実力と戦略
天才高校生!有栖天牙!入場!
リングアナウンサーの高々としたコールがスペシャルアリーナに会場にこだました。
想像以上に大きなアナンスの音声に、ざわついた会場が一瞬が静まり返った。リング中央当てられていたスポットライトが、次の瞬間に会場の一角を照らす。
そのスポットライトの先で上背のある有栖のゴツイ体形がシルエットで浮かび上がった。
同時に会場にある巨大モニターがそこにいる有栖の表情を映し出す。その表情は、俺が知る、いつも通りの有栖天牙だった。
「こんな大舞台にも関わらず少しも緊張していない有栖ってある意味凄いよな」
俺は「有栖」を見て思わずそんな感想が口をついた。
「なに言ってんのよ。きっと翔くんだって同じようないつも通りの顔して入場してくるんでしょ?」
そんな嫌味で返したのは、さっきまで席に着く暇もないほどに忙しく奔走していた格闘ライター、春崎須美だった。
彼女は、今ようやく一息ついて未惟奈を挟んで俺と同じ並びの席に座っている。
「そうそう、鈍いという意味で有栖と翔は同じよね」
未惟奈がニコニコ機嫌よく同調した。
それにしても、なんで未惟奈はそんなに嬉しそうに言うかな?
俺をディスるのそんなに楽しいのかな?未惟奈さん。
さて、有栖の「いつも通りの顔」はいいとして、その前を歩く女子高生のような芹沢薫子の姿にはいまさらながら驚かされる。会場の特大スクリーンにアップで映しだされた芹沢を見て会場が一瞬どよめいた。
またマニアックな格闘技ファンならかつて、伊波紗弥子を破った芹沢薫子に気付く人もいるのだろうか。もしかするとTV中継の解説席ではそのことを話しているかもしれない。このルックスと伊波紗弥子をも倒す強さのギャップ、しばらくはSNSをにぎわすのは間違いない。
全く、選手より目立ってどうするんですか?先生!?
それにしても、さすがスペシャルアリーナという超一流会場ともなると演出の凄さには圧倒される。照明も音楽も、ただそこにいるだけで高揚してしまう独特の雰囲気が会場を渦巻いていた。
おそらく有栖はこの会場にいる格闘技ファンの中では有名人なのだろう思う。だからそんな派手な演出とは別に、この試合そのものを期待する「熱気」が確かにこの会場にあるのだと思う。しかしかつて未惟奈に失神KOさせられてしまったことが有栖の評価を今ひとつに留めてしまっているのが少し気の毒だ。まあ、本人はそんなこと気にもしていないと思うが。
未惟奈の実力を知り尽くす俺だかからこそ解るが、決して世間が思う程、未惟奈との対戦は有栖の評価を下げるものではない。未惟奈に勝つことなんて普通の天才では無理なのだ。
花道を歩く有栖は空手着を着ていた。おそらくそのまま空手着で戦うのだろう。「空手 vs ムエタイ」という演出上のこともあるだろうが、有栖の前に行われたアンダーカードでは空手選手でもキックパンツで戦ったいた選手も多くいた。
そんな有栖の姿は、空手一筋の俺としては少しだけシンパシーを感じる。
当たり前だが、俺も空手着で戦う。
いよいよ両者の入場が終わり、二人がリングに立った。
リング上の有栖と、その対戦者、ワンロップ・ゲーオサムリット。二人の身体を見比べると、フレームの大きさがまるで違う。圧倒的に有栖がでかい。ムエタイの階級はよく知らないが、空手で言うなら有栖は超重量級。そしてワンロップは70kg以下だろうから軽量級だ。
フルコンタクト空手ルールなら「手による顔面への直接攻撃」つまり「顔面パンチ」がないのでその体重差でも競技として成立する。しかし、顔面パンチがあるルールでは話が全然違う。
有栖の体格的有利は、高校生という成人していない男子として低く見積もられ、ワンロップへハンデが課せられた。
このハンデをすんなり呑んだ相手かられば「体重差は問題にならない」と有栖が舐められてしまったということでもある。
セコンドには当然、芹沢薫子が入る。彼女が何処まで有栖の力を発揮させるのか?俺はそこに掛かっていると思う。客観的な見栄えとしては、空手部マネージャーがセコンドについているようにしか見えないが彼女の策士としての切れ味は俺も未惟奈もよく知るところなのだ。
