第十六章 提案
そうして、アリーシャが思いついた案を二人に述べたその直後である。
「はあ!? ふざけんな!」
「この馬鹿! 何を考えてる!」
左右から響いた耳をつんざくような怒声に、アリーシャはうわ、と首を竦めた。
それにしても、カーライルはまだしも、エリオットの馬鹿呼ばわりは酷くなかろうか。これでも一応は、自分も王族なのに。
「いや、ちょっと、二人とも落ち着いて……」
少しトーンダウンしてくれと、両手を挙げて頼むが、少年たちのつり上がった目元が緩む気配はなかった。
それでも、先程よりは多少抑えた口調で、エリオットが口を開く。
「あのな、おまえは本気でそれを言ってるのか」
「当たり前よ。伊達や酔狂でこんなことを口にできるわけないでしょう」
「阿呆か。酔っぱらいの戯事の方が遥かにましだ」
エリオットのその声にも眼差しにも冷気が漂っているが、アリーシャは本気だった。
だが、そんなアリーシャの心情には頓着せずに、カーライルも容赦なく続ける。
「ウィズリーの発言は至極もっともだと、俺でも思うぞ。おまえ自分の立場分かってんのか」
彼の声音にも冷ややかな怒気が滲んでいる。
しかし生憎、こちらは肉体年齢は十五歳であるが、精神的なそれはその倍以上なのだ。
(面の皮が厚くて申し訳ないけどね)
とはいえ中身がそんななので、今更少年二人の怒り程度ではびくともしない。
我ながらふてぶてしいと心の中で嘆息しつつ、アリーシャは冷静に言った。
「分かってはいるけれど、たった三人しかいないこの状況で、他に手はあるとでも?」
アリーシャに正面から見据えられ、カーライルの瞳が揺れた。
「繰り返すけど、ここにいるのは三人だけ。そしてこれは偶然に近いけど、オイヴァの軍を真っ先に目にしたのも私たちだわ。だから、即座にモラヴィアにこのことを伝える必要がある。ここまでに異論はないわね?」
カーライルとエリオットは口を挟まなかった。
「それに、オイヴァがここまで入り込んできていることはまだ王宮も知らない筈。だって幾ら陛下でも、ここまで差し迫った事態で私を向かわせる真似はしないもの。逆に言うと、オイヴァはアナトールの中央部が軍を出す前にモラヴィアを陥落させるつもりでいて、速度最優先で動いてるんでしょう。だから、この事実も直ちに王宮に連絡しないといけない」
二本目の指を立てて見せるアリーシャのこの発言にも、彼らは否定しない。
「だから、ここで報告に向かう人間が最低二人は必要になる。違う?」
「そこまでなら、問題ないんだよ」
カーライルが苦い顔で言い返すと、エリオットもこれ以上ないと言うほどのしかめっ面になった。
「王宮への報告のために俺が戻るのも、トリスレードがモラヴィアに行くのもいい。でもな」
エリオットの言葉が一度途切れる。彼はそこで、すっと息を吸い込んだ。
「「それで、どうしておまえがゲド山に向かうんだ!?」」
エリオットとカーライルの声が綺麗に重なった。
意図せず実現した少年たちの見事な二重奏に、アリーシャは少し感心する。
(この二人、もしかしてかなり気が合うのでは?)
そう思いはしたものの、このまま結託されたら面倒なのでアリーシャはさっさと先を続ける。
「だって、ここには私しか〈壁〉を作動させられる人間がいないんだもの」
その言葉にカーライルは瞠目し、エリオットは眉を寄せた。
「何なんだ、その〈壁〉って」
不可解そうなエリオットの視線は無理もない。
このことを知っているのは一部の王家の人間と、後はトリスレードの者くらいだろう。
「……おまえはあれを動かせるのか?」
そのトリスレードの後継であるカーライルは、半信半疑といった様子だ。
そんな彼に、アリーシャは首をすくめてみせた。
「春に見て来たときには異常は見られなかったわ。低く見積もっても、全く効果がないということはないと思う」
「よく、確認できたな」
「まあ、そもそも〈壁〉の発案者が王族だしね。といっても、出戻った訳だけど」
「……出戻った?」
いささかこの場にそぐわぬ単語が飛び出て来たからか、エリオットが怪訝とした声をあげた。
「そう、その人はかつてトリスレード家に降嫁した元王女だったんだけど、夫と死別した後、彼女はモラヴィアを離れて王宮に戻ったの。王宮の書庫には彼女に関する資料が幾つも残ってるわ。私も以前読んだことがあって、〈壁〉についてもそれで知ったの」
そう口にしたが、実のところこれはかなり控えめな表現だった。
(それが転じて、視察に至ったわけなんだけど……、まさかこんなところで繋がるとは)
これは巡り合わせかそれとも運命の皮肉か。
けれども今この時、これがケンティフォリアに対する強力な一手となることは確かだった。
「ここであの〈壁〉が使えるのなら、城塞を防衛するのにかなりの助けになるでしょう」
「つまり、籠城しろと?」
カーライルは幾分声を低めた。長い睫毛が影を落として、藍色の瞳が沈んだ色合いとなっている。
