夫の元婚約者
指定場所で再会した男は、ルーシーを連れていなかった。
「ルーシーはどこ?」
ナタリーは広い車内をぐるりと見渡した。
「預けて来た。安心しろ、プロのベビーシッターだ。兼、殺し屋でもあるが。君が大人しく私に従っていれば、数日で娘を返してやれる」
車を発進させ、男が言った。
身代金目的の誘拐ではないのだろう。ロイドが乗っている中古車の、何倍もするような高級車だ。
ナタリーたちを誘拐した目的を、男はこう告げた。
「ロイが手に入れる指輪と交換だ」
「指輪?」
犯罪行為を働いてでも手に入れたい指輪とは、大きなダイヤがついた高価な物だろうか?
(ロイが手に入れる……それって、)
「宝石強盗をさせて?」
「いや違う、ロイは法に触れんよ。その指輪は今、ロイの友人が着けていてね。彼女はそれを外したがっているし、私はそれが欲しい」
「……じゃあ、普通に交渉して、譲り受ければ良いんじゃないですか?」
ナタリーは眉をひそめた。色々と不可解だ。そもそもロイドの友人である「彼女」とは誰なのだろう。ロイドに親しい女友達はいない。
「まあね」と男は答えた。
「ロイとは話がついているが、念のための保険さ。あの指輪を欲しがっている人間は他にもいるからな」
確かに、大きなダイヤなら魅力的だ。欲しがる人間は大勢いるだろう。
しかしそれなら何故、それを現在身に着けている「彼女」は外したがっているのだろう?
不可解だが、とにかくとナタリーは思った。
(とにかく無事にルーシーを返してもらわないと。何でもいいから早く目的を果たして、ルーシーを返してちょうだい)
誘拐犯と長いドライブの末、辿り着いたのは田舎の無人駅だった。
旅の間に2度、公衆電話からロイドと話をした。男がそばで見張っていて、多くの会話は出来なかったが、ロイドはルーシーの面倒を見ているベビーシッターとも毎日電話していると聞き、少しほっとした。
旅の間に誘拐犯の素性も知った。どこかで見覚えがある気がしていたが、昔テレビ等に出ていた元軍人の政治家だ。
軍国主義を説き、選挙で何度か敗れて、そのうちメディアでの露出も減った。そういう人もいたなぁ、という程度の認識だった。
まさかロイドと古くからの知り合いだとは知らなかった。
電話口でロイドは言った。
「ペレス大佐の言うことを聞いて、大人しくしていれば大丈夫。君とルーシーに危害は加えない」
「あなたは大丈夫なの?」
「大丈夫、心配ないよ」
「指輪を着けているお友達、本当に指輪を譲ってくれるの? 他にも欲しがってる人がいるって……もし奪われたら」
「取り返すよ。必ず指輪を手に入れて、君とルーシーを助ける」
決意のこもった響きに、ナタリーも心に誓った。
指輪を手に入れて、ルーシーを助け出して、家族3人揃って幸せになろう。
「ナタリー、会ったときに分かると思うから先に言っておく。指輪を着けている友達というのは、メリルだ。5年ぶりに再会して、今一緒にいる。2人きりじゃない。高校の同級生のキースと、サイモンもいる。キースは会ったことがあるだろ」
メリル。思いがけない女性の名前に、ナタリーは衝撃を受けた。
ずっと気になっていた夫の元婚約者だ。
5年前、ロイドが大怪我をして緊急入院、手術をした直後に失踪した婚約者。
ナタリーはロイドが入院していた病院の看護師だった。
入院中に婚約者に逃げられた不憫な患者の噂は、ナタリーの耳にも入り、担当する患者ではなかったがロイドのことは印象に残っていた。何度か話をしたこともあった。
そのときの印象が良かった。
大怪我をして生死をさまよい、気がつけば婚約者が居なくなっていた。ヒソヒソ看護師たちに噂される入院生活。
ロイドはとても冷静で、礼儀正しく、誰を責めるでも当たり散らすでもなく、ただ回復に向けて最善を尽くしていた。
早く退院して、実家に帰っているのであろう彼女を迎えに行かなくてはと語っていた。
自分の不注意で大怪我をして、彼女に心労をかけてしまった。それを申し訳なく思っていると。
優しくて強い、さすが軍人の卵だなとナタリーは感心した。
ナタリーはロイドとメリルよりも4つ年上だ。
年齢を鑑みると、恋人の生死の危機に直面して逃げ出してしまったメリルのことも理解できた。まだ二十歳、幼いのだ。怖かったのだろう。
しかしまだ二十歳のこの青年は、そこらの中年よりもしっかりしている。さすが軍人の卵だ。




