#19 BROTHER・中編
上空にいる鳥の目は二人の男を追いかけている。秋町の憩い公園の森の中へ、枝葉をかき分け地面へとぐぅぅぅぅんと視点は寄っていく。二人の男はただ走っているのではなく、強大な何者かから逃げているようだった。
フーヤ・ルスクと馬場悦治は無我夢中で走っていた。突然、降って沸いた愚者愚者団・団長のアカメの威圧を正面から受け止めるには変則的な戦い方を得意とする二人では無理だと判断したからだった。
「馬場さん、あれって確か序列99位でしたよね‥‥ハァ、ハァ‥‥アネキよりもプレッシャーがあるんすけど」
ルスクはアカメのことを知っていた。学園都市の夜中に爆音を鳴らして集団バイクで走る迷惑な連中‥‥そのリーダーの団長アカメ。
「ハァ、ハァ‥‥序列だけで判断しちゃいけないぜ、ルスク。肌感を信じな‥‥あれは──」
「僕たちより強い‥‥圧倒的に」
折れた右腕を庇いながら走る馬場の言葉に呼応してルスクが言った。馬場は「ハハッ」と楽しそうな笑みをこぼす。
「官能乙一を適当に足止めして分け前だけもらうつもりがねえ‥‥まさか、秘密兵器を使う羽目になるとは」
馬場がついに足を止めて、黄色い落ち葉の地面をまさぐると黒い硬質の何かが埋まっている。
息を乱した馬場が「下がってな!」と叫び、黒い硬質に左手で触れた。
「俺の校則違反はアカデミア型『装備に相応しい身体能力を得る』だぜえ!!!」
地面がめくれ上がり、鋼鉄製の巨大な大砲が掘り起こされた。
ひざに手をつき息を整えているルスクは(これがアイテムマンの能力‥‥装備として認識する物であれば、最適に使用できるようになる。例え、それが『土の中に埋まっていようとも』手で触れたら重量も関係ない)と冷静に考える。それは、小人族の勇者の血筋による使命のような思考だった。
帆船の横腹に設置されているような砲台を馬場は左腕一本で今来た道に向ける。砲身が水平より少し斜め上に傾き、ドスンドスンと足音を鳴らして向かってくる真っ赤に充血したアカメに狙いを定めた。
「一応、この砲台は校則の内だぜえ。つまり、殺傷能力はないカウントだ。悪いが俺はプロフェッショナルなんでな、はずさないぜ」
黒いマントをなびかせて、馬場が火種もないまま砲弾を放った。
「上等だっ、受け止めてやるよ!!!」
ドカンと音速を超えた砲弾をアカメは両腕で抱きしめる。
ズドーーーーーーン!!!
アカメの厚い胸板が砲弾を受け止めた瞬間、火炎呪符が爆発して火の柱を上げる。それは、火の呪術の込めた魔法弾であった。
特攻服姿のリーゼントが砲弾の勢いで後ろに倒れて、そのまま火柱に包まれた。
馬場とルスクが唾液を飲み込む。その破壊力の高さに『もしかして殺してしまったのか?』と焦ってしまう。
「‥‥‥‥殺ったか?」
折れた右腕のせいで違和感のある重心になっている馬場がそう口にした。
「あ‥‥馬場さん、それは──」
ルスクがままならない思考で何故か手を伸ばしてしまう。しかし、その手が馬場の元に届く前にアカメの声が響く。
「そのフラグ‥‥折ったぞ!!!」
仰向けで火だるまになっているアカメが元気に立ち上がり、馬場に向けて指をさす。
すると、馬場の左腕と右足と左足の関節は予備動作もなく鈍い音を鳴らして折れた。
「ギャァァァッ‥‥アガガッ‥‥」
ハードボイルドな馬場悦治とは思えない甲高い悲鳴を発し、彼はあまりにの激痛のせいで気を失った。
「悪いな‥‥俺は乙一よりも硬いんだ。敵を前にして全速力で逃げる、高火力の秘密兵器を使う、『やったか?』と確認してしまう。そりゃあ、骨が3本は折れるだろうよ」
