避難警報
『避難警報。四月の二十七日を前後して、渋谷ダンジョンから大規模なスタンピードが発生することが予想されます。都民の皆さんは落ち着いて避難準備を行い、慎重に避難を開始してください』
スマホには、そんな内容のメッセージが送られてきていた。差出人は冒険者協会……勘だが、何か裏があるように思えてならない。嫌な感じだ。スタンピードが発生するのは、一週間前後らしいが、どうなるかな?
サナたちを見ると、皆不安そうな顔をしていた。十年以上も、魔物災害が起きていなかったところに突然予告されたスタンピードだ。不安にならないわけがない。取り乱さないだけ彼女たちは立派なものだ。
「二十七日、今が二十日だから……」
「一週間後ですわね」
「これ、全ての都民が避難を完了するには時間が足りるか? そこが、ハルカちゃんは心配だぜ……」
サナたちが話し合う中、ハルカさんが言ったことは、もっともだ。俺の記憶が正しければ、東京都の人口はおよそ千四百万人。日本の人口の……十分の一くらいか? その中には、何らかの理由で避難が困難だったりスタンピード警報が出ても動こうとしない者たちも出てくるんじゃないだろうか。だから、一週間で全都民が避難を完了できるかは、大分怪しく思う。というか、無理だろう。
「皆さん……とにかく皆さんは……」
避難するべき、と言おうとして、口が止まった。俺は……今の彼女たちに何を期待している? いや、分かっている。けど、分かっちゃダメだ。迷宮の探索とスタンピードでの戦いは別物なのだ。そんな危険な戦いを、彼女たちにさせるわけにはいかない。でも……こうも考えてしまう。彼女たちは冒険者としてはすでに一人前の域に達している。なら、一緒に戦ってもらえたら、心強い。この東京で一緒に残ってもらえるのなら心強い。そう思ってしまうのだ。でも、それは……俺の都合だ。
「皆さんは……慎重に、行動してください。メッセージにも書かれていましたが、落ち着いて、動きましょう。それが大事だと思います」
違うだろ、俺。違うだろ、アキヤ。この場で言うべきなのは、避難を勧めることだろ。それは分かっているんだ……けど……俺は迷ってしまう。
サナが不安そうな顔を俺に向けてくる。姪っ子のそんな顔を見ると、胸が痛む。
「……おじさんは、この状況で、どうするんですか? スタンピードを、なんとかするために動くんですか?」
俺は、頷いた。それは、俺の使命ではない。だが今までの人生で人々を守ってきたことに、矜持を持っている。だから俺は、この東京から逃げ出したりはしない。
「今は、様子を見ます。これからスタンピードが起こるとしても、俺はこの東京からは、離れないと思います」
俺の言葉を聞いてか、サナはほんの少しだけ安心したような表情をしてくれた。そうして、彼女は決意を固めたような目で俺を見る。なんとなく、彼女が言おうとしていることが分かった。それは心強くもあり、同時に……否定しなければならないような気もする。
「私、おじさんを手伝いたい。おじさんと一緒に戦いたいんです!」
「ハルカちゃんも、同じ気持ちだぜー!」
「今の私たちなら、おじ様の、お力にはなれるはずですわ!」
皆……その言葉は、凄く嬉しいよ……! だけど今回は状況が違う。スタンピードが発生するのだとすれば、状況が違うのだ。それに、彼女たちが、無理をする必要はない。俺のやることに、付き合う必要はないんだ。
「皆さんの言葉と気持ちは、凄く嬉しいです。けれど、今夜はその気持ちを一度持って帰ってください」
「おじさん……私は、皆を……」
サナは言葉を続けようとして止めた。サナ。俺にとって、おまえやハルカさんや、ウイカゼさんは、大切な仲間だ。成長して、強くなったことも分かる。でも、俺は軽い気持ちでおまえたちをスタンピードへと向かわせるわけにはいかない。
「皆さんの今の実力はAランク冒険者にだって匹敵すると思っています。けれど、スタンピードは訳が違うんです。ダンジョンの入り口から、終わりが見えないと思えるほどに、魔物が出現し続ける。そんな災害にあなたたちが無理して付き合う必要はない」