「あっちは一気に押し切るつもりなんだから、城外での交戦は不利よ。だったらこちらは援軍が来るまで持ち堪えるべきだわ。半……いえ、一月あればオイヴァの方は手を引かせることができるだろうというのが陛下の判断だったし」
アリーシャの言っていることはそれなりに妥当だったのか、カーライルの顔に逡巡が浮かんだ。
だが、黙りこんだカーライルの代わりとばかりにエリオットが口を開く。
「……おまえらのいう〈壁〉が何かは知らないが、それなりに有効な手段だろうということは分かる。けど、それとこいつを危険に晒すというのは話が別だ」
断固として引き下がる気配がない彼に、アリーシャは真っ向から向き直る。
「でも、この現状でどこに安全な場所があると?」
容赦のない指摘に、エリオットはぐ、と言葉を詰まらせた。
「モラヴィアはいつ戦場になってもおかしくないし、かといって戻ろうにも、道中どこに敵兵が潜んでいるのかも分からないのよ」
正直、どっちもどっちでしかない。
「どちらも危険なら、別の方法をとるのも一つの手でしょ。確かに〈壁〉の仕掛けがあるのはゲド山の麓だけど、あの辺りにケンティフォリアの兵たちがいる可能性は低いわ。あなたたちのどちらかと行動するよりも安全だと思うけど」
それに、とアリーシャは北の方角へと視線をやった。
「そもそも、私がモラヴィアに行こうとしていた目的はケンティフォリアとオイヴァの動向を伝えるためだったわけだしね。でもこうして両国の軍が動きだした以上、その必要はなくなったわけだし……。なら、ここでできることをするわよ」
というよりも、打てる手があるにも関わらず何もせずのこのこ帰ろうものなら、間違いなく国王には無能者の烙印を押されることになるだろう。
(間違いなく、そっちの方が後々面倒なことになるだろうし)
強く言い切ったアリーシャに、少年二人は沈黙した。
そうして何だかんだと揉めはしたものの、最終的にカーライルとエリオットはアリーシャの意見を呑んだ。
真逆の方向へと馬で駆けていく二人の背を見送り、アリーシャも手にしていた手綱を引く。
傾斜の急な山道なので、速度を抑えて馬を走らせながらアリーシャはこの近隣の地形を思い描いた。
距離を考えれば、自分が目的とする地点に辿り着くのとカーライルがモラヴィアの城塞に到着するのとはあまり変わらないだろう。
エリオットは王宮への報せを出せれば即こちらに向かうと言っていたが、それが順調に行くかは正直分からなかった。
直接王宮に戻るのは時間の無駄なので、彼には最寄りの関所へ行ってもらい、王族が非常時に使用する早馬での伝達ともう一つ別口の伝達手段を頼んでいる。
上手くいけばすぐだろうが、そうでなければどれだけの時間がかかるかは不明だ。
(それにしてもほんと、一度こっちに来てて助かった……)
記憶を辿りながら、アリーシャは思わずそっと息を吐いた。
非常事態の対応として野営だの諸々の技能は叩き込まれているが、全く知らない土地でそれをやるのと、多少なりとも見覚えのある場所でやるのとでは大きな違いだ。
実際、半年前の件がなかったら、不承不承とはいえエリオットがこの案を受け入れることはなかっただろう。
曲がりなりにも実践した経験があったがゆえに、どうにか許された暴挙だとはアリーシャも自覚していた。
人の気配のない秋の森を黙々と進んでいたアリーシャの視界が、ふと開けた。
冷たい水の匂いとせせらぎの響きを感じる。そこは急な傾斜に挟まれた渓谷だった。
色づく木々の間をうねるように川の水が流れている。前に目にしたときと色合いこそ異なっているが、この地形に間違いはない。
(じゃあ、もう少しか)
後はこの川の流れに沿って上流へと向かうだけだ。
アリーシャが川沿いに歩き出したその頃、カーライルは己の生まれ育った城塞を眺めていた。
城下街に入ったときから感じていたことだが、平時とは明らかに人々の動きが違う。通りすがりの馬車の御者に話を聞くと、領内の、それも特に北部の住人に対して避難の指示が出されているとのことだった。
城塞都市であるモラヴィアの砦は敷地が広く規模が大きいので、それなりの数の人間を収容することはできる。だが、非戦闘員を長期間抱えていることは厳しいので、それならば領地の別の所に退避させた方が適切だ。
(今のところはそこまでの混乱は見えないが。でもそれは、まだオイヴァの派兵について知らないからだろうな)
カーライルは藍色の目を眇めた。
長い間この地を守ってきた父だ。ケンティフォリアがきな臭いことは肌で感じていただろう。けれども、さすがにオイヴァの動きについては想定外だった筈だ。
(あいつの懸念が当たったわけか)
もっとモラヴィアとの交流を図っていればとアリーシャは悔やんでいたが、カーライルの両親が結婚して以降、王宮とは完全に没交渉なのである。それこそカーライルが生まれる前からそうなのだ。それに、この二十年弱、仮に王宮から使者を指し向けられていたとしても両親が受け入れたかどうかも怪しい。