火柱が落ち着いたアカメはノーダメージで余裕のある笑みでそう言った。
「‥‥めちゃくちゃだ」
ルスクが馬場を救うつもりで差し出した手を引っ込めてそうこぼした。
「‥‥めちゃくちゃ過ぎるよ、あんたっ!!!」
馬場が無惨にやられた怒りというよりは、序列や特異レベルにこだわらない目の前の男は学園の流儀に反している‥‥そのことに強烈な怒りを覚えたのであった。
「おいおい、勘弁してくれよ‥‥強さこそが正義!!! それが学園の流儀だろうがよおぉぉぉ!!!!」
恐竜のうめき声でアカメが充血した瞳をギラギラと輝かせて叫んだ。
ビリビリとするプレッシャーにルスクは一歩、二歩と下がってしまうが歯を食いしばって自分の流儀を貫く。
「序列7位、特異レベル7、ヒステリック型『ギャンブルを提案し、強制的に参加させる』能力を使う。僕はフーヤ・ルスク‥‥学園会総長で勇者の【弟】だ!!!」
中学3年の小人族にしては高身長(160センチ)のルスクが20面ダイスを取り出して指に挟んで見せる。ちなみに、アカメは2メートルはあろう細マッチョな長身である。
「いいぜ、乗ってやるよ!」
「違う、あんたは乗るしかないんだ。超カウンター型の校則違反の特性ゆえ、あんたは挑発的な態度をとって僕の失言を誘っている、そうだろ?」
「へえ‥‥だったらどうするんだい?」
アカメの挑戦的な態度を受けてから、ルスクがダイスを空中に投げる。
「この20面ダイスが奇数なら僕の勝ち、偶数ならあんたの勝ちだ。僕は自身の攻撃力を賭ける、あんたはその自慢の守備力を賭けてもらう」
ルスクの校則違反が発動して、アカメはギャンブルに強制的に参加させられた。
学園都市の至る場所で起こるイベントを鳥の目は確実に捉えている。
全てが同時間軸で進むイベントを鳥の目は決して見逃さない。
ここは都市中央にある高等部校舎の屋上、二つの人影。
陶器人形のような小人族の小柄なターヤ・ハレヤは人差し指の先にビー玉サイズの火の玉を生み出し、高速で発射した。
フェンスを握って不安そうに首をふっていた佐藤美紀は、その小さな火の玉をタイミング良くパクリと食べるとキャンディーのように舌の上で転がした。
「‥‥美味しい」
決して油断ではなかった。ただ、自分の魔力を舐められるという不気味さにハレヤは目を細めただけだった。
その隙でも油断でもない僅かな仕草の間に、佐藤美紀の姿形が変身する。
「‥‥‥?」
ハレヤが無機質な瞳を見開いて驚いて見せる。
今さっきまでいた佐藤美紀の場所に、幾何学的なデザインの肌露出の多いビキニ姿の少女が佇んでいるからであった。
「初めまして、わたくしはパシフィス学園と申します。こたび、姉妹校であるアトランティスに【クエスト】を依頼しに参りましたの」
ハレヤが目の前の少女の脅威度を最悪と判断して、体内の闇の魔力を暴走させる。
“闇堕ち“していく小人族ハレヤの陶器人形の肌が黒く染まっていき、逆に髪は白髪に染まっていく。
「他校の学園コアがクエスト依頼なんて、笑えない冗談だね」
体に闇と雷を纏ったハレヤがどこからともなく【勇者の盾】を取りだして構えをとる。
「冗談ではありませんわ。【姉妹学園協定】により、他校生徒にクエストを発注することは数千年前から可能ですのよ」
すでに佐藤美紀の面影は一ミリもないパシフィスの表情は妖艶で卑しさで満ちていた。
「‥‥クエストの内容によるね。教えてもらっても?」
