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身体が知っている

 大会まで2週間をきりウィリス父による「地獄のフィジカルトレーニング」は「回復モード」に入り、だいぶ楽になった。


「順調に疲れは抜けてるみたいね」


 放課後、いつものように未惟奈と一緒に教室を出たところで、少し前の俺がそうだったような「疲労困憊」でない俺を見て、未惟奈がそう言った。


 空手のトレーニングでは俺がイニシアティブをとっているものの、ことアスリートとしての体調管理には一日の長、いや万日の長?がある未惟奈は、相変わらず俺の体調管理に「偉そうに」口を出してくる。


 それにしても無知とは怖いもので、俺はトレーニングなんて大会直前までガッツリやっていればいいと安易に思っていたのだが、実はこの時期は「回復」こそがとても重要らしいのだ。


 だから大会が近づくにつれて徐々に「鬼のような」フィジカルトレーニングが減っていき今では技術トレーニングにより多くの時間を割くようになっていた。


 確かに慢性的に苦しめられていた疲労感は日に日に抜けてきてパフォーマンスが明らかに上がってきてくるのが実感できた。


「ようやく学校の階段を普通に昇れるようになったよ」


 俺はそう言いながらも、筋肉痛のあまり顔を歪ませながら階段を昇っていたころのことが思い出され顔を「その時」のように歪ませた。


 そんな俺の顔を見た未惟奈は、急にいたずらっ子のように「にやり」と口角を上げると、俺の背後に回って「えいっ」と言って俺の背中におぶさってしまった。


「おお、おい!急に危ないだろ!」


 言いつつ、俺は軽やかに背中に乗ってしまった未惟奈に驚き、さらに(こちらの方が重要なのだが)背中に感じる未惟奈の女性特有のふくらみの感触により動揺してしまった。


「そのまま階段降りろ!」


 未惟奈は、親に馬乗りをして遊ぶ子供の様に両足を前後に大きく振りながらエラク上機嫌になっている。ただそれでなくとも「()()」になっている俺にしてみれば、また身体を密着して揺らされたらどうなるかなんて男性諸氏なら分かっていただけるはずだ。


「か、回復期なんだからそんな負荷を身体に掛けられないだろ?」


 俺は照れ隠しで何とかそこまで言って、未惟奈が早く俺の背中から降りることを促した。


「最近、怠けすぎだから少し脚の筋肉に負荷をかけて刺激しておかないとね」


 未惟奈はそんなもっともらしいことを言いながら、俺の背中からは全く降りる気がない。


 いやいや、脚の筋肉を刺激する前に、他のいろんなところが既に刺激されて困っているのだが……


 結局俺は3Fから1Fまで未惟奈をおぶったまま階段を降り、下駄箱にきてようやく未惟奈は俺を解放してくれた。


 また、驚いたことにそんな俺と未惟奈のさまを何人もの生徒がすれ違いざまに見かけているはずなのだが、最近ではそんな「バカップルぶり」にも見慣れてしまったのか、皆が皆、ノーリアクションなのだ。


 そう言えば及川護が少し前に「お前らのイチャイチャは見たら、悔しくなるから、学校中で”あの二人のイチャイチャぶりに反応したら負け”同盟を結んでいる」とかなんとか。


 これが日常の風景ということか……なんてアメリカナイズされた学校なんだ?ここは。岩手なのに。


*    *    *


「そう言えば、伊波紗弥子対策は大丈夫なのか?」


 俺は、校舎を出て「おんぶ階段ダッシュ」で上がってしまった息が落ち着いたところでそんな話題を切り出した。


「どうしたのよ、急に?」


 そう答えた未惟奈は、その話題に乗り気でないように見えた。


「いやさ、さんざん俺に関してはチャンプア対策を二人で考えてきたけど、こと未惟奈の試合に関しては今まで具体的な対策の話をしてこなかっただろ?まあ、未惟奈のことだから考えるんだろうけど」


 未惟奈の才能は身体能力だけではない。


 そもそも身体能力を「スポーツ」「競技」「武道」のような形でアウトプットするためにはそれを引き出すための「頭脳」が絶対不可欠であることは未惟奈を見ているとよく分かる。俺の勝手な想像ではあるが、身体の力が高ければ高い程それを操るために必要とされる「知能」は比例して高くなるように思う。


 だから未惟奈の頭脳をもってすれば、とっくに伊波対策はできているのだろう。


 また俺は非公式のスパーリングとはいえ伊波と対戦している。だから俺は俺なりに伊波の戦闘の力の分析はできているし、クリスマスプレゼントで渡した「ノート」にもそれについての考察はガッチリしておいたからそれも未惟奈は織り込み済だろう。