有栖はセルフイメージがとても高い。だから彼がこの試合で恐怖や、緊張や、気負いなんてものは微塵もないに違いない。だからコーナーでたたずむその姿はとても高校生のそれではなく、百戦錬磨のレジェンドにすら見える。
俺が座るリングサイドの席は、春崎須美が用意してくれたものだ。むろん未惟奈もだ。そこに俺は無理をいって御影聡一の席も用意してもらった。御影がムエタイをどう分析するかを知っておきたかったのだ。不思議な話だが、確かに御影は俺が見えない視点を確かにもっている。だから「御影の意見」は聞いておく必要がある。
「御影、念のため聞いておくが相手のタイ人は気を出す相手ではないよな?」
「ワンロップ・ゲーオサムリットのことか?」
この男は、格闘技ファンでもないのに、なおかつ日本人にとっては決して覚えやすいとはいえない対戦相手のフルネームをスラスラと言えてしまうのが不思議でならない。
「相手は気を操るタイプではないな。ナチュラルなオーラのようなものがあるが、それはコントールされたものではなく長年の修練で身についた自信によってにじみ出るレベルのものだ」
なんとも自信たっぷりな言い草に呆れた。しかも御影の見立ては俺全く同じだった。
「未惟奈はどう思う?」
さっきから「こんな試合興味ないんだけど」と言わんばかりに、眉間に皺をよせ詰まんなそうに座っている未惟惟奈にも一応聞いてみた。
「翔と同じよ」
御影と同じ、と言わずに俺と同じと答える辺りは、つまり俺がどう読んでるかもお見通しってことか。
「だよな」
俺はそう言って苦笑した。
「全く理解できないんだけど?」
隣にいた、春崎須美は怪訝な顔でそう応えた。春崎とて武道・格闘技の情報には精通しているので話の意味は少なからず伝わっていると思うが、実体験としての経験がない故に、どうしても理解は難しいのだろう。
周りにいる観客からもチラホラと話が聞こえる。
「これは体格差ありすぎだろ?」
「でも有栖は中学生の未惟奈に負けるから体格関係ないって」
「あのタイ人は強いの?」
「めっちゃ打たれ強いから、有栖の攻撃が効くかが見どころだと思うぞ」
「蹴りの上手さ有栖だろうが、ルール的に掴まれると有栖は何もできないんじゃないか?」
「気」の話には付いてこれないが、こう言った「一般的な意見」なら格闘技ライターの春崎にその意見を聞くのが間違いない。
俺と視に気づいた春崎はその意図を理解して口を開く。
「翔君は例外として、一般的に競技空手出身者は掴みには弱いわ。逆に幼少期から首づもうを徹底的にやってきたタイ人の、掴んだ時の身体コントールは別格よ。だから体格、パワーがある有栖君でも、接近してつかまれたらおそらく分が悪いわね」
この話は概ね芹沢と話した時の印象と変わらない。
だとすれば有栖は距離をとって、掴まれないように中・長距離をキープして決して、自身の蹴りを当て続けるのが作戦となるはずだ。
しかし、芹沢はそれではワンロップ・ゲーオサムリットの打たれ強さを突破できないと浮かない顔をしていた。
では芹沢は「その先で」どんな戦術を考えたのだろうか?
「策士」である芹沢。彼女と初めて会ったとき、未惟奈を相手に引き分けまでの「策略」をやってのける彼女は何を仕掛けてくるのか?
興味はある。
問題は「あの有栖」が芹沢の戦略を素直に実行できるかだな。
俺と対戦したときは「先生大好き」で言いなりだったから……可能性はあるように思う!?
お互いの長い紹介の後、ようやくゴングが鳴った。
そして次の瞬間……
「おや?」
となった。
俺が思うのと同時に、少しだけ会場もドヨめいた。
有栖は右前足前、つまりいつもとは違うサウスポーで構えた。しかも前重心でスタンスも広い。その構えは空手ではなく、むしろボクシングに近い。
左前でアップライトに構えるかつての有栖からを想像した観客は皆、その姿に驚いた。
ほほう……成る程、そう来たか。
俺はその有栖の構えで「まず最初の」芹沢の魂胆にほくそ笑んだ。




