暗躍する救済と断罪1
世界が混迷に捕らわれ始めた頃。
その一端を担った魔女と、その渦に巻き込まれた少女の邂逅が行われている。
互いが共闘を始めて暫く経つが、まともな接触は数こそ少ない。
そんな魔女は、知らず知らずの内にささやかな変化の影響を受け始め。
少女はそんな彼女への認識を改め始める事となっていく。
――裏で蠢く、その存在の大きさに気付かぬままに。
「貴女が直接呼び出して、その上で直接姿を見せる――なんて、どういう風の吹き回しです?」
人気のない森の奥。ずっとずっと奥地。人も寄り付かず、魔物の主が住んでいるのではなかと言われる程の深い森の奥に在する、古びた白い石によって積み上げられた祭壇がある。
そんな白に対照的な黒が二つ居た。一人は祭壇の壁に寄り掛かり、腕を組み、顔を挙げてもう一人の黒を見た。
直立している黒、その姿は喪服のような黒いローブ。そして黒いマントを羽織り、今は厚手の黒いフードを被っているが、白い肌と僅かに見える顎の輪郭と口元は見間違う筈も無い。
「くは、相変わらず君は冷たいね。氷界の魔女なんて目じゃないんじゃないかな。」
フードを外し、その長い銀髪と、少女の顔立ちが露わになる。青い瞳は未だに絶える事のない好奇心に満ちているかのように淡い輝きを持ったまま真っ直ぐに見据え返している彼女の名は、氷界の魔女にしてド悪党――ゼロである。
「馬鹿言わねーでください、心臓は凍ってるかもしれないですけど心はピュアなまんまっすよ?」
呆れた様に肩を竦めて語るのは黒い鎧で全身に包んだ人型。見た目だけで言えば少女とも少年とも取れるが、その内側にはかつて死に、そして命を繋がれた者が居る。西洋風の鎧は未だに目立った傷一つ無く、内側に羽織る服もまた黒に寄っている為にまさに黒ずくめといったところ。そんな黒騎士と呼べる姿に、
「そんな悪党にしか見えない姿をしておいてどの口が言うんだい、『イモータル』?」
悪戯に笑う銀髪の少女は瞼を細めながら首を傾げ、黒騎士をそう呼んだ。
『イモータル』、不死なる者の意。事実上その意味合いは間違いではない、間違いではないのだが。
「毎回思うんすけど、それ名前じゃないっすよね?やっぱ名前じゃないっすよねぇ?」
壁から背を離して両腕を垂らし、抗議するように前屈みになるイモータル。元々は別の名を持つ人間であった彼女はその呼び方を嫌っている。自分が呼ばれているような気がしないし、なんだかこう、違うのだとすっきりしない感情に満たされるからだ。
「間違ってないんだからいいだろう?それに、本名で呼ばれると困るのは君の方じゃないのかな…ねえ?」
反射的に一歩身を引くイモータル。理由は単純。
ゼロが目を見開いて口端を釣り上げている――当人はあまり自覚はないらしいが――そんな不気味な笑みを浮かべていたからだ。
彼女は氷界の魔女とされているが、この世のどこを調べても彼女に関する文献は存在しない。ただ彼女はこの世界に今の文明が定着するよりも昔から存在していると語り、その上まだ名前を聞く炎界の魔女を撃破して世界の主導権を握った氷界の魔女。彼女は好奇心を満たす為に世界を引っ掻き回す――いわば悪党である。
そんな彼女が時折見せる歪な笑みは、怒ってるんだか笑ってるんだか脅しに来ているんだかよくわからない、故に不気味と称して背筋が凍るような感覚を振り払うようにしている。イモータルにとってそうでもしないと彼女との対話はやり辛いのだ。
「分かったからその薄気味悪い笑い方をやめてくれねーっすかね………割とマジで生命の危機的な物を感じるんですが?」
「ん…?おっと、これは失礼。」
指摘するとすぐに首を左右に振り、笑みを緩めるゼロ。柔らかい表情をしている分には小動物染みた可愛らしさがあるのだが、彼女のやっている事を考えると残念ながらそのプラス補正はマイナス補正に跡形も無く吹き飛ばされてしまう。
「で、本題に入りましょう。なんだって私を呼び出したんです?しかも本来の姿で。まさかただ趣向を変えただけなんて言いませんよね?」
「うん、趣向を変えただけだよ。」
