057 恋の巡礼
大聖堂の厳かなる門をくぐると、そこには昔と変わらぬ壮麗なる内部が広がっていた。
彫刻やステンドグラスから差し込む光が神聖なる空間に美しく降り注いでいる。
大聖堂内部には思いの外多くの人が訪れ、静かなる祈りを捧げていた。
殿下と私は大聖堂の椅子に腰を下ろしお祈りをしたのち、孤児院の方へ足を運ぶ。
「あの、ティアリス様が幼少期にお世話になったとされる、ハンナ先生のお墓参りをしたいのですが」
私は受付と書かれた場所にいた若い修道女に、来訪の目的を伝える。
「ハンナ先生?あ、もしかして恋の巡礼中の方ですか?」
ハビットと呼ばれる黒くて長いローブを着た修道女は、私の横に立つ殿下を見て、それから私を見て、女神の微笑みを携えた。
「ええと、恋の巡礼ではなくて」
「いや、それで間違いない」
訂正しようとする私を遮る殿下。
「え、でも……」
恋などと言う名のつくものから程遠い関係である殿下と私。それがなぜ恋の、しかも巡礼などしなくてはならないのだろうか。
「では拝観料を頂戴致します。募金もお恵み頂ける場合、どうぞこちらへ」
ニコリと微笑みつつ、募金箱を私達の前に置く修道女。たぶんかなり遣り手の受付修道女に違いない。
「拝観料はこれで」
殿下が懐から財布を取り出し、二人分を払ってくれた。
「あ、自分の分は」
私は慌てて、斜め掛けにしたポシェットに手を突っ込む。
「いらない。今日は君に負けたから俺が出す。そうしないと自分が許せない」
「……ありがとうございます」
どうやら私に負けた事が相当悔しかったようだ。
私は殿下の悔しい気持ちを汲み、素直に奢られる事にした。
「それとこれは、子ども達への寄付ということで」
明らかに拝観料のお釣りとして受け取った小銭を入れる用だと思われる募金箱。あろうことかその募金箱に、殿下は札束をバサリと気前良く寄付した。
「あ、あ、ありがとうございます。では、お二人が末永く共に歩めますように。因みに今は生誕祭用で特別仕様。こちらピンクになっております」
修道女がパンフレットの紙と共にグラデーションが綺麗なピンクの組み紐を手渡してくれた。
「うわぁ」
私は細く編まれた組み紐をつまみ、懐かしい気持ちで眺める。
色とりどりの刺繍糸を何本もあわせて編み模様をつけた、通称ミサンガは教会の貴重な収入源。
私も幼い頃、何百本と編んだ記憶がある。
「誓いの石碑へは、祈りの道を進んで頂きますと途中に看板が出ておりますので。お二人に神の微笑みが降りますように。いってらっしゃいませ」
完全に恋の巡礼中だと勘違いされた殿下と私は、修道女からニコニコと手を振られながら見送られた。
「……」
「……」
何とも形容しがたい気まずさを抱えつつ、私達は言われた通り祈りの道へと足を運ぶ。
微妙な空気感の中、殿下と揃って歩くのは気まずいながらも、修道女から差し出されたミサンガについて、私は口にする。
「これは願いごとをして、手首や足首に巻くんですよ。私はこのミサンガの編み方をハンナ先生に教えてもらいました」
「帝都の教会でも販売しているのを見かけた事がある。しかし普通に考えて、この色を手首には巻けないだろう」
殿下は形容し難い表情で、手にしたピンクのミサンガを見つめている。
「かなり勇気がいりますよね。まぁ、記念品みたいなものですし」
言いながら私はポケットにピンクのミサンガをしまい込む。殿下も微妙な表情のまま、パンツのポケットにミサンガを押し込んだ。
「でも何でハンナ先生の名前を出したら、恋の巡礼なんて言われたんですかねぇ」
私は最大の疑問を口にする。殿下がそれを甘んじて受け入れていた件も気にはなる。けれど、この雰囲気で言うのはなかなか厳しいのでそちらは無視した。
「君が世話になったとされるハンナという女性は、後に建築家ブルーノと恋に落ちたらしい。当時それは英雄ティアリスが結んだ恋だと、かなり話題になったそうだ」
「えっ」
そうだったのかと私は驚く。
そして私は、職業紹介所のおしゃべりな女性を思い出す。確か彼女がそんなことを言っていた気がする。
「英雄ティアリスが結んだ恋。ただし本人は知らずか」
「でも、ハンナ先生が幸せな人生を送れたなら、良かったです。でもなんか、恋の巡礼だけは、俗っぽいというか、なんというか」
私にとって実家とも言える家が、恋人のたまり場のようになっているのは微妙な感じだ。
