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第二十章 共感

 勧められた椅子に素直に腰を下ろし、クレメンティーナの話に耳を傾けていたアリーシャは無言で手のひらを己の額に当てた。

 だが、次第にその内容が終わりに向かうにつれて、アリーシャの項垂れる角度は徐々に深いものとなっていく。


『……そういうわけで、婚約を破棄された時点で幸いとばかりに逃げ出したのよね』


 一通りの話を終え、そう結んだクレメンティーナの前で、アリーシャはとうとう両手で顔を覆っていた。

 もう言葉も出ない風情で黙り込んだアリーシャに、恐々としたクレメンティーナの声がかかる。


『やっぱり、ひどいことをしたと思う?』


 罪悪感の滲んだ響きに、アリーシャは漸うと首を上げた。


『いえ。というか、それを言ってしまうと私も似たようなものなので……。だから、このことで貴女を責めるつもりはありませんし、そうなってしまった事情も重々分かります。ただ、お尋ねしたいことがあるのですが、よいでしょうか?』

『ええ、何かしら?』

『クレメンティーナ様は、父のことをどのように思っていたのですか?』


 端的な質問に、クレメンティーナの表情がわずかに硬くなった。

 これはなかなか厳しい問いかけだったかとアリーシャは思ったが、けれどもそこを聞かなければ話の核心が掴めそうにない。


『……正直なところを言うと、一番近いのは親戚の小さな男の子、って感じかしら。アレクシスとはほぼ初対面で婚約させられたのだけれど、そのときは私も彼も七歳だったし。しかも、私には生まれてからずっと前世の記憶があったわけだしね』

『……………………………………』


 アリーシャは言葉が出てこなかった。クレメンティーナの言わんとしていることはよく分かる。

 身も蓋もない事実だが、たとえこちらの世界での実年齢がどれだけ若かろうとも、その中身には前世の人生経験が加算されてしまっているのだ。

 勿論、断じて自分が望んだことではない。でも、そうでなくても結果として、外見と内側の乖離が如何ともしがたい感覚の違いを生じさせてしまうのは自明の理だった。


(まあ、精神年齢三十五歳の女が、七歳の男児との婚約を容易く受け入れられるわけがないわよね……)


 享年についてはアリーシャも大差ないだけに、むしろ当時のクレメンティーナに心から同情してしまう。


(というか、転生ものはラノベや漫画の定番だったけど、何でかヒロインって、そういう点についてはあまり真剣には悩まないんだよなあ……)


 いや、ヒロインではなくヒーローでも似たようなものだったか……とアリーシャが胸中で訂正していると、クレメンティーナの泣きそうな声がした。


『こっちにおける年齢では違うと分かっているけれど、でも、どうしても無理だったのよ。ショタコンもロリコンも駄目! 二十八歳下の相手を将来の結婚相手になんて見られない!!』


 心の底からの叫びに、アリーシャも深々と頷いてしまった。

 確かに、その感覚には共感しかない。


『ただ、そう言っても、特段の理由もないのに、王家と侯爵家の婚約なんてそうそう取り止めることはできないし……。だから、今は無理でも、自分も相手も年頃になればどうにか折り合いをつけられるかもと僅かな期待は持っていたんだけど』

『ですが、相手の精神年齢が、全く成長しなかったわけですね』


 身内なだけに全く容赦のないアリーシャの発言に、クレメンティーナの肩ががくりと落ちた。


『……庇う訳ではないけれど、私の存在がアレクシスに悪影響だったことも事実なのよ。こっちは中身が中身なんだから、子供に要求されることくらいは簡単にクリアできるし……。しかも厄介なことに、その要求される内容があくまで貴族仕様だったものだから、どこまでこなせるのが妥当なところなのか私には読めなかったのよね』

『あー、まあ、分かります。やり過ぎるつもりなんかないのに、次から次へと課題を与えられたら、当然それくらいはやらなきゃいけないものなのだと思ってしまうんですよね。読み書き計算程度ならまだしも、礼儀作法や教養とかになると……。前世の私は一般人でしたから、上流階級の人間が身につけなければならない素養なんて縁がなかったですし』


 出る杭は打たれるという。ゲームや小説などの創作物であれば、転生した主人公がチートで無双するのが定番の展開だが、この世界はそうではない。


『精神年齢が大人なので、周囲の人間から求められていることは汲み取れますし……、それに応じていたらまあ規格外の子供が出来上がりますよね』


 結果、そんな出来過ぎな子供が間近にいたら――。

 アリーシャは遠い目になった。


『色々と、ねじくれた性格に育って当然ですよね。同い年の婚約者、それも侯爵家とはいえ臣下の令嬢が、有り得ないくらい優秀なんですから。しかも、こちらの方は精神的に大人なので、幼い子相手に本気の本音で相対することはできませんし……。でも、子供ってそういうことは勘付きますよね』


