3. 重力圏
文化祭まであと十日を切った頃、フォーメーションが変わった。
三年の一人が膝を痛めて離脱して、立ち位置がスライドした結果、二番のサビで私はハルカ先輩の斜め後ろにつくことになった。
距離にして、一メートル半。
最初の合わせで、その一メートル半が私の身体をおかしくした。
先輩が腕を振ると、空気の流れがこちらに届く。あのシトラスが一瞬だけ鼻をかすめて、消える。でも消えたあとも身体のどこかに残っていて、次の八カウントの集中を微かに乱す。先輩が息を吸うタイミングが背中越しに伝わってきて、私の肺がそれに同期してしまう。自分のリズムで呼吸しているつもりなのに、気がつくと先輩の呼吸にチューニングされている。先輩がステップを踏んで重心を移すと、私の身体もそっちに引っ張られそうになる。磁石みたいに。——いや、何その比喩。大袈裟すぎる。でも他の言い方が見つからないし、そもそもこれは比喩じゃなくて、本当に身体が傾くのだ。物理的に。重心が。先輩の方に。
一メートル半は、近い。
思っていたよりずっと近い。この距離では先輩の息遣いまで聞こえる。サビに向かって加速するとき、先輩の呼気が少し荒くなる。肩甲骨が動くのが見える。汗がうなじを伝うのが見える。見なくていいものまで目が拾ってしまう。目だけじゃない。耳も。鼻も。皮膚も。全部のセンサーが先輩に向かって開いていて、閉じ方がわからない。
——集中。振付。カウント。
頭では全部わかっている。先輩のダンスをこの距離で研究できるまたとない機会。技術を盗む。吸収する。先輩の体重移動のタイミングを覚えて、自分に取り入れる。それだけ。
頭はそう言い聞かせているのに、身体の側で全く別のことが進行していた。
サビの途中、先輩とふいに目が合った。鏡越しじゃなくて、振り返ったときに直接。先輩の微かに緑色の瞳に自分が映っているのが見えた——その瞬間、八カウントの「ファイブ」が消えた。足が止まった。頭のカウントは正確に刻まれているのに、身体がその指令に従うことを一瞬拒否した。
「楓ちゃん、大丈夫?」
先輩の声で我に返る。「はい! すみません、カウント見失いました」。笑ってごまかす。TikTokで何百回も練習した「大丈夫な楓」のスマイル。口角の上げ方、目の細め方、完璧に制御できる。
ただ、胸の奥で何かが不規則に打っていた。ダンスの八カウントとも、心拍の四拍子とも違う、どこにも所属しないリズム。それはカウントを間違えた動揺では説明がつかなかった。
その週の木曜日。忘れ物を取りに第二体育館へ戻ったとき、薄暗い中に音楽が聞こえた。
体育館の隅で、ハルカ先輩が一人で踊っていた。
イヤホンから微かに音が漏れている。聞いたことのない旋律。聞いたことのない言語——ロシア語だと、すぐにわかった。低く揺れる女性の声と、広い空間を思わせる残響。
先輩の踊りが、いつもと違った。
部活のときのハルカ先輩は、キレがあって、重心が低くて、フロアに根を張るような踊り方をする。ステージの真ん中に立つ人間の身体。でもいま目の前にいる先輩は——腕の運びがずっと滑らかで、指先まで神経が行き届いていて、身体全体がひたすら上に伸び上がろうとしている。バレエのような、でもバレエとも違う何か。重力を振り切りたがっている身体。部活の先輩は地面と対話しているのに、いまの先輩は空と対話している。
見たことのないハルカ先輩だった。
「自信に満ちた先輩」がここにはいなかった。代わりにいたのは、暗い体育館の中で自分の身体に何かを探している人。見つけようとしている人。あるいは、取り戻そうとしている人。ロシア語の音楽に身体を預けるとき、先輩の動きから「明るさ」が剥がれて、もっと深い場所——普段は蓋をしている場所——から出てくるものがあった。
先輩にも、見せている自分と、見せていない自分がある。
そう気づいた瞬間、胸の奥が詰まった。共鳴とか親近感とか、そういう便利な言葉では掬えない。もっと深い場所——肋骨の内側、心臓より少し下のあたり——に直接触れられたような感覚。
——やばい。
自分の中で起きていることの輪郭が、急にはっきりし始めていた。好奇心じゃない。尊敬でもない。研究でもない。これは——
ポケットの中で、指先が震えていた。
気づかれる前にその場を離れた。足音を殺して出口に向かいながら、震える指をポケットの奥に押し込んだ。拳をぎゅっと握れば止まると思った。止まらなかった。
帰り道、イヤホンで音楽を聴いた。いつものプレイリスト。いつもの曲。でも全部の曲が、さっき体育館で聞いたロシア語の旋律の残響に邪魔されて、うまく耳に入ってこなかった。先輩の、あの踊り。重力を拒んで上に伸びていく身体。あれは先輩の中の、どこから来た動きなんだろう。お母さんの国の記憶? 自分でも言葉にできないもの? それとも——私がステージで振付を外したのと、同じ種類の何か?
考えるほど胸が苦しくなった。苦しいのに、考えるのをやめられなかった。
翌日から、私は自主練の時間帯を三十分ずらした。先輩と目が合いそうになったら視線を逸らした。フォーメーション練習では一メートル半を正確に維持して、それ以上近づかなかった。
一メートル半。頭の中で何度もその距離を測る。近すぎず、遠すぎず。先輩の匂いがぎりぎり届かない距離。呼吸が同期しない距離。安全な距離。
部活以外の時間は、TikTokの編集に没頭した。撮って、切って、フィルターをかけて、テロップを入れて。画面の中の自分を加工しているあいだは、何も感じなくていい。感じなくていいというか——感じていることの上にレイヤーを重ねていけば、一番下にあるものは見えなくなる。
インスタのストーリーを更新した。TikTokに新しい動画を上げた。友達とプリクラを撮って、LINEで送り合った。全部いつも通り。全部ちゃんとしている。
なのに、夜、布団に入ってスマホを置いた瞬間——レイヤーが全部剥がれて、一番下が剥き出しになる。あの体育館。ロシア語の旋律。上に伸びていく身体。先輩の、蓋の下にあったもの。
だって、これはおかしい。先輩は女の子で、私も女の子で、同じ部活の先輩と後輩で。この感覚に名前をつけたら、今いる場所が壊れる。TikTokの「楓」も、部活の「楓」も、友達の前の「楓」も、全部が狂う。
だから名前をつけない。つけなければ、存在しないのと同じだ。
——本当に?
その問いかけを、私は聞こえないふりで胸の底に押し込んだ。




