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第4幕 その3

 あまりにもバッドな幻覚に耐えられず逃げるように目を開けた――頬を熱いものが伝っていた。


 薄暗い。≪ストロボ≫が起こっているが自分の部屋だ。


 眼球が奥から膨張するようだった。眼圧が高まっている。瞼がピクつく。


 ――まずい!! この感覚は……。


 あっと思った時にはもう遅かった。膨れ上がった眼球の内側から幻覚が溢れ出す。


 開眼幻覚と閉眼幻覚が≪入れ替わる≫――まるで眼球からビームでも出てるみたいだった。一瞬の暗転ののち完全に俺はさっきの密室にいた。


 喉の奥から胃液がせりあがってくる。堪らず枕に吐しゃ物を吐く。


 男の子が泣いている。


 過去の俺が泣いている。


 幼い俺が泣いている。


「――――」


 吐き気が止まらない。だらしなくよだれが滴った。口内がとてつもなく苦く酸っぱい。胃液とフデコーの混ざった味だ。


 俺は顔中の体液を全部まき散らしながらどうにか逃れようとする。


 ――駄目だ――止まらない――その声を止めてくれ!


 ふと思い付いて何とか視界だけでもと後ろを見る。


 だが、しかし。そこにいたのは勉強机に座った小学生の俺だった。震える右手でコンパスの針を握っている。


 ――やめろ!


『ごめんなさいごめんなさい』


 小学生の俺は泣きながら勢いに任せてコンパスの針を太ももに突き刺した。


 あの時の痛みが蘇ってくる。痛みは左太ももから広がるように全身に伝わった。全身の毛穴という毛穴に鋭い針を刺されたような痛みが。


『ごめんなさいごめんなさい』


 痛い。痛い痛い。全身が痛い。心が、痛い。あの時の……罪悪感! 精神が――心がマズい!


『ごめんなさいごめんなさい』


「やめろ!」


 後ろ手で枕を投げつける。全くの無意味だった。


 俺は両手で耳をふさぐと目を閉じてうずくまった。


 だが幻覚は止まらない。


 運動会で便所飯ができずにおにぎりを流したこと。まだ自傷の意味も解らずにコンパスで太ももを刺したこと。倉庫に閉じ込められ放置されたこと。初めて震える手で覚せい剤を炙って吸ったこと。クリスマスに教会の前で首を吊ってやろうと思ったこと。雪の日琵琶湖近くの河に飛び込んだこと。


 過去のトラウマがいくつも、いや何十も同時的にとてつもない鮮明さで襲ってきた。寒くて痛くて悲しくて――心臓を糸ノコで乱暴に引かれているようだった。


「――――」


 たぶん叫んだんだと思う。凄まじい幻覚と幻聴でもうわからない。


「父さん……"母さん"……」


『なんで……大、好き、なのに……酷いことするの……』


 また幻聴がこだました。子供の俺の泣き声が。


『なんで……なんで……僕は――』


 ――――! ――――!


 死ぬ。そう思った。息が苦しい。息ができない。


 父さん――助けて下さい。僕はもう無理です。


 僕は"気付かれない子供"です。


 僕の泣き声は母さんに――SEKAIに伝わりませんでした。


 大好きなのに。


 こんなに僕はSEKAIをあいしているのに。


 だから僕は"気付く人"に、なり、たいって……。


 HA? 何を考Eてイル。わkあラナ1。わkあラナ1。


 完全に錯乱した。発狂する。


 喉が痛い。雄たけびを上げているからだ。


 手が痛い。テーブルを殴っているからだ。


 俺は奇声を上げながら、そこから、布団の上から逃げ出す。


 だが完全にメジコンに支配されうまく立ち上がれない。


 よろめいた俺は派手に転倒する。溜まりに溜まったブロンとレスタミンの空瓶に思いっきり突っ込み――SEKAIが終わった――。


 気付くと俺は床に倒れうずくまっていた。


 何だ。寒い。全身のあちこちが痛む。全身が濡れている。


 空瓶が散乱している。


 ふと目の前の空瓶が目に入る――。


 ブロンの空瓶に何か――メジコンか――が一錠だけ入っている。


 何だ。いつかのOD中に落としたのか。


 まだ曖昧な頭で思い出そうとする。メガネはどこだ。


 そうか。幻覚で過去がフラッシュバックして――。何となく思い出す。不整脈のように心臓が乱れた。胃が空なのか吐こうにも吐けなかった。


 濡れているのはジュースか。錯乱して殴りつけたのか、転んだ際にぶちまけたのか。よくわからない。


 何てバッドだ……。


「よく生きてるな……」


 思わず独りごちる。


 頭を撃ち抜かれた。そうとしか言えない。


 ――気付く。いや、そんなもんじゃない。この世の真理を見たような、悟りを得たような……そうだ。悟った。全部。


 全ては繋がっていた。


「は……ははは……」


 渇いた笑い。それは段々と高まっていく。


「あはは……あはははは」


 何て陳腐な。本当に下らない。使い古された言い回しだ。


 答えはすぐそばにある。あった。


 笑いながら俺は泣いていた。


 全身を濡らしうずくまって泣いた。どんどん涙が熱くなっていく。目頭が焼けるようだ。


 手で顔を覆ってむせび泣いた。


 涙はとめどなく枯れることがないようだった。


 それは俺を救うものだった。俺を許すものだった。全部を救うものだった。全てを許すものだった。呪いを解くものだった。死体だらけの密室を解体するものだった。


「"よく生きてるな"」


 本当に――本当に、よく生きてるな"俺"。よく"生き残ったな"。たくさん辛かったのによく生き残ったよ。


 母親に、母性愛に呪われて、ヒキニートになって苦しかったな。何度も死のうとしたな。首吊ろうとしたな。一杯SEKAI呪ったな。二月に自殺旅行した琵琶湖の近く寒かったな。雪が降ってたな。地下道のミラーで首吊ろうとしたな。手冷たかったな。怖くて安い焼酎とレスタミンを一瓶一気飲みしたな。最悪の味だったな。大泣きながら縄に首掛けたな。でも死ねなかったな。絶望だったな。それで河に飛びこんだな。やっぱり死ねなかったな。


 よく生き残ったよ、俺。


 よたよたと立ち上がる。


 そうだ。ただの動作で終わらせるな。自覚しろ。


 お前は今立ち上がったんだ。


 ジョニィ・ジョースターのようにスタンドアップしたんだ。


 コケたけど立ち上がったんだよ、お前は。


 この薄暗い部屋の中立ち向かうと決めたんだ。


 そう――"薄"暗い。


 だが、真っ暗じゃないんだ。


 俺の目は見えている。メガネがなくても見えている。


 ACE COOL、あんたは正しかったよ――。


 ――人生はかなりハード けれども暗くはない

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