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海の上の兄妹の話

 冬が近づき、観光も落ち着いたことで、いつもは海の上にいる人たちも陸に上がり別な仕事に就く。そういう私も植物が元気いっぱいに伸びる時期を終えたため別な仕事をする。今日はブドウの収穫に来ていた。住み込みで収穫しワインの仕込みも手伝う。この仕事には雇用主の娘さんも一緒に来ており、ここ最近は何かと一緒に行動していた。私はカゴを背負いブドウを収穫し、彼女はトラックの荷台の上で収穫されたブドウを引き上げる。彼女も楽しそうに笑っている。お互いに汗を流して勤労するのはとても楽しいことだ。

 この仕事には他にも参加している人たちがいる。一緒の生活を送るのだから全員と仲良くなるのだが、特にある兄妹とは仲良くなった。彼らは客船の船長をしており、この間まで海の上で各地の観光客を迎え、島々を巡る旅をしてきたそうだ。様々な人たち、文化に触れ、裕福な人たちと会って、ホストとしてサービスを提供する立場は大変面白いそうだ。ここで収穫されたワインは旅客に提供され、大変好評らしい。妹さんはソムリエの資格も取り、ここでの体験を踏まえ、舌の肥えた客にワインを提案する。本当に真摯に仕事に向き合っている二人に好印象を抱いていた。だが、そんな二人にも色々あったそうだ。こんな話をしていた。




 まだ船長になる前、兄は副船長でもなんでもなくバトラーとして乗船していた。

 妹は学校を卒業したばかりで、働き口を探していたところ、兄に紹介してもらい給仕として働き始めたばかりだった。

 兄は乗客に人気があり、裕福な客に名前を憶えられて忙しく働いていた。


 そのような旅を続けていたある日、ある港に停泊し、新しい乗客を迎えていたときに事件は起きた。

 船長が行方不明になったのだ。

 誰も行先を知らない。

 客に悟られないように船員たちで探したが見つからず、そのまま出航の日を迎えた。


 副船長も居たが、副船長も代理を嫌がった。

 ある富豪の客もその場に居たが、代理だったらお前がしたら良い、と兄を指名してきた。

 副船長もそれが良い、と言って急遽、船長代理をすることになった。

 妹が代理の話を聞いたとき、彼女は反対した。そんなの上手く行くわけない。そう言ってきたのだ。

 兄と妹は仲が良かった。だが、兄はその時初めて妹に対して怒った。胸倉を掴んで怒ったのだ。

 怒られて呆然とする妹を置いて兄は仕事に着手した。

 バトラーとしての仕事は色々してきたが、船全体の管理は初めてで、どのようなことをすると乗客が喜ぶのかと一から考える必要があった。


 初めて計画したイベントはサバ釣りだった。

 船べりから釣りをし、釣った魚を料理するサービス。

 それは乗客から好評を博し、連日楽しむようになった。

 一日の終わりは船内パーティーを企画し、時間が迫ると急いでシャワーを浴び、タキシードを着こみ、乗客の前で挨拶をする。

 船員や、乗客の飛び入りで様々な催しを行い、船内も盛り上がった。

 船長代理に慣れたころに、仕事を終えて船長室に戻ると、副船長がデスクに座っていたためドキリとした。

 副船長は兄に微笑みかけて、船長の仕事を代わって進めておいてあげたよ、と言われて安堵する自分がいた。

 もうその頃には代理ではなく、船長になっていた。

 船のことは分からないが、そこは副船長に任せ、旅のプロデューサーとしての仕事が彼の仕事になった。


 乗客が楽しそうに旅を満喫する姿を見ながら、船を見回っていると、妹もスーツを着て、イベントに協力し富裕層に向けたサービスを始めているのを見かけた。

 彼はそれをみて大変満足した。




 衝突もあったが、今では一緒に船の上で協力し合っている二人は、私たちから見ても強い絆を感じた。シーズンになったら船で働かないかと誘われたが、そちらは丁重にお断りさせてもらった。豪華客船の旅はテレビで見たことがあり、華やかな社交の場というイメージがあった。憧れはあるが、私が望むのは真逆の土着の風俗だ。彼らも残念だ、と言って笑ったが、その直後に成人の儀式は受けない方がいい、と言われた。その瞬間は笑ってなかったので気になったが、彼は他の仲間と話し始めて理由を聞けなかった。隣に座る彼女も妹さんと盛り上がっている。その笑顔を見た瞬間、その時感じた奇妙な感じは消えてしまっていた。

 この兄妹は暖かくなったら再び海に出る。色々な人たちと出会い、多くの人生に触れるのだろう。そして出会った人々が旅を思い出すとき、彼らのことを一緒に思い浮かべ、あの海に思いを馳せるのだろう。私も何も残せなかったとしても、誰かの記憶に残る自分でありたい。こうして見聞きした物語を少しでも多くの人の目に触れる形に残せる一助となればと思う。私はそれを伝えた人として記憶されるだけでよい。島に住む人々も、地元に対して熱心な愛を抱き、高らかに叫ぶ。私はそれを眩しいと思い、そこに触れたいと手を伸ばすが、そこに入ることはできない。

 ふと、誰かが手に触れた。隣に座る彼女の手が重ねられていた。大丈夫か、と心配そうな目で覗き込んでくる。その温かさを感じながら、私は寂しいのだ、と気付いた。故郷を離れ、様々なしがらみから逃れるように来た根無し草。この島に来て、多くの人に会い、憧れ、彼らの物語を書く。それは私が欲してやまず、そして完全に同じものは得られないことを知っている。それが寂しさに繋がっているのだろう。だが彼女の温かさだけは私だけのものだ。今、この瞬間だけは。

 ありがとう、と言って彼女に笑い返す。彼女はこの間プレゼントした紫の花のブローチの話を妹さんにし始めた。やるわね、と妹さんがグラスを持ち上げた。私は、少し恥ずかしかったが、グラスを持ち上げてワインを口に流し込んだ。こみ上げた涙と一緒に。

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