052 ウィルマー様の孫
私たちを乗せた魔導車が賑わう街から離れるにつれ、建物の密度が減り、緑豊かな丘陵地帯が広がる。そんな中、一際目を引くような立派な門が姿を現す。
突如出現した門は重厚な石で造られ、頂上には家紋が刻まれている。その門をくぐると、まるでここだけ時が止まっているような不思議な気分になる。
魔導車は門をくぐり、石畳の道を進む。すると立派な樹木や美しい庭園が目に飛び込んできた。
「うわぁ」
思わず感嘆の言葉を発する私を乗せた魔導車は、屋敷へと続く道をさらに奥へと走る。
しばらく進むと、豪華な石造りの屋敷が現れた。空いた窓からは重厚なカーテンと共に、ピンクのリボンが揺れている。屋根には美しい彫刻が施され、歴史と格式を感じさせる風格が屋敷全体に漂っていた。
正面玄関に車が停車する。そしてすぐに私は屋敷の扉の前に、まるで待ち構えていたかのように、整然と左右に並び立つ使用人達に気付く。
「なんか、殿下が帰宅する時のお出迎えより、人が凄いんだけど」
私は驚きながら、微動だにせずこちらを見つめる使用人達を見つめる。
普段住む王都の屋敷ではエメル殿下が帰宅した時でさえ、荷物を受けとるため、必要最低限の人が待機しているだけ。こんな風にズラリと並ぶ人で迎えたりしない。
「一応、エメルは殿下だしね。それに父がティアリス様に会えると張り切ってるんだ」
フリッツ様は笑顔で告げると颯爽と魔導車から降りる。
「今回は俺じゃなく、君が主役だからな」
殿下が嬉しそうに口にすると、外側から扉が開かれる。
「さ、どうぞ」
先に車を降りたフリッツ様は、私に手を差し伸べてくれた。
「あ、ありがとうございます」
私は緊張しながらその手をとり、車を降りる。
それから私は使用人達が揃って頭を下げる中、屋敷の中に通された。
屋敷の中にはいると、吹き抜けの玄関ホールが広がっていた。見上げるほど高い天井からは豪華絢爛なシャンデリアが下がり、壁には大きな風景画が飾られ、とても華やかな空間に圧倒される。
「親父は玄関で出迎えたいって言い張っていたんだけどさ、たぶんみんなの前でティアリス様への敬愛なる態度を取っちゃうと思ったから、執務室で待機させてるんだ」
フリッツ様は玄関に当主が出迎えない理由を伝えながら、階段を上がって行く。
「賢明な判断だ。彼女の件は国家機密レベルS級だからな」
エメル殿下も苦笑いしながら、軽快に階段を上がる。
二階に上がり、分厚い絨毯の上を進むこと数分。重厚な扉の前でフリッツ様が立ち止まる。それから扉をコンコンとノックした。
私は滞在中お世話になる人に印象良く映るよう、背筋をピンと伸ばす。
「入れ」
扉の向こうから低くて渋い声が聞こえてきた。
フリッツ様が扉を開け、続いて殿下。そして私と部屋に入室する。
「帰ったか」
低い男の人の声がして、私はそちらに顔を向けた。
するとそこには、部屋の中で静かに佇む一人の男性がいた。
「ウィルマーがおじさんに……」
私の視線の先には、記憶の中のウィルマーが中年となった姿で立っていた。
カーキ色の軍服を着ていてもわかる、しっかりとした筋肉の輪郭。軍人らしく短く刈られた赤みの強い髪。琥珀色の瞳は、今にも獲物に飛びかかりそうなくらい鋭くこちらを見つめている。
全体的に精悍で、厳しそうな印象を受けた。それなのに、首から上は私の良く知る明るいウィルマーの面影を色濃く残していると言う不思議さ。
私は記憶の感覚が不具合を起こし、混乱する。
そんな私の前に、ツカツカと大股で男性が歩み寄ってきた。
「お初にお目にかかります。私はかの英雄と呼ばれし拳闘士ウィルマーの孫に当たる、ヘンリーと申します」
ウィルマーの孫と名乗りをあげたヘンリー様は、ザッとその場で片膝をつく。それからうやうやしく頭を下げ、視線を足元の絨毯に向けた。
「あ、私はティアリスです。えっと……」
困った私は時間差で隣に並び立ったエメル殿下に視線を送る。
「久しぶりだな、ヘンリー。ティアリス様が困っている。頼むから顔をあげてくれ。そして普段通りでお願いしたい」
殿下がフォローを入れてくれた。
「親父、とにかく落ち着けって。ティアリス様は逃げたりしないんだから」
フリッツ様が苦笑いでヘンリー様の脇に手を差し込み、無理やり立ち上がらせる。
「そ、そうか。感情が爆発してしまった。これは夢なんじゃ……。フリッツ、儂の頬を殴れ」
立ち上がったヘンリー様はフリッツ様に頬を差し出した。
「やだよ」
即答するフリッツ様。それから困ったような顔を私に向けた。
そんな状況の中、ヘンリー様が静かに語り出す。
「儂の父はティアリス様がいつか必ず塔から救出され、この地を訪れると信じていた。儂だってそうだ。祖父と父に、そう言い聞かせられて育ったのだからな」
フッと遠くを見つめるヘンリー様。
「しかしもはや自分の代では無理かも知れないと諦めかけていた時に、まさかこのような軌跡がッ!!」
うっ、うっ、と突然嗚咽し始めるヘンリー様。
芝居じみたハイテンションな所はやはりウィルマーの子孫だなと、私は懐かしく思い微笑む。