説明しながら、俺はサナに酷いことを言っているんじゃないだろうかと、思った。だって、彼女の願いは皆を守れる強い騎士になることなのだから。俺の言葉は、彼女の願いを否定している。だからこそ迷うのだ。彼女の願いを尊重するべきなのか、それとも、彼女の安全を優先するべきなのか、俺には決めきれない。
「おじさん……私は……」
サナは悲しそうにうつむいた。彼女のそんな顔は見たくない。この状況で俺はどうするべきなんだ。彼女たちを戦力として期待している俺と、そんな彼女たちでもスタンピードと戦うのは荷が重いのではないかと心配な俺がいる。迷う俺に……そしてサナに……助け船を出してくれたのはハルカさんだった。
「まあまあ、サナサナ。おじおじだって私たちの成長は認めてくれてるし、気持ちは嬉しいって、言ってくれたんじゃん? だから、意地悪されてる訳じゃない。心配されてるんだ。それは分かるだろ?」
「うん……でも……」
「おじおじは、私たちに、落ち着いて、慎重になれと言ったんだ。私たちの気持ちを一旦持ち帰れって言ったのも、一回冷静になって、改めて今の気持ちを、考えてみろってことだろ? つまり、一旦保留ってことだよ。な!」
ハルカさんの顔が俺へ向いた。彼女の落ち着きと冷静さが伝わる。そんな表情だった。今は彼女のフォローが、とてもありがたかった。
「今、ハルカちゃんたちは、一時の感情で行動を決めようとしているのかもしれない。だから一度判断を保留するべきだって、おじおじは、言いたいんだろ? たぶん」
俺は頷いた。たぶん、俺自身がこの判断を今は保留したかったんだと思う。
「……ええ、その通りです」
「やっぱりな。それに、状況が見えねえんだ。今の私たちに必要なのは情報収集だろ?」
そう言ってハルカさんは、スマホを持った手を、ひらひらと振った。その画面には、冒険者協会の会長の姿が映っている。というかハルカさん、今の短い時間の中で情報収集も進めてたの!? どんだけ優秀なんだよ。この子。
「あなた、今の時間で情報収集もしてましたの? 私なんか、おじ様とサナさんの話を聞くことだけに、集中していましたのに」
「ままま、とりあえずライブ動画流すぜ。店内だから音は消すけどよ。字幕で何言ってるかは分かるから、協会が、この状況にどう動こうとしてるかは、分かるだろ? スマホの画面が小さくてすまねえな」
ハルカさんは俺たちにスマホの画面を見せてくれている。今は、会見の準備中みたいだな。流石に、少し画面が見にくいので、俺の方でもスマホを開いて会見の様子を確認する。ここはお店なので音量は無しだ。というか、店内での食事中にスマホで動画を見るのは、マナー的にはどうかと俺個人としては思うんだけど……まあ、今は緊急事態だ。サナたちも疲れてるし……すまんね! また近いうちにたくさん食べに来るよ。
ほどなくして会見が始まる。字幕で白漂会長の言葉が分かる。会見の挨拶もそこそこに会長は話し始める。にしても、胡散臭さの塊みたいな男だな。
『冒険者協会は渋谷ダンジョンでの異変を関知し、これから一週間を前後して大規模なスタンピードが起こると予想しています。本日、武蔵野ダンジョンと杉並ダンジョンではEOE……我々がエマージェンシーオーバーヘッドエネミーズと呼称する魔物の出現も確認しました。EOEは先日確認されたばかりの新種の魔物です。これらのことから、我々は東京のダンジョンが活性化してきていると判断しました。つきましては……』
淡々とした様子で説明を続ける白漂会長の姿を見ながら、今の説明だけでも、おかしいと感じる部分があった。
なぜ、協会がEOEの本来の名前を知っている? EOEって略称が出てくるのは、俺たちが配信で使ってたからな。それは分かる。でも、エマージェンシーオーバーヘッドエネミーズだなんて言葉は、配信では使っていない。それが一字一句違わず、協会が使う言葉として、出てくるだろうか? 元々、その言葉を知っていたとかでもない限り、ありうるだろうか?
やはり、今の冒険者協会は怪しい。協会は何を考えて動いているんだ?