048 ゆるしてあげる
結局、エメル殿下のお気に入りであるデミアン君は罰を逃れる事に成功し、今も変わらず古代魔法研究所で働いている。
彼を辞めさせたかったわけではない。けれど、私がニナ様から受けた仕打ちに対する罰を、何一つ受けなかったこと。それが未だ納得がいっていない。
そもそもエーテルフォンをうっかり忘れたなんて絶対嘘だ。エースが拡散する事を知っていて、わざとそこに置いたに決まっている。
「嫉妬を利用した完全犯罪じゃない。それにニナ様に何も仕返ししてないのもムカつく」
私は一人ぷりぷりしながら、枕をグーで叩きつける。
仕返しをするつもりはない。けれど、どうしたって怒りはおさまらない。たとえ自分に非があるとしても、相手のした事に対し、受けた仕打ちが大きすぎる気がしてたまらない。
「この世は、不公平、無情、冷酷、それから、ムカつく!!」
ボスッ、ボスッと枕をグーで叩く。
「ふぅ」
ひとしきり怒りを枕にぶつけたところで、パタンとベッドに仰向けで寝転がる。
メイド生活をしていた時とは比べ物にならないくらい、寝心地の良いベッドだ。
「だけど私はまた無職に逆戻りなんだよなぁ」
エメル殿下は屋根裏から這い出して来たやつれた私を見てショックを受けたらしい。そのせいか、仕事を探すよりも、まずは休息を取れと言ってくれている。もちろん、衣食住の心配はするなとも。
その気持をありがたいとは思う。だけど以前と違い、古代魔法研究所を辞めた今の私は、殿下の親切に何も返せていない。
それがとても心苦しい。
※※※
エメル殿下が魔法研究所から帰宅し、私は彼と共に夕食をとる事にしている。
お互い今日一日、あったこと、思ったことを報告し合う時間だ。
贅沢な一皿が並ぶテーブル。煌びやかな銀の食器と、上品なレースのテーブルクロスが、やりすぎなくらい華やかな雰囲気を演出している。
前菜には、新鮮なシーフードと季節の野菜を使ったシャンパンソースのサラダが用意されていた。そう、私にはもはや良い思い出など一つもないシャンパンだ。
「もう元気になったので、闇バイトにでも応募してみようかと思ってるんですけど、闇バイトって何をするか殿下はご存知ですか?」
私は一応身元引受人のサインが必要になるかも知れないので、新しい仕事に応募する前に、殿下に相談することにした。
やはり悶々とした怒りが収まらないのは、他に考えるべき事もなく、心が停滞しているからだ。そう結論付けた私は、前向きな気持ちになるためにも、早速仕事を始めようとしているのである。
前回職探しがなかなか大変だと知ったので、今回は闇バイトに初めからターゲットを絞るつもりだ。
「闇バイト?聞いたことないな」
「職業紹介所で小耳に挟んだんです。高収入だし、高待遇で、誰にでも簡単に出来る仕事らしいです」
殿下に説明しながら、私は悪魔のシャンパンソースのかかったサラダを口に運ぶ。彩り鮮やかな野菜の歯ごたえは絶妙で、うさぎになった気分を味わえる逸品だ。
ただし、プリプリのエビの食感は悪くない。ソースも悪魔のわりには美味しい。というか、すごく美味しい。
「闇バイトは辞めておいた方がいい」
「どうしてですか?」
私に残されたのは、もう闇バイトくらいしかないというのに。
「そもそも闇とついている時点で、表に出せないという意味ともとれる」
「まぁ、確かにそうですね」
「それに、高収入、高待遇なのに、誰にでも簡単に出来るというのは矛盾している。常識的に考えて、給与というものはその人物の持つスキルや知識に対して支払われるものだからな」
確かに殿下の言うことが正しい気がしてきた。
「それに、仕事を探しているのであれば、研究所に戻ってくればいい。もちろん、君が嫌でなければの話だが」
殿下から有り難すぎるお誘いを受ける。けれど、そんなに都合よく戻っていいのかなと迷う。
それに問題はそれだけじゃない。
「デミアン君がいるから今は嫌です」
「そうか、まだ許せないのか」
殿下はくすりと笑みを漏らす。
「笑い事じゃないです。こっちは中途半端に幕を閉じた事件に対する怒りの矛先を枕にしか向けられなくて、切実なんです」
手加減してるとは言え、近い将来枕の羽が飛び出しそうだ。
「どうしたらあいつは、君に許してもらえるんだろうか?」
「許さなきゃとは思うんですけど、嫉妬を利用した完全犯罪ってところが本当に許せないんです。人の好意的な気持ちを利用しておいて、自分だけ安全圏にいるって感じが」
私は思い出し、腹が立ち、お皿の上に残ったタコにグサリとフォークを刺した。
そしてそのまま口に入れ、弾力とソースの絶妙なバランスに舌鼓をうつと、心が落ち着いた。
「失礼いたします」
給仕係がお皿を下げ、大きなお皿に乗せられたメインディッシュを置いてくれた。
メインディッシュは、厚切りの牛ステーキだ。
「怒りを溜め込むのは良くない。そもそもきちんと話し合ってみたらいいんじゃないか?」
「口から産まれてきたような男、デミアン君と?」