 それも、一人息子の次期王太子である。大事に大事に育てられ、ちやほやされてきた子供だ。

 次第にクレメンティーナが本気で相手をしていないことを察して、プライドを傷つけられていったのだろう。

 そうして、積もり積もった結果、件の婚約破棄へと繋がったということか。

 クレメンティーナが苦く言う。


『私がいなければ、アレクシスはもう少し楽に生きられると思ってたから……。だから、アレクシスがエレインを選んだときには良かったと思ったのよね、私たちの関係はもうどうしようもないところまで来ていたし。なら、さっさと撤退すれば綺麗に収まるかと安易に考えてしまったの』

『品行方正で優秀な悪役令嬢の婚約破棄はテンプレですもんね』

『ちょ、もうちょっとオブラートに包んで!』


 それなりに説得力のある話ではあるだろうと同意するアリーシャに、クレメンティーナがわっと嘆く。

 アリーシャはこめかみを揉みほぐしながら、これまでのやり取りを頭の中で整理した。


『……では、単刀直入にお伺いしたいのですが、婚約を破棄されたことについてクレメンティーナ様にわだかまりはないのですか?』


 話しているうちに、すっかり同郷かつ同年代の同性相手としか思えなくなってきたクレメンティーナにアリーシャがずばりと訊くと、彼女は力強く首を振った。


『全然。元々、未来の王太子妃なんて御免だったもの。貴族として領民に養われている以上、その身分に相応しい義務は果たすべきだと思ってたから従っていただけだし。それがあっちから破棄してくれるんなら、むしろ大喜びで』

『お互い、前世が日本人ですしね……。そりゃあ国内でもそれなりに経済格差はありましたけど、こっちみたいな身分社会とは無縁でしたし。王族だの貴族だのって、どこの世界よって感覚ですもんね』


 現世では王族の一員に数えられるアリーシャであるが、血筋だけで敬われる身には未だに強い違和感を覚えるのだ。

 げんなりしたアリーシャの台詞に、クレメンティーナもうんうんと同意を返してくる。


『そう、まさしくそうなのよ!』


 アリーシャとクレメンティーナはそこで同時に目を合わせた。次いで、がっと互いの手を握り合う。

 傍から見れば金髪の美少女と銀髪の美女が手を取り合っている麗しい光景だが、そこにあるのはお互いへの深い理解と共感だった。アリーシャがこの世界に生まれて十五年。十五年もの月日を経て、まさかこんなところでこんな風に分かりあえる相手と巡り合えるとは。

 だが、そうして安堵を覚える一方で、アリーシャは頭の隅でこれまで抱いていた疑問が氷解していくのを感じていた。


(あー、そういうことか……)


 他ならぬ彼女の前だということもあり、アリーシャはここにきてようやく納得したことを口にする。


『でも、これで何となく分かりました』

『分かったって?』

『父が、私を疎んじていた理由です』


 短い言葉に、クレメンティーナの顔色がさっと変わった。

 間近にある紫紺の瞳をアリーシャは静かに見返す。

 これまでの会話でも思ったことだが、多分、自分と彼女はかなり近しい人間だ。

 前世からの記憶を持つ転生者であるという共通点についてもそうだが、生まれた先が上流階級だったことなども含め、自分たちにはあちこち重なるところがある。

 おそらくそれは年齢にそぐわぬ成熟さや言動等も含まれていて――、そして父はそのことに、つまりはかつて己を追い詰めたその特性がアリーシャにも備わっていることに気づいたのだろう。

 それゆえに、次第にアリーシャを忌避しだしたのだ。


(その結果、他国へ嫁に出そうとしたんだろうけど……。それなら、どうしてもっとちゃんと国益になりそうな相手を選ばないかなー)


 これがまっとうな、国のためになる政略結婚だったとしたら、まだアリーシャも前向きに受け止めたというのに。

 挙句モラヴィアを捨て石に、アナトールの保身を図ろうとしているというのなら、もう本当に二の句が継げない。

 アリーシャは深く深く息を吐き出した。


「クレメンティーナ様。教えていただいて、ありがとうございます」


 言葉を戻したアリーシャに、クレメンティーナも表情を変えた。

 握った手を放し、じっとアリーシャを見返してこちらの反応を窺っている。


「殿下?」

「クレメンティーナ様のおかげで、覚悟が決まりました」


 青い瞳に強い光を浮かべて、アリーシャは言う。


「ですから、このモラヴィアを守る為に私にも尽力させてください。そして――」


 その後に続けられた話の内容にクレメンティーナはわずかに目を見張る。けれども一瞬の間の後、彼女は力強く頷いてくれた。

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