有栖の最終ラウンド
2R終了のゴングが鳴った。
結果的に有栖の華麗な蹴りの連続攻撃は、ワンロップへ一発たりともクリーンヒットしなかった。
しかし春崎は嬉しそうに口を開いた。
「有栖君いいんじゃないの?」
春崎には「有栖がワンロップを押している」そう映ったのだろう。そこに間違いはない。確かに有栖はワンロップに攻撃を出し続け、その間、ワンロップは「受け」に徹した。
このラウンド、どちらが獲ったか?と問われれば「有栖」にアグレッシブポイントを入れるジャッジが多いはずだ。悪くてもドロー。
少なくともワンロップにポイントが入る場面はどこにもなかった。
ただ、このラウンドで有栖が抱えてしまった「問題点」を未惟奈が指摘した。
「ワンロップの本来のディフェンスは肉を切らせて骨を打つタイプでしょう?でもそれをせずに逃げ回ったのは、有栖の蹴りを空振りさせるため」
未惟奈の指摘を聞いて春崎は怪訝な顔をしながら口を開く。
「どういう意味?」
「ワンロップはこのラウンド、距離をとって有栖をただただ疲れさせる作戦だった可能性がある、ということ……だろ?」
俺は未惟奈の言を継いで、彼女の顔を見ながら同意を求めた。
未惟奈は、頷いてからさらに口を開く。
「打ちあって消耗戦に出れば、むろん有栖だってより消耗するけ。でもワンロップの消耗はおそらくそれを上回る。ただ彼はそれを避けてスタミナを温存して逃げ切った」
「ということは、ワンロップは無傷で元気なまま3Rにラッシュをかけると」
春崎はようやくこのラウンドがワンロップの「作戦通り」だったことに気付き、急に顔を顰めた。
「まあ、そう考えるのが妥当でしょうね」
俺もつられて口を歪ませそう返した。しかし、そんな俺の顔をみて未惟奈は「ニヤリ」と口角を上げて口を開く。
「フフて……芹沢さんのことだから、当然”これも”想定してたんじゃない?」
それはそうだ。
芹沢はそんなに甘くない。むろんこの状況を読んで次のラウンドの策を考えているに違いない。
ワンロップが最後の勝負に出れば、有栖も何かを仕掛けてくる。
俺はセコンドでゴングを待つ有栖とセコンドの芹沢を遠目に見て、未惟奈の予想が正しいことがことが伺えた。
有栖は今の連続攻撃でやはりスタミナを消耗したのか、肩で息をしていたる。
しかしセコンドで座る有栖とは対照的に芹沢の表情に焦りの色はなかった。ただ、いつになく真剣な表情で有栖に指示を与えていた。有栖は噴き出す汗を道着の袖でぬぐいながら何度も深く頷いていた。
「セコンドアウト!」
そうコールされ、両選手はセコンドを離れリング中央に歩みを進めた。
最終ラウンドのゴングが鳴る。
想像通り、ワンロップが一気に間合いを詰めてきた。
「やっぱり来たわね」
未惟奈が呟いた。
「ワンロップは1R、印象の悪いスリップをしているし2Rも逃げに徹していたから、このまま判定にもつれ込めば有栖の勝ちだ。それを覆すにはこのラウンドで取り返すしかないわよね」
春崎が自分で状況を整理すべく早口で言った。その通り、ワンロップはこのラウンドは「出る」しか選択肢はない。つまりワンロップはKO狙いということになる。
「KO狙いよね」
未惟奈が言う。
ワンロップは1Rでやったようなローキックとミドルキックではなく、ムエタイ選手にしては珍しく相手の懐に入り、パンチの連打で勝負に出た。
「有栖の弱点が顔面パンチと読んだのね」
未惟奈が即座にワンロップの攻撃の意味を分析する。
有栖に限らず空手選手は、どうやっても顔面へのパンチが不得意だ。特に試合ルールに顔面パンチがないフルコンタクト空手を主戦場とする有栖のようなアマチュア選手はよりハンデとなる。
有栖は2R戦う中で、ワンロップに完全に「見破られた」と言ってよさそうだ。
1Rは、ボクサーのようにカウンターのストレートでワンロップの蹴りを凌いだ有栖だが、今にして思えば「蹴りvsパンチ」だからギリギリ対応できていたのかもしれない。
さあ、芹沢はこのワンロップの攻撃にどう対応する?
