第14話 ショパン信者はかく語りき
神社からの帰り道、櫻ノ島から本土へ戻る橋の近くにある広場にて、小さなオーケストラコンサートが開かれていた。地元で活動している楽団のコンサートのようで、二十人程度の少人数ではあるが力強く美しい音色に導かれ、多くの観光客が広場に集まっていた。
「ヴィヴァルディですね」
広場の縁に立ち、神城がそう呟いた。彼らが今演奏しているのはヴィヴァルディの『四季』より『春』、第一楽章。クラシックに触れたことがない人でも聞き覚えがあるはずの曲だ。
「俺は『冬』の方が好きだな」
「あ、それも良いですね。演奏するのは難しいですけど」
「え? 弾いたことあるのか?」
「はい、バイオリンを習っていましたので」
神城のお嬢様レベルが五ぐらい上がった気がする。
「じゃあ、神城って結構クラシックとか詳しいのか?」
「はい、多少は。あとピアノ曲も好きなんです、ピアノも少し習ってましたので」
神城のお嬢様レベルがさらに五ぐらい上がった。神城って自分はそんなにお嬢様ではないと謙遜していたが、やっぱりそれなりの家柄なのではないだろうか。
「もしかして、昴さんもクラシックはお詳しいのですか?」
「まぁな、意外かもしれないが。バイオリンにはあまり明るくないが、ピアノ曲とかはよく聞く。最近はMyTubeで色々聞けるからな。神城も聞いたりするのか?」
「はい、私はレコードで聞くのが好きですね」
「それは珍しいな」
「ふふっ、なんというかレコードの音質って独特の迫力があって、レコードをかけているだけでとても気分が落ち着くんですよ」
と、神城は笑顔で語るが。
ピアノとバイオリンを習ってて、レコードを聞ける環境で暮らしてるって、どれぐらいお金持ちかどうかは別として、QOLが高そうな生活してるな……。
すると、小さな楽団が新たな曲の演奏を始めた。先程の『春』に比べると知名度はあまりないかもしれないが、その名が故郷にある空港の名前に冠される程の偉大な音楽家の曲だ。
「あ、これも聞いたことがあります。確かショパンの……な、何でしたっけ?」
「ピアノ協奏曲、第一番だな」
ポーランドの作曲家、フレデリック・ショパンが作曲したピアノ協奏曲の一つ。有名なピアノコンクールの課題曲にもなるし、クラシック音楽をテーマにした某少女漫画にも登場したから知っている人も少なくないだろう。
「ショパンが残したピアノ協奏曲は二曲だけ……しかも祖国を去り、ウィーンやパリで活動を始めた若い時代に作曲している。ピアノの詩人と評されるショパンだが、二曲しかないピアノ協奏曲にも、ショパンの叙情的な音楽性がよく現れていると思う」
ピアノ協奏曲と言う割にはピアノの比重が大きく感じられるような感じもするが、逆にピアノ一つでもその曲の魅力が伝わりやすいから、当時の人に受け入れられていったのだろう。
「後に『革命のエチュード』こと練習曲第十二番ハ短調を作曲したように、ただ故郷ポーランドを去っただけでなく、圧政に立ち向かう人々の勇気と決意の行動が失敗に終わった悲しさ……今の俺達には到底理解出来そうのない環境で育ったことが、ショパンの音楽性に少なからず影響を与えたはずだ」
ピアノの詩人と評されるショパンは多くのピアノ曲を残したが、彼の音楽はとても繊細で叙情的な雰囲気があり、なおかつ情熱さをも感じさせる。
残念ながら彼が生きた時代に祖国ポーランドに英雄が現れることこそなかったが、戦った舞台は違えど、今も祖国だけでなく世界中の人々に知られる楽曲を作った彼の活躍は、十分に英雄という称号に値するだろう。
「まぁショパンの曲はどれもありきたりで、リストとかドビュッシーの方が好きって人もいるだろうがな。俺もフランツ・リストってカッケーって思ってたし……でもやっぱり、偉大なピアノ曲の作曲家と言えば真っ先に思い浮かぶのはフレデリック・ショパンだな」
と、俺は心の中でそんなカッコつけたことを考えていたつもりだったのだが。俺の隣で楽団の演奏を聞いていた神城が、驚いた表情で俺のことを見ていた。
「昴さんって、かなりクラシックにお詳しいのですね。特に、ショパンについてそんなに語ることが出来るなんて」
「……え? 俺、口に出してた?」
「はい。ショパンへの思いを熱く語られてましたよ?」
「マジ?」
「はい、マジです」
俺は心の中で独白していたつもりだったのだが、どうやらショパンへの思いを口に出してしまっていたらしい。
神城からその事実を知らされると急に恥ずかしくなってきて顔が熱くなってくる。
やべぇ、これだと俺がショパン信者みたいじゃん。カッコつけてショパンについてダラダラと語るとかちょっと痛過ぎるだろ。
と、俺が自分のあまりの痛さに悶絶する中、神城はそれをからかうようなことはせずに穏やかな笑みを浮かべていた。
「もしかして、昴さんもピアノを習っていたんですか?」
「……いや、知人が詳しいってだけだよ」
「もしかして琴乃さんですか?」
「まぁボリノもショパン信者だが、別の奴さ。色々あってな」
あぁ恥ずかしい恥ずかしい。神城もクラシック音楽には造詣があるみたいだから良かったが、そういう知識がない神城にダラダラとうんちくを聞かせるだなんて場合によっては幻滅されかねないだろう。あまり自分が持っている知識をひけらかすのは良くない、そんなのただの自己満足だ。
