035 エーテルフォンは文明の力
クラブ・レベンディスに行った翌日。
非番である私は、ニナ様の寝室に呼び出された。
部屋に入った途端、ぷぅんとお酒の匂いがして私はたまらず窓をあける。
「あー飲みすぎた。完全に途中から覚えてない。あんたは覚えてるわけ?」
ベッドの上で半身を起こし、頭を押さえるニナ様。
「いいえ。まったく」
水の入ったグラスをニナ様に手渡しながら、正直に告白する。
「じゃ、どうやって帰ってきたのよ」
私も目が覚めて、それが一番気になった。
しかし、その謎はすでに解決ずみだ。
「同室の子の話しだと、屋敷前までタクシーとやらに乗車し帰宅。その後メイド達とフローラ様のお力をかり、なんとか自室に戻ったそうです」
「なるほどね。あーあ、ショーンと過ごす時間は、あっと言う間だわ」
ニナ様はため息をついたのち、グラスに入った水を一気飲みした。
「今日はもう寝て過ごすから、行っていいわよ」
ニナ様はそう私に言いつけると、布団の中に潜り込む。
「因みに、私は今日から三日ほど非番ですので」
念のために伝えておく。
というのも男爵夫妻が不在のため、全体の業務内容が減った今。
私達使用人は順番に三連休を取る事を、アーチ様より許されたのである。
各々実家に帰ったり、普段会えない友人に会いに行ったりと、この休暇を充実させたものにしようと、前々から計画している。
もれなく私だってそうだ。
「わかってるから、早く寝かせてよ」
シッシッと虫を払うように、ニナ様はこちらに手を振る。どうやら本日に限り、彼女の戦闘力はゼロなようだ。こういう日に非番である事が少し悔しい。
しかし、休みは大事だし、そもそも今この瞬間もサービス残業のようなものだ。長居は不要というもの。
「では、失礼いたします」
私は軽く頭を下げ、寝室を後にする。
「二日酔いなんて、百五十年ぶりなんだけど」
私はズキズキと痛む頭を押さえる。
塔の中でアルコールを発見できず、仕方なく断酒していたので、昨日は本当に、本当の意味で百五十年ぶりのお酒だった。だから余計に悪酔いしたのかも知れない。
「さてと、休日は有効に使わなくちゃ」
私はその場で伸びをして、いそいそと屋敷の玄関に向かうのであった。
※※※
屋敷を後にしてから数時間後。私はついに、みんなが揃って「持ってないの?」と驚く、例のアレを入手した。
また一歩、現代社会に飲み込まれてしまった私は、美味しい紅茶が飲めると評判の店にいた。
柔らかな灯りが落ち着いた色調で統一された店内を照らしている。のんびりと穏やかな雰囲気に二日酔いもだいぶよくなってきた。
「赤くて可愛い、嬉しいです」
私はゆったりとした椅子に身を沈め、手のひらサイズのエーテルフォンを眺める。
「ようやくティアがその存在に気づいてくれて、私も嬉しいわ」
向かい側の席からシャローゼ様の声が飛んでくる。
実のところ、もともと今日は彼女とお茶をする約束をしていた。
ニナ様の予定が急に入り振り回されてしまったが、今日は這ってでもシャローゼ様とお会いする事に決めていたのである。
なぜならシャローゼ様が事前に「巷で一番人気の機種」と謳われているエーテルフォンを購入し、セットアップという作業まで完了した状態で、私に譲ってくれる予定になっていたから。
お手間を取らせてしまった上に、当日キャンセルは人として有り得ない。しかもお金も払わなければならないので、今日は絶対に外せない日だったのである。
そもそもエメル殿下の元を去った私が、なぜ殿下の親類であるシャローゼ様と連絡が取れたのかというと、私が彼女のお屋敷に手紙を送ったからだ。
たくさんお世話になったのに、挨拶もなしに姿を消すのはルール違反だと思ったし、何よりこの時代で初めて出来た同性のお友達。さらに彼女は私の素性を知っている数少ない人でもある。だから彼女との縁は大事にしたかったのである。
「どう?気に入った?」
「はい。でもみんながとても便利そうに言うけれど、私はまだこれの良さがわかりません」
私はジッとテーブルの上に置いたエーテルフォンを眺める。
「そうね。そうやって眺めるものじゃないからね。ほらここ、画面をタッチしてみて」
言われるがままに私は自分が映る、黒い部分に触れてみる。すると画面と呼ばれた部分が急に明るくなり、済ました顔のエメル殿下の写真が現れた。
「うわ、びっくりした」
