053 パトーラ滞在二日目のはじまり
綺麗に透き通る空気と小鳥のさえずりの声。
帝都では味わえない自然豊かな場所で、私はスッキリとした気持ちで二日目の朝を迎えた。
壁にかけられた時計を確認すると、約束している朝食の時間まで、まだ少しあった。
「散歩に行くか、このまま惰眠を貪るか。実に悩ましい問題だわ」
私がベッドの上で悩んでいると、窓の外から、軽やかな足音や武器の打ち合う音が、静かな朝の空気に混じり、こちらに伝わってきた。
一体なんだろうとベッドから這い出し、私は窓に向かう。そしてカーテンの隙間からそっと音のする方を覗き込みむ。
すると眩しい朝日に照らされ、エメル殿下とフリッツ様が剣を交えている姿が見えた。
いつもは机に向かい、土偶をニヒニヒ眺めるエメル殿下が、まるで別人のようにキリリとした表情と優雅な身のこなしでフリッツ様と対峙している。
エメル殿下が握る模擬剣の動きは流麗で、フリッツ様に一瞬の隙も与えないといった気迫のまま、鋭い剣を振るい、相手との距離を巧みに制御していた。
一方、フリッツ様はリズミカルな動きで、力強く、パンチやキックを繰り出している。まるでしなやかな猫のように動くフリッツ様の動きを捉えて一本取るのは至難の業だろう。
集中し対峙する二人の姿は、在りし日のエリオドア様とウィルマーに重なる。
私の視界に飛び込んできた二人は、まるで舞うような動きを繰り広げ、見る者の心を奪う美しさがある。けれど実際に生死をかけた戦いは、あんなに美しく戦えない。それはどちらかが必ず傷つくからだ。
同時に、今まで自分がこの時代は平和な世界だと信じきっていた事に気付く。
今目の前にある平和は、未来永劫確約されたものではない。
エメル殿下は政治の事を私には語らない。けれど全ての国と今後戦争にならない可能性はないし、もしかしたら魔物がまた人を襲うようになるかも知れない。
「そしたら、この時代の人だって」
私が見送ってきた多くの友のように、大切な人を失うかも知れない。
私は頭を振り、これ以上考えるのをやめた。
今は魔物がいない世界だ。それを私は良く知っている。百五十年前は人々の脅威だったものは今や完全に人間の知恵と技術に完敗したのだ。
それに人間同士の争いであれば、話し合いで解決する事が出来る。ふたたび、帝国が生死をかけた戦いに巻き込まれる可能性は限りなく低いと私は信じたい。
ふと二人の動きがピタリと止まった。エメル殿下は肩で息をして近くに置いてあったタオルで汗をぬぐい、フリッツ様は片膝をついて呼吸を整えている。
すると突然、エメル殿下は模擬剣を投げ捨てた。
「もう腕が限界だ」
片膝をついていたフリッツ様はへなへなと地面に崩れ落ちた。
そしてエメル殿下を見上げ、苦笑いする。
「机にかじりついてるお前のことだから、腕が鈍ってると思ったのに」
「そうだな。だけど俺には守るべきものがあるからな」
照れたようにそう口にすると、エメル殿下はその場にしゃがみ込む。するとフリッツ様は少し驚いた表情になったあと、ニパッとウィルマーそっくりな笑顔で微笑んだ。
「なるほどな。頑張れよ」
「ありがとう」
二人は互いに向き合って地面に座り込んだまま、笑い合っている。
私はそんな楽しそうな二人を見つめ、いつまでも平和であって欲しいと願い、静かにカーテンを閉じたのであった。
※※※
昨日は移動とヘンリー様達と楽しく夕食を取り一日を終えた。
パトーラ滞在二日目となる今日はこの地を筆頭に帝国北部を守備する、ヘンリー様率いる帝国軍第五連隊の駐屯地を訪れる事になっている。
魔導車でパトーラの外れまで向かう途中。
「俺が行った所で、誰が喜ぶんだよ」
不貞腐れた顔でエメル殿下は、窓の外を見つめながら愚痴る。
どうやら自由時間が奪われた事を未だ引きずっているようだ。
「みんな喜ぶんじゃないですかね」
よくわからないけど、少し面倒に思ってきた私はそう答えておいた。
そして殿下と私は駐屯地に無事、到着する。
「ご案内いたします!」
ハキハキとした兵士に迎えてもらい、私と殿下はフリッツ様と共に駐屯地内を視察する。因みにヘンリー様は、一足先に屋敷を出て、すでに本部に向かってしまったようだ。
第五連隊の駐屯地内は活気に満ち、カーキ色の訓練服に身を包む兵士たちの姿があちこちで見られた。駐屯地内に敷かれた道路にはせわしなく魔導車が行き交い、物資の搬入などが行われている。
「こちらは、第一訓練場です」
中をのぞくと戦闘訓練を行っており、剣や槍がぶつかる音が響き渡っている。別の場所に移動すると、訓練する騎兵部隊が馬に騎乗し機敏な動きで走り回っていた。
「なるほど、ここにいたのか」
私は魔導車の普及により職を失った馬達の子孫が、元気に過ごしている姿を見て安心した。
駐屯地の中央には、指揮官の大きな本部が建てられており、その周囲には兵士たちの休憩スペースや食堂が配置されていた。
「あとは、第二訓練所ですね。今の時間だと、魔法の訓練をしていると思います」
何気なく告げられた言葉に私はピクリと反応する。
「いま、魔法って言いました?」
私は案内係のキビキビした男性に尋ねる。
「はい、言いました」
「でも魔法を使うとエーテル管理局が飛んできますよ」
私は経験則を踏まえ忠告する。
「ここは軍の施設内だ。エーテル管理局とは管轄が違う。だから魔法を使ってもエーテル管理局の人間は飛んでこない」
殿下が得意げに説明してくれた。
「じゃ、私がやってもいいってことですか?」
私はうずうずする右手をニギニギし、殿下に期待の籠もった視線を送る。
「え、ティアリス様、見せてくれるんですか!?」
フリッツ様が身を乗り出し、私にたずねた。
「殿下が許してくれたら、いつだってぶっぱなしますよ!」
私は力こぶを作り答える。
「エメル、出し惜しみすんなよ。お前だって見たいだろ?」
「まぁ、それは……いやしかしS級の……だが」
どうやら殿下の心は好奇心と国家機密レベルS級との狭間で揺れ動いているようだ。
「私だって、たまには魔法を使わないと、体内に魔力が停滞し心身に異常をきたす恐れがあります」
私は畳みかけるように、もっともらしい言い訳を並べた。
「そんな話は始めて聞いたが」
「私の過ごしていた時代の迷信です。でも何だか最近具合が……ゴホゴホ」
私はその場で咳き込むふりをする。
「嘘でも具合が悪いとか言うな。今回だけだぞ。その代わり、外では絶対使うなよ?」
殿下はあえなく陥落し、魔法の使用を許可してくれた。
「はいっ、勿論です!」
私は満面の笑みで返事をしたのであった。