その後、俺は神城と歩いて駅まで向かい、電車の中でもクラシック音楽談義に花を咲かせていた。あまり俺の過去について詮索されないよう、なんとなくところどころ誤魔化しながら。
そんな心臓に悪いやり取りを続けていると俺と神城の家がある最寄り駅へと到着し、名残惜しいが別れの時が近づいていた。
「あの、昴さん。明日って何かご予定ありますか?」
「いや、何もないけど」
「では、もしよろしければ明日も……その、昴さんにお会いしたいです」
俺の手をギュッと握って照れくさそうにねだる神城の可愛らしい姿は、俺の息の根を止めようとしていた。
このいじらしさ、殺人級。
「あぁ、勿論構わないとも。どこか行きたいところあるか?」
「で、でしたら、私……昴さんに勉強を教えてもらいたいです」
「え? 俺が神城に? 神城って頭良さそうだけど」
「私、文系選択なんですけど社会科目があまり得意ではなくてですね……」
幸いにも俺も文系選択で社会科目は得意だから、明日は市立図書館で神城に勉強を教えることになった。
こうして平日の放課後だけじゃなくて休日も神城と一緒にいられるだなんてまるで夢のようだ。
こんなに可愛い彼女がこんなにも自分のことを好きになってくれるだなんて、もうこんなのおみくじが大凶だって関係ないぐらい──なんて浮かれいた俺の耳に、現実を思い知らせるような声が聞こえてきた。
「お、お兄ちゃん……?」
お兄ちゃんと呼ばれて、俺はハッとして声がした方を向く。
そこに佇んでいたのは、俺と同じ学校の女子の制服を着た、黒髪ボブヘアーの少女だった。信じられないと言わんばかりの驚いたような表情で俺と神城のことを見ていた。
「し、雫……」
津々見雫。俺の二つ下の妹だ。
そうか、最寄りだとこういうこともありえるか……こうして雫と出くわしてしまう可能性をすっかり失念していた。
そして、俺に妹がいることを知らない神城は何事かと戸惑っていたようだが、雫が俺のことをお兄ちゃんと呼んだからか俺達の関係に納得がいったようで、笑顔で雫に話しかけた。
「もしかして、昴さんの妹さんですか?」
神城の天使のような笑顔を見せられ、雫は少しビクッと体を震わせていた。
それもそうだ。お嬢様学校として有名な杠葉女学院に通う可愛らしい女子に微笑みかけられたらそりゃ胸がドキッとするだろうし、どうしてリハジョの生徒が俺と一緒にいるのか雫は理解が追いつかないだろう。
だが、雫は人見知りするようなタイプじゃないし、気持ちの切り替えが上手いタイプだ。すぐに表情をキリッと戻して口を開く。
「私は津々見雫、その人の妹で高校一年生です。貴方は?」
「私は神城小春と申します。僭越ながら、昴さんとお付き合いをさせていただいております」
そう言って神城は丁寧に頭を下げた。
そして神城の自己紹介を受けた雫は、いつもは俺に対して無関心なのに信じられないという目で俺のことを見てきた。まぁさぞ信じられないことだろう。
「……そうなんですね。兄は色々と至らない部分もあるかとは思いますが、よろしくお願いします。では」
と、雫は一方的に会話をちょん切ってスタスタと立ち去ってしまったのだった。
神城としては俺の妹とももっと親睦を深めたかったかもしれないが、雫の素っ気なさに呆気にとられたようで、そして……兄妹だから帰る家は同じはずなのにどうして一緒に帰らないのだろうかと、疑問に思ったかもしれない。
まともに会話も交わさなかった俺と雫を見て、神城は俺達兄妹の複雑な関係に気づいてしまっただろう。俺のことを心配そうな面持ちで見る神城に対し俺は言う。
「俺、雫に嫌われてるんだよ。色々あってな」
「そ、そうなんですね……」
お兄さんと仲が良かったらしい神城にとっては中々信じがたい関係なのかもしれないが、兄妹だからといってそんなベタベタするわけでもないだろうし、かといって俺と雫のように仲が険悪だとも限らないだろう。
それはきっと兄弟姉妹の数だけ色んなパターンがあるはずだ。だから、俺と雫の関係が珍しいというわけでもないはずだ。
「まぁ、神城が気にすることじゃないさ。ウチは昔からこんなんだから。じゃあ、また明日な」
「あ、はいっ。た、楽しみにしてますねっ」
俺も神城に深く詮索されたくなかったので早めに話を切り上げて駅で神城と別れた。昨日みたいに俺の家に行きたがらなかったのは、俺と雫に気を遣ってくれたのかもしれない。
そして俺が帰宅して自分の部屋に向かおうとすると、廊下で先に帰宅していた雫とすれ違った。まだ制服姿だから、これから入浴でもするのだろう。
「ただいま」
俺がそう声をかけても、いつもなら雫は何の反応もしないのだが──。
「ねぇ、お兄ちゃん」
雫に声をかけられて、俺はびっくりして雫の方を向く。雫はせっかく可愛らしい顔立ちなのに、俺には無愛想な態度を見せるが……。
「いつの間に彼女作ってたの?」
まさか、雫がそんなことに興味を示すとは思わなかった。いや、まさか俺に神城みたいな可愛い彼女が出来るだなんて信じられなかったのだろう。
「昨日だ」
「き、昨日?」
「あぁ」
雫は少し驚いたような様子を見せたが、やはりあまり興味が無いのかプイッと顔を背けると。
「そ」
とそっけなく呟いてスタスタと廊下を進み、風呂場へと向かったのだった。
……雫とこうして言葉を交わしたのはいつぶりだろうか。
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