EX8.ハザン帝国執務室での会話
ハザン帝国の皇帝のお話です。
ハザン帝国皇帝執務室にて―――
「あ~、退屈だ………。ダンジョンに潜りてぇなぁ」
愚痴を垂れながら、ハザン帝国の皇帝カグリアスは書類にサインをしていた。
既に宰相のチェックは済んでおり、後は彼自身が書類にサインをすればいいだけなのだが、その量が莫大に多い。
積み上げた書類の束は軽く一メートル近くになるだろう。
その全てにサインをしなければいけないのだ。
さらさらと文字を書く音だけが、執務室に響き渡る。
いくら単純作業とはいえ、これは心が折れる。
「我慢だ……あと一月の我慢だ………」
ぶつぶつとカグリアスは独り言を漏らす。
彼のモチベーションを支えているのは、ひとえに一か月後に控えた『ファーブニル』への大規模遠征だ。
これはハザン帝国の恒例行事で、皇帝を筆頭に帝国の騎士団が『ファーブニル』に潜り、ダンジョン資源を入手し、国民にその威信を示すというものだ。
無論、万が一にも皇帝が死に瀕するような事態にならぬよう、何重にも対策をかけて臨むが、皇帝自身が破格の強さを有している為、あまり意味を成していない。
「次の遠征では暴れに暴れてやるとしよう……。ふふふ、次こそは“四ノ鉱”を仕留めてくれるわ。楽しみだな、実に楽しみだ」
子供のような笑みを浮かべるカグリアス。
気分が高揚し、サインをする手も早くなる。
「それが終わったら、次はユグル大森林の“転移迷宮”だな。あ~早く往きたい。全く、なぜ余の体は一つしかないのだ!三つくらいあれば、分身に書類を任せ、余は好きなだけダンジョンに潜れるというのに!」
そうしたら、三人そろってダンジョンに挑むだろうが、とケルビン宰相が居たら突っ込んでいただろう。
そもそも、既に多大な雑務の殆どをケルビン宰相に押し付けているのだが、彼はその事に気が付かない。
皇帝と言うのは、いつだって我儘なのだ。
「――――いやぁ、相変わらずのダンジョン狂いですね。貴方と言い、彼と言い、どうして力ある者は、そう戦いを好むのでしょうね?」
不意に、後ろから声がした。
ぴくっとサインをする彼の手が止まる。
「………誰だ?余の執務室に土足で上がる者は?」
一瞬にして声色が絶対零度の冷たさを帯び、そして場の空気が変容する。
カグリアスは後ろを振り向く。
窓の傍、そこには一人美女が立っていた。
秘書の様なぴっちりした礼服を着こなし、猫を思わせるような笑みを浮かべている。
「初めまして、ハザン帝国現皇帝カグリアス・ディル・ハザン様。私はリアス・アウローラと申します。以前は、ボルヘリック王国宰相エクレウス様の元で秘書をしておりました。以後、お見知りおきを」
女は右手を心臓に添え、頭を下げる。
ハザン帝国式の貴族の礼だ。
優雅な仕草が実に堂に入っていた。
思わず見惚れてしまいそうな仕草だが、皇帝は厳しい視線を崩さない。
「……エクレウスの秘書だと?冗談も大概にしろ、女。貴様――――“死人”であろう?」
はっきりと確信をもってカグリアスは言う。
ピクリとリアスの肩が動き、張り付いた笑顔が消える。
だが、一瞬の内に直ぐ、その表情は戻った。
「……素晴らしいですね。ここ数十年、私を“死人”と看破した人間はいなかった。まさに慧眼と言うべきですか。やはり、貴方は素晴らしい御方だ」
「煽てても無駄だ。切り殺されたくなければ、要件を言え。ここまで、誰にも気づかれずに来た褒美だ。用件位は聞いてやろう」
そう言う彼の手にはいつの間にか、剣が握られていた。
金の装飾が施された両刃の剣が。
「……“魔剣グラム”。そうですか、“今”は貴方が所持しているのですね」
どこか懐かしいものを見るような目で、リアスは彼の握る魔剣を見る。
「この剣を知っているか……。ますます持って貴様、何者だ?」
「私はただの“死人(人でなし)”ですよ。此度は、陛下に進言したく、参りました」
頭を下げたまま、リアスは言う。
