未惟奈vs伊波
会場が静まり返った。
この雰囲気。俺は一度経験している。
そうだ、俺が初めて未惟奈にあった「あの日」の体育館だ。
あの日も、未惟奈が「存在する」という、ただそれだけのことで会場が静まり返った。
それと全く同じことがこのスペシャルアリーナでも起きている。
有栖の入場同様に、巨大スクリーンには未惟奈の「煽りV」が流れ、一旦は、会場がとてつもない興奮に包まれた。しかし、未惟奈が「花道」に登場した瞬間……空気が変わった。
会場にいる観客の多くは武道経験もないし、ましてや御影のような特殊な感覚を持ち合わせている人間でもない。
そのような「ただの人」にまで感じさせてしまう圧倒的な存在感。いや威圧感と言った方がいい。
その威圧感。それは鋭利な刃物を喉元に突き付けられているような恐怖感すらも相手に与える。誰もが緊張のあまりごくりと唾をのみ込んだに違いない。
俺はこの感触に随分慣れていたはずだが、この会場の雰囲気も相まって、ゾクリとして武者震いが起きた。
リングの上にはすでに対戦相手である伊波紗弥子があり、未惟奈の入場を待っている。
伊波の平素の雰囲気は、どちらかというとその童顔な顔立ちからも「おっとり」という言葉がよく似合う可愛らしい女性だ。
ただこの時、入場する未惟奈を見つめる姿からは「おっとり」とは対極にあるただならぬ「覇気」をも感じる厳しい顔をしていた。。そして、きっとその「覇気」には、未惟奈の威圧感に呼応した「緊張感」をも含まれているように思う。
「未惟奈の試合は、いつもこんな感じか?」
試合経験のない俺は未惟奈に尋ねた。
俺はセコンドとしてリングサイドに入ることを許さている。だから今まさに会場の注目の的である未惟奈の真後に立っていた。
「まあ、こんなものよ」
未惟奈は自分が異常な威圧感を発して会場を圧倒していることに全く関心を示す様子はなく、つまらなそうに答えた。
「でも」
未惟奈が続けた。
「伊波さんの気合は、想定外かな」
へえ〜。それは意外だった。
伊波から感じる覇気と緊張感は、彼女がこの試合に掛ける気持ちの表れだ。くどい様だが普通に考えて伊波が未惟奈に勝つのは極めて難しいはずだ。でも伊波から感じるこの感覚は、確かに「だめもと」とか「当たって砕けろ」という投げやりな感じではなく「勝つ」為にそこに立っているという覚悟が感じられた。
伊波が発している「覇気」の背後にある「自信」の源ははなんなのだ?
未惟奈は、伊波がどんな手で来ようが関係ないという。慢心ともとれるその発言だが、未惟奈に関しては慢心から出た言葉でもなく事実に極めて近い言葉だ。
…… …… ……
俺はリングのロープを抑え、それに促されるように未惟奈はついにリングインをした。
その瞬間、静まり返っていた会場が堰を切ったように歓声の嵐に変わった。
伊波は、その歓声にも無反応でただただ未惟奈の一挙手一投足に注目しているように見えた。
未惟奈はそれとは対照的に伊波に背を向け、数度ポンポンと跳ねながらそこに対戦相手がいないかのように伊波の存在を無視していた。これはこれで未惟奈の心理戦なのだろうと思った。
俺はセコンドの努めとして、伊波の状態を探るべく彼女の立ち姿を注視した。
すると目敏く俺の視線に気づいた伊波は、俺と目が合うなり「ひらひら」と手を振った。
「はあ?」
俺はあまりに唐突だったので、うっかり声をだしてしまった。
「え?どうしたの?」
未惟奈が訝しんで俺を見た。
「い、いや、別に……」
俺はしどろもどろになりながら誤魔化そうとしたが、流石の未惟奈は見逃さない。
「なに?伊波さんにウインクでもされたの?」
いや、ウインクはされていないが……流石、鋭い。
「いや、手をひらひらと振ってきたよ。俺を動揺させて、未惟奈も動揺させる手だな」
俺は一応状況を把握して、苦し紛れにそこまでの未惟奈に回答をだした。
「フフ、全く小賢しいわね、彼女。そんなのとっくに想定済みよ」
「そうなの?」
「当たり前でしょ?想定してないのは鈍い翔だけ」
はいはい、そうでございますよ。私は鈍いですよ。
未惟奈とのそんなやりとりに勘付いたのか、伊波もこちらを見てニヤニヤしている。
俺を介しての、心理戦とかホントやめてほしい。
女って怖い……
さて、微妙な心理戦?も終わり、いよいよ選手コール。
外国人のリングアナから両者の仰々しいまでのコールがあった。会場の盛り上がりは頂点に達した。
しかし両者がリング中央に歩み寄ると、また歓声はピタリとやみ、とてつもない緊張感が会場に走る。
誰もが「何が起きるのか?」そんな目で両者を見ている。
観客目線で言えば、この二人がリングで向かい合っている姿はあまりに貴重過ぎた。まさに夢のような対決。世紀の一線と言って過言ではない。
二人はリング中央でグローブタッチをして、コーナーに戻った。
さあ……いよいよ戦いが、始まる。




