閑話 かつての魔王、匙を投げる
ルシオンである!
まさか産声を上げてすぐさま言葉を発しなければならない状況に陥るなどと、誰が予想しただろうか。いや、本来ならばおぎゃあおぎゃあと赤子らしく産声上げておけば良かったのだが、生まれた子供の名前をどうしましょうかという母となった者の言葉と、うぅん、僕あまり名付けは得意じゃないから……メトセラ、君がつけてよなんていう父となった者の言葉に、小娘……いや、今は母か――はうぅんと小首を傾げながら考え始めた。
「そう言われましても……ヤァス、ディカオン、フネラーレ、クレマシオン……流石にこれはシオンと名前がかぶるから駄目ですね……それなら、ミセリア、あっ、コシュマールなんてどうでしょう!」
思いつくままにつらつらと述べていった言葉の意味を、本当にこの女は理解しているのだろうか?
この場に旧文明に多少なりとも詳しい感じであったこの男の師がいたならば、まず間違いなく眉間に皺を寄せつつこめかみのあたりを指で押さえているに違いない。
どれもこれも子供につけるような名前ではないわ! 意味を理解しているのか!? いや、流石に知らないだろう。知っていてそんな名前を仮にも好いた男との子につけるなど、正気の沙汰ではない。
だからこそ、私はならばと名乗るしかなかったのだ。我、生まれて間もない赤子ぞ!? 腹式呼吸もままならぬぐにゃりとした赤子の身体で、精一杯腹に力を込めて、まだ歯も生えていないというのに、だ。
「ルシオンである!」
生まれて最初のグッジョブであった。
流石にアイオンと名乗るのは自重した。生まれて間もない赤ん坊でありながら、私は世界一場の雰囲気を読める赤子であった。いや、身体こそ赤子ではあるが中身は赤子ではないのだから、当然と言えば当然の事ではあるが。
ちなみにその直後、躊躇う事なく私を殺そうとした母となった女に生まれて早々恐怖したのは私が墓場まで持っていく秘密でもある。そなた……仮にも自らの腹を痛めて生んだ子であろうが……咄嗟に止めた父となったかつての宿主には感謝してもし足りない。
そもそもだ。
何故私がこうしておぎゃあと生まれる事になったのか。
簡単な話だ。
あのまま宿主の中にいても、私が自由になる事はない。永劫無いかと問われれば首を傾げるところではあるが、まぁないだろう。宿主が死ぬ時に上手く私が出てくる事ができればいいが、宿主が死ぬかもしれない状態で私が外に出たとして、それはタイミングが悪ければ最悪私が死ぬかもしれないのだ。諸共死ぬかもしれないし、私が表に出た事で私が身代わりになって死に、宿主が奇跡的に助かる可能性もある。
……生憎自らの命を張ってまで宿主を助けたいかと問われると、私と宿主の仲はそういうものではない。頼まれてもごめんである。
ならば自由を得るためにやるべき事は、宿主との別離であった。
とはいえ私が封印された宝珠とやらは宿主の体内であるし、出ていこうにも容易な事ではない。
けれども、一度ならず二度は宿主の身体を操る事ができたのだ。ならばその時点での私は宝珠に封印されているというよりは、宿主の身体そのものに留められていると考えてもいい。
考える時間だけは無駄にあったからな。それこそ私は考えた。どうするべきかを。
時々、何かを懐かしむように宿主が私に語り掛けてきたが、下手にこたえるのもどうかと思い、とにかく一切無視した。だからこそ宿主は私の存在が完全に眠りについたか消滅したかだろうと思っていたはずだ。……消滅はないか。
まず私は宿主の中にある私の力をゆっくりと、それこそ宿主だけではなくこやつの師にも気付かれぬように少しずつ集めていくことにした。とはいえ、その後奴は何を思ったか弟子に独立しろだなどと言い別行動をとる事になったので、これは難しい事ではなかった。宿主に気付かれなければ、ともに行動していた小娘が気付くはずもない。