ほう、とカグリアスは息を漏らす。
隙が無い。彼の眼から見ても、この女は中々の手練れだ。
ゆえに少しだけ、興味がわいた。
「……許す。申してみろ」
「結論から申し上げましょう。一月後のファーブニルへの大規模遠征……それを中止、いえ、延期にしていただきたいのです」
「何だと?」
予想外の要件に、カグリアスは面食らった。
相手の意図が全く分からなかったからだ。
「今、あのダンジョンは大きな“転換期”を迎えようとしています。それがどのような、結果になるか。それを見届けたいのです」
そして、とリアスは言う。
「ダンジョンの“転換期”に巻き込まれれば、いくら貴方と言えど、タダでは済まないでしょう。なので、陛下、もし可能であるならば、遠征は二か月以上は先延ばしにしたほうが宜しいかと」
「何の事だ?貴様は、何を言っている?“転換期”とは何のことだ?」
カグリアスには彼女の言っていることが理解できなかった。
彼自身、ダンジョンについては相当な知識を持っていると自負しているが、その彼を持っても、“転換期”という言葉は聞いたことが無かった。
「“転換期”とは文字通りの意味でございますよ。ダンジョンが“変質”するのです。今までとは異なる、新たなダンジョンへと生まれ変わる事象――――それが、“転換期”に御座います」
「何だと……?」
ダンジョンが生まれ変わる。
そんな事があり得るのか?
カグリアスの表情がわずかに歪む。
「その原因は、既に陛下もご存知かと思いますよ?」
「何?」
ダンジョンが変わる。
それと似たような現象を起こす、魔物にカグリアスは心当たりがあった。
そして、その魔物はついこの間まで、ファーブニルに存在していた。
「まさか――――“道外し”か?」
リアスは頷く。
「その通り。あの魔物の存在が、“ファーブニル”に、警戒を促したのですよ。このままでは、あの魔物に“吞まれてしまう”とね。そして、“ファーブニル”はダンジョンの本能に従い、生まれ変わろうとしている。より強い、何物をも寄せ付けぬ強大なダンジョンへと」
まるで、ダンジョン自身が意志を持っているかのような口調だ。
その事が、カグリアスには信じられなかった。
いや、ダンジョンがその規模を拡張させ、長い年月をかけ強大なダンジョンへと成長しているという事を考えれば、何ら不自然な事ではないのかもしれない。
迷宮核には、意志にも似た防衛本能が宿っているのだから。
もっとも、ファーブニルに迷宮核が存在するかどうかは、誰も知らない。
何せ、誰も最下層に到達したことが無いのだから。
迷宮核があるのか、それとも別の“ナニカ”が居るのか、それは誰も知らない。
だが、たった一体の魔物がそこまで、ダンジョンに影響を与えるものなのか?
確かに、“道外し”は例外的にダンジョンそのものに、攻撃を与えることが出来る異常個体だ。
だが、それにしたって、あまりにも話が飛躍しすぎている。
仮にもファーブニルは、数百年間誰も攻略できていない『八大ダンジョン』の一角なのだ。
「………にわかには信じられん話だ」
「でしょうね。ですが、今回発生した“道外し”は、“厄災級”に匹敵する超異常個体とも言うべき魔物です。そういう事もあるのだと、思うしかないでしょうね」
あっけらかんと、リアスは語る。
それはどこか楽しそうですらあった。
「それで?余がその言葉を信じると?どこの馬の骨とも知らぬ貴様の言葉をか?」
じろりと、カグリアスはリアスを睨み付ける。
並みの者ならば、失神する程の眼圧を受けてもリアスは、平然としていた。
おお怖い、とおどけて両手を前に出す程度には余裕が見られる。
「ですが、陛下ならば、お判りでしょう?私の言っていることが嘘か、真実か。私の誘導にも惑わされない貴方であれば」
そう言ってリアスはカグリアスを見る。
吸い込まれるような深く紅い瞳。
その瞳に、カグリアス自身が映っている。
「――――成程。確かに、お主は、嘘は言っておらんようだな」