私が大真面目な顔で尋ねると、殿下はしばし考えたのち。
「確かにあいつに勝てる奴はいないな」
私の意見に賛成してくれた。
私はステーキにナイフを入れる。外側はカリッと焼き上げられ、中はジューシー。切り口から柔らかな肉汁が溢れ出す。
「食べる前から美味しそうで、よだれが出ちゃう」
添えられた季節の野菜と共に、贅沢な一口を堪能した。
しばし殿下と無言でステーキと向き合った。
「そう言えば、殿下はどうして助けにきてくれたんですか?」
私はずっと聞こうと思っていて、チャンスを逃していた件をたずねた。
「デミアンに行けと言われたんだ」
「デミアン君に?」
思いがけない返答に、思わずパンを千切る手をとめ、殿下が教えてくれるであろう、追加の説明を待つ。
「あの日急に、サザランド男爵家の屋敷へ行けと言われたんだ」
「エメル殿下って、目的もわからないのにそんな頼みも聞いちゃうほどお人好しなんですか?」
「まさか。君が迎えに来るのを待ってるからと言われたからだ。一応身元引受人だし、責任もあるし、何かあったら困るし、君は研究所にとっても貴重な人材だから……」
段々と声が小さくなる殿下。語尾の方は何とか聞き取れた。
相変わらず私を遺物扱いしているのかと、がっかりした。けれど悪びれず言わなくなっただけマシと思うことにしよう。
それに私を心配し、サザランド家に来てくれた。そこの部分の気持ちだけで充分。この際、研究所云々は聞こえなかった。そういうことにしておくことにする。
「でも、デミアン君は何で私がピンチだってわかったんですか?」
「君にエーテルフォンで連絡をしても返事が全く返ってこなくなった事を不審に思ったそうだ。それでニナ嬢から聞き出したらしい」
「そっか、デミアン君が」
それは意外だ。自分でニナ様に私を虐めるよう仕向けておいて、助け船も出すとは。
あの人は優しいのか、厄介なのか。一体どう判断するのが正しいのかが、よくわからなくなってきた。
「君があいつに怒りを感じているのは仕方がない。けれど、あの屋敷から君を救えたのは、デミアンが異変に気付いたからだ」
なるほど。エメル殿下がデミアン君を必要以上に責めない理由はそれか。
確かに殿下はデミアン君から連絡がなければ、私が屋根裏で死にかけていることを、知る由もなかった。
「でも、殿下も助けにきてくれましたよね」
私としてはエメル殿下に助けられたという思いが強い。けれど、デミアン君への怒りを少しだけ軽くする理由がわかった気がする。
「頼りがないのは無事なこと。そう思い、君に連絡をしなかった事を後悔している。すまなかった」
突然、殿下に謝罪された。私は目の前のお皿に乗ったステーキから視線を逸らし、エメル殿下を見つめる。
「俺は身分がそれなりにある。だから色々と噂になりやすいし、生きているだけで周囲から気遣われる毎日だ」
殿下はナイフとフォークをお皿の上に揃えて置いた。
「勿論それは、俺が皇子である以上、そういうものだと理解しているが、だからって周囲に積極的に気を遣わせたいわけじゃない」
エメル殿下はそこまで話すと黙り込んでしまった。それから赤ワインの入ったグラスを手に取り口をつける。
そしてグラスを元に戻すと、視線をグラスに向けたまま殿下は話し始めた。
「それに、君が俺に愛想を尽かし、出て行ったのも理解している。だから新たな場所で頑張る君に俺が連絡したら、いらぬ気を遣わせてしまい、まずいかなと」
チラリとこちらを伺い、私と目が合うと慌てて視線を空になったお皿に落とす殿下。
どうやら殿下と私は同じような状況だったらしい。
私だって気まずくてなかなか連絡出来なかった。けれど、連絡したくなかった訳じゃない。
相手を思って連絡を控える。そういう優しさだってやっぱりあるのだ。
「連絡したくても、なかなか出来ない気持ち。それは凄くわかります。みんなは薄情だって、そんなふうに言うけど。でも、相手を思って連絡出来ない事もありますよね」
私は重くなった雰囲気を少しでも軽くしようと明るい声で告げた。
「そう言って貰えると助かる。けれど、これからは遠慮なく君に連絡するし、君も俺に遠慮せず、連絡して欲しい」
「了解です。結局は殿下にご迷惑をおかけする事になるし、デミアン君も良からぬ事を企みそうだし、ちゃんと連絡します」
結局のところ、デミアン君の思う壺になった気がして悔しい気もする。けれど、今回のような事件がなければ、私は今ここで殿下と食卓を囲む事もなかった。
結果的に見たら、前より殿下と打ち解けている気もするし、これで良かった。そう思う事で彼への怒りに幕を下ろそうと思う。
「それと、時侯の挨拶はいらないからな。堅苦しいし、そういうのから始まる連絡は、大抵が面倒な頼み事で、もうお腹がいっぱいなんだ」
殿下がそう口にした途端、食後のデザート。彩り鮮やかなカットフルーツがタイミング良く運ばれてきた。
「ぷっ」
あまりのタイミングの良さに、殿下と私は顔を見合わせ大笑いしてしまうのであった。




