師の顔
「翔くん、ちょっといいかしら」
控室の扉からひょいと首を出したのは芹沢薫子だった。
「芹沢さん?何してんの?」
「ええ?なんでそれ聴くかな?私は有栖君の空手部顧問よ?」
ああ、そうだった……という顔を素直にしてしまったので芹沢はすっかり呆れ顔になっていた。
有栖が出場するなら、その有栖が所属する空手部の顧問である芹沢が来ない訳がない。ただ最近はめっきり芹沢は大気拳の師匠と言う関りしかなかったからピンとこなかった。
「まさか、自分の応援で私が来たとでも思った?」
芹沢は未惟奈の方をチラリと見やり、遠慮がちに言った。芹沢も未惟奈の嫉妬の閾値を確認するあたり流石である……
「いやいや、俺だって芹沢さんの弟子だから、俺の応援でもいいんじゃないの?」
俺は苦しい言い訳をしながら苦笑い。
「ワザとらしいことはいわないでよ。私が教えたのはあなたにとってただの補助訓練でしょ?」
芹沢はいつもの笑顔になりながら、すっと控室に入りドアを閉めた。
控室のソファーに腰を下ろした芹沢をあらためて見ると、はじめて彼女に会ったときにのような上下ジャージ姿だった。そう、あの女子高生ルックだ。
こうして見ると女子高生といっても通用してしまう高校空手部顧問というギャップに心底呆れてしまう。
これでかつては伊波紗弥子に土をつけたとのだから恐ろしい。
「翔?伊波さんといい、芹沢さんといい、さっきから翔の周りには美人ばかりで良かったね?あ、私もだけど」
未惟奈は俺の芹沢に向ける視線を目ざとく察知してそんなことをいう。
そんな未惟奈のこともよく知る芹沢はそんな話題を軽くスルーして、少しだけほほ笑んでから、本題に入った。
「有栖君の対戦相手、会ったでしょ?」
いつになく真剣な眼を俺に向けた。この様子から芹沢の有栖対戦に対する「本気度」がうかがえた。
「ええ、たぶんあったと思うけど」
「たぶん?」
「いや、会った、会った」
訝しげに芹沢にそう返されたので俺は慌ててそう誤魔化した。
芹沢はようやく「うん」とばかりに頷いてから続けた。
「翔くん、未惟奈さんから見て、その相手選手どうだった?」
俺ばかりではなく、未惟奈にも視線を移してからそう問うた。
「チャンプア以外は全部ザコでしょ」
即答の未惟奈。さすがいつも電光石火。
しかし、なんと口汚い未惟奈さん。
……でも俺の見立ても正直言うと似たようなものだ。ただ俺の場合はザコかどうかも分からないくらいに印象がない。
「翔くんは?」
「あんま憶えていないですね」
俺は正直に答えた。
「それは武道家としてどうなの?翔くんなら直ぐに相手の実力くらい看破できるでしょ?」
少し心配そうに俺を見る芹沢。
いやいや、見損なってもらっては困る!
「それを言うなら廊下ですれ違う一般人をいちいち見切る必要がないってことですよ」
芹沢はあきれたようにポカンと口を開いた。
「全く、翔くんには驚かされるわ……でも、そうか。翔くんが気にも留めない相手か」
俺はゆっく首肯した。
「で、芹沢さんはどう見立てたんですか?」
「うん。翔くんが相手なら、確かに結果は歴然でしょうね。ただ対戦するのは有栖君だから」
俺は聞いて、さっきあった数人のチャンプアの取り巻きのことを今一度思い出してみた。有栖が対戦相手だったらどうなるか?のシュミレーションを改めてしてみる。
ただ有栖だって俺と会った時の有栖ではないはずだ。入り口で会った時の有栖は確かに以前の有栖とは少し違っていた。相当準備をしてきたのだろう。芹沢の真剣な表情もそれを物語っている。
俺がムエタイの技を知り尽くしているとは言わないが、それでもムエタイ最高峰と言われるチャンプアの映像は全て見尽くしたからこそ、ある程度の想像はできる。
さっき出会った「とりまき」全員に共通している「強み」は?
