できなかった任務である。


「そのお方の名を、私は知らない」


王が続けた。


「何者かも、どこから来たのかも、なぜこれほどの力を持つのかも。しかし、その成果は疑いようもない。盗賊団の首領の死体は『血狼の根城』で発見され、魔獣の遺骨は北方森で確認された」


王は立ち上がった。


それだけで、場は静まり返った。王が座から立つことは、極めて稀だ。


「故に、我は今、この玉座の名において、その方に問う」


王は、影の中の男に向かって声をかけた。


「その方の名は、何か」



影の中の男は、ゆっくりと前に出た。


一歩、また一歩。足音は静かだが、確かに玉座の間の床に響いていた。


男が光の中に出た。


年代は四十代後半。顔には、風と日光の痕跡が刻まれていた。左頬に古い傷がある。目は淡い灰色。その視線は、不思議と何かを見つめているようでもあり、何も見ていないようでもあった。


男は膝をついた。


「私は、賢者です」


その声は、静かだった。だが、玉座の間の奥まで、その言葉は届いた。


「名前はありません。かつて、多くの国々に仕え、多くの場所を旅してきました。いずれの国からも、いずれの場所からも、名前を捨てることを選びました。しかし、多くの仕事の中で、人々は私を『賢者』と呼ぶようになりました」


王が身を乗り出した。


「『賢者』というのは、単なる呼び名か」


「はい。その通りです」


「では、我がこれより、その方に『大賢者』の称号を与えようと思う。これを受けるか」


玉座の間に、再び息を呑む音が響いた。


『大賢者』。


それは、王国が与える最高位の称号の一つだ。国家最高の知識人、あるいは最高の戦士に与えられるその称号は、金銭や爵位よりもはるかに高い価値を持つ。


「……承知します」


男は答えた。


「では、その誓いを示すため、ここに我が宮廷の者たちの前で、その力を示してはくれまいか」


王が身振りで部屋の端を指した。


そこには、王城で最も強いと言われた剣士たちが、何人か立ち上がって準備を始めていた。


大賢者は、ゆっくりと立ち上がった。



王城の訓練場は、朝の光で満たされていた。


ルイスと他の廷臣たちは、訓練場を囲む石造りの壁に立ち、その光景を見守っていた。


訓練場の中央には、大賢者。


そして、向かい合うのは、王城の剣士たちだった。最初は一人。王城の戦闘要員の中でも、最強と言われている『獅子剣のグラド』。身長は二メートルを超え、その腕は一般人の脚ほどもある、巨漢だ。


グラドが、剣を抜いた。


長さ一メートルを超える大剣。その剣を、片手で持ち上げた。訓練場の床が、微かに揺れた。


「来い」


グラドが、大賢者に構えた。


大賢者は、剣を抜かなかった。


ただ、立っているだけだ。その手は下ろされたまま。身構えることもない。


グラドが動いた。


走る。その足音だけで、訓練場の床が鳴る。大剣を高く掲げて、大賢者に向かって突進した。


大剣が、空を切った。


大賢者は、動いていなかった。グラドの剣は、彼の肩をかすめただけで、その後ろの空を切った。


グラドは勢いを失わず、すぐに転身して、次の一撃を放った。これは横払い。大賢者の首を狙うような角度だ。


大賢者は、頭を傾けた。一インチもない距離で、剣は彼の髪の毛をかすめ、その後ろの空を切った。


グラドは、三撃目を放つ。下からの斬り上げだ。大賢者は、片足で跳んだ。グラドの剣は、彼の足元の床を切った。石の床に、確かに傷が刻まれた。


ルイスは、息を呑んでいた。


グラドは、王城の中でも最高の実力を持つ剣士だ。彼が本気で放つ剣撃は、鎧を貫く。だというのに、大賢者はそれを、剣すら抜かずに躱している。


グラドが、怒鳴った。


「抜け!」


「必要ありません」


大賢者が、初めて言葉を発した。


その声を聞いた瞬間、グラドの動きが止まった。わずかな隙。その隙を、大賢者は逃さなかった。


大賢者が、歩いた。


つまり、歩いただけだ。左足を出して、グラドに向かって一歩。ただそれだけ。


グラドが、後ろに下がった。


そして、彼は膝をついた。


「私の負けです」


グラドは、剣を下ろした。


訓練場は、静寂に満たされた。


次に、二人の戦士が出た。同時に大賢者に向かった。大賢者は、剣を抜かずに、その攻撃をすべて躱した。不可思議な軌跡で。なぜか、二人の剣は必ず大賢者の身体をかすめるだけで、大賢者は微動だにしない。