そうして少しずつ自分が使える力を増やして、さてどうしたものかと時期を見計らっていたのだが。
ある日、小娘が宿主を押し倒した。
そもそも傍から見ていてもお互い両想いというやつだったはずだ。とはいえ、お互い言葉にすることもほぼなければ、進展具合も見ているこっちがじれったいと思う以前にそもそも進展しているのか? と疑う程であったが。
押し倒されて事に及ばれた宿主が生娘みたいな悲鳴を上げていたが……それ、逆じゃないか? あと、小娘は小娘で吹っ切れたのか開き直ったのか知らないが、慎みをもう少し持つべきではないかと思った。
今にして思えば私は親の子作りシーンを間近でみる事になってしまった哀れな子供、という事になるのではないだろうか。当事者たちは私の存在は既に無いものとして扱っていたから仕方がないとはいえ。
だがしかし、これは好機であった。
どうやって宿主の身体から出るか、出たとして自らの器になるものがなければ出てもすぐに消滅するだろう。
だからこそ、本当にこれは私にとっては好機だったのだ。少々不本意でもあったけれど。
上手く行くかどうかは賭けであったが、その賭けに私は勝った。
結果、この身体の両親という立ち位置にかつての小娘と宿主が、という状況になってしまったわけだが。
かつて、歴代で最も残忍で無慈悲な魔王と呼ばれていた私だ。
母となった女は既に自我を持っている私をそれこそ事あるごとに殺そうとした。直接武器で、はたまた食事に毒を、時として事故にみせかけて。
それはそうだろう。魔王アイオンの生まれ変わりだとしても、まだ自我もろくにない幼子であれば洗脳に近しい教育で真っ当に見えるように育てる事も可能だっただろう。けれども既に過去の記憶も人格も持ち合わせている。それを今から教育しなおすのであれば、それこそ私を殺した方が効率がいいだろう。子などまた作って産めばいい。ただ、それだけの話だ。
しかし私は生きている。それというのも母から私を庇ったのは父だったからだ。
武器を手に攻撃されかけた時は身を挺して、食事に毒を盛られた時は、すぐさま気付いて新たに作り直して。事故にみせかけようとした時も、即座に気付いて庇ってくれた。
…………普通、逆じゃないか? こういうの。
父が子を殺そうとして母がそれを庇う、というような話は魔王時代に何度か耳にしたこともあるんだが。
これ、完全に逆だよな……?
父に母性を感じるようになるとか最高にわけのわからない体験をしたのは私くらいではないだろうか。父性ではない、あれは確かに母性だった。
「落ち着いて、メトセラ。確かに彼はかつて魔王だったけれど、今は僕とメトセラの家族でもあるんだ。メトセラが危機感を抱いて、何かが起こる前にどうにかしようっていうのもわからなくはないよ。でも、以前ルシオンの話を聞いてからずっと思ってたけど、ルシオンは僕と似てると思うんだ。自己保身にすぐ走るあたりとか。レオンには負けるけど。
かつての魔王時代の話は、何ていうかちょっと周囲に意識を向けなかった落ち度だよ。まさか自分が騒動の中心になってたなんて気付かなかった、その結果があの魔王の話だっていうなら、今度は何かが起こる前にもっと周囲に気を配ればいい。
ルシオンは何度も同じ過ちを繰り返すような事、しないよ。ね?」
「当然だ。私が何度も同じ過ちを繰り返すなど、そんな物覚えの悪い出来損ないであるものか」
一体誰に向かって口をきいている、と思ったが、そうだった。今の奴と私は親子であった。
「それに、かつての魔王だった頃の姿じゃないんだし、かつてのような事にはならないと思うんだよねぇ。だって見てよ、僕そっくりだもの」
「それもそれで不安なのですが」
大変不本意ですと言わんばかりの顔で言うが、どうやら父は母の思いを理解していないようだ。ふむ、今は上手く回っているからいいが、いつかそのうちとんでもない誤解と勘違いとすれ違いで厄介な事が起こったりはするまいな……?