「はあ!?そんな理由でこんな森奥まで!?……ごめんなさい帰ります転移魔法はいらないですお先に」
ゼロの言い分に時間の無駄を感じたイモータルは反論を言うのを途中で諦めそのまま足早に立ち去ろうと歩みをゼロの隣に向けて通り過ぎようと、
「冗談だよ、ちょっと君の反応を見たかっただけじゃないか、怒らないでくれ。――もしかすると君の守りたい人にもいずれ関わる話だよ?」
足を止めた――いや、勝手に止まってしまったというべきか。
悪辣を働く魔女が、他人の為でもあるかのような発言をして己を呼び止めるなんて、ろくでもない理由に決まっている。そう理解しながらイモータルは、かつての自分の感情に、その後ろ髪を引かれてしまった。
「ふふ、やっぱり君は人として良いサンプルだ。君を見つけられて幸いだったよ。」
「そういうのいいです。いつまで脱線しやがる気ですか。」
ゼロは基本的に嘘は言わない。冗談であれば冗談と言うし、評価において嘘を乗せる事はない。だが、今はそれよりも違う事をイモータルは求めている。
それを聞けないと、自分がこうして未だに薄汚く一度は失った生命に縋り付いている理由がなくなってしまうのだから。
「そう急かさないでくれ。別段急いでいるのは私も大差ないのだからね――さて、それじゃあ本題だけど、君は人を殺す勇気はあるかな。」
いつも通りに緩やかな笑みと声で語るゼロ。銀髪を靡かせながらゆっくりとした足取りで遺跡の方へ近づいていく。
イモータルは振り返りその背を見るが、やはり見た目だけで言えばただの銀髪の少女のようにも見える。
「君を呼び出した理由は一つ。とある一団の無力化を『依頼したい』。成功した暁には君にどこかで一日休暇をあげるよ。」
飛び出した言葉の意味をイモータルは頭で噛み砕き思考する。それでも要領が得ない、今までのゼロのやり方では有り得ないからだ。
今まで彼女はそんな依頼など無く、ただ指示を出してイモータルに従わせていたに過ぎない。だから、依頼するという言葉には違和感しかなく、その上に報酬の提示までするというのは。
「待って、その報酬待って。」
「おや、報酬が要らないと?」
「違うそうじゃない、一日って何すか!それ仕事内容に寄っちゃ全く見合ってないですよね!?」
だがそれよりも先に、本音が出た。一団の無力化をやるという時点で相当面倒な仕事なのにそれに対して休みが一日という報酬というのはどうなのか。勿論、ここまで休みなんて一日も無かったわけだが、死を越えた影響なのか彼女の魔法によるものなのか自然と疲労はない、無いにしても、少なすぎるとイモータルは抗議したかった。
「なに、簡単な仕事だよ。ちょっと厄介な宗教の一団を一人余さず無力化してほしいだけさ。」
「全然見合ってねえーっすッ!!」
地面を強く踏み付けて抗議の声を高らかに挙げたイモータル。
そんな彼女を楽しいものでも見るかのような笑顔で見据えながら、ゼロは祭壇の階段を二段程昇ったところで立ち止まり、振り返っていた。今はその段に腰掛け、相変わらず緩やかな微笑みを浮かべて膝を抱えている。
「ん、そうかい?それは困ったな…正直、私が君に与えられそうなものってそれくらいしか思い浮かばないというか。」
本当に困ったとでもいうのか、眉尻を下げて、浮かべていた笑みが苦笑いのように変化した。こういうところの表情変化はいちいち人間臭いとイモータルは思うのだが、それはそれとして。
「言い方の問題だと思いますけど…まるで望んだらなんでもくれそうな言い草っすね?」
という疑問に対して、
「勿論。君が望む物ならなんでも……ああ私の命とか力とかは無理だけど、あげるよ。難しくても努力するさ。」
と、「何を当然のことを」というように目を丸くさせて首を傾げるゼロ。
待て、何かがおかしい。
「ストップっす。待ってくださいね?……は?貴女ゼロっすよね?」
「うん?そうだけど、それがどうかしたかい?」
尚も表情は目を丸めたまま、疑問符を浮かべているような表情を続けるゼロ。
「そうじゃねえっすよ。私に何したのか忘れたんじゃないですかね……別に友人でも無いでしょう、私達。それをなんすか、その…まるで。」