三人目の魔術師が、火の玉を放った。大賢者は、その炎を両手で受け止めた。炎は、彼の手の中で、消える。


四人目の矢の名手が、五本の矢を放った。すべての矢が、大賢者の間を通り過ぎた。大賢者は、目を瞬かずに、矢をよけた。


次々と、王城の強者たちが現れ、次々と敗れていった。


そして、最後に一人が出た。


王城の魔術師長である、年老いた魔術師だ。彼は、本気で大賢者に向かった。


光の魔法。風の魔法。地の魔法。火の魔法。氷の魔法。


あらゆる魔法を、老魔術師は放った。


大賢者は、それらをすべて躱した。


もしくは、受け止めた。


もしくは、消した。


もしくは、反射した。


その戦いは、見事だった。不可思議だった。


そして、不気味だった。


なぜなら、大賢者は、一度も剣を抜かず、一度も魔法を放たず、一度も声を上げず、ただ淡々と、敵の攻撃を躱し、受け止め、消していたからだ。



訓練場での示現は、一時間で終わった。


結果は、大賢者の圧勝だった。


玉座の間に戻った王は、大賢者に向かって、正式に『大賢者』の称号を授けた。その時、王は何か言葉を続けようとしたが、大賢者の視線を見て、口を閉ざした。


その眼差しの中に、何かがあったのだ。


「大賢者よ」


王は、改めて問うた。


「そなたは、なぜこの王国にきたのか」


大賢者は、答えた。


「盗賊団の討伐と、魔獣の狩猟の依頼を受けたためです」


「では、それが終わったとすれば、この王国を去るのか」


大賢者は、一瞬、沈黙した。


その時、何かが彼の中で、動いたのかもしれない。


「いいえ」


大賢者は、静かに言った。


「実は、陛下にご相談させていただきたい事柄があり、この王国に留まることにしました」


「何か」


「私の知識と技術を、次の世代に伝える方法についてです」


王は、訝しんだ。


「そなたほどの力があれば、官位を与えて、宮廷に置くこともできるが」


「存じております」


大賢者は答えた。


「しかし、私は権力には興味がございません。官位も、富も、名誉も」


「では、何に興味がある」


「他人を成長させることです」


その言葉は、玉座の間に響いた。


「私は、長い旅の中で、多くの者たちに教え、多くの者たちが成長する過程を見てきました。その時の喜びが、何よりも大きいのです。故に、私の知識と技術が、この王国の若き者たちに伝わることを願っておりました」


王は、その言葉を聞いて、考えた。


「では、宮廷の学師として、ここに留まるのか」


「いいえ」


大賢者は、首を横に振った。


「宮廷の出世や、爵位を求める者たちではなく、本当に学びたいと望む者たちに教えたいのです」


「つまり」


王は、理解した。


「そなたは、自分の塾を、この王国のどこかに建てるつもりか」


「左様です。可能でしたら、王都から遠く離れた、田舎の場所に。才能がないと思われている、誰も見向きもしないような若者たちを集めて、彼らの中に隠れている才能を見つけ、育ててみたいのです」


大賢者の言葉は、続いた。


「人間には、誰もが才能を持っています。ただ、その才能が目に見える形でないだけで、世間から『ない』と評価されてしまう。そうした若者たちに、機会を与えてみたいのです」