そらは、強靭なバランス力であろう。彼らの体格は確かに筋肉の鎧に覆われて見るものを圧倒する。ただそれだけだはない。
奴らの立ち振舞のことごとくにブレがなかった事を思い出す。それはおそらく彼らが物心ついたころから欠かすことのなかった首相撲、相手重心のコントロール技術で培われたものなのだろう。
有栖の真骨頂は重量級とは思えない多彩で華麗な蹴り技を連続して繰り出せ「才能」だ。むろん有栖も努力をしているとは思うが、どこまで行っても有栖の強さの根幹は常に「才能」のよるところが大きい。
その有栖の才能をきっとムエタイ選手はその絶大なバランス力で凌ぐに違いない。
そこまでのイメージが出来て俺は芹沢に答えをだした。
「前半勝負じゃないでしょうかね。相手が有栖の技に慣れるまでに有栖が蹴りを当てることができれば、その蹴りは相手を倒すと思います。ただ、2Rまで凌がれればきつかもしれませんね」
そこまで言うと、芹沢の顔が曇った。
「そうよね」
そして芹沢は小さく一言そう返した。きっと俺と同じシュミレーションをすでに芹沢もしていたのだろう。
ただ……
「表情が暗いですね」
その顔は、俺が考える以上に劣勢の有栖を予想しているように思えた。
「対戦相手は、あの偉そうな口をきいたやつでしょ?」
ここで未惟奈が口を挟んだ。
「翔はしらないでしょうど、彼は打たれても決して倒れないタフネスが特徴なのよ」
未惟奈がまくし立てた。
「そうなのか?……いや、でも体重差あるだろ?流石に重量級の有栖の蹴りを受けたら倒れると思うけど?」
芹沢の顔が暗いままだ。
「その顔は、芹沢さんも、倒れないと思っているんですか?」
「おそらく有栖君の蹴りは当たる。それだけのトレーニングはしてきた。それに相手はそんなにディフェンスが上手い方ではないし……ただ彼が倒れる姿が想像できない、いや、たぶん多分倒れない」
そんなことがあるんだろうか?
「でもだったら俺の攻撃だって効かないかもですね」
「いや、あなたの攻撃はきくわよ」
芹沢は事もなげに即答した。
「え?どうして?」
「あなたはピンポイントで急所を射抜くことができる。ああいう攻撃をするムエタイ選手はそうそういないから」
「そういうもんでしょうか」
自分のことになると途端によく分からなくなるのはいつのも俺の悪い癖だ。
「そしてきっと未惟奈さんの攻撃でも倒れる」
俺は「ああ」という顔をして答えた。
「それはきっとそうですね。未惟奈の場合は急所を射抜くというより急所を丸太でぶったたく感じだしな」
未惟奈は「フン」とばかりにそっぽをむいた。
「有栖君もね……威力はあるんだけど、ポイントで当てる精度に不安があるの」
「芹沢さんが指導しても、そこはだめだったんですか?」
むしろ「精度」は芹沢の真骨頂な気がするが……
「彼の場合、才能がある分、技を極めるという方向に意識が向かないのよね。だから強く蹴れるところで技の完成度が止まってしまう」
うむ。たしかに有栖にはそういった詰めの甘さがありそうだ。
有栖は確かにムカつくところが多々あるのだが、一度組手とはいえ対戦したことがあるから、奴が天才なのはよく分かる。でも、百戦錬磨のムエタイ戦士に通用するのは簡単な話ではないのだろう。
またあいつと話をするとムカつくことは多いが、それでもヤツのことは嫌いではない。あの裏表の欠片もない、すがすがしいまでのバカっぷり。異常に高い自己評価。どうも憎めない。
そして曲がりなりにも今日は、同じ空手チームでもあるし、少なくともあんな人をこけ下ろすムエタイ野郎には負けてほしくはないと思う。
さて……
その有栖のゴングが、すぐそこに迫っていた。