「孤児院で預かる子どものためもあるだろうが、そもそもセントステラ孤児院は歴史ある建物だ。年々劣化していくこの建築物を維持していくために、観光地化せざるを得ないのだろうな。ティアリス様の聖地巡礼で訪れる者も多い場所だ。拝観料だけでも馬鹿にならない収益になるのだろう」
「なるほど」
確かに建物の劣化はどうしたって避けられない問題だ。しかも古い技術で建築されたこの石造りの建物を長く維持していくのは、私が思うよりずっと大変なのかもしれない。
私は殿下が教えてくれた理由に納得しつつ、生誕祭用のピンクの装飾が施された祈りの道を何となく居心地が悪い思いで進む。
「それにしても立派な建物ですよね。お城みたい」
私は歩みを進めながら、少しでも恋というピンクの世界から逃避しようと、孤児院の建物を見上げる。
以前は建物に蔦が張り付き、どこか暗く陰鬱な雰囲気漂う場所だった。しかし現在は明るく美しい建物へと見事変貌を遂げている。
その証拠に建物の外壁には美しい彫刻や壁画が施され、その姿はまるで美術館のよう。庭園には華やかな花々が彩っているし、あちこちにわざわざ装飾の施された扉があるのも確認できる。
「ブルーノは革新的な構造技術を多用し、重力や自然の力を最大限に活用することで独特な建築物を生み出したとされている。彼が残した建築物は、曲線やアーチを多用し、独自の構造体系を持っているものばかり。だからこそ未だ彼の作品は人気だし、評価も高い」
「ふーん。なるほど。確かに曲がってますね」
殿下の言う「構造的技術」とやらはさっぱりわからない。けれど今いる建物にある曲線くらいは理解できたので、わかったフリをした。
それからしばらく祈りの道を進むと、修道女の言った通り「誓いの石碑はコチラ→」という、いかにも観光地っぽい看板が出ていた。
「こっちだって」
「そうみたいだな」
目の前で腕を組んだカップルがウキウキした様子で、看板の指示通りに進んで行った。
二人の手首には、ちゃっかりピンクのミサンガが巻かれていた。
「巻いてたな」
ボソリと殿下が呟く。
「巻いていましたね」
私もボソボソと答える。
「行くか」
「行きましょう」
微妙な空気のまま、殿下と私は恋人の後を追う。
程なくして辿りついたのは、恋人が手を取り合う姿になった大きな石碑だ。石像の周囲には、大小様々なハートマークが飾られており、私は恥ずかしいの限界値を今にも超えそうだ。
「は、恥ずかしくて近づけない」
「耐えろ。あの下には、君にとって大事なハンナ様が眠っているのだからな」
殿下に励まされ、私は石碑にゆっくりと歩み寄る。
羞恥心に打ち勝ち、なんとか近くにたどり着いた私は、石像を見上げる。
幸せそうに男性と顔を見合わせ微笑む女性は、何となくハンナ先生に似ている気もする。
「ハンナ先生はとても若い先生で、だからこそ私に手に職を、魔法を習わせてくれたんです。当時は女性の幸せは結婚一択だったのに」
私は子どもだったから、ハンナ先生の言う通りに魔法を習い、それをモノにした。
今思えば、他の子にも得意な事を見つけ、女性でも自立できるような、そんな教育を私達にしてくれていたように思う。
「ハンナ先生が幸せそうで、よかった」
恋人が出来て、結婚すること。それがみんなにとって、幸せの全てだとは思わない。けれど、目の前に石像となって残るハンナ先生は、隣のブルーノ様と手を繋ぎとても幸せそうに見える。
親も同然だと思う人が、幸せそうに微笑む姿に私は心が熱を持つ。
「恋っていいな……」
思わず呟く私の耳に、男女の声が飛び込んでくる。
「ねぇ、お願いした?」
「うん、した」
石像を見上げるのは、先程前を歩いていたカップルとは別の二人。その証拠に二人の手首には、ピンクのミサンガは巻かれていない。
さっきのカップルがお花畑だっただけ。
そう安堵した瞬間。
「じゃ、結ぶよ」
女性が男性の手首にピンクのミサンガをしっかりと結ぶ。
「はい、できた」
満足げに微笑む女性。
「ありがとう。じゃ僕も君に結ぶ。いつまでも共にいれますように」
男性の言葉に頬を赤らめつつも手首をしっかりと差し出す女性。男性は女性の細い手首に、ミサンガをギュツと結んだ。
何だかハンナ先生の石像が振りまく幸せが、この場のみんなに伝染しているようだ。
なんだか私も猛烈に、手頃な誰かの手首にミサンガを結びたいような。
私は斜め後ろを振り向く。
そこには手頃な人がいた。
「殿下、私達も……」
「断る」
恋に酔った私の提案は、あえなくお断りされたのであった。