「ええ、もちろん。わたくしの学園が異星獣に占領されてしまい、生徒たちは緊急避難活動に移行‥‥つまり、石化しましたの。考えられる? わたくしの美しい学園がモンスターの巣にされてしまいましたの。こんな屈辱、我慢できませんわ‥‥だから、わたくしはアトランティスに不服ながら、『我が学園を異星獣から解放』するクエストを依頼することに決めましたの」
「君は何を言っているのか理解しているのか? モンスターの巣にモブキャラを送り込んでも、皆殺しにされて無駄になるだけだ」
「ええ、理解してますわ。でも、わたくしの学園を解放するためには万が一の確率でもこの方法しか残されておりませんの」
「そんな依頼、アトランティスが受けるとは思わないけど」
「ええ、アトランティスったらわたくしから逃げ回って会ってさえくれないの。だから、こうして力の及ばない他校で小さなイベントを発生させて、無視できないようにしてやりましたの‥‥もしかして、あなたを殺したらアトランティスは逢いに来てくれるかしら」
「僕にそんな価値はないよ」
「あら、そうは思いませんわ。アトランティス学園のゲストキャラクターのターヤ・ハレヤさん。【裏勇者】の称号をお持ちのあなたが死ぬことはアトランティスが許さないはずよ」
褐色の肌、真っ白な髪の毛の闇と雷属性に反転したハレヤは「やれやれ」と首を横に振った。
「同情はするけど‥‥学園に危害を加えることは【裏勇者】として許せない」
ハレヤが負の魔力を最大限、解放した。屋上に闇夜が訪れて、雷鳴が轟く。
「まあ、素敵ですわ! わたくしの学園のゲストにこれほどのレベルがあれば、きっと異星獣も返り討ちにしたでしょうに。はぁ‥‥あなたは弱虫アトランティスにはもったいないですわ」
パシフィスがアサルトライフルと熱を収束させたヒートソードを両手に出現させる。
「弱虫アトランティス! 急いで助けに来ないとあなたのゲストを殺してしまいますわよ!!!」
ズドドドドド──殺傷能力の高いアサルトライフルが連続で発射される。
ハレヤがそれを勇者の盾で全て防ぐ。学園の流儀に相応しくない命を賭けた戦い、ここは放課後の屋上。
高等部の校庭は官能死異子の校則違反によって【黄泉】へと世界観を変えられていた。
靴が浸かるぐらいの水の張った湿地帯、真ん中を割るように小川が流れ、雨が降り続く。
「5、4、3、2‥‥弐の型・月光!!!」
お兄ちゃんと近接で打ち合い続ける双樹と夢生から少し後ろに陣取る無花果が時間通りに居合技を放つ。
双樹が夢生の袖を引っ張り、そのまま横へ退避する。三日月の軌道を描く“飛ぶ斬撃“がお兄ちゃんを襲う。
「‥‥‥‥」
長い前髪で表情の見えない乙一は回避さえしなかった。魔力を帯びた電気の膜が斬撃を弾きどこかへやった。
「‥‥ちいっ!!! 次、15秒後行くぞッ!!!」
無花果は息を大きく吸い込み、木刀の先の気を高める。
すかさず、双樹と夢生がまたお兄ちゃんとの距離を詰め、蓮撃を繰り返す。
体格の良い双樹はコンビネーションを繰り出しながら(ダメだダメだ! どれだけ、打ち込んでも回避されるか防御されるか電気の膜に弾かれる。まだ、一発も当たってない)と、戦況の悪さに冷や汗が伝っていた。
双樹の『才能を借りている』という夢生は想定以上に、双樹の動きに酷似しており、連携は完璧以上の成果を出していた。
一度、油断こそしたものの、立て直した夢生は無我夢中で双樹についてきている。つまり、戦況の悪さは純粋な『双樹自身の実力のなさ』だということだった。