友人どころか親友か何かのようで、とイモータルは言い掛けて呑み込んだ。彼女にそんな意識はない事は見ていればわかる、それに、
「ゆうじん…?なんだい、それは。」
理解すらしていないと来ている。つまり、完全に素なのだ、彼女は。
(――空っぽのゼロ。言い得て妙だったんじゃないっすかね、これ。)
だがそれ故に、彼女は敵だとかいう認識も、今彼女自身が行っている世界の歪みも悪意などではないのだと理解出来た。全ては好奇心。彼女の行動理念はそれに集約されていて、好奇心に終結している。何を行うのも好奇心なのだとすれば、彼女がこう告げる理由もまた好奇心なのだろうが、反応を愉しむ様子にも見えずにイモータルはただ困惑していた。
「ああもう、いいです。報酬の話は一旦保留、あとで要求って形が取れるなら是非そうしたんすけど?」
「了解した、君がそれを望むなら私は許容しよう。君への報酬なのだからね。」
そしてイモータルは漸く気付く。言ってから少し間を空けた時点で、手遅れだったのだが。
「それでは依頼の話を………どうしたんだい?」
俯く黒鎧に首を傾げる銀髪少女。表情は見えていない筈だが、酷く情けない顔をしているとイモータルは思った。何しろ彼女が意図していたのかどうでないのか、どちらにしても依頼を引き受けると自分で容認してしまったようなものなのだから。
兜の頭に黒い手甲をつけた手で押さえながら「なんでも、ねえです」と疲れ切った声でゼロの問いを制止した。
「いいかい?なら……君に無力化してほしい一団はね、ここから少し北に行って森を抜けた先にある村に向かってる。彼らの目的は新たな信徒を獲得。」
それだけ聞くとただの勧誘の為に宗教の一団がやってきている、というだけに聞こえる。というか大した問題とは思えず、イモータルは首を傾げる。
宗教と言えば、ランプレディに属するイルダ教だ。彼らはとある神を信仰していると言うが、その信徒は世界中に居るとも言われていて、ランプレディ自体小さな国でありながら大きな影響力を持っているという話を聞いた事があった。だが、イモータルが知っている知識などその程度でその規模や信仰する対象を詳しくは覚えていない。なのでこの場はそれだけならイモータルが向かう理由は無いのでは、と口にしようとした。
「問題はその手段さ。その一団は所謂過激派組織。――ある程度の目星をつけた人物に集団で詰め寄り、脅し、強制的に連れ去る。妨害しようとする者が居れば、村ならばその村を、街ならそこから一定範囲を人間を皆殺しにする。小さい村や街に限るけれど、それ故に話題にもならない。」
暗躍する宗教の暴虐。つまるところゼロが問題視しているのはそういった過激派による行き過ぎた勧誘。彼女にとっては好奇心を向ける対象を自分の意図しないところで奪われるという事に他ならない。
「つまり、貴女の意図に関わらず暴れてる存在を止めろ、って事っすか?私一人で。」
そういう事ならば話は早い。簡単ではないが、やる事は明確に決まっている。それに、一方的に虐げられる者を助けるというのはイモータルからしても本望ではあるからだ。
「勿論それもある。もう一つの理由は………いや、これは言わないでおこう。」
語ろうとして、唐突に口元を自らの右手を添える形で言葉を中断するゼロ。違和感を覚えたイモータルだが、その問いを遮るように左手を差し出して視線を落とす仕草をする。彼女らしからぬ動作に尚も首を傾げた。
「そう、訝しまないでほしい。その……私にもこの感覚を何を言えばいいのかわからないんだけどね。」
まるで、気まずいというように視線を逸らす彼女に酷い違和感を覚える。
何度も言うが、普段の彼女を考えるなら違和感のある仕草だ。何しろ彼女の感情表現は基本的に創り物であるとか、真似事だと語っていた――自らで。
「さっきからいちいち貴女らしくねえですね?今までのように淡々と語ればいいじゃないですか。」
そんな今までと違う仕草に「何故そんな面倒な真似をするのか」と問い掛ける。問いに対して、まるで思い悩むように向けてきた視線は感情を宿した様に揺れているが、これも真似なのだろうか。だからこそ苛立つ、何故そんな真似をするのかと。