(まあ、それが分かってるから、あいつ自ら赴こうとしたんだろうが)
幾ら両親でも、直系の王家の姫に正面から来られては、拒絶することはできなかっただろう。カーライルの母と彼女の両親との間にどんな遺恨があったとしても、さすがにそこまで非常識な真似はできない。アリーシャ本人には何の非もないだけに尚更だ。
とはいえ、ここにアリーシャが居たとして、彼女がケンティフォリアとオイヴァの企みについて告げたとしても、カーライルの両親がどこまで信じたかは分からないが。
それも込みでアリーシャが自分に頼んだのだろうということは理解できるものの――。
(確かにそれしかないが、うちの奴らがどれだけまともに受け取るか)
しかもアリーシャの提案は、行動が迅速であることが前提だ。決断が遅れれば遅れる程効果は落ち、周囲への被害も増える。
カーライルは唇に力を込め、馬の速度をあげた。耳の奥で、別れる直前に聞いたアリーシャの言葉が甦る。
――後は、貴方の説得次第よ。
確かに、今後の行方がカーライルに委ねられていることは間違いなかった。
数カ月ぶりに足を踏み入れた城塞は奇妙に浮足立ち、忙しない空気に満ちていた。
顔馴染みの衛兵や使用人などが、カーライルの姿に気づくや否や驚きの声をあげる。
「カーライル様!?」
「お帰りになられたのですか!?」
口々に声を掛けて来る人々に短い言葉を返しつつも、足早に奥へと進むカーライルに、一人の黒髪の青年が走り寄って来た。
「カール!?」
「ユリウス」
印象的な金褐色の瞳を見張り、焦ったようにこちらを見て来た乳兄弟に、カーライルは頷いて見せた。
その硬い表情に何かを察したのか、ユリウスは短く言う。
「どこに行くんだ?」
「父上と母上に話がある。二人は今どうしてる?」
「伯爵様は中央の塔で軍団長や家令と打ち合わせている最中だ。奥様の方は多分、私室で侍女頭の報告を受けているんじゃないかな」
「そうか、では俺が目通りを願っていることを伝えてくれ。それも大至急だ」
「――分かった」
余計なことは一切口にせず、すぐさま行動に移してくれるユリウスがありがたい。
そして彼によってカーライルの帰還を知った両親は、すぐに息子の申し出に応じてくれた。
この唐突な行動には何かの意味があると、即察したのだろう。
しかしそんな彼らにしても、カーライルの持って来た報せは想定を超えたものだったらしい。
「まさか、オイヴァが……」
思わずとばかりに、カーライルの母であるクレメンティーナが鮮やかな紫紺の双眸を伏せて掠れた声を出した。
その横では、父であるスウェン・トリスレード辺境伯が苦々しげに眉を顰めている。
「オイヴァの軍は、俺が確かにこの目で見ました。あの位置から判断すると、間違いなく明日には陣形を整えて来るでしょう。もしかしたら、ケンティフォリアと合流して攻めて来るやもしれません」
どうしても口早になりそうな自分を押し止めつつ、カーライルは努めて冷静に話そうとした。
そんなカーライルに、訝しげな視線を向けて言葉を発したのは軍団長のサージェス・ウバロだった。
赤茶色の瞳をやや鋭く細めて、淡々とした声で言う。
「カーライル様がご覧になられた光景を疑うわけではありません。ですが、それ以外については真偽がつきかねます」
「……そうだろうな」
無理もないとカーライルも思った。仮にだが、過去の自分に今の自分が彼らに話したことを教えたとしても、まず信じないだろう。己ですらその確信があるくらいだ。
(何より情報源があいつだって言うのがな……)
昔から父の側近だったサージェスは、現王太子が起こした母との婚約破棄の一件でとばっちりを受けており、未だに王太子夫妻に対する心象が悪い。
そして、話の提供者はその二人の娘であるアリーシャなのである。
そんな先入観だけで切って捨てる男ではないが、どうしてもサージェスが身構えてしまうのは理解できなくもなかった。
(実際、最初は俺も警戒心だらけだったしな……)
というか、ごく最近まで疑惑の目を向けていたといっても過言ではないのだが。
(……けど、なあ。あそこまで無頓着な態度を見せられると)
人形のように端整な顔立ちの、金の髪と青の瞳の少女の姿がカーライルの脳裏に浮かぶ。
瑕瑾のない美貌に加え王族という高い身分にありながらも、彼女の言動は呆れるほどに気取りのないものだった。
(それに、よくよく思い返せば、あいつが自分のことで周囲に何かを要求したことってないよな)
あまりにも自然で気づかなかったが、アリーシャが口にするのは大概が彼女以外の他の誰かのためだ。
そうと知った以上、あの少女が故意に誰かを騙したり誤魔化したりするとは到底思えなかった。
だが、彼女のことをサージェスは何も知らない。それはカーライルの両親も同様だ。
カーライルはここに至ってようやく、アリーシャに任されたことの意味を痛感した。
(……それでも、やるしかない)
今も王宮にいるであろうそもそもの元凶を呪いつつ、カーライルは口を開いた。