王は、沈黙した。


長い、長い沈黙。


やがて、王は、大賢者の目を見つめた。


「わかった」


王は、言った。


「我は、そなたにこの王国の土地を与えることを許可する。好きな場所を選べ。そこで、好きなだけ、若者たちを育てるがいい」


「ありがとうございます」


大賢者は、深く礼をした。


「では、さっそく王国を見て回り、最適な場所を探させていただきます」


「そうするがいい」


王は、微かに笑った。


「そなたの『才能を見つける塾』とやらが、どのような若者たちを育てるのか、興味がある。また数年後、我にその様子を見せてくれ」


「必ずや」


大賢者は、誓った。



その日の夜、王城の宴会場では、大賢者を歓迎する宴が開かれた。


ルイスは、その宴の片隅で、大賢者を眺めていた。


大賢者は、宴の中でも、相変わらず静かだった。誰かが話しかけても、短く答えるだけ。多くの廷臣たちは、敬意を払いつつも、距離を置いていた。その圧倒的な力の前では、親密な関係を築きにくかったのだ。


しかし、ルイスは、大賢者の瞳の奥に、何かを見た気がした。


それは、何か。


寂しさだろうか。


もしくは、希望だろうか。


ルイスは、グラスを手に、大賢者のところへ歩いていった。


「大賢者どの」


ルイスが声をかけた。


大賢者は、顔を上げた。


「訓練場での戦いは、見事でした。特に、火の玉を素手で受け止めたあの瞬間。どのような魔法を?」


「魔法ではなく、技術です」


大賢者が答えた。


「炎の熱を、体外へ流す方法です。魔法で対抗するのではなく、炎そのものの性質を理解して、その流れを変える。すると、ダメージなく対処できます」


「なるほど」


ルイスは感嘆した。


「それは、私たちが修得していない知識です。もしよろしければ、王城にお留まりになった際に、その技術を教えていただけませんでしょうか」


大賢者は、ルイスを見た。


その時、大賢者の目が、一瞬、輝いたように見えた。


「それは、喜びです」


大賢者は言った。


「知識を求める者に教えることほど、価値のあることはありません。いつでも、来てください。技術の全てを、教えましょう」


ルイスは、その言葉に、大賢者の心の奥底に何があるのかを、一瞬だけ見た気がした。


それは、本当に「他人を成長させたい」という純粋な願いだった。


権力も、名誉も、富も、それらすべてを超えた場所にある、シンプルな願い。


「感謝します」


ルイスは、頭を下げた。


大賢者は、微かに笑った。



三日後。


大賢者は、王城を出発した。


王から与えられた地図と、いくつかの支援物資を持って、彼は王都から西へ向かった。


その旅の中で、大賢者は多くの村を見た。


栄えている村。衰退している村。戦争の痕跡が残る村。平和な村。


彼は、すべての村を眺め、考えた。


最終的に、彼が選んだのは、王都から五日の距離にある、小さな村だった。


名前は、フェアウッド村。


人口は、わずか三百人。


周辺には、小さな魔獣が出没するため、討伐の仕事もあった。


それでも、決して栄えている村ではなく、むしろ衰退していく村だった。


しかし、大賢者は、その村に塾を建てることを決めた。


なぜなら、ここにこそ、自分が育てたい「才能のない」と言われた若者たちが、集まっているはずだったから。


大賢者は、村の中央に、古い廃屋を見つけた。


かつては、領主の代官所として使われていた建物だ。今は、誰も住んでいない。


大賢者は、その廃屋を修復し始めた。


一人で。


その作業は、三週間続いた。


壊れた屋根を直す。腐った木材を交換する。床を張り直す。壁を補修する。


その間、村人たちは、この奇妙な男を見守っていた。


どこから来たのか。何をしようとしているのか。


やがて、大賢者は、村の広場に告示板を立てた。


その上に、一枚の張り紙をした。


「才能がない」と評価された若者たちへ。


ここに、「賢者塾」が開塾します。


年齢、性別、出身、身分は問いません。


王国の法に反さない限り、誰でも入塾できます。


学費は、必要ありません。


ただし、学ぼうとする気持ちが必要です。


本当に学びたい者だけが、来てください。


張り紙を見た村人たちは、訝しんだ。


誰が来るのか。


誰が、こんな山里の塾に来るのか。


しかし、大賢者は、焦らなかった。


彼は知っていたからだ。


才能を求めている者たちは、必ずやってくる。


たとえ、世間から「ない」と言われた者たちでも。


たとえ、自分たちで「ない」と思い込んでいる者たちでも。


本当に、学びたいと望む心を持つ者なら。


必ず。


大賢者は、塾の前に立ち、静かに待った。


春の雨が、小さな村に降っていた。


第1話終了。

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