「……忘れてくれ、すまなかったね?」
だが答えは語られる事無く、ゼロは手を降ろして瞼を伏せる。久々に、彼女の表情が笑み以外の――憂いを浮かべるような表情を浮かべていた。
「まあ、貴女が言わないと言ったら絶対言わないでしょうけど。……一つだけ、その情報は私が任務を遂行するのに支障にはならないんすね?」
「保障する。それは氷界の魔女の名に誓ってね。」
ゼロはこう言った情報提供の場面で嘘は絶対に言わない。これは彼女の信念のようなものらしいが、それを絶対的に保障しようとした時、必ず『氷界の魔女の名に誓って』と言葉に混ぜる。
だからイモータルは彼女の言葉を信用する事にした。
「十分。で、質問なんすけど……勧誘する対象って、さっきの言い方だと決まってるように聞こえたんですが。」
情報の保証を貰ったところで、次は対象の絞り込みを行う。ゼロの言い分から考えるに、宗教団体の勧誘対象は決まっているように思える。もしそうなら、誰を対象に行動すればいいのか絞り込む事が出来るし、必ずしも「襲撃してきたところを迎撃する」という後手に回らなくても済むからだ。
「そうだね、君にとっては必要な情報だろう。君の想像通り、彼らはとある人物を対象にしている。その人物はね――。」
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「――……ふぅん、そうか。彼はそんな辺鄙な村に……うん、うん。ボクの言う通り彼を集団で囲んで宗教への加入を促してくれ。勿論断ったら、ボクが伝えた彼の罪を伝えてあげて。それでダメなら、いつも通りの対応をお願いするよ。」
声量を落として語り掛けるように指示を下す。少女は一人、分厚い本を脇に抱えてオレンジ色のツインテールを揺らしながらもう片方の手を伸ばして覆面を被った黒装束の者達と対峙していた。覆面の者達は何も否定せずに頷くと死人のように遅い足並みで振り返り、その場を去って行った。
「さて、こんな所か。後は信徒達がやってくれるし…、と。」
オレンジ髪の少女は白いマント、白いローブに身を包む襟元から赤と黒の縞模様が刺繡が刻まれたリボンを結んだ少女は、醒めた視線を緩く泳がせ体を傾け、柱の影から協会の内側に視線を向けた。
そこには今、大勢とは決して言えないが教壇の前に立ち、信者達へ教えを説いている。
青白く輝くような長髪を揺らし、二十代として整った顔立ちで柔らかな笑みを浮かべながら語り続けている。黒いベールと修道服を纏いながら、襟元から胸上にかけて白い布が縫いこまれ、その布には赤い鎖のような模様が襟元の形に添って刺繡されていた。
彼女は此処、イルダ教の在する協会において『救済と断罪の一派』と称される一団の教祖として祀られた聖女であり、オレンジ髪の少女が心の底から敬愛する姉である。
姉は救済の名を持つ者。
妹は断罪の名を持つ者。
その上で救済は偉大だと断罪は考えている。故に彼女の偉大さは世界に広められるべきと考え、彼女の知らぬ裏側で信徒達を操っているのも断罪だった。
――勿論、それだけが理由ではないのだが、それは救済が全く知らない事柄であり、いっそ知らなくても構わないと断罪は思っていた。
「姉様、裏はボクが支配してみせましょう。だから、表の世界は――貴女の光で照らしてあげてくださいね。」
笑み浮かべる妹は姉から視線を戻して、自らを指示を出して扉から出て行った信徒達の方向を見据えた。
「さあ、逃げられると思わないでね。ボクが敷いた規則には……信徒も、何人も、逆らえないんだから。」
断罪は救済から意識を別の誰かへと向けると、その笑みは一気に優しさを無くし、深く暗い、歪な狂気を含んだ表情へと変貌し、片方の手は無意識の内に己の頬へと触れて、言葉を唄うように綴る。
「君の断罪はまだ終わってないんだ……さあ、断罪を続けよう。」
誰にも聞き取れない小さな呟きは、狂気を孕んで、後方で上がる信徒達の歓喜の声にかき消されていくのだった。




