第八章:甘美な誘惑
アメリアの口から発せられた言葉に、アレックスは動揺した。それは、彼が今抱える問題を、一瞬にして取り除いてくれるかのような甘い響きを持っていたからだ。しかし、ジェームズの忠告が脳裏をよぎる。彼は警戒心を抱きながら、アメリアの次の言葉を待った。
「『アメリア』が出資を行い、『ミストナイトクラブ』の改修をさせて頂きます、従業員の方もこちらからプロを派遣いたします。そうすれば、あの頃の華やかなミストナイトクラブに直ぐに戻れますわ。もちろん、アレックス様の負債についても、全てお引き受けいたしますわ。」
その提案は、あまりにも魅力的だった。アレックスは、『ミストナイトクラブ』の抱える問題を身をもって思い知ったからこそ、その提案に心が大きく揺らいだ。しかし、同時に疑問が湧いた。なぜ、アメリアはそこまでしてくれるのか? 彼女の求めるものは一体何か?
「……アメリア様は、私に何を求めていらっしゃるのですか?」
アレックスの問いに、アメリアは微笑んだ。
「わたくしが求めるものは、ただ一つ。アレックス様にクローブ様の後継者として、娼館組合の長に就任していただきたいのです。」
アレックスは息を呑んだ。組合長の座は、この街の夜の世界にとって王座も同然だからだ。
「クローブ様は、この街の娼館業界に多大な功績を残されたお方、今もなお、その威光は健在です。アレックス様が後継者として立候補なされば、ほとんどの娼館長は賛成するでしょう。もちろん、わたくしも全面的に後押しいたします。どうか、クローブ様の意思を継ぎ、このガーデンローの未来の為、結束の旗印になっていただけませんか?」
この提案は、まるでクローブの遺志を継ぐ崇高な使命であるかのように響いた。彼女の目は、アレックスの決断を促すかのように、真剣な眼差しをしている。しかし、アレックスは、叔父がなぜ自分に娼館を託したのか、その真意を完全に理解できていなかった。そして、彼女の甘美な提案の、その裏に潜む思惑を測りかねていた。
アレックスは、アメリアの目を真っすぐに見据えて、言葉を発した。
「アメリア様のご提案、大変光栄に存じます。しかし、私はまだ就任したばかりで、この街のことも、組合のことも、何も分かっておりません。そのような未熟な身で、組合長という大役をお引き受けすることは、あまりにも時期尚早かと存じます。申し訳ございませんが、今すぐ決断することはできません。」
アレックスは、丁重に、しかし明確に断った。アメリアは微笑みを崩さなかったが、瞳の奥で僅かに動揺しているように見えた。
「そうですか……。それは残念でございます。しかし、お気持ちも理解できます。どうぞ、ごゆっくりお考えください。」
アメリアはそう言うと、立ち上がってアレックスを執務室の扉まで見送った。アレックスが部屋を出ていくと、入れ替わるように一人の女性が執務室に入ってきた。
「如何でしたか?」
「ダメみたい、少し警戒されているみたいだわ、ケイトの方は順調かしら?」
「バスク派の離間工作は順調です、アレックス様を利用せずとも、組合の掌握は可能かと。」
ケイトの報告に、アメリアは満足そうに頷く。
「計画通りね。でも、彼がどちらに付くのか、分からない内は大きく動けないわ。」
「懐柔を試みましょうか?」
「いいえ、しばらく様子を見てみましょう。彼の手腕がどれほどなのか、とても興味深いわ。」
アメリアは、執務室の窓から見えるガーデンローの景色を眺める。
「断った時の彼の真っすぐな目、あの方にそっくりでしたわ、この街の夜は、これからもっと面白くなりそうね。」
その瞳の奥で、アレックスにクローブの面影を重ねていた。




