◇とある先輩令嬢の憂鬱 ①
発売記念に更新しようと思って、そのまま出来ていなかったものです……。
2、3話で終わるかと思います。
◇書籍版が4月2日に発売しました。
設定に調整を加えつつ書き下ろしで倍量に増えていますので、ぜひお手にとっていただけたら嬉しいです。挿絵がめっちゃ可愛いです。(部長のエピソードが丸々増えたので挿絵に部長もいます)
「おいおい、クロエ! まさか君、本当に自分が僕と釣り合っているとでも思っていたのかい? 思い上がりも此処までくるといっそ憐れだな。これだから成り上がりは……ともかく、婚約は正式に破棄されたんだ、これからは僕には近づかないでくれたまえ」
学園の西棟、三階の踊り場。人気のない場所を選んで話を切り出したのだろうアリオン——ほんの数分前まで婚約者であった筈の男——に浴びせられた言葉を前に、私——クロエ・ナーウィングは呆然と立ち尽くしていた。
確かに聞き取った筈の言葉を、頭が全く処理してくれない。
青ざめた顔で震えるしかない私を見やり、アリオンが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。彼は最後の土産とばかりに強く此方を突き飛ばしてから、踊り場に蹲る私を置いて、階段を降りていってしまった。
握り締めた両の手がひどく冷たい。
対照的に、燃えるように熱を帯びた頬が、無様に思えてならなかった。
泣きたくなんかないのに、惨めさのあまり視界が歪む。
私と彼は、三年前に資金提供と爵位を取引材料として婚約を結んだ。想いを交わした末のものではなかったけれど、此処まで屈辱的な言葉を浴びせられる程に酷い関係でもなかった。筈だ。
私と彼の関係が変わってしまったのは、魔法学園に入学してからだ。
ナーウィング家は金で爵位を買ったような家柄ではあるが、十分な魔力量のある私には学園に通う資格がある。
学園生活を通してアリオンとの距離を縮めたいと願った私は、予定になかった魔法学園への入学を決めた。
そうして。アリオンは私とは比べ物にならない程に美しい同級生たちを目にしたことで、自分の婚約者が、いかに野暮ったくて冴えない女であるかを理解してしまったのだ。
アリオンの生家であるエンヴェラー家は子爵位の家柄だが、先代の浪費癖が影響し資金繰りに困っていてあちこちに金を都合してもらっていた。
当代の御当主も金策は不得手なようで、このまま私財を売り払いきれば取り潰しとなるのでは——という頃に、付き合いのあったナーウィング家が政略結婚の話を持ちかけたのだ。
魔法学園を卒業して魔導士の資格を得た子息子女には、当主となる資格が与えられる。婚約した者同士が卒業者なら、家としても格が上がる。
学園に通った経験のない家系であるナーウィング家にとっては、この機会に貴族としての正式な家格を得たいという思惑もあった。
けれども、その話ももう立ち消えになることだろう。婚約を破棄された私を娶ろうという貴族子息はいないだろうから。
それとも、他に資金に困っているような人間を見つけて、新たな婚約を結び直すべきだろうか。
どちらにせよ、私の人生設計には大きく歪が生じてしまった。父になんと言って詫びればいいのだろう。
情けなくて、悔しくて、止まらない涙を拭うことすら出来ないまま俯いていた私の上から、不意に、凛と澄んだ響きの、なんとも美しい——怜悧な声が降ってきた。
「ねえ、貴女。いつまでそこに蹲っているつもりなの? 大層邪魔なのだけれど」
不意にかけられた声に、反射的に顔を上げる。
視線を向けた先には、目も眩むような美少女が立っていた。
窓から差し込む陽光に照らされる紫紺の髪は艷やかで、長い睫毛に縁取られたシアンブルーの瞳は冷えた輝きを宿している。
持ち合わせる色合いは決して稀有なものではないのに、まるで女神のように美しい作りをしたその相貌は、おおよそ人間離れした存在感を放っていた。
目にしただけで、その輝きに呑まれてしまいそうになる。壁の染み同然の私とは大違いだ。
そんな、常識はずれなまでに美しい少女——ミシュリーヌ・シュペルヴィエル公爵令嬢は、踊り場まで数段を残した位置で足を止め、みっともなく蹲る私を見下ろしていた。
彼女は今年入学した新入生で、私の一つ下の後輩である。学園内では身分に縛られることはないとされているが、実際のところ、公爵家の御令嬢がわざわざ人目もないところで先輩を敬う必要などないので、彼女の物言いには特に思うところはなかった。
実際、邪魔だとなじられても文句も返せない程に、私は無様な置物と化していたのだから。