「まあ、こんなこと言うとまた翔は”慢心するな”なんて小言を言うんだろうけど……どんなシミュレーションをしても私が負ける要素はないわ」


 未惟奈は彼女にしては慎重な言い回しでそう言った。そしてこのことから未惟奈が決して根拠のない慢心をしている訳ではないのだろうと思った。


「まあ、そうだろうな。俺と出会った当初の未惟奈ならいざ知らず、今の未惟奈なら慢心だけで言っていないのは分かるよ」


「そうでしょ?」


 言いつつ未惟奈は、俺があまりに素直に認めたのが恥ずかしかったのか、少し照れたように口を尖らせた。そして頬を朱に染めて視線を逸らしながら続けた。


「確かに翔に会って、初めて本当の敗北を味わった。そして私の心の乱れで伊波さんとのスパーリングでも情けない戦いをしてしまった。翔と会ってから随分自尊心を傷つけられたわ」


 自尊心の塊の未惟奈が「傷つけられた」と言って俺はおかしくて噴き出してしまった。


「それは自尊心を傷つけられたとは言わないだろ?俺に慢心を改めるきっかけを貰ったとでも言えって」


「な、なによ。だからそういう意味でいってるんじゃない。ホントむかつく」


 ついに未惟奈は不貞腐れてしまったが、表情を見る限り本気で怒っている訳ではもちろんなさそうだ。


 俺がこの話題を未惟奈に切り出したのには訳がある。


 大会も二週間も切ってくるとメディアや、また最近めっきり増えた格闘家ユーチューバーの動画でも「試合結果予測」が多く飛び交っていた。


 俺に関しては「俺が負ける」という予想が100%と言っても過言でないほどだった。さらには「負ける」という大前提で、さらにその先にある俺の「身体的ダメージ」を心配してくれる優しい記事や、もしくは俺とチャンプアのマッチメイクが「ありえない」と批判する記者や格闘家まであるとなんとも苦笑いせざるを得ない。こんな一方的な予想を見る限りでは、俺の少ない関係者が語ってくれた「煽りV」もそれほど効果はなかったようだった。


 まあ、これについては今まで全く実績のない高校生なのだから当然と言えば当然なんだろう。


 しかし、これが未惟奈と伊波紗弥子の試合予想では、圧倒的に「未惟奈有利」だった。以前に未惟奈との対戦がマッチメイクされたときがそうであったように、実は今回も頑なに伊波陣営の大人たちは未惟奈との対戦を反対したそうだ。これは伊波陣営が今回も「不利」と考えている証拠だった。


 しかし意外だったのは当の「伊波紗弥子」は自信満々で陣営の反対を押し切ってOKを出したと聞いている。というか元々伊波から高野CEOへの強力な申し出からこのマッチメイクがスタートしているから当たり前と言えば当たり前なんだが。


 そして何よりも伊波紗弥子の「煽りV」で見せた本人の表情は「何か秘策でもあるのか?」という想像をしてしまうほどに嘘偽りのない自信の顔だった。


 だから俺はその伊波の「自信満々の顔」が頭から離れず、少し気になり伊波対策について、念のため未惟奈に問いかけたのだった。


 ただ未惟奈が先に「どんなシミュレーションをしても負ける要素がない」と言ったということは、未惟奈なりに伊波の自信満々の表情から「その自信の根拠」を探したに違いない。それでもなお未惟奈が負ける要素が「ない」というならきっと「ない」のかもしれない。


 少なくとも俺とチャンプアとの対戦にある「不安要素」から見てば未惟奈の不安要素なんて吹けば飛ぶレベルであることには違いない。


「ありがと」


 急に未惟奈が俺の右手に自身の左手を滑らせてきて一言呟いた。


「え?なに?」


 そう言った俺は、急にしおらしい未惟奈にドギマギしつつも、最近では未惟奈がやたらと手を繋いでくることにも慣れてきたので反射的に未惟奈の手を握り返していた。


「だから……伊波さんの自信満々の姿を見て私のこと心配してくれたんでしょ?」


 はは、やっぱり分析力が凄すぎる未惟奈はお見通しだった。


「まあ、そういうことだな。でもそこまで分かってるなら俺が口出す必要もなさそうだ」


「いや、出していいよ。どんどん出してよ」


 言いながら未惟奈は甘えるように体当たりのように横から肩をぶつけてきた。


「まあ、気になることがあったら組手の時に勝手に俺の身体が『そういう動き』をしているはずだから口で言うまでもないだろ」


「フフ……それもそうね」


 確かにいつも行動を共にしてる未惟奈へは「口先で」言うまでもなく、身体が勝手に反応するのに任せてもいいのだろう。


「それが一番確実だ」


 俺はダメ押しでそう言いながら、より未惟奈の手を強く握りその未惟奈の身体の感触を感じた。


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