殺意の嵐、静寂の盾
「こ、これはまずいんじゃないですか? チャンプは相手を倒すというよりは、殺しに来ているようにしか見えません」
チャンプアの猛獣のような攻撃を前に、春崎須美は恐怖のあまり顔を青ざめさせていた。
神沼翔の祖父、鵜飼貞夫は鋭い眼光を二人の攻防に向けたまま、静かにつぶやく。
「感情を解放したチャンプアは凄まじいの」
さすがの鵜飼も、そのチャンプアの攻撃力には驚きを禁じ得なかった。
だが春崎にとっては、凄まじいどころの話ではなく、チャンプアがすでに常軌を逸しているように感じられた。
春崎が漏らしたように、「殺しに」来ているか、あるいは「壊しに」来ている。
そう形容するのが相応しい破壊の嵐だった。
いつも冷静な美影も、眉間にしわを寄せながら口を開く。
「鵜飼さん。神沼も全身から気がほとばしっています。彼はウィリス君と違って気を放出することは稀でしたが、ついにその力も解放したのでしょうか?」
「ああ、今の翔は防御のために気を使っている。芹沢さんが教えてくれた技だろう」
「中国武術の排打功ですね。空手の技術には、こうした技はないのでしょうか?」
美影の的確な質問に、鵜飼はにやりと笑ってみせた。
「もともとの伝統空手は、型を練り込むことで同質の打たれ強さを鍛えていた。長年鍛錬を積んだ達者には、急所以外の攻撃はまず効かん」
「では、神沼も当然その鍛錬をしていたと」
「もちろんじゃ。でなければ、芹沢さんに半年師事したところで排打功なんぞマスターできるはずもない」
「ということは、空手の型による鍛錬と中国武術の排打功は、土台が同じであるということですか」
「ハハハ!」
鵜飼は声を上げて笑った。
「本当、君は面白い。その通りじゃよ」
二人の会話を聞きつつも、不安を拭えない春崎が身を乗り出す。
「では鵜飼さん。あの攻撃を翔君が被弾しても、大丈夫だということですか?」
「ああ。今のところ直撃はもらっておらんが、もらったところで致命打にはならんじゃろう」
老人は笑顔を浮かべたまま、いとも簡単にそう言い切った。
* * *
「芹沢さん。翔は気の力でチャンプアの攻撃を無効化している。……そう、思っていいのよね?」
翔の実力を誰よりも信頼している未惟奈ですら、チャンプアの猛攻に焦りの色を隠せなかった。
何より、自分でも見たことがないほどの翔の気の放出。
未惟奈ほどの域に達していれば、その気がチャンプアの驚異的な攻撃を凌ぐために使われていることは見抜ける。
そして、それが芹沢の伝えた技であることも。
「ええ。翔くんの気は排打功のために使われているわ。あの若さでチャンプアの攻撃をノーダメージで返せるのは、正直、私の想定外だったわ」
肯定する芹沢の横顔にも、かすかな焦りが滲んでいた。
未惟奈はその表情を見逃さず、口元をわずかに歪める。
「でも、何でそんな不安そうな顔をしているのよ」
彼女は性格通り、ストレートに核心を突いた。
「……いや、もう私の想定を完全に超えているから。今の対応が良いのか悪いのかすら、私には判断がつかないのよ」
芹沢の言葉に不安を煽られつつも、未惟奈には確かな予感があった。
激闘の渦中にあっても、翔の顔はいつも通りだったからだ。
きっと大丈夫。
未惟奈は自分に言い聞かせるように、拳を握りしめた。
* * *
映像で見るのと、実際に目の前でその攻撃を受けてみるのとでは、さすがに訳が違うな。
チャンプアの攻撃は速く、そして重い。
無意識に捌いているつもりでも、時に被弾し、排打功で凌がざるを得ない場面が出てくる。
だが、そこで得た気づきがある。
今の俺は、その排打功すら無意識に制御できているということ。
つまり、打撃を受けた箇所へ瞬時に、かつ無意識に気を集中させることができているんだ。
こんなことは、今のチャンプアが仕掛けてきているような、えげつない連続攻撃を受けなければ自覚すらできなかったことだ。
チャンプアのおかげで、俺は自身のさらなる能力を引き出しつつある。
そういった意味では、全力を出すためにあえて彼を怒らせ、覚醒させたのは間違いじゃなかった。
チャンプアはすでに本能の領域で戦っている。
ヤツは全存在をかけて俺を潰しに来ている。
ヤツが感情を開放するにしたがって、俺の心は逆に鋭く研ぎ澄まされていく。
相手の攻撃力が増せば増すほど、俺の集中力はより深淵へと沈んでいくのだ。
その感覚は毎日の立禅と変わらない。
それが俺の、武道という本能の立ち上げ方だ。
だから──
ここまで場が整えば、後はやるべきことをやるだけだ。
ただ圧倒して、この試合を終わらせる。
3ラウンドまで付き合う必要はない。
このラウンドの残り時間があれば……
それで十分だ。




