029 神経をすり減らす
私は出会って数分、白髪の執事アーチ様を人質に取られ、渋々就職先を決めた。
主となる人物が問題ありの、住み込みメイドだ。
エメル殿下の屋敷を去る時は、もっと希望に満ち溢れていたはずの私の未来。
しかし、すでに下降の一途を辿り始めているような気がしてたまらない。
状況は、全くもって最悪だ。
そんな私は、恨めしい気持ちで、本棚を羽箒で撫でているところだ。
「は?あなた殿下と同僚だったんじゃないの?」
今日も今日とて、トゲトゲしいニナ様。
現在、二十一歳だという彼女の見た目は、弾けんばかりの美しさ。けれど中身はこの世の見たくない物を全て詰め込んだ感じ。出来れば関わりたくないタイプの人だ。
「殿下とは同僚と言うより、部下でした」
「同僚も部下も誤差よ」
「だいぶ違うような」
私はいつも通り、キリリとニナ様に睨まれた。
現在私はニナ様のお部屋の掃除中。といっても、本格的な掃除は元々それを専門の仕事とするメイド達によって終了している。よって私は形ばかり、掃除しているふうを装っているだけだ。
集団行動が基本となるメイドである私が単独行動を許されているのは、ニナ様のせいだ。
どうやらニナ様は、エメル殿下に近しかった私を姉であるフローラ様にとられたくないらしい。そのため出来るだけ行動を共にしろと、私はニナ様に言いつけられている。
その事を他のメイド達も喜んで了承し、ニナ様が屋敷にいる時は、基本私は彼女のそばにいる。
正直、仕事は簡単だ。
主にニナ様の話し相手、ご機嫌取りをすることを求められているだけだから。
けれど肉体的には簡単だとしても、精神的には地獄。
やはりお金を稼ぐのは大変だと日々、痛感している。
「本当に殿下のアドレスを知らないの?確認したいから、あなたのエーテルフォン、出してみせて」
ニナ様がぬっと私に手を差し出す。
「えーてるふぉんですか?」
「なにとぼけてるのよ。早く出しなさい。主人の命令は絶対よ」
ぬっ、ぬっ、と白魚のように美しい悪魔の手が私に向けられる。
けれど私はエーテルフォンなるものを知らない。
「本当に持ってませんし、そんなの知りません」
「嘘つかないで。帝国の人間でエーテルフォンを持ってない人なんているわけないわ」
だからそれはあなたの常識ですよね?と言いたいところをグッと堪える。
「では、そのえーてるなんとかを持っていない帝国民一号という称号は私のものですね」
「ふざけてるの?」
「いいえ、常に真面目です」
私は壊れた人形のように左右に首を振る。
「エーテルフォンを持ってないなんて、まさかあなた人里離れた山の中にでも住んでたの?」
似てるけど、ちょっと違う。
私が二年ほど住んでいたのは、塔の中です。
なんてことは、勿論言えない。だから私はまた壊れた人形ごっこに勤しむ。
「そもそもエーテルフォンがないんじゃ、どうやって殿下と連絡を取り合っていたのよ」
「一緒のい……いいえ、連絡は取り合っておりませんでした」
危なかった。一緒に住んでいると言いかけた。
焦ったせいか、背中に変な汗が伝う。
「急な仕事の連絡とかあるでしょう?」
「古代魔法研究所は、過去の事を知るのが仕事なので、そこまで緊急を要することはないです」
実際は新たな発見や解釈が見つかっただとか、明日までに研究報告を提出と上から言われた。なんて具合に、緊急を要する事はあった。
けれど、大抵の人は古代魔法研究所がどんな仕事をしているかなんて興味もないし、知ろうともしない。だからここは嘘上等。ニナ様のご機嫌取りに全力でシフトしておきたいところだ。
「言われてみればそうね」
案の定、ニナ様はすんなり信じてくれた。
「あ、でも待って。殿下の家に女の子が住んでるって噂を聞いたことがあるんだけど、それって本当なの?」
一難さってまた一難とはまさに今の私の状況だろう。救いなのは、その女の子というのが、目の前にいる私だと全く気づいてなさそうなこと。
「そういうプライベートな話はした事がありません。一応皇族の方ですし、探るのも失礼かと」
「アーチみたいな事言わないで。普通は気になるでしょ」
「私と殿下は仕事の仲間と割り切ったドライな関係だったので、別に気になりませんでした」
私は淡々と真実を伝える。そもそも私が殿下の家に住んでいた張本人なので、気になるわけがない。
「役立たずね。もっと何か有益な情報はないわけ?」
「そう言われましても」
「言わないなら、あなたごとアーチもクビにしてやるんだから」
お得意の人質作戦で私を脅かすニナ様。
内心アーチ様をクビに出来るわけないと思いつつ、万が一の可能性もあるので、完全に無視出来ないのが辛いところだ。
というのも、この家の主人である男爵がニナにはめっぽう甘いとメイド仲間から聞いたから。
親がそんな風に甘やかすから、こんな捻くれた人間に育ったに違いない。
「勿体ぶってないで教えなさいよ」
急かされて一応考えてみるが、殿下の有益な情報なんて言われても困る。私だってエメル殿下が好む女性の好みなんて知らないし。
確証を持って言えるのは、歴史や遺物に興味があって、恋愛には全く興味がないということだけ。
けれどそう告げた所で目の前の人物が納得するとは思えない。
私は悩みに悩み、ふと思いついた。
「そう言えば、アルカディア帝都大学の生徒が殿下の元で働いています。殿下と趣味も合うようだったし、彼の方が詳しいかも知れません」
「そうなの?その人は一体誰なの?」
こちらの予想通り食いついてきた。
デミアン君には悪いけれど、ここは一つ私とアーチ様と共に、生贄仲間になってもらおう。
「文学部世界史学科、デミアン・ロトナスさんです」
「知らないわ、そんな人」
「え、そうなんですか?」
デミアン君はずば抜けて優秀な生徒だ。たとえ学科生が多かったとしても、知らないはずがないと私は思う。
「もしかして、ニナ様は同じ学科じゃないんですか?」
ニナ様が殿下目当てで授業に参加していたのは明らかだ。だとすると、学科が違う可能性は大いに考えられるというもの。
「そもそも私は帝都大学の生徒じゃないわ。殿下に会えるから、知り合いのツテを頼って潜り込んでいただけよ」
「ふ、不正だ」
流石に他大学の生徒の受講は認められていなかったはずだ。私は目を細め、非難の気持ちを伝える。
「あら失礼ね。あんなに広い講堂なんだもの。埋まらなくてスカスカしているよりいいでしょ?私は殿下の気分を害さないよう、協力しただけよ」
またもや自己中心的な性格による、トンデモ理論。
私は悪くないが発動した。
自分の邪な理由で、講堂に入れず受講できない生徒がいるかも知れない。そうは考えないのだろうか。
「最低ですね」
思わず本音を漏らす。
「うるさいな、あなたに言われたくないわ。さっさと掃除しなさいよ!!」
バシンと本を投げつけられた。私の足に当たって床に落ちた本の表紙には『モテる彼を落としたい。〰その他大勢から抜け出す方法〰』と書いてある。
必死ですね。側から見ると滑稽ですよと思い切って言ってやりたい。けれど言い返したら負けだ。
私は自分の価値を下げたくない。
脳裏にクラリス様の優しい顔を浮かべ、私は言い返せない悔しさを何とか緩和する。
「ぼーっとしてないで、早く拾いなさいよ」
「申し訳ございませんでした」
私は凪いだ海のような心でと自分に言い聞かせ、床に落ちた本を拾うのであった。