「そうでしょう」
リアスはにっこりと頷く。
どうやら、皇帝は納得してくれたようだ。
その事に、リアスは僅かに気を緩めた。
カグリアスも笑う。
「――――――が、“真実”も言っておらんようだな」
スパン、と何かが切れる音が執務室に木霊した。
次の瞬間、リアスの頭の髪留めが落ち、整えていた彼女の髪が解けた。
肩にかかる自分の髪を見て、ようやくリアスは自分の身に起きたことを悟る。
ぞわりと、寒気がした。
目の前の男を見る。
先ほどとは全く違う、見る者全てを圧倒する王者が、そこに居た。
「死人の女、確かに、貴様の言葉に嘘は無いのだろう。だが、薄い。まるで紙の様に薄い張りぼての言葉だ。その張り子の後ろに隠れた、貴様自身の言葉を聞けぬうちは、余は貴様の言葉を信じる気にはなれぬな」
カグリアスは剣を構え、リアスを見る。
一歩、リアスは後ろに下がった。
その頬には、僅かに冷や汗が浮かんでいる。
ぴりぴりと肌を刺激する重圧。
死人である自分にすら、死をイメージさせる程の圧倒的な魔力。
成程、確かに自分は甘く見ていたのかもしれない。
目の前の男は、紛れもない“怪物”だ。
おそらく本音を語る事でしか、この男はリアスを逃がすつもりは無いだろう。
リアスが本気になれば、ここから逃げ出すことくらいは出来るかもしれないが、リスクが高い。
よってリアスは、本音を語る事にした。
「………死んで欲しくないのですよ、貴方に」
絞り出す様な声で、リアスは言う。
「なんだと?」
「少なくとも、今、貴方に死んで貰っては困るのです。貴方には、半年後の大陸会議にて、あの国を―――“レイノルズの魔女”を裁いて頂かなくてはならないのですから」
冷や汗を流しながら、リアスは続けた。
「今、この大陸で、あの魔女に対抗できる戦力を持つのは、おそらく貴方位のものでしょう。その貴方に、万が一にでも死なれたら、私にとっても非常に都合が悪いのですよ。ですから、お願いします。どうか、“転換期”が終わるまでは、ファーブニルに近づかないで頂きたい」
「成程、それが貴様の本音か……」
皇帝の威圧が消える。
ふぅとリアスは深い溜息をついた。
じっとりと、嫌な汗が背中を伝っている。
「用件は済んだか。では、さっさと立ち去れ。興味深い事を教えてくれた礼だ。この場でのことは不問に処す」
「そうですか。では、素直に退却すると致しましょう」
明確な返答は聞けなかったが、仕方が無い。
これ以上は本当に殺されかねない。
リアスの姿が歪む。
ぐにゃりと、歪みながらリアスは、ああそうだと、口を開く。
「最後に、言っておきます。“転換期”の発生は、今から約一か月後です。期間はおそらく約二週間ほどでしょう。その間は、冒険者の出入りも禁止した方が良いですよ―――――」
そう言い残し、リアスはまるで初めから居なかったかのように、執務室から消えた。
その気配が完全に消え去ってから、カグリアスは口を開く。
「………食えぬ女だ。最後まで、芯の部分は語らぬか」
彼女の言葉に、嘘偽りは無かった。
本音を言えと言った後に告げた言葉にも、誤魔化しは無かった。
だが、その奥にある芯の部分を、彼女は決して見せなかった。
「とはいえ、非常に興味深い話だ」
“転換期”。
ファーブニルが――――ダンジョンが生まれ変わる。
あの女の言葉の通りならば、その変化に巻き込まれれば、帝国最高戦力の自分ですらも命の危険があるという。
そのような話を聞いて、ダンジョン狂いである自分が黙っていられるわけがない。
だが、同時に民と国を思うのならば、ジッとしてなければならないのも、また事実。
もどかしいジレンマだ。
「どうにかして、ダンジョンへ潜る方法は無いものか……」
この場に居ながら、ダンジョンに潜れる方法でもないものだろうか?
そんなありもしない方法を考えながら、皇帝は再び書類にサインを記し始めた。
次のアースさん視点のお話で第五章は終了となります。




