策略から策略へ
ワンロップ・ゲーオサムリット。
このムエタイファイターの実力の全体像が、有栖との対戦からだんだん明らかになってきた。
「体重差のハンデはワンロップにとって相当キツイと思ってましたが、そうでもなさそうですね」
俺はボソリとそんな感想を漏らした。
「これは想像通りよ」
春崎も神妙な顔で、そう返しつつ眉間に皺を寄せて二人のファイターを注視している。
春崎からは「アマチュア高校生ファイター」の有栖と「プロ成人ファイター」のワンロップのハンデを埋めるべく体重のリミットが有栖の標準体重に合わせられたと聴いていた。
見た目では少なく見積もっても10kg以上の体重差があるように思えた。
「ワンロップは全く減量してないと思うの。でも全く身体がダブついていないのが驚きだわ」
空手最強を期待する春崎は深刻そうに言った。
「格闘家なら減量しなくても、身体はダブつかなくないですか?」
俺がそんな質問をすると、さっきまで黙っていた御影が口を開いた。
「減量を繰り返すアスリートは、過酷な飢餓状態を繰り返し身体に課していることなる。だから格闘家は普通の人間に比べ圧倒的に脂肪を蓄え易い身体になっている。証拠に……見てみろ。格闘家の周りにいるセコンドを。彼らは皆選手だろうが、あの通り身体はダブついている」
格闘技に詳しくないはずの御影がここまで説明できることに、もはや突っ込みたくもないが俺だが「そうなのか?」ということを未惟奈に目で問うた。
未惟奈は呆れたように、ふんっとばかりにため息をつきながら口を開く。
「翔はそんなことも知らないの?そんなことアスリートの常識でしょ」
「いや、俺、アスリートではないだけど?」
「また、そんなこと言って!」
と、鋭く美しいブルーの瞳でキッ!と俺を睨みつけた。
「神沼、お前はアスリートを超えた存在になろうとしてるんだから、その自覚を持てよ」
御影がまた変なことを言い出したので、そろそろこの話題から逃げようと俺は話をワンロップに向けた。
「ワンロップに無駄な脂肪がないということは、彼のスタイルは試合前に減量して戦うというのではなく、ナチュラルな自身のベスト体重で常に戦っているということですよね?」
春崎に聞いた。
「その通りよ。だから彼のパフォーマンスはいつも通りに発揮されるということ」
ワンロップはリングの外で、廊下ですれ違った時よりも、なぜか体格の大きい有栖とリングで向き合う今の方が大きく見える。その大きさの正体は?
俺はワンロップが放つ精神的な圧力だと分析した。有栖は相手の攻撃を待ってカウンターを合わせるという「後手」の作戦にいる。だからどうやっても相手の圧力に押されがちになっていた。
1R。確かに有栖は、的確にワンロップのローキックとミドルキックを前手のストレートで凌いでいる。ただこの作戦が見切られるのも時間の問題だ。いずれ突破される。
「このままではいかなわいわよね」
春崎もきっと同じことを考えている。
「芹沢さんなら、何か策を有栖に与えてるでしょうね」
未惟奈がニヤリと気味悪く笑いながら言う。未惟奈は自分と同士打ちまでにもちこんだ芹沢のことは認めている。だからこその発言だろう。
それは俺も同じ。
彼女の策がここで終わる訳がない。後は有栖がそれに応えられるかどうかだ。
2Rが始まって30秒程が経過したところだろうか。1Rは捌き切れていたワンロップのローキックとミドルキックが有栖を捉え始めていた。カウンターのタイミングを読まれてフェイント、ダブルキック、パンチとのコンビネーションなどのバリエーションが有栖の単調なカウンターを突破してきている。
「頃合いでしょうね」
そう未惟奈が言った直後、想像通り、有栖が動いた。
有栖は突如、サウスポーから左前のオーソドックスで構えた。しかもほぼ半身で前になった左手を真っすぐ伸ばして防御とした。
これは見たことのある「いつもの有栖の構え」だった。
大柄な有栖は、いつもはこのリーチの長い前手をジャブのように使い相手を懐に入れない。そして隙を見るや一気に回転系の蹴り技を連発して相手をしとめるのを真骨頂とした。
「おおっ!!」
その有栖本来の動きを知る会場のコアなファンがどよめいた。
その構えは「ここからスイッチを入れるぞ」という宣言のように映った。
そしていままで圧され気味で、やもするとワンロップが大きく見えていた風景が一変した。有栖の威圧感のある大きなフレームが今度はワンロップを押し下げた。
「なるほどな、有栖のラッシュは3Rは持たないと考えての1Rの作戦だったのか」
俺は芹沢の作戦に唸った。
「でも、あとこれで2Rいけるかしら?」
未惟奈が首を傾げた。
確かに有栖の大技のラッシュはスタミナの消耗は激しい。1Rのような待ちのカウンターとはわけが違う。
「まだ、何かあるでしょ」
未惟奈は、そう呟いた。
俺もそれを想像すると、期待で思わず口角があがった。




