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普通男子と天才少女の物語  作者: 里見亮和
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異次元の空気

 芹沢薫子の予想だにしない構え。


 それまでふてぶてしいまでに余裕の笑みを浮かべていた未惟奈の顔が”驚き”の表情に変わったのが遠目にも分った。


 しかしそれもつかの間だった。


 鋭すぎる未惟奈は一瞬でやはり何かを悟ったのだろうか?


 彼女は再び不敵な笑みを浮かべ、瞳を”キラリ”と光らせ芹沢を睨みつけた。


 残念ながら未惟奈に言わせれば”鈍すぎる”俺はもう何が何だか分らずに混乱してしまった。


 だってありえんだろう?


 言っておくが、俺の構えは”超”特殊なのだ。


 もし試合場でこんな構えでもしたら多くの選手観客に間違いなく失笑されるであろう程に”試合向き”の構えではない。


 そのレアメタル程にレアな構えをどうして芹沢が?


 全く訳わからん。


 思わず隣にいた有栖に”また”声をかけてしまった。



「芹沢先生って……」


「ん?なんだまた芹沢先生のことか?ちょっと興味ありすぎはしないか?」


 ちげえよ。おまえじゃねぇんだから。


 ってか、今の状況考えたら興味持って普通だろ?今この場で中心にいるのは未惟奈と芹沢だぞ?


「いや、そうじゃなくて……あの構えなんだけど?」


「ん?構え?……ああ、なんか不思議な構えしてるな」


 はい。聞いた俺がバカでした。


 想像通りの薄っぺらい観察眼に俺はガッカリした。


 こいついつも先生の何を見ているんだよ?顔とか?身体とかなのか?きゃあ!やらしい!!


 こいつが天才空手家だって全く信じられなくなってるんだけど?



 俺は無いなりの頭でなんとか一つの可能性に辿りついた。


 きっと芹沢は俺と未惟奈の対戦の映像を動画サイトで見たのだろう。だとすれば”この構え”をした俺に倒された未惟奈を精神的に揺さぶれると読んで”俺の真似をしただけ”という可能性だ。


 芹沢はすでにただのボンヤリした女子高生ルックの女性ではないことは間違いない。そして今までに見せた”捉えどころのない”という彼女の属性は”策士”である可能性を十分思い起こさせた。


 でもそんな程度の”策”が果たしてあの未惟奈に通用するのか?


 するとその時である”ピリピリ”と肌を刺すような”圧”を感じだ。


 この”圧”は覚えがある。


 そうだ。未惟奈だ。


 未惟奈が芹沢の構えに誘発されて、例の”威圧感”という圧力を強烈に放ち始めたのだ。


 俺は咄嗟に芹沢を見て”マズイ”と思った。


 普通、この威圧感を目の前で感じれば相手は恐怖を感じる。


 しかし芹沢は恐怖を感じるどころか不敵な笑みを浮かべていたからだ。


 ……しかも芹沢の周りの空気感がいつのまにか変わっていた。


 大地に根を張る巨木。


 今の芹沢を一言で形容するならそうなるだろうか?


 広く構えた両足はまるで道場の床へ吸いついているような異様な安定感を感じさせた。まるでその両足は床に突き刺さってるかのような錯覚を感じさせた。


 そして台地に根を生やしたかのような芹沢に強烈に向けられた未惟奈の”圧”が、まるで芹沢をすり抜けるように後方に流されていのだ。


 俺はこれを見て確信した。


 違う。


 芹沢の構えは俺の”サルまね”なんて生易しいものではない。


 この構えは本物だ。


「な、なあ……神沼」


 有栖がいつになく真剣な顔で俺に尋ねた。


「この異様な感じはなんだ?」


 俺以上に鈍すぎる有栖ですら、今ここで起こってる異常な空気感を感じとったらしい。


 吉野先輩以下、北辰空手部員はもちろんのこと芹沢の指導を受けているはずの海南高校の部員にとってもこの雰囲気は”異様”と感じるらしく皆が皆緊張の面持ちで道場内はシンと静まり返っていた。


 未惟奈はいつにも増して強烈放つ圧を放っていた。しかし芹沢はそれをいとも簡単に後方へ流した。


 ”これはマズイ”


 俺は焦燥感に苛まれた。


 未惟奈の圧を後方に流すような芸当をする芹沢は、俺がするように未惟奈の圧を”無意識に感じて”かわすのとはレベルが違う。


 彼女は無意識ではなく”有意識”つまり自分のコントロール下で未惟奈の圧を”既に”捌いてるのだ。


 だとすれば、この未惟奈の強すぎる圧力は芹沢にとって有利にしか働かないはずだ。


 未惟奈はそれに気付いているのだろか?



「はじめ!」


 タイムキーパーの有栖の声が道場内に響いた。



 その声が終わるや否や、未惟奈の身体はすでに芹沢の僅か2尺にまで接近していた。そのあまりの速さに道場内からどよめきが起きた。


 未惟奈の動きに慣れている俺ですらそのスピードに目では付いていけない。


 例によって未惟奈の距離は近過ぎていて普通の対戦なら双方が攻撃を出せない距離だ。


 しかし未惟奈は”ここ距離から”出してくるのだ。


 未惟奈は俺との対戦でやったのと同じようにこの超至近距離から、直線的に延びる、つまり最短の軌道で回し蹴りを放った。


 未惟奈の異次元級の”キレ”と”スピード”に皆が”あっ”と息を呑んだ。


 何度も彼女の攻撃を見ている俺ですらゾッとした。


 その刹那……


 ”バチン!!”


 鈍い音が道場に響いた。


 その音は未惟奈の足先が芹沢のフェイスガードを吹き飛ばした音だった。


 決まった!?


 フェイスガードを飛ばされた芹沢は、その勢いで結っていたポニーテールの髪がほどけて、その黒髪が豪快に舞い上がった。


 その時、フェイスガードが飛ばされて髪が高く舞い上がった芹沢の表情が顕わになった。


 フェイスガードが飛ばされたはずなのにその顎は”なぜか”上を向くことはなくしっかり肩口に吸いつくように置かれ頭部の振動を吸収していた。


 なんだと!?あの状況でどうしてこの姿勢をキープできたんだ!?


 そればかりではない未惟奈の強烈な一撃で苦悶に歪んでいるはずの芹沢の表情は、全くそうはなっておらず、その時見えた彼女の美しい顔は……


 ニヤリとばかりに口角を上げ、その鋭い視線はしっかりと未惟奈を見据えていた。



             *     *     *

 

 道場で倒れる二人に駆け寄った俺は足の震えを止めることができなかった。


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