乙一の身長は178センチで、双樹の身長は180センチである。お兄ちゃんの身長を抜いてしまったあの日、双樹はちょっとだけ泣いてしまった。
涙の理由はお兄ちゃんが自分のことを妹として見てくれなくなるんじゃないかという意味不明な不安からだった。
そんな不安を解消するために、双樹は誰よりも努力していつかお兄ちゃんの隣で共に戦うことを誓った。
しかし、この様である。双樹の拳はお兄ちゃんに当たりも擦りもしない。
「‥‥嫌になるッ!!!」
力の入った双樹のパンチングモーションが通常よりも一回り大きくなってしまう。
その瞬間、両腕が使えないお兄ちゃんの鋭い前蹴りが双樹のみぞおちに突き刺さった。
「ぐふっ!!!」
双樹は唾液のあとに血を吐いた。
すると攻防に混乱した夢生が双樹に駆け寄ろうとしたところをお兄ちゃんが追い討ちサッカーボールキックを放つ。
「夢生、避けろ!!!」
双樹がそう叫び、夢生が咄嗟に体を丸めて腕とひざで防御姿勢をとる。
お兄ちゃんのサッカーボールキックは空を切っただけだった。
それが、ただのフェイントだったと双樹が気付いた時、お兄ちゃんが履いている高等部指定のスポーツシューズは足の指先から離れ、音速を超えて発射された。
いきなり飛んでくるスポーツシューズに反応できた姉妹はいなかった。それぐらい、予想外の攻撃だったのである。
強弓の矢のようにまっすぐと飛ぶ靴は中間距離にいた無花果を無視して、後方の三輪の顔面を一寸の狂いなく狙っていた。
「みんな、ごめんねえ‥‥あとはよろしく──」
三輪は『約束をやぶれば』回避できたかも知れなかったが、後ろで祝詞を唱える死異子にあたったら可哀想だと思って、身動きひとつとらずにスポーツシューズを顔面で受け止めたのであった。
結果、三輪は『その場から動いてしまい』約束を破った代償に体内電気が高圧に流れて、そのまま意識を飛ばして気を失った。
殆ど同時に前衛で防御体勢をとっていた夢生の体が『約束が破られたこと』で両腕が使えるようになったお兄ちゃんに掴まれて、ボーリングの球のようにただ勢い任せに投げられた。
湿地帯の浅い水面を水切り石のように夢生が吹き飛ばされ、ちょうど死異子の近くで止まった。
何が起きたか分からない夢生は目をグワングワン回して気を失ってしまった。
前線が双樹だけになったことで、彼女はお兄ちゃんの次の一撃を覚悟するが、その時は訪れなかった。
「──オオカムヅミ。乙一の能力を大幅に弱体化→双樹の能力を大幅に強化」
後衛の死異子が三白眼を細めてそう言葉にすると、お兄ちゃんは少しだけバランスを崩し肩をよろめかせた。
そして、経験したことのない能力向上を双樹は受け入れて立ち上がった。
「‥‥これが兄貴の力の一部」
(あぁ、そうか‥‥そうだよな。私のお兄ちゃんなんだもんな‥‥強くなるために、私の百倍は努力してるに決まってるよな)
死異子のオオカムヅミによって乙一のステータスの一部に触れた双樹は清々しいほど敗北した気分だった。
それは、ただの才能という単語で片付けるにはあまりにも血生臭い能力値であり、努力による結果であったからだった。
双樹は音を置き去りにする【空拳】を放つ。
ただ、拳を受け止めて欲しくて、百分の一の私の努力を知って欲しくて。
そんな思いの入った空拳を乙一はハエを落とすように振り払った。
「兄貴ってさ、本当に情け容赦ねえのなッ!!!」
ハハッ! と笑って、双樹がまた距離を縮めに行った。
お兄ちゃんは双樹の『意識を刈り取る』ため集中モードに入る。
