天才が感じた恐怖
チャンプア・プラムックとの試合まで二か月を切った。
俺は相変わらずエドワード・ウィリスという世界最高峰のアスリートでありトレーナーから「肉体改造」という名の「拷問」を毎日受け続けていた。
しかし俺にとっては「拷問」なのだが、俺の隣で俺以上のフィジカルメニューを「あたりまえ」のようにこなす未惟奈を見るにつけて俺は未惟奈に恐怖すら感じた。
そして今更だが未惟奈の常人離れした身体能力は決して両親のDNAだけでなく、世界最高の厳しいトレーニングの賜物であることを改めて思い知らされた。
未惟奈はこんな厳しいトレーニングをいつから始めたのだろうか?
未惟奈は自分の努力を全て両親のDNAのおかげでかたづけられてしまうことが、「トラウマ」になっていたと語ったことがある。
だから俺と会って、凡庸な身体能力しかない俺が未惟奈の身体能力が通用しないことを知ってむしろ嬉しかったと言った。
「血」ではない、自身の「努力」を認めてもらう「技の習得」という「光明」を知ったのだ。
だから今、俺がフィジカルトレーニングしながら悲鳴を上げているなさけない姿は、きっと未惟奈のモチベーションを上げる事に貢献しているに違いない!……それがこんなにもつらい「拷問」に耐える俺の、彼女の為を思う健気なモチベーションなのだ。
また、このウィリス父の「トレーニング」は、フィジカルトレーニング以外のことも要求してきた。
「翔くん。今はスポーツも情報の時代だ。対戦相手の情報を少しでも多く入手して分析する必要がある」
そう言って、フィジカルトレーニングが終わると、俺と未惟奈は大ディスプレイのある部屋に押し込まれた。
「可愛い娘を男子と狭い部屋に二人きりにしていいのか!!」
と当の俺が突っ込みたくなったのだが、どうもこの部屋は監視カメラが付いているらしく変なことは起きようがないらしい。いやこのシチュエーションで「変なこと」なんてしないけどね……未惟奈がしなければ!?
その部屋は数名が入れる小さな会議室のようになっており、なんといっても200インチあるという巨大ディスプレイが壁に埋め込まれていたのには驚いた。この部屋のサイズなら半分のサイズで十分だと思ったのだが、中央に置いてあるハイスペックのパソコンにアスリートの動作解析するためのソフトがインストールされているらしく、それを活用するにはこの大きさのディスプレイが必要らしい。
さて、そんな部屋に押し込められても武道・格闘技に関してはむろんウィリス父の専門外なので、俺への指令は格闘技ライター春崎須美経由で送られてきたチャンプア・プラムックの試合映像をこの大型ディスプレイでひたすら観戦して、自力で作戦を立てることだった。
映像に関しては、格闘技ライターというよりは格闘技マニアという裏称号を如何なく証明するような渾身の大量データがウィリス父のもとに送られてきていた。
俺と未惟奈は毎日、フィジカルトレーニングが終わった後に疲れ切った身体にムチを打ちながらこの大型ディスプレイの前に座るのが日課になっていた。
本来なら未惟奈に関しては対戦相手の「伊波紗弥子」の試合映像を見るべきだと思うのだが、嘘かホントか未惟奈曰く「もう見尽くしたから」ということなので、概ね未惟奈も俺と一緒にチャンプアの映像を見ることになった。
* * *
はじめて、この大きなディスプレイに映し出されるチャンプアの動きを見た時は随分と驚かされた。
最初の感想はただただ「凄まじい」の一言だった。
スピード、パワー、テクニック……おおよそ格闘技に必要な能力の最大値をこのチャンプアが持ち合わせていることは間違いがなかった。
しかし、そんなチャンプアの「凄さ」とは別に俺は「あること」に気づいた。そして未惟奈もすぐにそれを看破して俺にたずねてきた。
「翔?なんなの?この人?」
未惟奈は「浮かない顔」で俺にそういった。
「厄介だな」
俺は一言返した。
「翔でもそう思う?」
言いながら未惟奈は眉間に皺を寄せて、表情をより深刻にして俺の顔を見た。
「そりゃそうだろう。かれこれ10試合程度見たが、一度たりとも”同じ技”が繰り返されない」
むろん「技」といってもミドルキックとか右ストレートといった単発攻撃のことを言っているのではない。チャンプアの攻撃には「コンビネーション」「さばいてからの返し」「カウンターのタイミング」といった「攻防技術」に当たる「技」の繰り返しがことごとくない。つまりパターンとか癖といったものが一切見当たらないのだ。そんなファイターは見たことがない。
「こんなことあり得るの?ラウンド内に違う人間に入れ替わってると錯覚するくらいに同じパターンがないじゃない?」
未惟奈の言うとおりだった。映像に映るのは確かにチャンプア・プラムックという一人のファイターに違ない。しかし、まるで上手く編集していろいろなファイターが入れ替わり立ち代わり繋げ合わせた映像にすら見える。
普通はどんな格闘技ファイターだって「得意技」があるものだ。
勝つための方法論としてはその得意技をいかなる相手でも決められるように、何度も反復練習をして技を洗練させていくはずだ。その「得意技」のパターンが、所謂ワンパターンでなくいくつもバリエーションをもつファイターが「強いファイター」となるといってもいい。
しかしチャンプアはどうだ?特定の得意なパターンは存在しない。そういった意味では「得意技」がないともいえるが、裏を返せば「全ての技が得意技」ともいえる。
つまり技が繰り返されないという事はその得意技の数は無限にあるということになる。
さすがの俺も腕を組んで「うーむ」と唸るような声が漏れた。
「そんな厳しい顔して、大丈夫なの?」
未惟奈は心配そうに俺の顔を覗き込んだ。未惟奈はその才能から他人の能力を評価するような発言はめったにしない。それは彼女が意地悪な性格という訳では決してなく、単に正直なだけなのだ。だから能力が高すぎる未惟奈が「褒める」に値するアスリートにはめったなことでは遭遇しなから正直な未惟奈からは賞賛の言葉は出てこない。そんな未惟奈がこんなにも不安な顔をするのはなにも俺の表情が浮かばないという理由だけではなかったはずだ。未惟奈は未惟奈でチャンプアの映像からその「異常さ」に気づき、未惟奈からすれば、それが想定外すぎて恐怖すら感じてしまったのだ。
しかしだ。
俺も「やっかいな」とは思ったが、「想定外」とは思わなかった。
だから俺が未惟奈に伝えた言葉は、未惟奈のように「恐怖」を伴うこと表情はなく、むしろ口角を上げ、笑みを浮かべながらこう答えた。
「楽しくなってきたな。チャンプアは、格闘技というスポーツからスタートして既に武道の領域に踏み込んでいたってことだ」