ところでそんなかつての宿主にして現私の父であるシオンではあるが。
そもそも彼の魔術が上達しなかった原因が私にあると知れば、果たして彼はどんな反応をするだろうか。
言うつもりはこれっぽっちもないのだが。
かつて、私を封印した宝珠。それを体内に埋め込まれ、私を封印する肉の檻となっていたその身。私が表に出た事もあり、私の力がその身に巡るようになった時、宝珠はその力を少しでも抑えようとしていた。そして、宿主本来の魔力も。勿論それは本人が意識していたわけじゃない。無意識に私を抑え込もうとしていた力。けれど、私はあの一件以来表に出る事はしなくなった。むしろいつか出るために宿主の身体に巡っていた私の力を集めていったのだ。そうなれば、私を抑え込もうとしていた魔力は他の事に使われる。抑える必要がなくなったのだから当然だな。
結果として、シオンの魔力は自由に使える分がぐんと増えた。その結果色々な魔術を扱えるようになった。
蓋を開ければそんなものだ。
問題は私の方だった。
かつては魔族であったがゆえに、それなりに魔術の扱いには長けていた。むしろ息をするのと同じように容易いものであったはずなのだ。
神殿国家の王族と勇者の血筋を受け継いで生まれてきた挙句、かつての魔王の力の残りではあるがそれらを引っ提げて生まれた私の力は、かつてのアイオンと比べれば劣りはするがそれもほんの少しといったところだ。
かつてと比べるならば明らかに扱えていて当然のはずの力だが、この身体にはまだその力は大きすぎるようだ。……生まれて間もない子供にとっては当然か。
力の扱いに苦心しているうちに、赤子と呼ばれる年齢から幼児と呼んでいいくらいにはなったものの。
それでもまだ、自分の力のはずであるのに使いこなすには程遠かった。
そんな折、両親にとっても久々すぎる程にかつての師――ゲイルに連絡を取ったらしい。
一体どういう内容を手紙にしたためたのか、てっきりあのまま二度と会わないのではないだろうかと思うような別れ方をしたゲイルがすっ飛んできた。
魔王の力を受け継いでしまったゲイルは、人の身でありながらもかつての私の力をそれなりに使いこなしている。とはいえ、完全ではない。
むしろ完全に使いこなそうとすれば、間違いなく人の身では耐えられない。だが奴は不老不死、使いこなそうとした結果身体が崩壊しようとも、時間が経てば復活する。
それでもなお無理に力を使いこなそうとしないのは、薄々本人も気付いているのかもしれない。
もし完全に力を使いこなせたら、その時はきっと奴は死ぬ。
魔王の力を受け継いだからとて不老不死になるわけじゃない。そもそももしそうであるならば、かつて魔王だった私も不老不死でないとおかしいからだ。
だが私は違った。ゲイルだけが、そんな不可解な状態に陥っている。
結論から言ってしまえば、奴はまさしく、正しい勇者の血筋の者であった。本人にその自覚はないだろうけれど。だからこそ、魔王の力をその身に宿しても何とか耐えられた。普通の人間がそんな事をすればすぐさまその肉体はぼろぼろになって崩壊するだろう。
勇者の血、その身に秘められた力がかろうじて均衡を保っている。
正直な話、ゲイルの存在は非常に危うい。
魔王の力を完全に制御しようとして成功した場合、それはその身が完全に魔に染まったとみてもいい。そうなれば魔王の力が勇者の力を凌駕し、その瞬間奴は人ではなくなる。
自我を失って化物に身をやつすならまだいい。しかし、自我を保ったまま、肉体がその力に耐えられず崩壊すれば……どちらに転んでも人であった奴は死ぬ。
恐らく本人が気づいていないからこちらの方法はないと思うが、もし勇者としての力を強くしようとした場合。それが成功すれば魔王の力は抑え込めるだろう。けれど、そうなれば元は人の身体。魔王の力が引っ込んだ途端、人としての時間がその身に襲い掛かる。本来ならばとっくに寿命を迎えて死んでいるはずの奴に、今までの年月分の負担が肉体にかかってみろ。その瞬間奴は死ぬ。
不安定であるがゆえに生きている。そして、本人は恐らくその事実に何となく気付いているのではないだろうか。だからこそ、魔王の力を完全に使いこなせていないとかつて私が指摘した時に、そこまで慌てる事もなかった。かつて対峙した時も、何だかんだで勘は良かったからな。
ならばあれこれ言う必要もないだろう。そのまま、不完全な存在として生きていけばいい。
死にたくなったなら死ぬ方法が既にある。魔王の力を手放せばいいだけだ。均衡を失った力はあっさりと奴の身体を飲み込むだろう。
……ゲイルが死んだとして、その力が私に戻って来るかはとても微妙な所ではあるが。
何せ今のこの身体はかつての魔王のものではない。もっとも、戻ってこなかったとしてもそれを想定して私が力を身に着けておけば済む話だ。
そんな事を考えているうちに、何やら久方ぶりに邂逅を果たした師弟は外で一戦やらかすらしい。
……今の父の実力を考えると、どちらが勝つかは微妙な所だ。まだギリギリでゲイルの方に分がある……か? と思っていたら、外に出るなり奇襲同然に高威力の魔術をぶちかました父と、意表を突かれたゲイルが僅かに遅れながらも迎撃して――
家のあった周辺が、かろうじて平原と言えたはずのその場所が一瞬で荒野に早変わりして。
勝負は一応引き分けとなった。
……正直な話、これから先の事を考えると少しばかり頭が痛いのだが。
まぁ、何をするにしても私がもう少し大きくなってからだろう、そう思う。
何せ今の私は三歳児。自分で何もかもをどうにかするような年齢では到底ない。
ある程度大きくなる頃には、他の誰かがこの状況をどうにかしているかもしれない。そんな事を楽観的に考えたのは――紛れもなく、両親のせいだろう。
よし、任せたぞ、未来の私!
きっと未来の私はとんでもなく色々な苦労をしそうではあるが。
それはまた別の話である。