「5、4、3、2‥‥参の型・竹光」
木刀から伸びた光線を無花果がお兄ちゃんへと叩きつける。
お兄ちゃんは腕を交差してそれを受けとめる。
「そこっ!!!」
双樹が腰を深く落として、最短の距離で拳突きを放った。
拳は乙一の電気の膜を破り、高等部指定の学ランに触れる。
乙一から奪った能力値と、双樹の思いを乗せた、重い拳はメキメキと骨の割れる音を響かせた。
「っつうッ!!! この学ラン、かてえ!!!」
折れたのは双樹の拳だった。その時、双樹が真っ先に思い浮かべたのは、隣の家の日々徒然のことだった。
お兄ちゃんの親友の一人であるマッドサイエンティストなら、拳を砕く強度をもった学ランを作っていてもおかしくないと考えた。
才能・努力・能力‥‥それらに加えて、“装備“まで充実しているお兄ちゃんに双樹は心底呆れるのであった。
そして、双樹は一対一でお兄ちゃんと向き合うことになる。
下唇を噛んで、攻撃を繰り出す。お兄ちゃんの『意識を刈り取る』動きに備える。
「‥‥‥‥」
どこからともなく飛んできたスーパーボールが乙一の後頭部に発生した電気の膜に触れて弾かれる。
そのおかげで、『意識を刈り取る』集中は途切れ、双樹のコンビネーションは続けて放たれる。
(七流か!? あいつ、完璧に気配を消してるな。いやだな、末っ娘に抜かされるのは)
そんな思いとは裏腹、双樹の集中力が研ぎ澄ませれていく。拳が乙一の防御網をかいくぐり、堅すぎる学ランに触れるようになっていく。
「5、4、3、2‥‥四の型・残光!!!」
双樹の空拳の隙間の縫って二連撃の飛ぶ斬撃がお兄ちゃんを襲う。
一撃目を微動で回避した乙一であったが、二撃目にしてついに無花果の攻撃も電気の膜を破り学ランに到達する。
しかし、学ランには傷一つつかない。
「次ッ! 20秒後!!!」
無花果がそう叫んで構えを取り直す。
「──ヨモイツクサ。三輪・幾束・夢生を私の意識で操れる」
同時に声が上がると、死異子の近くで気を失った三輪と幾束と夢生が生気のない瞳で立ち上がり、乙一に向かって突進を始めた。
「病院は予約してあるから我慢しなさい」
死異子がそう呟いて、鬼のツノで三人を操作する。
ここからは戦闘というよりは、ただの破茶滅茶であった。
雨の勢いが強まり、足場の悪くなった黄泉の湿地は皆の動きをぎこちなくする。
死異子に操作される三人は攻撃というよりは、撹乱を目的とした不規則な動きをし、乙一の隙を作り、そこに双樹の拳がピンポイントに突き刺さる。
双樹の両手拳は既に血まみれになり、中の骨は砕けていた。それでも、双樹はお兄ちゃんに拳が届く喜びに手が止められなかった。
石色のツノを生やした死異子は(一発‥‥一発でいいから、ダメージの通るの攻撃を当てられたら‥‥みんな満足するんじゃないかしら)と後方で冷静に考えていた。
しかし、その『ダメージの通る一発』が遥かを思わせるほど遠いのである。
(最後は私の“イザナミ“で‥‥)
そう考え、さらに意識を強めていく。死異子の意識は黄泉に振る雨に反映されて、水玉の量を増やしていく。
「5、4、3、2‥‥五の型・弧光!!!」
姉妹の中で感情に振り回されず淡々と自分の任務をこなす無花果が五の型を放った。
無花果の『時間通りの攻撃』はいよいよ只事じゃない威力を放ち始める。その校則違反の特性『時間通り攻撃をすれば、するほど威力が増す』が本領を発揮する。
アーク形に磁力を帯びた斬撃が黄泉の湿地を割って、雨を切り裂いて、お兄ちゃんを捉える。