「ふふ。驚くだろうなと思って、私が待ち受けに登録しておいたの」
「悪趣味ですね」
私はこちらを見つめるエメル殿下から、たまらず視線をそらす。
「あら、それは皇族の公式ホームページで公表されている中で、唯一エメルがカメラ目線の写真なのよ?その写真を待ち受けにしてる貴族の令嬢を私は何人も知ってるわ」
「じゃ、勿論シャローゼ様もですよね?」
絶対違うだろうなという確信を持ち、あえてたずねる。
「私は飼ってる魔物のモコちゃんよ。ほら可愛いでしょ」
得意げに自分のエーテルフォンの画面をこちらに向けるシャローゼ様。
そこに映るのは、一見するとうさぎのような、ふわふわした黒い魔物だった。
「そんな魔物もいるんですねぇ」
少なくとも百五十年前にはいなかったと、私は記憶を遡り確信する。
「これは私達人間が、魔物とうさぎを交配して作った品種よ。だからティアのいた時代にはいなかったと思う」
「そんなことまでしちゃうんですね」
私は複雑な気持ちになる。
百五十年前には恐ろしいものの代表格だった魔物。それが今や元々自然界にいた動物と交配され、新たな生物として人々から愛されているという事実。
敵さえも愛玩する対象にしてしまう人間こそ、実は一番恐ろしい存在なのかも知れない。
正直、私にとって未だ魔物は忌むべき存在で、この世界から消去すべき存在だと思う気持ちが消えていない。
だから魔物を愛でることは、まだ当分無理そうだ。
けれど、魔物にとっても、人間にとっても、争わず共存する事ができるならそれに越したことはないとも思う。
実に複雑な問題だ。
「そう言えば、エメルにあなたのエーテルリンクのアドレスを教えておいたから。そのうち連絡が来るかもね」
一人しんみりする私に、シャローゼ様がとんでもない爆弾を落とす。そもそもエーテルリンクとは、一体なんのことなのか。それをまず私は知りたい。
「エーテルリンクはほらここ。このアイコンを押してみて」
まるで私の心を読んだかのようだと驚く。
「百五十年のブランクがあるもんね」
シャローゼ様はニコリと微笑む。
優しい彼女に感謝しつつ、指示された通り、画面に表示された緑色の四角いアイコンに指先で触れてみた。
すると画面の中に二名の名前が表示された。
一つはシャローゼ様で、もう一つがエメル殿下だ。
「余計なお世話かなと思ったんだけど、一応エメルはティアの身元引受人だから。それと、私の連絡先も登録してあるから、今度からはこれで連絡とろう」
「はい」
「これは通話だけじゃなくて、メッセージも送信できるの。今ためしにティアにおくるね」
シャローゼ様は言いながら、自分のエーテルフォンを慣れた手付きで操作した。するとすぐにテーブルの上に置かれた私のエーテルフォンがブルルと音をたてた。そして画面に「やっほー」と文字が表示されている。
「まさかこれは」
「そう、今私が送ったの。じゃ、今度はティアから私に送ってみて」
私はシャローゼ様に操作を教えてもらいつつ、なんとか文字をうつ。そして送信ボタンをポチッと押してみた。すると今度はシャローゼ様のエーテルフォンがブルルと震えた。
「もう到着したんですか!」
驚いた声をあげながら私が顔をあげると、シャローゼ様が自分のエーテルフォンの画面をこちらに向けていた。そこには「こんにちわ」と私が先程打った文字が書かれている。
「すごい……」
思わず言葉を失ってしまう。
「ね、手紙より楽でしょ?」
シャローゼ様の問いに、私は大きくうなずく。
「これを発明した人は、石像となって後世まで語り継がれますね」
むしろアルカディア城の前にある私達の石像が風化し、ボロボロになって崩れてしまったら、是非ともこの技術を開発した人の石像に変えるべきだと、本気で思う。
「確かに。でも安易に連絡が取れるからこそ、気を病む機会も増えちゃったんだけどね」
「どういうことですか?」
「ふふ、すぐにわかるわ。それより他に連絡先を登録したい人はいないの?私がやり方を教えてあげるわよ」
シャローゼ様に問われ、私は登録者二名の画面をジッと見つめる。なんだか知り合いが増えた気がしたけれど、私には連絡先を交換する人が二名しかいないようだ。
「あ、でも屋敷に帰ったら、メイド仲間数人の連絡先が増えるかも」
画面に表示される友達が増えるのは、ちょっと楽しみだ。
「そういえば」
私はふと、とある人物から手渡されたカードの存在を思い出したのであった。




