「技」の落とし穴
「いや、すまなかったの」
皆が各々客席の椅子に座ると、あらためて祖父はそう言いながら芹沢に頭を下げた。
「いえ」
と短く答えた芹沢は顔を未だ引き攣らせつつの苦笑いだ。
それはそうだよな……
俺には何が起きたのかはわからなかったが、芹沢が「銃弾に打たれたよう」と形容するようなことが起きていたのなら、初対面の女性に対してとんでもない仕打ちだ。
明らかに分かる作り笑いを崩さずに芹沢は言を繋いだ。
「同じようなことは何度か祖母からもされたことがありました。でも久しぶりだったのでビックリしてしまって……失礼いたしました」
なるほどね。確かに芹沢の祖母は『気』の扱いに関しては数ある中国武術でも随一とされる大成拳の直系だ。できて当然、というか祖父ができてできないという方がおかしい。
そもそも空手家の祖父が「そんな芸当」をやって見せたことこそ俺は違和感を覚えた。祖父は確かに澤井健一から「大気拳」を学んではいたが、それでも祖父の軸は空手にあった。だから芹沢の祖母ほどに「気」を扱える訳がないと思っていた。
それなのに「気」に関しては本家である芹沢を驚嘆させるほどの「気」の技を今まさに祖父が見せた。
「じいさん、いつのまにそんな技マスターしたのさ?」
俺は「その違和感」を素直に祖父にぶつけた。芹沢もきっと俺と同じ感想を持ったに違いない。だからだろう、彼女は身を乗り出すように祖父の方を興味の視線を向けた。
ただ未惟奈は、というと……表情を動かさず少し眉間に皺をよせていた。
未惟奈がこの顔をするときは決まって頭をフル回転している時だ。これが人に聴くより先に自分で結論を出したがる未惟奈の常だ。しかもそこから導き出す結論は概ね的を外さない。彼女はまさにその光速頭脳で何らかの答えを探し出そうとしていた。
「歳をとると、どうも楽をしようとしてしまってな。悪い癖だ」
祖父は額を指でポリポリと掻きながら、自嘲気味にそんなことを言った。
「あんなこと出来たら空手の技とかいらないわね」
するどく未惟奈が返した。未惟奈はすでに何かに結論を得ているようだった。
「未惟奈さんはさすが鋭いな」
祖父は苦笑いしつつ、しかし少し嬉しそうにそう言った。俺も未惟奈の言わんとしたことはボンヤリ理解した。つまり、今祖父が芹沢にやったような、俺からすれば「超能力まがいこと」ができるなら空手に限らず多くの武道・格闘技の技術の根幹である「攻防技術」の存在意義が危うくなる。
「だから翔がこの技術の影響を受けないように、最近は空手指導をすること避けていたのね」
未惟奈は、さらに先の結論を読んでいるのか、納得するように何度も頷きながらそう言った。
「ははは、未惟奈さんには敵わないな」
祖父はそう言いながら髪の薄くなった後ろ頭をポンポンと掌で叩いきながら「参った、参った」と笑いながら繰り返した。
「未惟奈?それはどういうことだ?」
俺は未惟奈が今言った「祖父が俺を遠ざけた理由」がいまいちわからなかった。
「だから……」
呆れたようにそこまで言って未惟奈は続けた。
「十代半ばで、ああいった技に興味を持ってしまったら武道・格闘技の攻防技術を学ぶ意欲がなくなってしまうじゃない」
ああ、なるほど。そういうことか。俺は未惟奈の言わんとすることを理解していたが、それについては即座に反論した。
「いやそんなことにはならないから」
そうだ。俺は超能力マニアの美影聡一とは違って超能力者になりたい訳ではないのだ。俺はあくまで空手の「技」そのものに興味があった。確かにあの祖父が見せた得体の知れない力は凄いと思う。でも俺が求める種類ものではない。
「まあ、それは分かっておるが」
祖父が口を開いて続けた。