涙で濡れた惨めな顔を見られたくなくて、慌てて俯きながら立ち上が——ろうとして、力の入らない足のせいで、その場で大きくよろめいてしまった。
「大丈夫——ですか?」
「え? あ、ああ、大丈夫です、ご心配なく……」
よろめいた身体を難なく支えられて、思わず涙を拭うのも忘れて視線をそちらに向けてしまう。
何処から現れたのか——多分、最初から彼女の後ろに控えていたのだ——私の手を取り経たせてくれた黒髪の少年は、気遣いを感じさせる優しい手つきで私を立たせると、隣に立つシュペルヴィエル公爵令嬢にそっと耳打ちした。
「おい、先輩じゃないか、この人」
「先輩であろうと教員であろうと、通路で蹲っていたら邪魔であることに違いはないでしょう?」
「退いてもらうにも礼節は必要だろって話だよ。分かってるくせに、なんだってそう……」
ぼやくように落とされた呟きを拾い上げる素振りもなく、シュペルヴィエル公爵令嬢は脇に避ける私を詰まらないものでも見やるように視線を向け——ぱちり、と一度目を瞬かせた。
「あら。貴女、クロエ・ナーウィング?」
「え?」
シアンブルーの瞳が真っ直ぐに私を見下ろしている。
光を取り込んで離さない、宝石のような輝きを宿した視線に耐えきれず目を逸らしたものの、何に興味を引かれたのか、少女の指は私の顎をつい、と持ち上げた。
無作法を咎めることすら出来ないまま、私は此方を見つめる美しい瞳を、ただぼうっと見つめ返してしまう。
数秒の後、揶揄を含んだ仕草で、目が細められた。
「いやだわ。もしかして、この学園では挨拶すらまともに出来ない人間でも進級できるのかしら?」
「えっ、あ、そ、そうです! いやそうではなくて、あの、ええと、私がクロエ・ナーウィングです!」
はて。どうして私のほうが敬語になってしまっているのだろうか。
慌てふためきながら答えた私に、シュペルヴィエル公爵令嬢が、呆れた様子で片眉を上げる。
とてもじゃないが、学園に一年も通っている淑女には見えなかったのだろう。
「それなら、お前でも進級できそうで何よりだよ」
「何か言ったかしら、よく聞こえなかったからもう一度言ってちょうだい」
後ろを振り返ったために顎から指が離され、恥じ入る気持ちで熱くなった頬をさする。今や、首まで真っ赤に染まっているだろう。
それでも、先程までのように惨めな思いに支配されているよりは、まだいいと思えた。
「知り合いの先輩だったのか? じゃあ尚更……」
「馬鹿ね。ナーウィング家の御令嬢くらい頭に入れておきなさい」
「……えーと」
後ろに立つ彼が、気まずそうに首を傾ける。
「い、いやいや、うちなんか、知らなくても当然ですよ……! やってることは小さな町工場みたいなものですから!」
「小さな町工場ね」
シュペルヴィエル公爵令嬢は、なんだかとても面白い冗談でも聞いたかのように、口元に指を当てながらしばらく笑った。肩まで震えているあたり、相当に面白かった、ようである。
なんだか、先程までとは違う恥ずかしさを覚えて、私は赤くなった頬を冷やすように押さえた。
「ダン、ご存知? 此方、国内で純鉄の精錬に成功したナーウィング家の御令嬢よ」
からかうような声音で告げられた紹介に、ダンと呼ばれた後ろの彼は、素直に驚いた様子で目を見開いた。
此方こそ驚きである。シュペルヴィエル公爵令嬢が、まさか、うちのことまでご存知だとは。
ナ-ウィング家は、鉄加工業で財を成した家である。
元々、鉄の加工精錬を家業としていたのだが、五年ほど前に、不純物を除いた高純度の鉄を製造できるようになり、事業を拡大した。
そこからは、まあまあの業績を上げている家ではある。
魔力が籠もった土地からは希少な魔石が多く採れるが、金属加工の面では、そうした残留魔力は不純物となってしまう場合が多い。
我が国は魔石の採掘量が多い分、金属加工には多くの手間が必要となり、良質な金属は高値になる傾向があった。
それを解決したのがナーウィング家である——と自信を持って言えたらよかったのだが、実のところ、より家格が上の同業に手柄を奪われているため、技術の割にあまり華々しい実績はない。
家柄の持つ力の重要性を痛感したがために結ばれた婚約であったのだが、それも、今回破棄されてしまった。
「それで? そんな素晴らしい家業を営むナーウィング家のお嬢様が、どうして階段の踊り場なんかで泣き崩れていたのかしら」
先程のアリオンの態度を思い出し、再び暗く沈んだ気持ちになりかけていた私に、シュペルヴィエル公爵令嬢は、何やら面白いものでも見つけたような顔で尋ねた。