「ハンカチをどうぞ」
私は殿下がそうしてくれたように、黒いワンピースのポケットからハンカチを取り出し、ヘンリー様に差し出す。
「な、なんと。賢人ティアリス様から直々にお慈悲を頂くとはッ」
涙ぐみながらもヘンリー様は、私からハンカチを受け取ってくれた。
ふと、私はクラリス様になった気分になった。
彼女は聖女と呼ばれ、仲間の中でも一番国民から人気があった。
それは行く先々で、怪我をして困る人を無償で癒やしてあげていたからだ。
怪我を治癒してもらった人々は、目の前のヘンリー様のように彼女の魔法と優しさに感動し、涙を流していた。
それに比べたら、ハンカチくらいでと思わなくもない。けれど小さな優しさだって、りっぱな善意の塊には違いない。
私は今、いいことをしたのだと自分に言い聞かせた。
「ごめんね、こう見えて普段はもっとマシなんだけどね。親父はティアリス様の事が大好きでさ」
ポリポリと頭をかきながら、それでも優しさ溢れる視線を父親に送るフリッツ様。
「そのティアリス様を連れて来たのは、俺なんだが」
すっかり蚊帳の外となった殿下がボソリと漏らす。
「あぁ、エメル殿下。いらしてたのですね。ご活躍は耳にしておりますよ。ところでご結婚の予定は決まりましたか?」
シレッとした表情で、殿下にとってセンシティブでクリティカルな話題を口にするヘンリー様。
「くっ、ま、まだだ」
殿下は悔しそうに横を向き、肩を落とす。
「ではティアリス様。改めて我が屋敷へようこそ。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
ハンリー様はだらりと下ろしていた私の片手を掴むと、ちゃっかり自分の手の上に乗せた。
「さぁ、参りましょう」
「よ、よろしくお願いします」
こうして私は熱烈な歓迎を受け、ウィルマーの孫であるヘンリー様によって屋敷の中をじっくりゆっくり案内されたのであった。
※※※
「――それから三日後の本祭ではパレードの観覧席を用意しておりますので、是非用意に励んだパトーラの市民、それから各地から集まる帝国民のためにご参加していただけると幸いです。本日はお疲れでしょう。夕食の時間までゆっくりおくつろぎ下さい」
ヘンリー様が軽くお辞儀をして退出する。
部屋に残されたのは、なぜか私の部屋として案内された場所に居座るつもりらしい殿下と私。
殿下と私が向かい合って座るソファーには、ちゃっかりお茶も二つ用意されている。この状況からするに殿下が私の部屋でくつろぐ事は、ヘンリー様公認なのだろう。
「でもそれって、どうなの……」
いらぬ誤解を生みそうというか、すでに生んでいるのではないかと訝しむ。けれど、現代では昔ほど年頃の男女が二人きりになる事に敏感ではない。だとすると上司と部下がこうして共に休憩し、お茶を飲むことは当たり前なのかも知れない。
「あっちへ顔を出せ、あそこで話をしろって、公務かよ。俺は休暇できたのに」
愚痴っぽく呟くと殿下はソファーの背もたれに首を預け、脱力した。
殿下が少しうんざりした表情なのは、先程屋敷の中を案内してくれたヘンリー様から、滞在中に訪れて欲しい場所をいくつか告げられたからだ。
「聖地巡礼だから本祭に参加はいいけど、それ以外は普通の視察じゃないか」
確かにもっとのんびり出来ると思っていた。けれど、エメル殿下はやっぱりどこに行っても帝国皇子殿下なので仕方がないのだろう。
「ティアリス嬢はどこか行きたいところはないのか?」
姿勢を正した殿下が、淹れたての紅茶に手を伸ばす。
「そうですね。やっぱり我が国が誇る有名建築家が建てたと言われている孤児院ですかね。あとは大聖堂も行きたいです」
幼少期、自分が過ごした場所が一体どんな変貌を遂げたのか、眺めてみたい気がする。
それにかなうのであれば、当時お世話になった先生達の眠る場所にお花を献花したい。
「なるほど。では明日、足を運んでみよう」
「ありがとうございます。でも、殿下がお忙しいようならばそちらを優先されてもいいですよ」
「断る。君とブラブラ散歩する方がずっと気が楽だ」
サラリと告げられた言葉に、少しだけドキリとする。
私と一緒にいても気が楽……もはやそれは恋の予感。
などと、いっちょ前に恋する乙女思考になってみたけれど、殿下に限ってはあり得ないこと。
なんだかんだ一緒にいる時間が長いせいで、お互い変な気を使わないで済む。
深い意味はなく、たぶんただそれだけだ。
「皇子の肩書きはいったん忘れ、ただの一般庶民のエメルとして街を散策しようと思ってたのにな。やはりお忍びで宿屋をとるべきだったか」
「お気持ちはわかりますが、すでにどこも予約で埋まってましたから」
「そうだな。この地に来ることを決めたのが急過ぎたし、今はティアリス様の生誕祭中だからな。次はちゃんと計画的に訪れる事にしよう。次こそヘンリーにバレないようにしないとな」
悪戯っ子のように殿下が笑う。
なんだかんだ、帝都にいる時よりリラックスした様子の殿下を見て、私は「来てよかった」と嬉しくなったのであった。