「それでもそんなことができてしまうと心に隙が生まれるのが人間というものだ。無意識に技を追求することにブレーキがかかる。終いには「あの力」を当てにした攻防技術にしかできなくなってしまうだろう。あんな力がなくとも全ての技をセーブできなくては武道とは言えない。わしはそう考える」
祖父の自嘲の意味はそこか。それでも歳をとった祖父はそんな「空手の技術」を鈍らせる「気の技」に興味を示してしまった。だからそれを追求する祖父の影響を俺が受けかねないと。それを危惧して俺に空手指導をすることをやめてしまった。
……それにしても無意識にねえ。そんなことあるのだろうか?それを言ってしまえば最近とみに力を入れていたフィジカルトレーニングにしてもそうだろう。程度の差こそあれフィジカルトレーニグをすることで「力を当てにした技」になるリスクはある。
俺はそんなことを思いつつ「ふむふむ」考えを巡らせていると、未惟奈はそんな俺の思いなんてとうに見抜いているというような「したり顔」をしつつ、流し目で俺を見ていった。
「翔はフィジカルトレーニングもほどほどにって思った?」
「その通りだ」
俺は俺の心を読み切って見せた未惟奈に呆れてそう返した。
はいはい。確かに祖父が言うように、未惟奈さんには敵いませんな、ほんと。
「澤井先生が鵜飼さんにそこまでの技を伝授されていたのですか?それとも独学で?」
今度は芹沢がそう祖父に問いかけた。
「ああ、わしも何度か澤井先生に同じことをからかい半分でされてな。ただそれを教えてくれはしなかった。だから老いてからの暇つぶしに研究しておったらある時できるようになったというわけじゃ」
「し、信じられない……それはほとんど独学ですよね」
芹沢は呆れたように目を丸くしてそう呟いた。
「ところで芹沢さんも同じこと出来たりするの?」
未惟奈は鋭いことを聞いた。これは俺も大いに興味があった。
芹沢は少し微妙な顔をして静かに応えた。
「出来る出来ないで言えば、出来るけど……」
そこで芹沢は一呼おいた。俺は先が気になり促す。
「けど?ってなんですか?」
「この技は『練度』が重要だから、例えできてもその力には雲泥の差があるものなのよ」
「その表情だと、芹沢さんはあまりその『練度』とやらは高くないってかんじかしら?」
未惟奈が意地悪に容赦なく突っ込む。でもあの芹沢の浮かない顔からすればきっとそうに違いない。鈍い俺でもさすがにそれは分かる。
「この技は『技術』というよりは、どれだけ長い時間『練りこんできたか』にかかっているから、年寄りでないとなかなかできないのさ」
祖父が芹沢をフォローするように、そう説明してくれた。
「芹沢さん、そうなの?」
俺は念のため、そう尋ねると、芹沢は「ええ」と言いながら首肯して続けた。
「基本的にこの技を実用レベルで使えるのは決まって年配の方。まさにさっき鵜飼さんが言われた通り、どんなに才能があっても修練した月日に敵うことはないの」
なるほどそういう理屈か。だったら二十代の芹沢がまだこの技を実用レベルに使うには難しいのかもしれない。
それにしてもだったらなぜ今日になって祖父がいきなり「その技」を俺に見せてきたのだ?本当に芹沢を驚かすためなのだろうか?
もしかすると試合を間近に控える俺にとって何か「プラスになる」なんてことを想定しているのだろうか?
俺はそのことになにか未惟奈が感づいているかもしれないと思い、自然未惟奈を見た。
未惟奈と一瞬目が合おうと、彼女は俺の意図を察したように祖父に向き帰り口を開いた。
「おじいさん、ここにきて翔に何か伝えたい事があるんじゃないの?」
躊躇なく未惟奈が言うと、祖父鵜飼貞夫を一瞬不敵に笑ったように思えた。
ああ、かつて俺を指導する時に祖父はよくこんな表情をした。
俺はそれを久しぶりに思い出していた。




