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第十節.敗北の残響 後編

 最初にトップに躍り出たのは当然俺だった。加速は止まらない。王者は変わらず俺、それは揺るぎない事実なのは明白だった。

 加速していく体、置き去りにしていくライバル。

 思わず、笑みがこぼれる。


 ゴールまで残り50メートル


 油断した。だからこそ後ろから迫り来るその足音を聞き逃した。乾いたグラウンドを打つ音が、ひとつ、またひとつ。

 一定のリズムで、狂いなく。

 まるで最初からそこにいたみたいに、自然に。俺の意識を侵食していく。


 視界の端。俺の世界に割り込むように、一つの影が並んだ。

 歩幅、足音、呼吸の音、腕を振るタイミング、一挙手一投足その全てが、俺に重なる。


『おっと!王者、東雲楓に食らいつくのは空前絶後の転校生、小泉颯だ!』


 歯を食いしばり、前を向く。人生で初めて、負けるかもしれないと思った。


 その瞬間だった。


 全身が、見えない何かに絡め取られたみたいに重くなる。呼吸は乱れ、リズムは崩れ、さっきまで軽かったはずの足が、急に鉛みたいに重くなった。


 嫌だ。

 負けたくない。

 絶対に、負けたくない!!


 不安、焦燥、動揺、困惑。積み重なっていく足枷。


ゴールまで残り20メートル。


 たったそれだけの距離が、 限りなく遠く感じる。

 さっきまで俺とならんでいた影は少しずつ、俺を置き去りにしていく。


ゴールまで残り10メートル。


 研ぎ澄まされていたはずの感覚は、もう何も捉えられない。躍動していた肉体は、まるで別人のものみたいに動かなかった。

 生まれて始めた味わう、敗北の味。

 鮮明に見えていたはずのゴールは、小泉の大きな背中によって塞がれる。


 その背中を見た瞬間、勝ちたいだとか、負けたくないだとか、全部がどうでも良くなった。胸の熱が、すうっと引いていく。

 何も考えられないまま、最下位にだけはなりたくないというゴミみたいなプライドだけ残し、体を動かす。


 気付けば、勝負は決していた。


 歓声が、遠くで響いているのを感じる。


 一位は、小泉颯。

 二位は、俺だった。


――あぁ、俺は……負けたんだな。


『楓、勝ったぞ。』


……うるせえよ、■■(こいずみ)。そんなことは知ってんだよ。


 その日から、俺のいた場所は、少しずつ奪われていった。今まで目立たなかったはずの小泉は、気付けば、当たり前みたいに笑っていて。

 俺は、その輪の外から、その光景を眺める側になっていた。

 そして日を追うごとに、小泉の名前を呼ぶことも、顔をまともに見ることも、できなくなっていく。


 次の年の体育祭も、結果は同じだった。

 俺が二位で、小泉が一位。


 中学、高校に上がっても関係は、クラスの立ち位置は変わらなかった。相変わらず小泉は中心で、俺は目立たない存在。

 陸上大会、体育祭、全てにおいて小泉の一個下。どれだけ走っても、練習しても、それ以上の狂気的なまでの執念によって磨かれた小泉のセンスには敵わなかった。


 日の日に積み重なっていく劣等感。やがて劣等感は嫉妬へと変換され、その嫉妬は憎悪へと昇華する。

 追い付きたい。追い越したい、勝ちたい――そんな綺麗な、かっこつくような感情じゃない。


 ただ、一度だけでいいから、あいつの余裕ぶったその顔面を歪ませたい。俺の、圧倒的な実力でやつの選手としての価値を完膚無きまでにブチ壊してやりたい。

 俺から全部奪ったアイツに、「敗北」という烙印を押したいが為に、走り続けた 。

 誰よりも早く起き、誰よりも長く走り、誰よりも研究した。吐いても倒れてもすることは変わらない。足が、完全に動かなくなるまで走り続けた。


けれど、現実は残酷だった。


 俺が血反吐を吐いて積み上げたものを、あいつはまるで当然みたいな顔で追い越していく。俺が必死で掴もうとした景色を、あいつは最初から知っていたみたいに走る。

 どれだけ足掻いても、どれだけ踠いても俺はずっと――二番手だった。


 そして、高校二年の秋。小泉は、突然陸上を辞めた。


 理由は知らない。聞けるはずもなかった。

 けれど、胸の奥に最初に湧いた感情は、心配でも驚きでもなかった。


 ――安堵だった。


 自分でも最低だと思う。あいつがいなくなれば、ようやく俺が一番になれる。


 そんなことを、一瞬でも思ってしまった自分が、吐き気がするほど嫌だった。

 だから俺は、あいつの顔を完全に見られなくなったし名前も呼べなくなった。


 あいつに負け続けたからじゃない。

 負けた事実よりも、その事実に救われた自分を知ってしまったからだ。


 本当に憎んでいたのは、

 心の底からぶち壊したかったのは――



 沈んでいた意識が水面へと浮かび目を覚ます。

  目を覚ました空間はひんやりと冷えた薄暗い石造りの部屋。両手首には、冷たい鎖。

 壁に繋がれ、少し動くだけで金属音が耳障りに響く。


 隣には、三輪さんが、同じように拘束されていた。御門さんや赤城さんの姿はない。同じように捕まっているのか、それとも俺たちだけがここにいるのか。


 確かめる術はない。外界から切り離された、息苦しいほど閉ざされた空間だった。


「楓くん、起きた?ごめん、守れなかった……」


「いえ、大丈夫です……怪我も無さそうですし。」


「いや、そういうことじゃなくて……その……」


 三輪さんは、言葉を濁し気まずそうに目を逸らす。


『楓、ごめん。先に行く。―――』


 聞こえるはずのない声が、脳の奥で反響する。


――また、守れなかった。


「……小泉。」


 喉の奥から溢れたその名は、誰にも届かず、無機質な石壁に吸い込まれていく直後。


――カツン。


 暗闇の奥で、誰かの足音が響いた。

こちらの作品は、現在公開されている

『【通常版】アカシックテイル〜正義と魔術が交錯する現代魔導戦記〜』のエピソードを分割して公開している作品です。


【通常版】も一緒に、よろしくお願いします!

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