──官能乙一は無花果の斬撃を明確な回避運動で横に逃げた。
長女と次女と四女は初めてみるお兄ちゃんの明確な回避運動に、阿吽の呼吸で(よしっ!!!)と心の中で意気込んだ。
この時、官能乙一は自分でも計画していなかった動きに微かに残る驚きという感情が反応してしまう。
──刹那。学園の校則が曖昧な【黄泉】の効果と相まって、乙一の意識が世界の理へと引きづり込まれてしまった。
乙一という肉体に経過する時間が停止し、意識だけが???の元を訪れる。
そこは田舎の夏を思わせるノスタルジアな個室。ブラウン管テレビの前でゲームをしている男の子が振り向いてこう口にする。
「やあ、官能乙一」
長い前髪で表情の見えない乙一は口元を綻ばせて、微笑んで返事をする。
「こんにちは、ゲームマスター‥‥やっと会えた」
男の子はゲームコントローラーを握りながら、クスクスと笑う。
「官能乙一って話せたんだ」
「うん。言葉って使えば使うほど価値をなくすからさ‥‥僕はもう君と以外は言葉を交わさないってルールを自分に課したんだ」
「へぇ、そうなんだ‥‥確かに、官能乙一の言葉に胸が踊っているよ。嬉しいな、ボクとだけこうして話してくれるなんて」
「近いうちに迎えに行くよ。その時は一緒にゲームしようよ」
「‥‥ありがとう、官能乙一。しかし、偶発的とはいえシステムを書き換えるのはいけないよ。ボクはゲームマスターとして、ルール違反者には罰を与えないといけない」
「うん、妹たちなら心配いらないよ。きっと、僕を止めてくれる」
「‥‥いいな、ボクも兄弟が欲しかったな」
「世界よりも大切な妹たちをいつか紹介するよ。楽しみに待っていて」
「そりゃ、楽しみだ‥‥じゃあ、申し訳ないけど官能乙一、罰を与えるよ」
「今度はルールを守って会いに来るよ、バイバイ」
「バイバイ」
官能乙一の意識が肉体に戻り、停止した時間が動き出す。
乙一は学ランを脱ぎ捨て、シワのないカッターシャツ姿に変わる。そして、顔に腕に足に体に銀色に輝く模様が浮き上がり、黒髪が伸びて地面に余るほどになった。
有り余る力を発散するように乙一が拳を地面に叩きつける。一瞬で水面が蒸発して、黄泉が揺れた。
キュルルルルッ、と乙一の銀色の模様が甲高い悲鳴をあげて、殺気を爆散させる。
「兄貴ッ、どうしたんだ!?」
距離をとったところで踏ん張る双樹がそう叫んだ。
「‥‥‥‥私の暴走した時と似ている???」
離れた場所にいる死異子が唖然として言った。
「5、4、3、2‥‥六の型・夜光!!!」
空気の読めない長女・無花果が広範囲に無差別に降り注ぐ斬撃を放った。
乙一が長い髪を振り回して、無限にも思える斬撃を全て空中で撃ち落とした。
「次ッ!!! 30秒後ッ!!!」
無花果は笑っていた。姉妹の中で彼女だけが全て計画通りに進んでいると勝手に思い込んでおり、狂気に似た充実感に満たされていたのだった。
そんな長女の空気の読めなさが、次女と四女をパニックから救った。
「悪いっ!!!」
双樹はそれだけ口にして、乙一へ近づくために足を踏み込んだ。
死異子は冷静さを取り戻すと三輪・幾束・夢生が、乙一が地面を殴った時の衝撃で重傷を負っていることに気づき、ヨモイツクサの能力を解除した。
そして、祝詞を唱えて『私に攻撃を加えた場合2倍になって跳ね返る』イザナミの準備を進める。
この極限の状況下で、末っ娘は乙一すら気付けないレベルで気配を完璧に消すことに成功していた。
そして、どうすれば大好きなお兄ちゃんに痛いのを一発ぶち込めるか悪戯の算段をたてている。