会場がざわめいた。
「え!?」
春崎が声を上げた。
なんとワンロップが前のめりに膝を着いたのだ。
何が起きたかは一目瞭然だった。
「カーフキックとは、考えたわね」
未惟奈のその言葉は、その蹴りを放った有栖ではなく芹沢に向けられたものに違いなかった。
「このタイミングでカーフを使うということは、パンチの連打で前重心になるのを想定していた、ということよね?」
春崎もその意味に気付いていた。
カーフキック。平たく言えば「ふくらはぎ」を狙った下段蹴りだ。俺たち空手家にとっては下段蹴りのバリエーションの一つで特段珍しい技ではない。しかし、ここ最近、総合格闘技ルールでこのカーフキックで試合続行が出来なくなる程に「効果がある」ことが証明され、大流行りらしい。
キックボクシングの試合でもボクシングスタイルで前重心の選手はローキックの餌食になる。総合格闘技の選手はより前重心の選手が多いことに加えて遠い間合いからカーフを狙うローキックがとても効果的だった。
つまり春崎が指摘したように、このラウンドでワンロップがボクシングスタイルで前重心になることを想定し、かつ身長のある有栖が遠い間合いから放つカーフは効果覿面だった。
「芹沢さんの、さっき会った時見せていた不安な顔はなんだったんだ?全然、対応できてるじゃない?」
俺は、百戦錬磨のムエタイ戦士までも手玉に取る芹沢という策士の恐ろしさに、もはや呆れるしかない。
しかし、リングには魔物がすむという。
誰もがこのまま有栖が逃げ切ると思っていた次の瞬間。
有栖が大の字で倒れていた。
有栖だって一人のファイターだ。
芹沢の「操り人形」で終わりたくない。
そんな思いもあったのかもしれない。
おそらく芹沢が描いた「策」を忠実にこなしていればワンロップを完封したに違いない。
1R、2Rでポイントを先行されてしまったワンロップが勝つには3R有栖からダウンを獲るしかなかった。しかしその可能性を有栖のカーフキックが封じた。
これでワンロップは「詰んだ」と思った。
パンチで強引に接近してきたらカーフキック。
それ以外は、2Rワンロップがやったように距離をとってポイントアウトしてしまえばいい。
しかし、有栖はそうはしなかった。
カーフでバランスを崩したワンロップにとどめを刺すべく飛び膝蹴りを狙った。
当たれば一撃必殺だ。
しかし「飛んで蹴る」という技は隙が多い。また2R、有栖の蹴りをずっと捌き続けたワンロップは有栖の蹴り技の「タイミング」は把握できていたに違いない。
そんな隙を百戦錬磨のワンロップが逃すはずがなかった。有栖と飛び膝蹴りに合わせた右のオーバーハンド気味のカウンターが有栖の顎を打ち抜いた。
大柄な体重の有栖が勢いよく飛んだその反動もが、ワンロップの拳に加わって有栖の顎を襲った。カウンターとはそう言うパンチだ。
有栖は後方にもんどりうって動かなくなった。
カウントを数える間もなくレフリーは試合を止めた。
試合前の芹沢の不安がどこにあったのか?その答えは有栖そのものにあった。
「有栖が自我を出さなければ」
それを芹沢は祈っていたに違いない。
でも、最後の最後で有栖は「自分」を出してしまった。
しかし、俺はそれは当然だと思う。有栖にとって「勝つこと」よりも「自分」を出すことを選択した。高校生のファイターなら誰もがそうなるだろう。
会場は一瞬静まり返った後、大きく響きが走った。
ワンロップは、この逆転劇に自ら興奮しコーナーポストに駆け上がって会場にアピールした。
しかし、そんなワンロップのアピールに会場は冷ややかだった。
体重のハンデがあったとはいえ、プロ戦績のない高校生にあと一歩まで追い込まれており、また、ワンロップが試合中にクリーンヒットさせたのは最後のウィニングパンチ「だけ」だ。
「ラッキーヒットに救われやがって」
そう思った人もいただろう。
しばらくドクターチェックを受けていた有栖がようやく立ち上がるとどこからともなく「有栖」コールが湧き上がっていた。
果敢に攻めて、最後は派手に玉砕。
この試合を「面白いもの」にしたのはやはり有栖だ。もちろんその背後には芹沢の完全無欠の「策」があった訳だが、それをリングで忠実に再現せしめたのは有栖の実力あってのことだ。
有栖は立ち上がるなり、自身に向けられた「有栖コール」に応えるべくリングの中央で拳を高々と上げて「うおー!!」と雄たけびを上げた。
この強烈なポジティブシンキングは「相変わらず」だが、ここではそれがやけに「かっこよく」映った。
「有栖くん、スター性あるわね」
春崎も同じことを思ったに違いない。
有栖の「雄たけび」につられた会場も「うおー!!」と割れんばかりの声が響いた。
試合に負けはしたもののこの試合を盛り上げたのはワンロップではなく有栖。勝ち負けだけに意味を持つアマチュア選手の有栖は、会場を盛り上げなくてはならないプロ選手のお株をまんまと奪ってしまった。
そう言った意味で有栖は「試合に負けて勝負に勝った」というべきか。
そして有栖は振り上げていた拳を会場にいる俺にぐいと向けた。
戦いを終えたその有栖の顔は、満足げに口角を上げて俺に視線を合わせていた。
「後は任せた」
そんな有栖の内なる声を俺は受け取った。




